暑くて寝苦しい夜だった。一度眠ったはいいけれど睡眠は細切れで、水を飲みに部屋を出たのはまだ夜明けまでずいぶん時間がある頃だった。
冷蔵庫から出した冷たい水をゴクゴクと飲むと体の中が冷えて心地良い。空になったペットボトルをゴミ箱に捨て、買い溜めてあるぬるい水のペットボトルを冷蔵庫に補充した。
まだ夏が始まったばかりなのに昼間だけでなく夜まで冷房をつけるとなると電気代が……。俺ははぁとため息を吐いて寝室に戻り、なかばヤケクソで冷房のスイッチを入れた。ベッドに横になり、しばらくすると部屋の中は涼しくなった。
これなら朝まで続けて眠れるだろうとホッとしたが、動いたせいかすこし眠気が遠ざかっていて、時計で時間を確認した俺は枕元に置いてあるスマホを手に取った。履歴から簡単にその名前を見つけ出しスマホを耳に当てる。
長いコール音。もしかしたら今日は早寝の日だったか。諦めて電話を切ろうとしたその時、プツッとコール音が途切れた。
『はぁい……』
「……悪い、寝てたか?」
『んん、ソファーでうとうとしてた……。……ふーふーちゃん、なんでおきてるの?』
眠たそうなゆるい口調に笑みを浮かべる。数分前まで暑さで茹だっていたのに、冷房で涼んだ体だけじゃなく意識まで暑さから遠のいたように感じた。
「暑くて目が覚めてしまったんだ。浮奇ならまだ起きてるかと思ったんだけど、もう寝るところなら切るよ」
『だめ、切らないで。俺もベッド行くから寝るまで話したい、……っと、その前にコップ片しちゃうからちょっとだけ待ってて。切ったらしつこくかけ直すからね』
「ふ、わかった、切らないよ」
スマホをキッチンのどこかに置いたのか、近くで水の音がして、すぐにそれが止まると浮奇の『おまたせ』と言う声が届いた。俺はベッドの上で寝返りを打ち、「おかえり」とささやいた。ぴたりと足音が止まり、再び歩き出す。さっきよりペースの早いそれがドアの開閉音の後に再び止まって、それからすぐに『だいすき』と情熱的な愛の言葉が返ってきた。
「ふふ、部屋に入るまで我慢したのか?」
『だって友達もまだ起きてるんだもん……』
「誰の前でも気にせず言うくせに」
『それは見せつけたくてやってる時でしょ。……今は、ふーふーちゃんにだけ伝えたかったんだよ』
「……眠れなくなりそうだ」
『そういえばそっち暑いって言ってたね。ちゃんと冷房つけた? 俺に電話したんだから、もっと熱くなることくらい予想しててよ』
「冷房はつけたけど今の設定のままじゃ浮奇の熱さには勝てそうにない」
『寝れなくしちゃってごめんね? 朝まででも付き合うよ』
浮奇のくすくす笑う声が聞こえる。ぎゅうっと抱きしめて俺の耳元で笑う浮奇を知っているから、電話越しの声だけじゃ物足りなくて、でも想像力豊かな脳はまるで本当に浮奇に吐息を吹きかけられたかのように耳をくすぐった。んっ、と押し込めた息に、気が付かれていないと良いけれど。
『あ、うきにゃが寝言言ってる』
「……猫も寝言を言うのか?」
『うん、言うよ。ふーふーちゃんほどじゃないけど』
「たぶん浮奇ほどでもない」
『あはは、もしかしたら俺たち、寝言でもおしゃべりしてるかもね?』
「ありえるな」
ふぁ、とかすかに欠伸が聞こえて、俺は「浮奇」と名前を呼んだ。『うん?』と返す浮奇の声はやっぱり少し眠そうだ。
「そろそろ寝よう」
『んー……まだふーふーちゃんと一緒にいたいな』
「眠いだろう。寝られる時に寝たほうがいい」
『わかってるけど……』
「おやすみって言ってくれ、浮奇。いい夢が見られるようにとびきりに優しい声で。そうしたら俺も浮奇がよく眠れるようにおやすみを言うから」
『……また明日、電話してもいい?』
「いつでも」
『……ん、じゃあ、ねる。……おやすみ、ふーふーちゃん』
「ああ、おやすみ、浮奇」
チュッと鳴らしたリップ音は、むこうからもぴったり同じタイミングでチュッと送られてきて、俺たちは笑い声をこぼしてもう一度おやすみを言い合った。
ああ、きっといい夢を見られるだろう。もしかしたら夢の中で浮奇が会いに来てくれるかも。緩む口元を制御できないまま、俺は目を瞑った。