シュウの好きそうな金髪イケメンがいるから、と強引に連れてこられたバーの入り口、暗い色の扉には「Open」と書かれたシンプルな札がかかっていた。なんの躊躇いもなくその扉を押し開けた浮奇の肩越しに、オレンジ色の温かい照明が溢れ出る。
「いらっしゃい……あ、浮奇だ。こんばんは」
「こんばんは。二人なんだけど、カウンターでもいい?」
「もちろん。綺麗な人だね、恋人?」
「残念。コイツはただの友達」
僕は声を出すことも忘れて浮奇と店員さんのやりとりを聞いていた。浮奇の後をただついて行き、彼の座ったカウンター席の隣にそっと腰掛ける。顔を上げるとカウンターの中に立つバーテンダーさんが僕にニコッと微笑みかけてきた。うっと心臓が飛び跳ねて、咄嗟に視線を逸らしてしまう。
「初心だけど慣れたらよく喋るしうるさいよ。仲良くしてあげて」
「ちょ、ちょっと、浮奇」
「オーケー、仲良くしようよ、……ええと、名前は?」
声をかけられておずおずと視線を彼に向ける。笑みを浮かべてこてんと首を傾げる仕草は、そのかっこいい雰囲気と似合わず可愛らしい。シャツの袖を捲った腕も大きく開いた胸元も、タトゥーが入っているからものすごく怖い人かと思ったけれど、もしかしたら早とちりだったかな。浮奇にカウンターの下でトンと足を蹴られ、急かされるままに僕は口を開いた。
「シュウ、です。……あなたは?」
「シュウ! 初めまして、俺はルカだよ。会えて嬉しい、よろしくね」
「ルカくん、こちらこそよろしく」
「何か飲む? 浮奇も、お友達連れてきてくれたから一杯奢るよ」
「やった。適当に甘いカクテル、ちゃんとおいしいやつね」
「ふはっ、オーケー」
「ちゃんとおいしいやつって……?」
「ルカ、好きにしていいって言うとめちゃくちゃなの作ってくるから。ドリンクバーで遊ぶキッズになっちゃうんだよね」
「おいしいものだけを混ぜてるからちゃんとおいしくなるはずなんだけどなぁ? それで、シュウはどうする? 俺のオススメカクテル?」
「ふ、じゃあそれにしようかな?」
「うわ、マジ?」
「わお! シュウ最高! 期待しててね!」
パチンッと僕にウインクを飛ばして、ルカはお酒の準備を始めた。薄紫色の綺麗な瞳がこちらを向いていない隙に、僕は彼の輪郭を目に焼き付けるようにじっと見つめた。
トンッと再び足を蹴飛ばされて隣を見ると、浮奇が僕の方を向いて口パクで「どう?」と聞いてくる。僕は笑ってしまう口元をちょっと隠してこくんと頷いた。心臓がずっと存在を主張していて困ってしまうのに、それが楽しくて仕方なかった。
「おまたせしました。浮奇にはこれを」
「ありがと。んー、綺麗な色」
「カリフォルニアレモネードだよ。ウイスキー大丈夫だったよね?」
「ん、好き、ありがとう。……それで、シュウのは?」
「ウォッカベースでオレンジジュース、……それとまあ色々と、ね? 大丈夫ちゃんとおいしいはず!」
「味見してないの?」
「一杯分ぴったりしか作ってないもん」
「こわーい」
ケラケラと楽しそうに笑いながら浮奇は自分のグラスに口をつけ嬉しそうに口角を上げた。僕をじっと見つめるルカくんの視線は僕の反応を楽しみにしている様子だったから、人に見られながら飲むのって緊張するなぁと思いながら僕もグラスを傾ける。
途端、華やかな香りと爽やかな甘みが口の中に広がって、予想していなかったとびきりおいしいそのカクテルに僕は目を丸くしてルカくんを見上げた。バチッと視線が絡み、ルカくんの瞳が柔らかく細められる。その瞬間だけ、店内に静かにかかっていたジャズの音楽が全く聞こえなかった。
「おい、しい……」
「ひゅー! 大成功だ! だけど目分量でやってるから二度と同じ味は作れないんだよね。幻の一杯、ゆっくり味わって」
「ルカのカクテル、成功することあるんだね」
「ノー、浮奇、どんな味でもたった一杯の特別なカクテルだから成功しかないんだよ」
「希少性だけじゃカバーできない味のやつ飲まされたことあるんだけど」
「覚えてないな、いつのこと?」
親しげに話をするルカくんと浮奇の会話に僕の入る隙はない。手持ち無沙汰を誤魔化すため……それと、本当においしかったから、ちびちびとカクテルを飲み続けていたらあっという間に底が見えてしまった。
どうしよう、もう一杯? アルコールに弱いつもりはないけれど、あんまり強いという自信もない。浮奇が一緒だとしても酔っ払うのは避けたかった。
考えているうちに浮奇が「知り合いいたからちょっと話してくる」と席を立ってしまった。視線を僕に向けたルカくんは、僕が両手で隠すように持っていたグラスの中身が少ないことにきちんと気がついて「なにか飲む?」と声をかけてくれる。ごちゃごちゃと考えていたことなんて全部ナシで、僕はこくんと頷いた。
「甘いの大丈夫だった? どんな味が好き?」
「う、えっと、……甘いのは、結構好き」
「じゃあ次も甘めにしようか。シュウはお酒強い?」
「まあまあ、そんなに強くないかも」
「そうなんだ? それならアルコールは弱めにしとくね」
「うん、ありがとう」
「酔って俺のこと忘れられたら寂しいもん」
「……」
「ふ、無反応」
「……どういう反応をしたらいいのか」
「んー、絶対忘れないよって言ってみるとか?」
「……忘れないよ、絶対」
呟くように溢した言葉に、彼はお酒を作っていた手をピタリと止めた。冗談にマジで返してきたよ、とか思われたかも。不安になって誤魔化すように「酔っても記憶無くすタイプじゃないけどね」と早口で付け足し、今のもおかしかった?と一瞬で後悔する。
俯いてカウンターテーブルの素材について考え始めたところで、コツ、と視界の隅にグラスが置かれた。今度のは透明感のある紫色のカクテルだ。ルカくんの瞳みたいな、綺麗な紫色。トントンとルカくんの指先がテーブルを叩いて、僕はつい上を見上げた。
「バイオレットフィズだよ。シュウの瞳みたいに綺麗な紫色でしょ?」
優しく笑って自分の目を指さして見せるルカくんに、僕は自分の瞳も紫色をしていることをすっかり忘れていて驚いた。そっか、これ、僕の色なんだ……。
「僕、てっきりルカくんの瞳の色かと……」
「俺? ……ああ、そっか、たしかに俺もこんな色かも。おそろいだったね? じゃあこれは俺とシュウの目ん玉カクテル〜」
「その言い方はあんまりおいしそうじゃない……」
「あはは! これはレシピ通りだしちゃんとおいしいから安心して飲んで」
「うん、ありがとう。でもさっきのもちゃんとおいしかったよ」
「へへ、ありがと」
紫色のカクテルは、想像よりも甘くてクセになりそうな味がした。これを飲み切ってもう一杯頼んだら、今度はどんなお酒を出してくれる? 熱があるみたいに顔が火照るのはアルコールのせいにしてしまおう。