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    raku_713

    @raku_713

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    raku_713

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    少し未来の話。原作軸より若干ミスラの情緒が育っています。

    ミスオエ自分用ムカムカするな、と思った。同時に何かを壊したいと思った。
    それは時折彼を襲う衝動で、制御できないし、しようと試みたこともなかった。
    「《アルシム》」
    呪文を唱えて移動する。夢の森の美しい光景が目に飛び込んできた。目の前には銀髪の魔法使いがいる。
    「ッ、ミスラ……!」
    彼は、ミスラの姿を瞳に映すと同時に、舌打ちをして空中へ飛び立った。殺気立った獣と距離を取ろうとする。そんな彼を追うように、赤い獣は腕を伸ばした。
    「《アルシム》」
    再度、呪文を唱える。抑揚のない声。魔道具の髑髏が大きく息を吸うように膨らむ。
    瞬間、大きなつららが、逃げようとする男の身体を貫通した。
    「かはッ……!」
    鮮やかな赤が飛び散る。それは雨のように降り、ミスラの顔を濡らした。
    ドサリ、と赤に塗れた身体が地面へと倒れ込む。何度も繰り返された光景だ。戦いはいつも、ミスラが勝利する。
    「ミ……スラ……」
    恨めしそうな顔で、白銀の魔法使いはミスラを睨んだ。
    「……グ、ァ……」
     苦しそうなうめき声をあげる。ミスラはそれを無視し、彼に背を向けた。
    「ゆる……さ……な……。…………」
     魔法使いの瞳から光が消える。命がおわる合図だ。
     そのとき、聞き覚えのある音が、ミスラの耳に届いた。
     パキパキ、という何かが割れる音。
     異変を感じて振り向く。

    ――……パリンッ

    「なっ……?!」
     砕け散る無数の欠片。
    光に照らされ美しく光るそのひとつが、ごろりとミスラの足元へと転がってきた。
    「……オー、エン?」
     
    北の魔法使いオーエンは、
     石になった。

    ・・・・・

    「オーエン!」
    「オーエン!」
     ミスラの後ろに、大きな扉が現れた。中から、小さな双子が駆け出してくる。
     双子の一人、スノウは、地面に転がる無数の石の欠片を見つけたのち、俯いて表情の見えないミスラを見遣った。
    「……やはり、おぬしじゃったか」
     双子のもう一人、ホワイトは、オーエンを悼むようにそっと石の欠片に触れた。
    「オーエンの魔力の気配が消えたとオズから聞いて駆け付けたんじゃが……間に合わんかったの」
     ミスラは、しゃがみこんで動かなかった。左手には、欠片を一つ強く握っていた。
    そんな彼の目の前に立ちはだかるように、小さな双子は並んでミスラを見下ろした。
    「ミスラよ」
    「オーエンから、何か聞いてはおらんかったか」
    ミスラは答えない。代わりに、消え入りそうな掠れた声を小さく吐き出した。
    「……オーエンを元に戻してください」
     ミスラの言葉に、スノウは静かに息を吸い、そして吐いた。
    「無理じゃ。石になってしまってはもう戻らぬ」
    ホワイトが続く。
    「無理じゃ。おぬしは充分にわかっているはずじゃろう」
     二人の言葉に、ミスラは左手の欠片をさらにきつく握りしめた。
    この日、どんなにスノウとホワイトが語りかけても、これ以上彼が口を開くことはなかった。
    ミスラの後ろで、双子をこの場に連れてきたオズが、冷ややかな目でその背中を見下ろしていた。

    ・・・・・

    一人の魔法使いが石になってから、ミスラの行動はこれまで以上に攻撃的で破壊的になった。
    ある時は、何度も魔法舎を破壊した。
    ある時は、北へ出かけ、死にかけの様子で魔法舎へ戻ってきた。
    これまでも何をしでかすかわからない恐ろしさや危うさがあったが、今はそのような得体の知れない恐怖ではなく、ただただ暴力的な、命を脅かすような、そんな恐怖を与える存在となっていた。
    オーエンが石になってから、賢者の力により新しい北の魔法使いが召喚された。北の魔法使いの召喚は、久しぶりのことである。
    召喚された魔法使いは、ブラッドリーより少し若いものの、長く北で暮らしてきた生粋の北の魔法使いであった。スノウとホワイトは彼に、オズかブラッドリーか自分たちか、必ず誰かとともに行動するよう忠告した。この魔法舎には、理性を失った赤い獣が出るから、と。
    しかし、新しい魔法使いは、忠告を聞かなかった。他人に指図されるのを嫌う北の魔法使いが、他の魔法使いの言うことを聞くはずがないのだ。夜も更けた頃、彼は自室から抜け出し、魔法舎の外へと踏み出した。
    翌朝、新しい北の魔法使いは、石となって発見された。現場には、ミスラの魔力の残滓が残っていた。


    「……ミスラさんは、少し違う環境で過ごした方がいいのかもしれません」
     魔法使いたちが神妙な顔つきで集まる談話室で、南の国の魔法使い、ルチルはそう呟いた。ルチルの言葉に、ミチルも続く。
    「ボクもそう思います。ミスラさんがしたことは許されないことばかりですが、……でも、ここにいると色々思い出してしまうだろうから……」
    胸の前で拳をぎゅっと握る。その様子を見て、レノックスが励ますように彼の肩に手を置いた。
    「環境を変えるなら、南の国はどうでしょうか。魔法舎とも、彼のゆかりの地である北の国とも、まったく違った場所ですから」
     レノックスがゆっくりとした口調で提案する。そして、「まあ、彼が頷くかはまた別の話ですが」と付け加えた。
    「たしかに妙案かもしれぬな。マナエリアで休むのが一番かと思ったのじゃが、北の国に行っては暴れている様子じゃし……。それにこれ以上、あやつにここを破壊され、仲間を失うわけにはいかぬ」
    「そうじゃな。別の場所で過ごすことで、何か良い影響を与えられるかもしれぬ。ルチル、ミチル、何かツテはあるのか?」
    「はい。私の家の近くに空き家があります。私たちも南の国へ行って、しばらく一緒に過ごせたらなって」
     スノウとホワイトが顔を合わせる。目くばせをしたあと、南の兄弟に向きなおった。
    「おぬしらの提案であれば、あやつも言うことを聞くかもしれぬ」
    「頼めるか?」
     ルチルとミチルは、口元を引き結び大きく頷いた。

    ・・・・・
     
    空を見ていた。雪がふわふわと落ちてくる。天気は荒れてはいないのに、いつもより寒いなと思った。
    目の前の凍った湖面を覗くと、赤い髪と、返り血に濡れた赤い服が映った。
    「……またですか」
    小さく舌打ちをする。何の血なのかが思い出せない。最近は、こういうことが増えていた。
    辺りを見回すと、覚えのない儀式の跡や呪術の道具が転がっていた。中には、かなり危険な魔法陣も描かれている。使いかけの道具を拾おうと足を動かすと、強い痛みが走る。見ると、深くえぐれるような傷を負っていた。これも、記憶にないものだった。
    「何だか疲れたな」
     小さくつぶやいて、その場に倒れ込んだ。記憶だけでなく、身体も調子が悪い日が続いていた。何かに蝕まれているような感覚がする。目をつむると、夢の森のあの日の光景が、いやに鮮やかに蘇る。赤い血、白い雪、怪しく光る石の欠片。
     心臓を貫かれたのはオーエンのはずなのに、まるで自分がつららに射抜かれたかのように、ズクズクと強い痛みを感じた。それと同時に、左手に、冷たい石の感触が戻ってくる。
    「……ラさん、……ミスラさん!」
     名前を呼ばれる気配がして、ふっと意識を現実へ戻した。声をする方を向くと、ルチルとミチルが自分の方を向いて立っていた。ミチルは、ミスラの格好や周りの様子に、少し驚いている様子だった。
     ここは死の湖だ。魔力の弱い彼らが、いったいどうやってこの地へやってきたのだろうか。いくつになっても綱渡りのような挑戦をする彼らには、本当に冷や冷やさせられる。
    「……何してるんですか。あなたたち弱いんですから、こんなところにいたら死にますよ」
     ゆっくりと起き上がり、二人をにらむ。気に留めない様子で、ルチルがミスラの元へ近づいてきた。
    「ミスラさんとお話したくて。ここ数日、魔法舎におられなかったみたいなので、ここかなと思って訪れたんです」
     ルチルは、にっこりと笑う。相変わらず、のんきで間抜けな表情だと思った。
    「一緒にお茶でもしませんか?ネロさんが焼いてくれたパンを持ってきたんです。もう冷めちゃったかもしれないけど……きっとおいしいですよ!」
     ミチルが大きなかごを差し出す。きっとおいしいパンがたくさん入っているのだろう。
    ミスラは、二人を順番に見たあと、「ハハッ」と乾いた笑いをこぼした。
    「……あなたたち、馬鹿なんですか?」
     ミスラの問いに、二人は何も答えず、彼をじっと見返した。
    「俺が、怖くないんですか?」
     大きな手をルチルとミチルの額にかざした。今にも恐ろしい魔法を使うような、そんな圧を放出させる。
    「……怖いですよ」
    「兄様ッ!」
    「今のミスラさんは、怖いです。でも、それが本当のミスラさんじゃないことを、私たちは知っています」
     弟の言葉を遮るように、ルチルはそう答えた。口元に微笑みを浮かべながら、まっすぐにミスラを見つめた。
    「一緒にお話ししましょう、ミスラさん」
     花が咲くように笑うルチルに、ミスラはかざしていた両掌をおろした。大きなため息をつく。
    「……ハァ、勝手にしてください」


    ルチルが南の国でお茶会をしたいと言い出し、何もかもがめんどうくさくなったミスラは空間を南へとつなげた。ルチルに、小さな家に案内される。こじんまりとしたキッチンの椅子に座るようと言われ従うと、ミチルの持っていたかごが目の前に差し出された。
    かごの上に被さっていた布をめくると、香ばしいパンの匂いが漂ってきた。ひとつ掴んで頬張る。味はよくわからないが、何となくおいしい気がした。そういえば、何かを口にするのはかなり久しぶりかもしれない。
    「よかったらお茶もどうそ」
     ミチルがお茶を差し出すと、ミスラはぐいっと一気に飲み干した。
    「ちょっと、火傷しちゃいますよ!?」
    「……久しぶりに何かを飲んだ気がします。もう一杯欲しいです」
    「気にいってもらえたならよかったです。これ、疲れが取れるハーブティーで、ミチルが育てたんですよ」
     ミスラは、「へえ、そうですか」とカップを覗きこんだ。「悪くないと思いますよ。まあ、味はよくわかりませんが」と言うと、ミチルは呆れたように苦笑した。
    「ところで、ここどこです?あなたたちの家、こんなんでしたっけ。最近色々思い出せないことが多いので、よくわからないな」
    ミスラが最後のパンに手を伸ばしながら辺りを見回す。
    「僕たちの家じゃないですよ。今は誰も住んでいない、空き家になっています」
    ミチルの言葉に続き、ルチルも明るい声でミスラに話しかけた。
    「でも、ここ、とっても素敵な家ですよね。ミスラさんもそう思いませんか?」
    「はあ」
    「やっぱりそうですよね!」
    ルチルがキラキラと目を輝かせる。
    「だったら、ミスラさん。しばらくこの家で住んでみませんか?」
    「…………はい?」
    「私たちの家も隣にありますし、南での新生活も、きっと楽しいですよ!」
    「……意味が分からないんですが」
     強引な誘いに、ミチルが苦笑いをしている。呑気な二人を見て、カッと頭に血が上った。
    「こんな平和ボケしたところで過ごせるわけないでしょう。俺は北に帰らせて……」
    立ち去ろうと席を立ったそのとき、グラリと世界が歪んだ。頭を押さえて顔をしかめる。
    「ミスラさん!」
    「しっかりしてください!」
     ぐわんぐわんと回る世界に、焦った顔をする二人が見えた。ミスラの身体を支えるようにしながら、表情を掴もうと顔を覗きこんでくる。こんな状態で姿を消せば、この二人はまた北まで追いかけてくるだろうと思った。まったく、本当にめんどうくさい兄弟だ。
    「……もういいです。とりあえず今日はここに残るので、もう一人にしてください」
     椅子に座り、痛みに耐えるように目を伏せた。肩で大きく息をする。
    「……わかりました。行こう、ミチル」
     二人は、「あとから、何かあたたかいものをお持ちしますね」と言葉を残し、静かに部屋を出ていった。

    ・・・・・

    「ミスラさん、いらっしゃいますか?」
     ルチルの声が聞こえる。返事はしない。
    「……食事をとらないと、身体に悪いですよ。あたたかいスープをつくりましたから、ドアの前に置いておきますね」
     コトリ、と物音が聞こえたあと、気配は部屋の前を離れていった。
     ミスラはベッドに横たわり、瞼を閉じていた。目を閉じれば、嫌でもよみがえってくる記憶がある。オーエンが石になった日のこと、そして、その前の日のことだ。


    「明日、中央の市場に行きませんか。お茶でも奢りますよ」
     しばらく雨が多かったこともあり、外に出かけるのもめんどうくさく、魔法舎に引きこもる日々が続いていた。夜はシャイロックのバーで暇をつぶしたり、談話室でブラッドリーとカードゲームで賭けに興じたりもしたが、何となく「つまらないな」と感じていた。特に、ブラッドリーには賭けに負けて、気に入っていたリングを奪われてしまうし。イカサマしているに違いない、と思いだしては苛々とした。
     だから、気分転換にオーエンをお茶に誘うことにした。気まぐれな彼はいつも誘いに応じるわけではなかったが、最近は奢るといえばついてくることも多かった。いつもニコニコ笑っている彼と話す時間は、心地がよく嫌いではない。
    「オーエン、明日中央の市場にお茶に行きましょう。奢りますよ」
    しかし、今回はタイミングが悪かったようだ。
    「嫌。明日は用事があるから」
    「へえ、珍しいですね」
     ミスラはつまらなそうに窓の外を見ながらポリポリと首をかいた。「じゃあ、あさってならいいですか」と聞こうとしたが、その前にオーエンが口を開いた。
    「ねえミスラ」
     こわばった声がミスラを呼ぶ。オーエンに視線を戻しても、それが絡み合うことはなかった。
    「明日、僕のこと絶対に殺さないで」
    「はあ、殺しませんけど」
    「じゃあ約束して」
    「約束?なぜです?」
    「いいから」
     オーエンは、視線を合わせようとはしなかった。いつもと違う態度に苛々がつのる。
    「嫌ですよ。約束なんてもう懲り懲りです」
     ミスラはそう言い放ち、オーエンに背を向けた。
    「……はあ、つまらないな」
     降り積もっていく苛々は、まだ溶けそうにはなかった。


     過去の記憶から顔を背けるように、静かに瞼を開く。ジクジクと痛みを感じ、左の胸を押さえる。
    「今の方がずっとつまらないですよ、オーエン」
     窓から差し込む南特有の日差しが、いやに眩しく見えた。

    ・・・・・

     ルチルとミチルに無理矢理南へ連行されて十の年は過ぎただろうか。ミスラは何だかんだフローレス家の隣人を続けていた。
    最初の頃は、どこかで暴れ、返り血を浴びて帰ってくることも多かった。二人が話しかけても返事がなかったり、逆に暴れるように家を破壊することもあった。虚ろな目をしながら家の前で呪術を行い、ルチルに止められて迷子になったこどものような顔をすることもあった。
    しかし、時間が経つにつれ、以前のように二人と気の抜けた会話ができるようになっていった。破壊的な行動が減り、北と南を往復しながら比較的穏やかに過ごしていた。
    「あなたたちやここの住人を見てると、何だかおかしな気持ちになるんですよね。ぼーっとして眠たくなって、もう少しここでゴロゴロしていようかなって思います。俺はおかしくなったんでしょうか」
     ある日、ミスラがルチルに尋ねた言葉だ。
    ルチルが「それはきっとよい変化ですよ。一緒にゴロゴロしましょう」と笑うと、納得できないというように目をそらす。ふう、と息を吐いたかと思うと、「北へ行ってきます」とだけ告げ、姿を消した。それでも少し時間が立てば、また南の地へ戻ってくる。
     その後もミスラは、北で孤高のプライドを鋭利に磨いては、南へ足を運び平和な空気を吸う不思議な日々を送った。
     ミスラの様子について報告を聞いた北の双子は、頬をゆるませ安堵した。悠々自適じゃのう、うらやましいのう、と手を取り合い喜んだ。ルチルとミチルも、いくらか肩の荷が下りたようだった。
     しかし、その表情にはどこか陰りがあった。


     北の国の雪深い湖。世界で二番目に強い魔法使いが住む湖。
     月が高く輝く頃、その湖の住人は地面でうずくまり、痛みに耐えるように左胸を押さえていた。
    「オーエン……」
     小さくこぼれ落ちた声は、静かな夜へと消えた。

    ・・・・・

    「北へ行って、花火を打ち上げてきます」
     ある日、ミスラはルチルにそう告げた。
    「花火、ですか?」
    「ええ。前に双子の祭りを手伝ったことがあるんです。死者を歓迎する祭りで、双子には色々させられましたが、最後には大きい花火を打ち上げて。まあ、悪くない時間でしたよ」
    「そうですか、とても素敵ですね。気を付けていってきてください」
    ミスラは、ぶっきらぼうに「誰に言ってるんですか」と答えると、大きな扉を出現させた。
    ミスラが花火を上げたいと思ったのは、オーエンのためである。双子に手伝わされた祭りのあとに、彼が花火の話をしていたことを思い出したからだ。
    内容はあまり覚えていないが、にこにこ楽しそうに話していた気がする。オーエンの性格からして、「馬鹿でかいだけ」だとか「お前は何にも考えてないね」だとか言って、貶してきたのかもしれない。でも、嫌な思い出ではなかった気がする。きっと、自分の花火を気に入ってくれたのだろうと都合のいいことを思った。そして、そうであれば、あの花火をもう一度見せたいと思った。
    扉をくぐると、一瞬で夢の森に到着した。オーエンゆかりの地だ。
    久しぶりに訪れたそこは、彼が生きていたころと変わらず、美しく、幻想的で、異様な空間だった。
     空を見上げると、<大いなる厄災>が遠くで光っていた。はらはらと雪が顔に落ちてくる。北の国にしては、穏やかな夜だ。花火を打ち上げるにはいい夜だとミスラは思った。
    「行きますよ。《アルシム》」
     シンと静まりかえった世界に、ミスラの呪文が響く。間もなく、花火が打ち上がった。黄金の華が空いっぱいに咲き誇る。夢の森の白い雪原がその光を反射し、あたり一面が明るく煌めいた。
     花火が消える前に次の花火を打ち上げ、それが消える前にまた次の花火を打ち上げた。赤色、桃色、緑色、青色、紫色、橙色。色とりどりの花火が次々に空を彩る。
    「オーエン、見えますか」
    ドンドン。パチパチ。
    お祭りのように賑やかで明るくて、光に照らされた木々たちも、喜んでいるようにさわさわと葉を揺らした。
    「オーエン」
     もう一度、名前を呼ぶ。
    しかしそれに応えるのは、ドン、という花火の音だけ。
    ミスラが、死者のために花火を上げるのは二度目だ。一度目は、懐かしい声が聞こえた気がしたのに。
    「今日は聞こえないな……」
     もうひとつ、とびっきり大きな花火を打ち上げた。静かな世界に、派手な音で大輪の華が咲く。
    はらはらと落ちていく最後の火花を見届けたあと、ミスラはその場で力なく座り込んだ。幾夜も感じた痛みを覚え、胸に手を当てる。
    「どうしてですか、オーエン。応えてくださいよ……」
     シンと静まり返った雪原に、ミスラのつぶやきだけがぽつりと落ちる。

    ――許さない。

    聞こえてくるのは、彼の最期の言葉ばかりで、ミスラは唇を噛みしめた。

    「……どうしたの?」
     ふと、傍で幼い声が聞こえた。こどもの気配すら察知できなかったことに、少し動揺を覚える。
    「おなか、いたいの?」
    「……放っておいてください」
     ミスラは声の主を一瞥もせず、立ち上がってその場を立ち去ろうとする。
    「まって!……おじさん!」
    「…………おじさん?」
     聞き覚えのある呼び名に振り向く。
    すると、そこには赤い目をした銀髪の男の子が立っていた。
    「……ッ!……オーエンッ!!!」
     白銀の綺麗なこどもへ駆け寄り、両手で頬を包み込む。大きい赤い瞳が、困惑したようにミスラを見つめていた。
    「オーエン、オーエンですよね!?……ッ、オーエン!」
     小さな身体を強く抱きしめる。何度も何度も名前を呼んだ。
    「い、いたいよ」
    「どうして……いつからここに。ひとりなんですか」
    「えっと……」
     幼いこどもは困ったようにぱちぱちと瞬きをしている。そして、小さな声で「ぼく、わかんない……」とつぶやいた。
    「ねえそれより、あれ見せて」
    「あれ?」
    「うん。おっきくて、キラキラしてるの」
     小さなこどもは、星が瞬く夜空を指さした。
    「ああ、花火のことですか。いいですよ」
     ふっと笑みをこぼし立ち上がる。呪文を唱え、再び大きな華を空に咲かせた。横から「わあ……!」と声が上がるのを聞き、自慢げに鼻を鳴らす。
    「ねえ、もっと!」
    幼いこどもが、嬉しそうに顔を綻ばせる。ミスラは、大きな両目に光を映し喜ぶそのこどものために、何度も何度も花火を打ち上げた。二人だけの不思議で楽しい宴は、小さな彼がはしゃぎ疲れて眠るまで続いた。

    ・・・・・

    「それで、連れて帰ってきちゃったんですか?!」
     目を見開いて驚くミチルに、ミスラは「ええ、まあ」と返事をする。腕にはすやすやと眠る小さなこどもを抱いていた。ミスラの様子を見て、ルチルも困った顔をする。
    「確かにオーエンさんそっくりですけど……。ご両親やご家族がいらっしゃるかもしれませんし、ミスラさん誘拐犯になってしまいますよ」
    「はあ、夢の森に住んでいる人間なんていないでしょう。どうせ魔法使いのこどもを持て余して捨てたとか、そんなところでしょう」
    「そんな……」
    「ん……」
     ミスラの腕の中で、こどもがもぞもぞと動いた。騒がしさに目を覚ましたようだ。ルチルと目が合い、目をぱちぱちと瞬かせた。
    「……だあれ?」
     怖がらせないように、ルチルは視線をこどもに合わせた。そして、南の先生らしい優しい笑みをつくる。
    「私はルチルだよ。君のお名前、教えてくれる?」
    「おなまえ……」
     こどもは困ったように下を向いた。
    「わかんない……」
    「大丈夫だよ。じゃあ質問を変えるね。お母さんやお父さんはいる?」
    「ううん。お母さんとお父さん、ぼくのこと、いらないんだって。だから、ひとりぼっち……」
     下を向いたまま、こどもは瞳を揺らした。ルチルがその小さい頭を優しく撫でる。
    「そっか……。……つらいこと聞いてごめんね」
    「あ、えっと、そうだ、おなまえかわからないけど、お母さんとお父さんは、ぼくのこと、「ガキ」ってよんでたよ」
    「いえ、あなたの名前はオーエンですよ」
     黙っていたミスラが口を開く。
    「おーえん?」
    「ちょっとミスラさん、まだ決まったわけじゃ」
    「オーエン。俺と一緒にいてください」
     小さなこどもは、大きな目をさらに大きく見開いた。
    「ぼくといっしょにいてくれるの?」
    「ええ。あなたは俺が守ります」
     こどもは、嬉しそうに笑い、腕の中でミスラに抱き付いた。
    「ありがとう!おじさん!」

    ・・・・・

    「それで、連れて帰ってきちゃったんじゃな」
    「きちゃったんじゃな」
    「あはは……。ボクも同じこと言っちゃいました」
     スノウとホワイトが呆れたように顔を見合わせた。ミチルから連絡を受けた二人が、ミスラと件の幼子の様子を見に、南へやってきたのだ。
    「で、どうなんです。オーエンで間違いないですよね」
    「……まあ、そう焦るな。念のため占ってみるとしよう」
     二人は手をつなぎ、瞳を閉じた。
    「「《ノスコムニア》」」
     二人が微かな光に包まれる。
    しばらくの静寂のあと、二人はゆっくりと瞳を開いた。
    「間違いない。これはオーエンの魂じゃ」
    「魔力も、彼のもので間違いない」
     双子の答えに、ミスラは満足気に「そうでしょう」と頷いた。対照的にミチルは、まだ戸惑っているような表情を見せた。ルチルが彼の肩に優しく手を添える。
    「しかし、こんな例は聞いたことがない」
    「そうじゃ。一度石になった魔法使いが、生まれ変わるなど……ムルが知ったら大変なことになりそうじゃのう」
    「どうでもいいですよ。オーエンはここにいます。ただそれだけです」
     小さなこども、オーエンはきょろきょろとミスラと双子を見ている。状況がわかっていないらしい。そんな彼の頭をミスラがぽんぽんと撫でた。
    「オーエン、行きますよ。腹が減りました」
     そう言ってミスラが部屋から出ていくと、オーエンはその後ろをちょこちょことついていった。二人の様子を見て、スノウとホワイトがため息をつく。
    「大丈夫かのう」
    「心配じゃのう」
    「あれは間違いなくオーエンじゃ。あやつが前世の記憶を取り戻すことがあれば、その時はきっと……」
    「スノウよ。ミスラもあの様子じゃ。今は見守るしかあるまい」
     双子は、祈るように再び瞳を閉じた。

    ・・・・・

     再会に喜んだのも束の間、ミスラは初めての育児にてんてこまいになっていた。予測がつかないこどもの自由奔放な行動に、完全に振り回されている。
     オーエンの年齢は定かではないが、見た目でいうと5歳ほど。オーエンは泣き虫なようで、びっくりしたり嫌なことがあったりすると、すぐに泣きだしてしまう。ミスラが「ちょっと何泣いてるんですか、みっともない。あなた、北の魔法使いでしょう」と叱ると、さらにわんわんと泣いた。
     夜には散々子守唄を歌わされ、絵本の読み聞かせをねだられ、やっと寝たかと放って出かけると、朝には熱を出してうんうんと唸っていることもあった。
    「北に帰りたい……」
     ミスラが膝を立てて座り、そこに頭をもたれさせている。
    ミスラの計画では、オーエンを北に連れて行き、そこで北の魔法使いとして、強く育て上げるつもりだった。しかし、まだ幼いうえに、まともに育てられてこなかったであろうオーエンを、育児未経験のミスラが面倒を見られるわけがなかったのだ。
     結局、ルチルとミチルに手伝ってもらいながら、やっとやっと毎日を過ごしている。たまに、嫌になったのかふらっとオーエンを置いてどこかへ行ってしまうこともあったが、それでもミスラがオーエンを見捨てることはなかった。スノウやホワイトは、そんなミスラの現状を見て、感心したほどだ。その後、「子育てのことなら、オズちゃんの方が先輩だからね」、「オズちゃんに極意を聞くといい」と茶化されて、思わずアルシムしかけたのだが。
     ミスラがはぁ、と大きいため息をつく。その様子を見て、家の掃除を手伝っていたルチルがミスラの隣に腰かけた。
    「ふふ、お疲れですね。でも、オーエンさん、毎日成長していると思いますよ。成長を見守るのって、温かい気持ちになりませんか?」
    「はあ……よくわかりません」
    「何だかんだ、楽しそうですよ、ミスラさん」
    「はあ、そうなんですかね。……まあでも、いないよりは、いた方がいいのかもしれないです」
     どんよりした顔のミスラから出てきた言葉に、ルチルはもう一度「ふふ」と微笑んだ。
    「ああ、オーエンさんが帰ってきましたよ。出迎えてあげましょう」
     小屋の扉に目を向けると、泥だらけになったオーエンとミチルが戸を開けて入ってきた。
    「すみません、盛り上がっちゃって……泥だらけになってしまいました」
    「たくさん遊んできたんですね」
    「はい。追いかけっこをしたり、虫を捕まえたりしました。オーエンさん、楽しかったですか?」
    「うん!」
    「素敵な一日になってよかったですね。では、もうすぐ日も暮れますし、私たちはこれで失礼しましょうか」
    「そうですね、兄様。オーエンさん、また明日、遊びましょうね!おやすみなさい」
    「うん、おやすみなさい」
     オーエンがルチルとミチルに小さな手を振ると、二人はにっこりと笑って家から出ていった。
    「随分と汚しましたね」
     ミスラが呪文を唱え、オーエンの服と体を綺麗にする。
    「たのしかったよ」
    「よかったですね」
    「あのね、あと、これ」
     オーエンが、ズボンのポケットをごそごそと探す。小さなどんぐりと赤や黄に色づいた葉を取りだした。
    「これね、きれいだったから。おじさんにあげる」
     差し出されるままに受け取った秋を、じいっと見つめる。ただの木の実と枯れ葉にすぎないのに、なぜか心が動かされた気持ちがして、それを取り繕うように自分のポケットへと突っ込んだ。
    「ありがとうございます」
    「……うれしい?」
    「ええ、まあ」
    「えへへ、よかった」
    「オーエン、おいで」
     ミスラがしゃがみ、オーエンに手を伸ばす。オーエンは応えるように、ミスラの膝に座った。
    ミスラは柔らかな頬をなぞるように撫でたあと、銀糸のような前髪をふわりとめくり上げた。露わになった額に、触れるだけのキスを落とす。
    「……なにしたの?」
    オーエンはおでこを触り、まん丸な目で尋ねる。
    「キスです」
    「どうして?」
    ミスラは考え込む。
    「さあ……よくわかりませんが、ついでに、守護の魔法をかけておきました。勝手に死んだりしたりしたら許しませんよ」
    「どうして?」
    「はあ……まあ多分、あなたが大切?……なんですかね」
    オーエンの表情がぱあっと明るくなる。頬を赤く染めて、にっこり笑った。
    「じゃあ、ぼくも!たいせつなしるし!」
    オーエンの小さな手がミスラの頬を包む。ちゅっと柔らかい唇が、ミスラの額に落ちた。
    ミスラが呆然としていると、オーエンは「えへへ」といっそう頬を緩ませた。
    「ははっ。あなた、本当に面白いですね」
    そう言って嬉しそうなオーエンの頭をぽんぽんと撫でると、オーエンは「おじさん、だいすき」とミスラに抱きついた。

    ・・・・・

     それから数日後。
    魔法舎の自室にて、ミスラは探し物をしていた。まだ幼く魔力も未熟なオーエンを守るため、守護の力のある道具を探しに来たのだ。北の死の湖に置いておいたつもりだったが、探しても探してもまったく見当たらない。仕方なく、魔法舎の自室に宝探しに来たのだ。
    「よお、兄弟。珍しいな」
    北の魔法使い、ブラッドリーだ。ミスラは声の主に気を配ることもせず、ごそごそと部屋を漁り続けている。
    「何です、忙しいんですけど」
    「聞いたぜ、オーエンを見つけたんだって?そんなことがあるんだな。聞いた瞬間ゾクッとしたぜ」
     ミスラは「はあ」と気の抜けた返事をした。
    「今日は連れてきてないのか?お前が来てるとわかって、小ぃせえあいつを一目見られるかと思ったのによ」
     ブラッドリーが部屋の中を見回す。気配がないことを確認し、つまらないというような顔をしてみせた。
    「南に置いてきました。ここに連れてくるとやっかいなことになりそうなので」
     ブラッドリーはミスラの言葉を聞いて、「育児放棄じゃねえか……」と苦笑いをした。
    「まあ、よかったじゃねえか。前より顔色もよくなったみてえだし、もう馬鹿な真似するなよ、自らの手で愛する奴を殺すなんざ、聞くだけで嫌な気分になるからな」
    「あいする……何です?」
    「あ?お前ら、デキてたんじゃねえのか?」
    「どういう意味です?」
     ミスラが探し物の手を止める。
    「いやだから、恋人同士だったっつうか……。賢者の魔法使いがそろって魔法舎で住むようになってから一緒にいることが多くなったとは思ってたが、そのうち何かこう、雰囲気が、……くそ、何で俺様がこんな胸糞悪い説明しなきゃなんねーんだ」
    「俺とオーエンが?初耳です」
    「そうかよ……」
    「そういうのはよくわかりません。一緒にいると楽しかったので、一緒にいただけです。きっとオーエンもそうですよ」
    「適当な奴だな……。まあ、お前らの関係なんざどうでもいいけどよ。お互いにそう思えてたってのはいいことだったんじゃねえの」
    「はあ、そうですか」
     ミスラが左手を見つめ、握りしめる。漁っていた引き出しを適当にしめると、のっそりと立ち上がった。
    「……何かムカついてきました。探し物は見つからないし、あなたのせいですよ」
    「はあ?急に何を……」
    「《アルシム》」
     ミスラが水晶の髑髏を出現させる。大きく開いた髑髏の口から、鋭いつららをブラッドリーに向かって放った。
    「お前ッ……気分屋なところは変わってねえな!《アドノポテンスム》」
     ブラッドリーが銃を振り回し応戦する。強く地面を蹴って廊下へ移動し、窓を割って外に飛び出した。ミスラもそれに続く。
    「少し前までのお前なら、どうにかすれば俺でも倒せそうだったんだけどな……あ?」
     ミスラから距離を取りスコープを覗いたブラッドリーが、何かに気づいたように眉を上げた。
    「ははっ、なんだよ兄弟。そんな楽しそうな顔久しぶりに見たぜ」
    「楽しくなんかありませんよ、死んでください」
     大きな音を立てて、魔法と魔法がぶつかり合う。騒々しさに、他の魔法使いたちが魔法舎の外へ出てきた。リケに呼ばれ外に出てきたオズも、空を見上げため息をついている。
     賢者の魔法使いたちが久方ぶりに見るナンバーツーの男は、不敵に笑いながらも、清々しい顔をしていた。

    ・・・・・

    オーエンがミスラとの暮らしに慣れてしばらく経つと、二人は生活の中心を死の湖へ移した。南の国には、気が向いたときやオーエンが行きたがった際に行き、しばらく過ごしてまた北へ帰る。そんな日々を送っていた。
     北での生活は、オーエンに魔法を教えるのに最適だった。過酷な環境で、誇り高く、強くあれと教え込んだ。時には意識を失うほど追い込むことも、動けなくなるほど怪我を負わせることもあった。オーエンが厳しい訓練に泣き叫び嫌がることもあったが、その程度で北の魔法使いが手を止めることはない。傷つき倒れる小さなこどもに、言葉を使わず北の魂を教え込んだ。
     一方のオーエンは、訓練のときのミスラが苦手だった。それと同時に、誰よりもかっこよくて、誰よりも強い、圧倒的存在であることが、自分でも気づかない心の奥底で彼を歓喜させた。何度も何度も痛めつけられ、その度に北の魔法使いとしての才覚を芽生えさせていった。
     そんなオーエンにとっての楽しみは、絵本を読むことだ。ミスラに買ってもらったり、ミチルにおさがりをもらったりして、毎日絵本の世界に没頭していた。ルチルに教えてもらっている文字も少しずつ読めるようになり、一文字一文字指さしながらゆっくりと物語を味わうのが好きだった
     オーエンが、絵本をひとつ抱え、小さな小屋の端っこに座る。最近手に入れたばかりの新しい絵本だ。それを床に置くと、ポケットから乾いた木の枝を何本か取り出し、脇に置いた。何もない死の湖で小さな枯れ枝を集めては、しおり代わりに気に入ったページに挟んでいるのだ。お気に入りのページは、寝る前にミスラに読んでもらうことにしている。
     オーエンがわくわくした面持ちで絵本の表紙をめくる。1ページ1ページ丁寧に読み、好きなページに枝を挟んでいった。少し進んでも、またお気に入りのページに戻ったりして。そうしてたっぷり時間をかけて、1冊を読み終えた。
    それと同時に、ミスラが部屋へと入ってきた。オーエンが絵本を閉じる。
    「オーエン、しばらく出かけてきます。あなたはここで大人しくしていてください」
    「どこいくの?」
    「中央の国です。<大いなる厄災>と戦ってきます」
    「おおいなるやくさい?」
     オーエンは、首を傾げる。ミスラが窓越しに月を指さした。
    「あれのことです」
    「あれ……」
    「あれは1年に一度、この世界へ近づいてきます。放っておいたらこの世界は滅びます。俺はそれを押し返し世界を守る、賢者の魔法使いです。めんどくさいですが、サボるとあとからもっとめんどくさくなるので……。まあ、仕方ないです」
     ミスラが興味無げに説明する。対照的に、オーエンはキラキラと目を輝かせていた。
    「すごい。おじさん、世界をまもるの?」
    「ええ、まあそうですね」
    「すごい!かっこいい!」
     はしゃぐオーエンを見て、ミスラも表情をゆるめ、「ふふ、そうでしょう」と気をよくした。
    「なるべく早く帰ってくるので、この家から出ないでくださいね。いつもみたいに絵本でも読んでいてください」
    そう言って、オーエンの傍の絵本を見遣った。
    「ん?」
    オーエンが持っている絵本は反吐が出るほど読まされてきた。オーエンのお気に入りの絵本はだいたいはわかるはずだ。しかし、今オーエンの前にあるものは、あまり見覚えのないものだった。
    「あなた、何読んでるんです?」
     ミスラが尋ねると、オーエンは絵本を持ち上げてミスラに表紙を見せた。
    「あたらしいえほん!おじいちゃんがくれたの」
    「ああ、スノウとホワイトですか」
     本人たちが聞いたら激怒しそうな呼び名を、当然のごとくスルーする。
    「つよいまほうつかいのおはなしなの。見て!」
     オーエンが、小枝の挟まったページを開く。
    「この、オズっていうまほうつかいがね、せかいさいきょうなんだって!」
     聞こえてきた忌々しい名前に、ピクリとミスラが反応する。
    「いちばんつよいって、かっこいいな……。ぼくも、このまほうつかいみたいになりた……」
    「俺の方がかっこいいでしょう」
     憧れをたくさん抱えたオーエンの言葉を遮るように、ミスラが冷たい声を発する。ピリ、と空気が張りつめた。
    「おじさんも、かっこいいけど……」
    「けど、何です」
    「…………」
    「本当に腹が立つな」
     ミスラは小さな手から絵本を取り上げると、小さく呪文を唱えた。絵本に火が付く。それはみるみるうちに黒い炭となり、床へと舞っていった。
    「あ……」
    「まったく、あの双子も余計なことをしてくれますね……。じゃあ、行ってくるので、大人しくしていてくださいよ」
     ミスラが入り口のドアノブに手をかける。扉を少し開けたところで、立ち止まった。
    「あと、そのおじさんっていうのもやめてください」
     それだけ言い残すと、大きな背中は雪の中へと消えていった。
    「おじさん……」
     ミスラの消えた扉から、びゅんと強い風が入りこんでくる。それは無情にも、黒い灰となってしまったお気に入りの絵本をさらっていった。
    「まって……!」
    手を伸ばし追いかけるも、北の冷たい風は止まってはくれない。あっという間に絵本だった炭は跡形もなく飛んで行ってしまう。
     オーエンの瞳から、ぽたぽたと涙がこぼれる。
    「おじさん……いかないで。ぼく、またひとりになっちゃうの……?」
     オーエンの問いかけに答えはなく、そこにあるのはただ冷たい風の音だけだった。

    ・・・・・

    VS厄災からの
    オズVSミスラ
    「顔を見たらいつも以上にムカムカしてきて……。結局双子にも叱られるし、散々です……。
    来ない方がよかったな……」

    「はあ、じゃあ俺は北に帰るんで」


    ・・・・・
     
    小屋の入り口から大きな物音が聞こえ、オーエンがぴくりと反応する。おそるおそる扉に近づこうとすると、怪我をいくつも負ったミスラが中へ入ってきた。
     オーエンは、伺うようにミスラの顔を覗きこむ。ミスラに嫌われ、捨てられるのではないかという不安が、彼を襲っていたからだ。痛そうに傷を押さえるミスラの表情からは、絵本を燃やしたあの日のような剣呑さは消えていた。
    「なんです?変な顔ですね」
     ミスラの問いかけに、オーエンは何でもないという風に頭を振った。
    「はあ、そうですか。じゃあ、こっち、来てください」
    ミスラはオーエンの腕を掴み、小屋の真ん中にどっかりと座り込んだ。オーエンにもしゃがむように促す。
    「あなたに治癒魔法を教えてあげます。俺は得意ではありませんが、弱いあなたは覚えておいた方がいいでしょう。ほら、ここに手をかざしてください」
     オーエンの手に自分の手を重ね、まずはお手本を見せた。すうっと傷口がふさがっていく。
    「治したいところに、意識を集中させるんです。やってみてください」
    「わかった」
     緊張したように、大きく息を吐く。ゆっくりと息を吸い、呪文を唱えた。
    「……《クーレ・メミニ》」
    淡い光が傷口を覆った。ゆっくりとだが、傷がふさがっていく。オーエンは自分の手を見つめ、驚いたような、興奮したような顔をした。ミスラも満足そうに「次はこっちです」と催促する。オーエンはそれに応え、何度も呪文を唱えた。
    時間はかかったが、オーエンの魔法によって、小さな傷はある程度ふさぐことができた。
    「意外と才能あるかもしれませんよ。ありがとうございます」
    ミスラが、オーエンの額にキスをする。
    オーエンは口づけられた場所を両手で押さえ、目をぱちくりとさせた。「ひとりぼっちになるかもしれない」という不安が、すうっと消えていく。それと同時に、泣きそうな、安心したような笑顔に変わった。
    「何泣いてるんです」
    「……ないてない」
    袖でぐしぐしと目を擦り、ミスラの顔を見る。こめかみのあたりを包むように支え、ミスラの額に口づけのお返しをした。
    「はやく元気になってね」
    「ありがとうございます、オーエン」
     ミスラが、オーエンの頭を撫でる。オーエンはくすぐったいというように、ふわりと笑った。
    「ああ、そういえば、これ、あなたに」
     思い出したかのように、ミスラがポケットからペンダントを取りだす。先端には、淡い紫色の宝石が複雑に光を反射し輝いていた。
    「それ、なあに?」
    「守護の力を持った石です。あなた、まだまだ弱いでしょう。俺の魔力も込めておいたので、そう簡単には死なないと思いますよ。ずっとつけててくださいね」
     ミスラが、オーエンの首にペンダントをかける。こどものオーエンにとっては少し大きく見えるそれは、柔らかな光を放ったあとオーエンの胸元に落ちついた。
    「えへへ。ありがとう、おじさん」
     大切そうにペンダントを握りしめたオーエンは、もう一度ふにゃりと笑った。

    ・・・・・

    ミスラとオーエンが一緒に暮らし始めて、20年程が経った。オーエンは、いつの間にかルチルの身長を追い抜いていた。魔法使いとしても充分に成長し、ミスラが渡した守護のペンダントなど、もう必要ないほどである。
     そんなオーエンは、ミスラとともに久しぶりに南の家を訪れていた。言いだしたのはオーエンで、一人で行くと言ったのに、ミスラがなぜかくっついてきたという状態だ。
    「ねえ、ミスラおじさん」
    「そのおじさんっていうのやめてくださいって言ってますよね」
    「ふふっ、嫌」
    オーエンは楽しそうに笑う。
    「はあ。最近面白くないことを言うようになりましたね、昔はかわいかったのにな」
    「育て方が悪かったんじゃない?」
    「はあ。まあ、今のあなたも悪くはないですけど。ほら、おいで」
     ミスラが手招きする。オーエンは嫌そうなそぶりをしたあと、ミスラの傍へ寄った。
     オーエンの少し長い前髪を、ミスラの大きな手がかき分ける。

    ――ちゅ

     そして、白い額にキスを落とした。
    「やめて。もうこどもじゃないんだから」
     おでこを擦りながらミスラを睨む。
    「はは、あなたはしてくれないんですか、大切なしるし。昔みたいに」
    「冗談じゃない、昔のことは忘れて」
     ふい、と視線を逸らし、窓に近づく。そのまま何をするでもなく、ただ窓の外をぼーっと眺めた。 一方のミスラは、床にごろんと横になり、その後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
    ミスラはどうせすぐに飽きて、北に帰ると言うだろう。オーエンはそう思っていたが、その期待は外れた。窓から外を眺めるオーエンの背中を、何をするでもなくぼーっと見つめ続けた。
    とはいえ、オーエンがいつまでも外を眺めているものだから、次第にイライラが募ってきている様子だった。ちなみに、一人で北に帰るという選択肢は、なぜか今の彼にはない。
    「用事がないなら、北に帰りませんか」
     しびれを切らしたミスラがそう問いかける。
    「嫌。今日は泊まる。ミスラは帰っていいから」
     その答えを聞いて、ミスラはつまらなそうにあくびをした。
    「あなた、この土地を案外気に入ってますよね。あなたは北の魔法使いなのに」
    「別に。気に入ってなんかない。ミスラの言うとおり、僕は北の魔法使いだからね。たまたま気が向いたから、来ただけだよ」
    「そうですか。まあいいですけど。……はあ、暇だな。ちょっと散歩してきます」
     ミスラはそう言って家の外へと出ていった。
    オーエンは、その背中を無言で見送る。確かに気配が消えたのを確認したあと、家の奥に進んでベッド下の引き出しを開けた。そこには、画用紙や絵本、壊れかかったおもちゃなどがいっぱいに詰め込まれていた。
    少しくたびれた画用紙を1枚手に取る。そこには、拙い絵がたくさん描かれていた。薄い線と力強い濃い線の絵が、あちこちに仲良く並んでいる。
    「ふふ、へたくそ」
     楽しそうに笑いながら画用紙を脇に置くと、次はおもちゃ、次は絵本というように、引き出しの中身ひとつひとつ、大事そうに床へ並べていった。
     これらは、オーエンがミスラと過ごした思い出たちだ。
     オーエンは北で過ごすことが多かったし、北の空気が肌に合っていたが、北には形のある思い出がほとんどなかった。それに対し、南の家で過ごした時間は北の国ほど多くはなかったものの、マメな兄弟のおかげで色々な思い出が形として残っているのだ。
    オーエンはそれらを眺める時間が嫌いではなかった。ミスラに見つかれば馬鹿にされるかもしれないと思って、いつもこっそりと楽しむに留めているのだが。
     こどもの頃はもちろん、大人になったオーエンにとっても、ミスラはかっこよくて憧れの存在だった。北の魔法使いで、あの強さに魅かれない者はいない。羨望や、恨みや、恐怖や、憎しみ。様々な形で魔法使いの心を引き付ける。世界で二番目に強いミスラは、当然一人で生きていける。そしてそんな彼に鍛えられた自分も、今は一人で生きていくことができる。それでも、煩わしがらず自分を傍に置いてくれる事実に、胸がくすぐったくなる。
     昔より素直じゃなくなった自覚はあり、そんな気持ちを伝えることなどまずないが、オーエンにとってミスラと過ごした時間は、自分だけの宝物だった。
     床に並べた思い出たちを、慈しむように眺める。壊れかけのおもちゃを指でなぞると、当時の思い出がふわりと香るように蘇ってきた。昔の記憶を大切に紐解くように、ゆっくりと味わったあとは、ひとつひとつ優しく撫でながら元の場所へとしまっていく。
    そうして最後の一つを片付けたとき、玄関からミスラの声が聞こえた。
    「オーエン、変な魚がいました。早く来てください」
     急いで引き出しを閉める。
    「もう、今行くから」
     名残惜しそうにベッドに視線を戻したあと、「まったく……」と呆れながらも、声のする方へと歩いていった。

    ・・・・・

    その日の晩、オーエンは、ある夢を見た。
    多分きっと、忘れたほうがいい夢を。


    その夢の中では、自分とミスラは対等だった。
    育ての親でもなく、背中を追いかける憧れの魔法使いでもなかった。
    時に友であり、時に仲間であり、時に強敵だった。お互いを見つめ合い、静かな時間を過ごすこともあった。どういう関係なのか、一言では言い表せない。だけど、自分にとって、唯一無二の存在だった。
    たくさん喧嘩して、たくさん遊びに行って、たくさん双子の魔法使いに怒られて、たくさん魔力をぶつけ合った。気づいたときから一人ぼっちだった自分は、自らの意思でひとりを選びつづけたけれど、ミスラと一緒にいる時間はなぜか嫌いじゃなかった。
    魔法使いが一か所に集まって暮らすようになってからは、ミスラと過ごす時間が格段に増えた。ミスラに誘われて市場でお茶をするのは嫌いじゃなかった。どれだけ頼んでも文句を言わないから、思う存分甘いのを食べた。
    勝手に結界を破って部屋に入ってきて、「ここなら寝れそうです」とベッドを占領してくることもあった。まあ、結局眠れてなかったけど。最初に来たときは殺し合いになったものの、そのうち追い出すのも面倒になって、大きい身体を壁際に追いやって、隣でぐっすりと眠ってあげた。
    ある日、ミスラに口づけをされた。「何?」と尋ねると、「したくなったので」と返された。腹が立ったので、自分も口づけを仕返した。そして、「僕は別にしたくなかったけど」と言ってやった。するとミスラはなぜか機嫌がよくして、「もう一回しましょう」と口を塞いできた。したくないって言ってるのに。意味がわからない。
    そして、夢は終わりに向かっていく。
    夢の終わりの彼は、冷めた表情をしていた。
    抑揚のない呪文が聞こえた瞬間、胸に大きな衝撃を感じた。鮮やかな赤が視界に映り、そのまま地面に叩きつけられる。薄れていく意識の中、ミスラの背中が視界に入った。彼はこちらを、一瞥もしなかった。

    そう、あの日、あの時だけは、死んでも生き返る能力を一時的に失っていた。
    僕は、石になった。

    許さない。
    許さない。
    許さない。

     ――絶対に殺してやる。


    ふっと意識が浮上する。軽く頭を揺らすと、視界がいささか明瞭になった。
    顔を横に向けると、ミスラの白衣が無造作に置かれていた。
    夢の内容が、フラッシュバックする。
    「へえ……」
    三日月のように目を細めると、つられて無意識に口角が上がった。
     過去の自分、生まれ変わった自分。
    にわかには信じがたい現象が、不思議としっくりとくる。同時に、これが現実なのだと理解した。
     生まれ変わり、再びミスラと出会ってからの思い出が、ペタペタとペンキで塗りつぶされていくような感覚がする。自分を呼ぶミスラの声を思い出すと、くつくつと笑いがこみ上げてきた。
    「ねえ、ミスラ。随分と楽しい遊びをしてるじゃない」
     ゆっくりと、もったいぶるように白衣に触れる。少し前まで隣にいたのか、ミスラの魔力の残滓が色濃く残っている。
    「……でも、覚えておいて。もっともっと楽しいのは、これからだよ」
     箒を出現させ、窓から外へ飛び立つ。ざわめく風の音が、不吉で、不穏で、心地よい。
    「あはははははは!!!」
     最悪な気分で、最高の気分だった。
     頬を切るように撫でる風に、友人のように話しかける。
    「ねえ。僕の話を聞いて!愚かな魔法使いの、最低で最高なおとぎ話だよ!」
     彼に応える風に乗って、どこまでもどこまでも箒を飛ばした
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