森に棲むドラゴンと生贄の話「広大な大地にさんさんと照り付ける太陽」
これはあくまで良いときの表現だ。
今のこの状況を正しく言い表すならば
「枯れ果てた荒地に全てを焦がしつくすような太陽」
これが妥当なところだろう。
生まれてからほぼ初めて見る外の世界に対しての感想はそれくらいだった。
今日はこの国にとってとても大事な日らしい。
この干ばつを収めるための儀式をするのだ。
朝からにぎやかな音楽やら、おいしそうな料理の匂いやら、人の活気に満ちた声がごった返している。
―――――うるさい
城の高台から迷惑そうに国民を見下ろす獅子の子供は、外の喧騒に思わずぺしゃりと小さな耳をたたんだ。
叶うことならばこの目も閉じて、いっそのことなら部屋に引きこもってしまいたい。
国民は皆自分にこれ以上とないくらいの笑顔を向け、音楽に合わせて踊って、とにかく全身で喜びを表現している。
なんとも微笑ましい。この国の12歳となった王子様に全国民は祝福の意を表しているのだ。こんなに愛されている王子は他にいるだろうか。
「レオナ様、もう少しお愛想よくなさいませ」
レオナと呼ばれる獅子の子の隣に控えている従者は、レオナの仏頂面を窘めた。
当然だ。今日は王子様の誕生日で国民はその祝福をしているのだ。
祝ってもらっていてこの仏頂面はないだろう。
しかし当のレオナはさらに眉間に皺を寄せ、吐き捨てるようにため息をついて国民に背を向けた。
――――あぁ、気持ち悪い
この国民達・・・というよりこの国全体だが、皆が喜んでいるのは単に王子様が12歳という年齢に達したから、というわけではない。
「レオナそろそろ儀式の準備をしなさい」
レオナの尾が不機嫌そうに左右に振り切れていた頃、
後ろからたっぷりとした赤毛を携えた体格の良い大人の獅子が声をかけた。
レオナの兄であり、この国の時期王である。
恐らく今この国で唯一レオナ以外の笑顔でない人物だ。
レオナはゆっくりと振り向き、高い位置にある兄の顔を見た。
「あぁ、分かった。兄さま」
地を這うような声でわざとらしく返事をする。まるで憎しみの全てを詰め込んだように。
昼からの王子は忙しかった。
まず風呂で体を隅から隅まで召使いに磨き上げられ、その後は髪を乾かされて梳かされて、軽く毛先を整えられた。両サイドの少し長めの髪の房はかわいらしく三つ編みにされ、髪留めは黄金でできている。
絹で織られた白い装束に身を包み、最後に頭にシースルー生地とレースで作られたヴェールをかけられた。白と橙の小さな花があしらわれている。
鏡に映るめかしこまれた自分の姿にも吐き気がした。
飼い主のエゴでシャンプーされ特大のリボンをつけられた仔猫のようだと思った。
しかし自分はこれから飼い主に可愛がられるわけではない。
そう思うとどうしても胸のあたりが重怠くなるのだった。
「レオナ様、お時間でございます。」
黒い装束を身にまとった召使がレオナに出発を促した。
鉛を吐き出すように、深く深く息を吐いたが出てくるのは乾いた息だけだった。
仕方なくゆっくりと足を踏み出した。
階段を一段下りるごとに、ここでの暮らしを思い返してみる。
「・・・・ははっ」
思わず声を出して笑ってしまった。
何もない。何もないのだ。
ここでの思い出など、何もなかった。
ただ、出された飯を食い、眠る。それ以外には多少許された娯楽として本を読んだ。
それ以外には何もない。
空っぽなこの城に思うところなどないはずなのに、何故こんなに気が重いのだろう。
これが、死に対する恐怖というものなのだろうか・・・?
この国の東には大きな暗い森がある。
古来よりドラゴンが棲んでいると言われており、気まぐれに天候や土壌肥沃度の良し悪しを操り、人を攫って食らうのだという。頭を抱えた先祖たちはドラゴンに取引をもちかけた。
定期的に生贄を捧げる代わりに、国の土壌を肥沃にし、供物以外の人を食らわないこと、これをドラゴンは了承した。
前回の生贄から数年後にレオナはこの国の第二王子として生まれた。
美しい顔立ちをしており、両親と兄は大層可愛がった。
しかしその幸福は瞬く間に地に落ちていった。
王宮に仕える占い師より、この子供は忌み子であると告げられたのだ。
占い師の予言は絶対である。王であっても逆らうことは憚られた。
また占い師は次の生贄にすることを王に助言した。今ここで殺してしまうのは、王族として世間体が悪い。忌み子であれ、一定の年齢まで育て上げドラゴンへ捧げることで土地への供物となる。全ての命は回っているのだ。
そう言いくるめられた王は、我が子を生贄とすることを決定したのだった。
とはいえ、愛する我が子であることに変わりはない。非常になることなどできなかった。
・・・彼に魔力があると分かるまでは。
レオナが5歳の秋を迎えた頃、ユニーク魔法を発現させたのだ。
当時、彼は部屋の中で砂を抱えて泣いていた。聞くと大事な本が砂になってしまったのだという。彼は自身の力で大切なものを壊してしまったのだった。
レオナの力の重大さに気付いた父は彼を軟禁した。
それ以降は家族も家臣も必要以上に彼に接しなくなっていった。
恐ろしいのだ。全てを砂にしてしまうその力が。
周囲に恐れられ、嫌われることでレオナの精神は歪んでいった。
そして終に迎える運命は生贄・・・。
王ですら変えられない運命を呪いながら、レオナは怠惰に死んでいくのだ。
それなのに、いざ死を目前にして生を求めているのは我ながら滑稽だと思った。
「さぁ、地獄を終わらせよう」
生きているのは地獄、それを終わらせに行くだけだと自分に言い聞かせて奮い立たせた。
そんな幼い呟きを耳にした兄は唇を噛み締めるのだった。
黒い装束に身を包んだ男達が担ぐ神輿にレオナは乗り、ただ目を閉じていた。
ゆっくりと規則的に繰り返される揺れに身を任せながら到着を待つ。
すっかり日は沈み、空は暗くなっていた。
今夜は新月。頼りない星明りだけで照らされた道を進んでいく。
夜風に吹かれて時折ヴェールがめくれ、レオナの美しくも幼い顔がちらりと覗いた。
この世の者とは思えないほど、耽美で儚く美しい。
先ほどの心のざわめきはすっかり凪いで、レオナの心はしん、と静まり返っていた。
荒れた道を進んでいた神輿は、いつの間にか森の入り口を進んでいた。
青々とした草木が目立ち始め、星明りさえも届かなくなった。
そんな暗い森を少し進むと、ぽっかりと開けた場所に出た。
そこへ神輿を置き、黒装束の男達はレオナにかける言葉もなく、元来た道を歩き始めた。
レオナも決して振り返らなかった。こうなればもう意地ですらある。
今更誰かに助けを請うなど、みっともない真似などしない。
俺はお前らの望み通り、生贄として役目を果たしてやる。
目を瞑り、ドラゴンが現れるのを待つ。
・・・・・・本当に来るのかは知らないが。
花の香が風に混じって鼻腔をくすぐる。花はあの国ではめったにお目にかかれるようなものではなかった。今ヴェールに飾られている花もかなり貴重なものだ。
この森にしか咲かない花で、ドラゴンが好む香を放っていると本で読んだことがある。
それで奴を誘い出すというわけか。
遠くで水の流れる音が聞こえる。きっとどこかに川があるのだろう。
川というのは知識でしか知らないものだ。水が海に向かって大量に流れているらしいが、海というものも見たことがないのでイマイチ理解ができない。
とても大きな水たまりのようだが、どれくらい大きいのだろう。
死んで、魂が空へ上がったら見ることはできるだろうか。
空からなら、あらゆるものが見られるのだろう。それはとても楽しみだと思った。
そんなことを考えていると、ふと先ほどまではなかった匂いがした。
思わず目を開けると、そこには背の高い森の木々でも隠せないほどの大きなドラゴンが静かに座っていた。
夜の様に黒い体に、大きな2本の角がある。目は明るい緑をしていた。
自分の瞳とちょっと似ているとレオナは思った。
今まで見たことないほどの大きな生き物だったが、不思議と恐怖は感じなかった。
目がとても穏やかなのだ。とても本や口伝で聞いたような恐ろしいドラゴンではない。
レオナは立ち上がり、そっとドラゴンに近寄った。
手が届くところまで近づくと、ドラゴンはお辞儀をするように頭を下げて、レオナに寄った。ドラゴンの鼻先を撫でるように触ると、低いうなり声が響いた。
地響きのようだが、恐らく悪い気はされていないはずだ。
『人の子よ・・・僕が怖くないのか?』
「え」
突然頭の中に誰かの声が響いた。どこから聞こえてくるのかと辺りをキョロキョロと見渡すが、森しかない。
どうやらこのドラゴンが話しかけているようだった。
まさかドラゴンと話せるとは思っていなかったため、ぽかんと口を開けて瞬きをした。
『・・・あぁ、この姿では不思議か』
そういうが早いか見る見るうちにドラゴンの体が縮んでいった。
一瞬の闇に包まれたかと思えば、次に目に映ったのは背の高い青年だった。
頭には先ほどのドラゴンのような大きな黒い角が2本、自分より明るい緑色の瞳。
「ドラゴン・・・?」
「あぁそうだ。この姿の方が話しやすいだろう?」
先ほどの姿に比べれば確かにコンパクトだが、レオナに比べればそれでも十分でかい。
ずっと見上げっぱなしの首は疲れてきている。
「人の子よ、名は何という」
レオナは一瞬何を聞かれたのか分からなかった。
これから食べるものの名前をいちいち聞くか?この肉は豚か牛か、といった種類の確認でもしているのだろうか。それなら種族名を答えるのが正解なのか?いや、食肉なのだから「人肉です」の方が良いのだろうか。イマイチ理解の及ばない質問に対して、とりあえず個人名を答えておくことにした。
「レオナ・・・です」
取ってつけたように敬語にした。一応捧げられている身であるから、無礼のないようにした方がいい。怒らせてとんでもない食われ方はしたくない。
名乗ると、ドラゴンの表情が心なしか柔らかくなった気がした。
「マレウスだ」
ドラゴンは跪いてレオナの手を取った。
何だこれは。まるでプロポーズのような光景にレオナはさらに混乱した。
加えて自分の身なりときたら・・・・。
「さぁ行こう。レオナ。これからよろしく頼む」
ふわりとレオナの体が浮く。マレウスに抱きかかえられたようだ。
何が起きていて、これからどうなるのか必死に考えるが頭が回りきらない。
ドラゴンに会ったら3秒でパクリといかれて終わりだと思っていたのだから。
これから?よろしく?
それは今後長く付き合う相手に言う言葉であって、ドラゴンが言うべき言葉は『いただきます』これに限るのだ。
「これからってどういう・・どこへ行くんだ?」
取ってつけた敬語は砂にすらならず消えた。とにかく疑問を晴らさなければ。
問っている間にもすたすたと森の奥へと足を進めるマレウスが、きょとんとしながらレオナの顔を見やった。
「?お前は僕の花嫁だ。行くのは僕の家だが・・・」
花嫁という言葉は知っている。本に載っていた。たしか結婚をする女性のことだと記憶している。女性というのは、生物学上子を産むための子宮という臓器が腹にあって、乳房を持ち・・・・・少なくとも自分の事ではない。
渡された言葉を必死に解読するために頭をフル回転させるものの、どうしても理解ができない。考えるのに必死で体はフリーズしてしまっている。
その間にどんどん森の深くへと進んでいた。気のせいか木々がマレウスをよけて道を開けているように見える。なるほど、この森の主ということか。
「あの、」
「マレウスだ」
間髪入れずに訂正を入れてきた。細かい性格のようだ。
「あー・・マレウス、俺が花嫁っていうのは・・・」
一番聞きにくいというか、なんと返答があっても理解に苦しむ気がするが、これを聞かないとどうにもならない。
マレウスはレオナの姿をじっくりと見つめて、やはりきょとんとした顔をした。
「その服装は・・・花嫁の格好だろう?」
やはりそうだろうとは思っていたが、嫌な予感が的中してしまいレオナは少しウンザリとした。純白なドレスにも見えなくはない装束に、花を添えた顔を覆うヴェール・・・
ウエディングスタイルといって問題はないだろう。
「しかし驚いた。今までは年寄りばかりだったからな。こんなに若い子供をよこしてくるとは思わなかった」
朗らかに笑いながらマレウスは言う。上機嫌のようだ。
つまり、自分は食べ物としてではなく、花嫁としてドラゴンに捧げられたということ。
これからは城ではなく、この森で生きていくと・・・そういうことだろうか。
ドラゴンの花嫁として・・・。
「・・・よろしく・・・」
変に逃げ出して野垂れ死ぬより、従っていた方がマシだろうと判断をしたレオナは大人しくよろしくされることにした。
どのみち城よりは良い環境のはずだ。
こうして月のない夜に、ドラゴンと獅子の子供の番が誕生し、
ドラゴンの祝福か周囲の花々が咲き乱れていたのだった。