教室へ向かう階段を上っているところに後ろから「浮奇!」と声をかけられ、俺はちょうど踊り場で立ち止まってくるりと振り返った。長い足で階段を一段飛ばしに上がってきたスハはあっという間に俺に追いつき晴れやかな笑顔を見せる。
「おはよう! 浮奇の後ろ姿見つけて走ってきちゃった」
「……おはよ、スハ。今日も朝から元気だね」
「あ、ごめん、うるさかったよね。浮奇と朝一番に会えるの嬉しくて」
「うるさくなんてないよ。俺も、スハに一番に会えて嬉しい。走ってきてくれてありがとう」
「……えへへ」
へにゃっと表情を緩めたスハと隣に並んで階段を上り、教室に向かおうとした彼の手を掴んで引き留める。だってクラスが違うから、このままじゃ教室の前でバイバイでしょ?
「まだ時間あるからもうちょっと一緒にいたい。だめ?」
「……ダメじゃないよ。私も一緒にいたい」
「ありがと。こっち、ついてきて」
もう離しても問題のない手は、離さなくても問題はないから繋いだままで、俺は階段をさらに上った。学年ごとの教室がない階の廊下を歩き、しんと静かな特別教室の前を通り過ぎて、朝はほとんど人がいない図書室を覗く。
思った通り中には誰もいなさそうだったからドアを開けて入ると、スハが「図書室?」と不思議そうな声を上げた。
「サボる時にちょこちょこ来ててね、司書さんが話の分かる人なんだよ。この学校で数少ない、俺が信用できる大人」
「そうなんだ……俺も浮奇に信用してもらえてる?」
「一番信じてるに決まってるじゃん」
俺はスハが丁寧に閉じた扉に手を伸ばし、カチャッと鍵をかけた。俺とドアの間に挟まれたスハは目を丸くして身体を固める。
「念の為ね。二人きりでのんびり話したいから」
「……司書さんがいるんじゃないの?」
「朝は図書室の鍵を開けた後、国語科の先生たちとコーヒーを飲みながら話をするんだって」
「じゃあ、私と浮奇の二人だけ……?」
「うん。ね、こっち来て」
扉の近くにいたら廊下から丸見えだし、窓の方に行けば校庭から見えてしまう。俺はスハの手を引っ張って大きな本棚の間の通路に行き、ほんのり薄暗くて紙の匂いに満ちたそこで彼と向かい合った。じっとスハを見上げて朝から好きな人と二人きりで会える幸せを味わう。
「……浮奇」
「うん。なんか、話する?」
「……浮奇と話したいこと、いっぱいあったんだけどな」
「けど、なに? もう忘れちゃった?」
「浮奇で頭がいっぱいで、全然思い出せない」
「……じゃあ今は思い出さないでもいいよ。もっと俺で頭いっぱいにして?」
可愛く見えるって分かってる角度で首を傾げて、片手だけじゃなく両手を繋ぎ指を絡めた。クーラーの効いた静かな図書室、夏の日差しが届かない本棚の奥でも、スハの頬は赤く色づいている。
「今日、なんの日か知ってる?」
「え? ……ええと、七月七日……七夕、だよね? 一年に一回、織姫と彦星が会える日」
「そう。だから今日はスハに一番に会いたかったし、できるだけ一緒にいられたらいいなって思って、朝からちゃんと学校来たんだよ」
「……私たちは七夕じゃなくても毎日会えるよ」
「今はそうだけど、これからどうなっちゃうか分からないでしょ?」
「ねえ浮奇、そんなこと言わないでよ。……一緒にいようよ、これからもずっと」
「……へへ、うん、一緒にいる」
スハが俺に向けてくれる好意はとても純粋でバカみたいにまっすぐで、俺にはちょっと綺麗すぎる。でもだからこそ、スハの前では俺まで綺麗な心を持っているみたいで、自分のことをちょっと好きになれる。
「スハ、今日学校終わった後は時間ある? せっかくだから星を見に行きたいなって思ってるんだけど」
「うん、一緒に行きたい。今年の七夕は晴れてるんだね」
「雨だと織姫と彦星が会えないじゃん」
「韓国だと七夕の雨は一年ぶりに会えた織姫と彦星が流す嬉し涙なんだよ」
「そうなの? ……でもやっぱり俺は晴れててほしいな。綺麗な天の川を二人が一緒に見れたほうが幸せだと思うから」
「……たしかに。私も、浮奇と綺麗な天の川を一緒に見られたら幸せ」
照れもしないでそんなことを言うから、俺は嬉しさと照れ臭さで赤くなってしまいそうな顔を誤魔化すためにスハにちゅっとキスをして、じいっと目を合わせたまま口を開いた。
「俺たちが織姫と彦星なら雨でもいいんだけどね? 家の中に二人きりになれて、雨の音で外にはなんにも聞こえないし」
「っ、浮奇……!」
「ふふ、なぁに? 二人きりでいろんな話ができるねって意味だよ?」
「……!」
「あはは、うそ、冗談、いっぱいイチャイチャしたいもんね?」
「もう……! 浮奇……!」
真っ赤な顔して可愛い反応を返してくれるから、俺はスハをからかうのが大好き。それに後で「さっきのお返しだよ」ってスハがイジワルしてくれるのも、大好きだ。
「晴れてるけど誰にも聞こえないから、ちょっとだけイチャイチャする?」
「……す、る」
今度はリップ音を鳴らす暇もなく、重なった唇はスハに食べられちゃった。