いつだって混んでいる場所がその瞬間だけ誰もいなくなって独占できる時があるだろう。それが、ちょうど今だった。どういうわけか列が途切れて二人きりで乗れたエレベーター、到着した展望台には数組がいたけれど十分に場所が空いていた。エレベーターの中から繋いでいた手を引いて大きなガラス窓に近づき、景色がよく見えることを確認してから隣へ顔を向ける。
「本物の星空には負けちゃうけど、どうかな?」
「……すごくきれい……」
ほうっと吐いた息すら美しく見える横顔に見惚れ、浮奇の瞳の中に夜景を見た。同じ景色を見て綺麗だったねって思い出を話したいと思っているのに、浮奇とデートをするといつも浮奇に視線を奪われてしまう。
浮奇に「この前行ったアイスが美味しかったところってなんてとこだっけ?」って聞かれて、その場所より先にアイスを舐めて表情を緩めてる浮奇の顔が思い浮かんでしまうんだから相当だ。下調べも、なんなら下見もしているからデートの場所は全部ちゃんと見ているはずなのに、実際に浮奇と行った後には浮奇のことしか覚えていない。たぶん、今日も。
「スハ、また俺のこと見てる」
「……浮奇が綺麗だから」
「嬉しいけど、一緒に景色も楽しんでよ。それとも他の子と何回も来てて見飽きてる?」
「そんなことない。ここも、今までのとこだって、浮奇と行くためにたくさん調べたところだよ」
「……そっか。ふふ、ごめんね、嫌な気持ちにさせちゃった?」
「ううん。……あー、たくさん調べたって言うのは嘘で、ええと」
「あはは、聞かなかったことにしてあげる。でも全然隠す必要ないけどな。会えない時も俺のこと考えてくれてるってことでしょ? すごく嬉しいよ」
繋いだ手をぎゅっと握って、浮奇はふわりと笑った。同じだけの力で浮奇の手を握り返し、私はやっぱり夜景じゃなくて浮奇のことを見つめてしまう。周りにいるかもしれない他の人たちも、ガラスのむこうの綺麗な景色も、浮奇の横顔に勝てるわけがない。視界と思考全部を浮奇に奪われて、それが楽しくて仕方ない。
「……スハ」
「うん?」
「近くに、二人きりになれるところはあるかな?」
「え……」
「スハだけ俺のこと見てズルいよ。俺だってスハのこと見たい。もちろんここの景色も綺麗で好きだし、スハが俺のために調べてくれたのも嬉しいんだけど、……見つめ合うなら、他のものはいらないでしょ?」
「……嫌だったら断ってくれていいんだけど」
「うん」
「……そこまで遠くない場所に、私の家があるよ」
「……断られるって思ってるの?」
本当に驚いている顔をした浮奇に、私も同じように驚いてしまう。だって、家だよ? 二人で出かけるのとはちょっと違うでしょう。そういえば私たちは、たくさん出かけたり電話したりして一緒の時間を過ごしているけれど、誰もいない部屋の中で二人っきりにはなったことがないかもしれない。周りが見えていないから私の頭の中ではいつも二人きりだけれど。
「スハの部屋で映画でも見てゆっくりしようよ」
「……あー、えっと、……ネットフリックスが見られるんだけど、浮奇が好きな映画はありそうかな?」
「ふふ。うん、たぶんいっぱいある」
悪戯っ子のような笑みにクラクラする。今すぐキスしたいって、それだけで頭がいっぱいになってしまった。繋いだ手を握ることで自分を誤魔化してそのまま展望台を出る。
全く準備していなくてあまり片付いていない部屋のことは玄関の前に着いてから気が付いた。浮奇が綺麗好きなのは分かっていたのになんでいつも綺麗にしておかないんだよ!
「ご、ごめん、ちょっとだけここで待っててもらっていい?」
「部屋汚いの?」
「き……汚くは、ないけど、……ちょっと散らかってるかなぁ?って感じの……」
「……俺が片付けようか?」
「え!? ……だ、だめ! すぐだから、ここで待ってて!」
「ふ、はぁい、待ってる」
浮奇に見られたら困るような変なものはない、ないけど、こんなものも片付けてないのって失望されたくないし……! 急いで部屋の中に入って床に置きっぱなしの洋服や食べかけのお菓子、しまっていなかった食器を手早く片付ける。数分で終えて部屋を見渡し問題ないだろうと頷いた。
「ごめん、お待たせ」
「ううん。お邪魔します」
「何か気になることがあったら言って、ちゃんとなおすから……」
「はは、オッケー。……んー、スハの匂いがする」
「え、くさい?」
「なんでよ、いい匂いに決まってるでしょ」
ソファーがないから浮奇はどこに座るか部屋を見渡し、結局ベッドに腰掛けた。ポンポンと隣を叩かれ、私もそこに座る。
「映画、何見よっか」
「……そのまえに、一個だけ」
「うん?」
「……キスしたい……」
「……していいよ?」
「え」
「スハがしたい時にして? 俺もしたい時にする。……ほら、早くしないと俺からしちゃうけど?」
それはそれで、と思わなくもないけれど、せっかくいいよと言ってもらったのだから最初は自分から。ベッドについた手を重ね、そっと重心を傾ける。浮奇は目をつむって私からのキスを待っていた。早くキスをしたいって気持ちと、可愛い浮奇のキス待ち顔をずっと見ていたいって気持ちが戦う。
「ふふ、まだ?」
「っ」
浮奇の指が私の指の間に入り込み、私は焦って勢い任せに唇を重ねた。触れるだけですぐ離れて、こんな予定じゃなかったのにって後悔していたら浮奇がぱちっと目を開ける。
「スハ、かわいい」
浮奇の重心がこっちに寄って、私たちの真ん中でベッドがキィッと沈んだ。引き寄せられるように顔が近づき、唇が綺麗に重なる。浮奇が唇を動かすかすかな動きもよく分かって心臓が壊れそうだった。
「スハ」
「ん……?」
「あんまりキスしたことない?」
「う……それは……」
「……最高だ。俺でたくさん練習して?」
「え。……でも、それじゃ、練習じゃなくて本番だよ……」
私がそう言うと浮奇は目をキラキラと輝かせ、突然ギュッと抱きついてきた。耳元でクスクス笑い声が聞こえる。ええ? 何かおかしなことを言ってしまったかな? それにしては嬉しそうな顔をしていたけれど。
「スハ、だいすき」
「……な、なんで……?」
「なんでも。ずっとそのままでいて。キスはそのうちうまくなるから、俺以外の誰とも練習しちゃダメだからね? あ、一日に何回もキスするのはどう思う?」
「……浮奇となら、何回でも」
「よかった。俺、キスがすごく好きなんだ」
抱きしめていた腕の力を緩めてニコニコの浮奇が私にキスをした。パッと離れて、細めた目でこちらを見上げてくる。
「口を開けてみて?」
こうやって、と見本を見せてくれる浮奇の真似をして口を開け、浮奇より先に顔を寄せた。本能的に舌を伸ばして浮奇の口の中へ滑り込ませる。「ん」と小さな声を漏らす浮奇が可愛くて、彼の後頭部を掴み寄せて深くキスをした。
「ぅ、……ん、スハ、キスがうまいみたいだね……?」
「本当? 気持ちよかった?」
「えっと……うん……、……スハは?」
「浮奇とすることはなんでも好きだよ。もう一回、練習してもいい?」
「……何回でも」
さっきまで余裕の笑みを浮かべていた浮奇が瞳をとろけさせて私のことを見つめてる。ああ、下手くそじゃなかったみたいで良かった。正しいやり方なんて知らないけれど、私と浮奇が気に入っているならそれでいいかな。もっと浮奇を気持ちよくできることはこれから勉強するから待っていて。今日のところは、浮奇が全部教えてね。