文化祭前日、クラスのみんなが帰った教室で俺は机を挟んだ向かい側に座る恋人のことを見つめていた。真面目な顔で目を伏せていた彼はふと視線を上げて俺と目が合うと、眼鏡越しの瞳をふわりとやわらげる。
「うん? どうした?」
「……まだ終わんない?」
「もうすこし。待てないなら先に帰っても」
「ねえ、それ、本当に俺が先に帰ると思って言ってる?」
「……もう少しだけ待ってろ」
ん、と頷いて、俺は顔を俯けた。机の上に広げられた学級日誌に彼がペンを走らせる。一日中文化祭準備だった日の日誌なんて、書くことないでしょ。それでも真面目な彼は埋められる場所を丁寧に埋めていた。
「シャーペン貸して」
「うん?」
「はーやーく、かーえーろー」
「あ、こら、浮奇」
空いている場所に落書きをすると、彼は表情を歪めた。怒られても気にせずに落書きを続ければ彼が「浮奇」と叱る声で俺の名前を呼ぶ。頬杖をついた頬をぷくーっと膨らませて、俺は彼を見上げた。
「だって暇なんだもん。ふーふーちゃん構ってくれなくてつまんないし」
「あと少しだから」
「やだ」
「はぁ……。……もう誰の荷物も残ってないよな? 全員帰った?」
「うん! ちゅー?」
「……おいで」
彼が人がいる時にはしたがらないこと、わざわざ誰もいないことを確認してからすることなんて、いちゃいちゃ一択だ。パッと笑みを浮かべてふーふーちゃんを見つめると彼はふぅと息を吐いて俺に手を伸ばした。
俺はすぐに席を立ち彼の真横に立った。俺を見上げる彼の頬に手のひらを添えれば照れたように口元が歪んだ。繋いだ片手がキュッと強く握られる。
「キスはしないぞ、浮奇」
「そんな顔で言われても聞いてあげられない」
「……学校ではしないって約束だ」
「でもふーふーちゃんもしたいんでしょ?」
「……」
親指で唇をなぞると彼は目つきをキツくして下唇を噛んだ。いくら言葉で拒否していても、これは押せばイケる。そう考えて身を屈め彼に顔を近づけたところで、廊下から足音が聞こえて俺たちは動きを止めた。俺が動くより先に彼が俺の体を押し退けて、近づいた距離は簡単に開いてしまう。教室の前を通った邪魔者の足音はすぐに通り過ぎて遠ざかっていった。
「はい、もう誰もいない。ちゅーしよ」
「しない。絶対に」
「……ちゅーーー」
「……浮奇、俺は、……帰ってから二人きりの場所でしたい」
「むぅー……じゃあ、今日もふーふーちゃんの家行っていい?」
「ああ、そこでならゆっくり、いくらでも」
「……ゆっくり……いくらでも……?」
俺はそのとても魅力的な言葉にドキドキしながら瞬きをし、彼は真面目な顔でゆったり頷いた。繋がったままの手をゆるりと解いて小指を絡めさせると彼がくすりと優しく笑う。
「約束」
「……じゃあ、今は我慢する」
「ん、いい子だ」
「でも、ちょっとだけぎゅーってしていい?」
「……ここにおいで」
彼はぽんぽんと足を叩き、腕を広げて見せた。まさか、そんな甘やかしてくれるなんて、もしかして明日からの文化祭のおかげでテンション上がってるのかな、ふーふーちゃん。
前言撤回される前にいそいそと彼の足の上に座ると彼の片手が俺の腰に回った。制服越しの体温が少し物足りなくて、でもものすごく幸せだ。
「えへへ……」
「じゃあそのままいい子にしててくれ。日誌を書き終わらないと帰れない」
「お手伝いしてあげるね」
「いや、おまえのは落書きだろ……」
「ふんふんふ〜ん」
「……ま、いいか。先生は怒らないだろうし」
「ね。あ、待って待って、昨日の先生のコメント見たい。……ふ、あは、見てふーふーちゃん、俺が遅刻すると先生が怒られちゃうんだって」
くすくす笑うと彼も少し笑って、それから笑ったのを誤魔化すみたいに咳払いをした。体をもたれて笑い声で震える体をくっつければ彼も我慢できずにまた笑い出す。あーあ、早く帰ってちゅーしたいけど、こんなふうにまったりいちゃいちゃするのも好きだなぁ。
「よし、書けた。提出して帰るぞ」
「はーい……っと、最後に一言落書きさせて。あしたは、ぶんかさい、デート、はーと。これでよし」
「何を書いてるんだ……」
「先生に自慢しておこうと思って」
「また先生に呆れられる……」
「へへ」
そんなこと言ってもため息を吐くだけで俺の書いた文字を消したりしないんだから、ふーふーちゃんだって同罪だよ。