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    uxeimu005

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    🐯が翼を得て失うお話です。

    ##小説

    一虎クンに羽が生えた。

    まだ少し肌寒い春先の夜だった。生暖かい風を申し訳程度に吐き出す暖房器具のタイマーが切れる頃。ゆっくり意識が浮上した。重たい瞼を薄く開いて、冷えた足先を擦りながら蹴飛ばしていた布団を再び被る。
    狭い寝室に行儀良く並ぶ二つのシングルベッド。天井をぼんやり眺めていたオレは、隣のベッドで寝ている一虎クンの寝姿でも見ようかと思い何気にゴロリと寝返りを打った。小さく軋むスプリングの音が、微かな息遣いに混ざって夜闇に消える。
    その時だった。違和感に気付いたのは。
    「ぅ……ぃっ……」
    意識を彼の方へ集中すれば、吐息に混ざり絞り出すような呻き声が聞こえる。
    ベッドの端から半分ズレ落ちたクシャクシャの布団。夜闇に沈むのは熱っぽい湿った吐息。いつもより大きく上下する肩に、遠目から見ても一虎クンの呼吸が微かに荒いことが分かる。
    でも、見える背中が丸いのはいつもの事。何かから耐えるように身を縮めている姿は、ある意味いつも通りだと思った。大の大人がその身体を小さく小さく縮めて。背中を丸め、身を守るように全身に力を込めて蹲っている。
    オレは、それを何故か放っておけない。
    「一虎クン…?また夢でも…?」
    のしかかる重力の膜を突き破るように、ずるりとベッドから這い出でると、オレは一虎クンの方へ近づいた。
    ベッドの脇で軽く腰を折り、顔の見えない一虎クンの背を撫でようと手を伸ばした時。

    薄闇からいつも着ている安物のスウェットに不自然な膨らみを二つ確認した。肩甲骨の少し内側辺りだろうか。握り拳弱ほどの大きさだった。ふくり、と一虎クンが着ているスウェットを押し上げている。
    肩甲骨の腫れ、だろうか。

    いや、しかし……。それを腫れと形容するには些か歪で。

    混乱した。
    頭の中に浮かぶのは大量の疑問符。
    でも何故か、想像したそれは、まるで。

    「…一虎クン」
    「なっ…に、…ちふゆ……」
    ビクリと小さく肩を跳ね上げた一虎クンが、強ばっていた体を微かに解いて、顔だけをゆっくりこちらに向けた。
    薄ら汗を滲ませ仄かに紅潮した一虎クンの顔を見て、オレは眉を顰める。

    「…背中、見ますよ」
    「いっ……てぇ……」

    毛玉だらけの伸びたスウェットを、膨らみの部分まで捲りあげる。


    そこには、皮膚を突き破るように生えた

    「はね……?」
    「…は…ね……?」

    翼。

    互いに顔を見合わせ、曖昧な沈黙が流れた。

    一虎クンの背に羽が生えた。
    否、羽と表現するにはあまりに拙く小さく汚い、…気もする。
    皮膚を突き破るように生えた羽らしき何かは、細かく羽毛が毛羽立ち、辛うじて形を保つために形成された骨格は乱暴に叩き折られたような歪な形をしていた。根元は赤黒い血が滲み、汚れていた。
    やはり羽と形容するには些か…。
    いや、でもやっぱ、これ。
    「…羽だろ…」
    「……うそだろ…?」

    夢じゃないよな。
    「か、一虎クン。オレを一発殴ってください…」
    「まじ!?いいの?」
    「……いや、やっぱダメです」
    オレの言葉に目を輝かせて体を起こした一虎クンの額を軽く叩いた。



    それから、電気を付けて。しばらくベッドの端に並んで静かに話をした。

    「そういえばさ、オレ、ガキだった頃にクラスの女子から言われたことがあったな」
    オレより少し背の高い一虎クンの顔を見る。大きな目を縁取る睫毛が軽く湿っていて重そうだった。…顔色は落ち着いてきた様子で、オレは静かに安堵の息を小さく吐いた。
    そんなオレを見ることなく、一虎クンは軽く俯き、両手の指を遊ばせながら話をし続ける。
    「羽宮くんって天使みたいだね、って」
    そう言って一虎クンは穏やかに笑った。
    「親が離婚してオフクロの苗字になってさ。天使ってなんだよ、って思った。羽宮って響きはいつまで経っても慣れなくて…弱そうで…好きじゃなくて。 だからオレは周りに一虎って呼ばせてた。天使とかだせぇから」
    「今はお似合いっスよ」
    「お前のすぐ煽るそういうところ、ホントうぜー」
    オレの顔を覗くように首を傾げて目線をこちらに流す一虎クンの笑みが、どういう感情なのかは読み取れなかった。
    「でも嫌いじゃないくせに」
    「何言ってんだ。オレを肯定するお前なんて嫌いだよ」
    でもたぶん、悪意ではない。

    だってそれ、ホントに嫌いな奴に向ける顔かよ。


    ◇◇


    それからしばらく、思ったより何事もなく日々は日常として過ぎていく。
    変わったことと言えば、比較的好きだった風呂を嫌がるようになったことと、小さな背中の羽を隠すようにオーバーサイズの服を好んで着るようになったことくらい。
    むしろ、翼を得た一虎クンはよく眠るようになった。夜中に目を覚ます頻度も、一緒に寝ようと枕を持って布団に潜り込んでくることもなくなった。…まぁ、それは少し寂しい気もするけれど。
    彼の姿があまりに変わらないから、不安と心配が半々になって、空いた隙間に、まぁ眠れることはいい事だしな。なんて、呑気な事を考えるようになった。




    「一虎クン!歯磨き粉!まだ使えるでしょ!?勿体ねぇから使え!新しいの開けんな!」
    「まぁそう怒るなって!千冬が古いの絞って使えばいいじゃん」
    「そういう問題じゃねーから!アンタはもう……!」
    「あー…、そういえば昔、場地ん家泊まった時も同じようなことで怒られた気がする。なつかしー」
    「なら反省しろ!」
    「はーい。まぁ千冬、キスしてやるから許せよ。今ならミント風味の爽やかなキスだぜ?」
    「あー!!許す!」
    「あはは!チョロいなー!お前!」
    ケラケラと笑う一虎クンに慣れた動きで唇を重ね、求めるように舌を絡めた。鼻に抜けるミントの香りが理性を繋ぎ止めるようだ。
    洗面所の鏡の前で交わすキスは、夜の香りがする。視線だけを鏡に向ければ、互いの姿がよく見えた。もちろん、彼の翼の影も。
    一虎クンの背中の膨らみに、思わず手を伸ばす。浮いた上着の裾から手を滑り込ませて、拙い羽に触れた。
    柔らかな羽毛と、硬い骨の感覚が作り物でも夢でもない事を実感させる。そして何より、その羽を撫でると一虎クンの唇の端から、甘くくぐもった声が漏れた。

    「すみません、一虎クン。…ご馳走様です」
    熱を孕む瞳でオレを見ている一虎へ心無い謝罪と共に、もう一度浅くて短いキスをして。
    「…誠意を感じない謝罪だな、ホント」
    「さーせん」
    互いに笑い寝室へ向かった。




    そして迎えた朝。

    「…一虎クン…?その羽……」
    起きてすぐ。同じベッドで眠っていた一虎クンの背を確認すれば、拙い歪な羽が、一回り大きくなっていた。

    「で、でかくなってる…」
    「ん……、ぇ?マジで?」


    流石に焦った。
    でも一虎クンはそんなオレに反して、寝起きの瞼を擦りあっけらかんと笑うだけだった。
    「まぁ、そのうち皮膚科にでも行くわ」
    服を捲り背中を見れば、またその羽に血が滲んでいる。羽に破られた皮膚が炎症を起こしているようで、痛々しい。
    歪な羽は、握り拳の大きさを優に超えていた。

    「でも似合うだろ?ほら、オレ、天使みたい」

    肯定はしたくない。でも否定も出来ない。

    赤黒い血で薄汚れた、歪な羽を得て笑う姿は。
    限りなく天使に近く、そして遠い一虎という何か。
    貼り付けたその男の笑みに、オレは目が離せなくなった。





    そして何気ない時間が過ぎて、今日も終わりそうな時間帯。
    オレは思わず洗面所で声を荒らげた。

    「あぁぁ!!一虎ぁ!昨日も言っただろ!!歯磨き粉はきちんと絞って使えって!」
    「え、あぁ……そうだっけ?」
    絞りかけだった歯磨き粉が洗面所のゴミ箱に投げ捨てられている。オレはしわくちゃになった歯磨き粉のチューブをゴミ箱から拾い上げるとリビングのソファで寛ぐ一虎クンを叱った。一虎クンはテレビの方を見たまま軽く返事をするのみ。この人、ホントに繊細なのか図太いのか分かんねぇ、なんて思いながら。
    本当に何気なく昨日聞いた話をした。
    「そうだっつの!場地さんにも注意されたって昨日言ってただろーが!」

    その時。

    テレビの雑音を引き裂いて、一虎クンの息を飲む音が部屋に響く。ゆっくりこちらを向いて、大きな瞳を丸くし一虎クンは、ゆっくり首を傾げた。
    鈴の音。そして長い髪が重力に従い流れる。

    「…え……?」

    ……何だよその顔。
    ………何が言いたい。

    一虎クンの引きつった笑顔に、嫌な汗が背中を濡らした。


    「…オレが、千冬に…そんな、はなしを…?」

    「…は?」

    息を飲んだ。

    つい昨日のことだ。
    似たようなやり取りをして、場地さんの話をして、キスをして、それからベッドへ。
    一虎クンはバカだが、頭が悪いわけじゃない。大事な大事な場地さんとの思い出をオレに話してくれたこと。しかも昨日。それを忘れるほどバカなわけじゃないんだ。それは、胸を張って言える。
    「…場地の…?」
    「覚えてないんっスか…?」
    「……いや、覚えて……、え…っと……?」
    「いやいや…しっかりしてくださいよ…」
    混乱している。一虎クンの様子がおかしい。
    それが、堪らなく恐ろしかった。
    体の芯から溢れる寒気を誤魔化しながら、オレは一虎クンへ、一歩ずつゆっくり近づいた。
    「昨日、場地さんとの思い出の話をしてくれたじゃねぇか…」
    「ば……じ…と、」
    「そう。泊まったとき、オレと同じ理由で怒られたって。歯磨き粉、最後まできっちり使えって」
    「は……?ぁ……、ち…ふゆと……はなした記憶はあんのに…」
    頭を抱えた一虎クンの身体が震え始める。目を泳がせながら覚束無い言葉を必死に紡ぐ姿は、何かを辿っているよう。
    そして一虎クンの喉に力がこもるのが見えた。

    「ばじとの…その、…きおくは…どこだ………?」

    オレを見る虚ろな瞳が鈍く沈んでいく。

    「…どこ………?」



    昨日、オレに場地さんの事を話した記憶はあるらしい。
    でも、場地さんとの思い出が。

    どうにも見つからないのだとか。





    感情を伴う記憶。
    人はそれを思い出と呼ぶ。



    この翼はどうやら、思い出を養分に育つらしい。




    「…いやだ。きえないで」

    知識として定着した記憶は消えないのに。
    思い出だけが、抜け落ちていく。


    泣き叫ぶ彼を嘲笑うように、その背の翼は日に日に美しく大きく育っていった。


    「おれの…だいじな……だいじなもんなんだ」
    だから、奪わないでくれよ。





    そうだ、この人は。
    思い出の中にしか、居場所がないんだった。


    オレは、この人の居場所になれてんのかな。
    …なんて、そっと涙を拭って、優しく頬を撫でた。
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