何が分かるんだ 自分の首に手を掛けてみる。
喉仏を押すとぐっと詰まるような感覚がして、希死念慮と畏れが鬩ぎ合う。ここを押したって死にはしない。こんなやわい刺激じゃ死にはしない。気道を押さえて、きゅっと息が詰まる感触が心地良い。首を吊って死ぬ時はもっと痛いんだろうな、なんて思って、手を離す。死にはしないし自分を傷つけもしないけれど、死にちょっと歩み寄ってみたくてたまにこうして軽く喉を絞める。今日の観音坂独歩は死んだ。半ば自慰のような行為だ。
明日が来なければ良い。
明日働けば明後日は休日だよだとか、今日はダメでも明日があるよとか、そんなこと言われたって明日を乗り切れる気がしないから明日が来なければ良いと言っているんだ。また明日朝起きたら気怠い頭と身体を引き摺って身支度をして、ゴミみたいに人がいる朝のシンジュクの通勤ラッシュを抜けなければいけない。会社に着いたら着いたでハゲ課長の加齢臭と近くのデスクのクソ女のくせえ香水と嫌味とクソみてえな炎天下の中の営業とアラサーの目に厳しいパソコン作業に追われるんだ。帰宅ラッシュに揉まれないのはいいけど、それはつまりイコールで残業ってことで。帰ってもメシは作らなきゃならない、掃除洗濯炊事、俺の生活は全部自分の肩にかかってる。なんで俺がこんなクソみてえな社会にすり減らされなきゃいけねえんだ。ああ、一生朝なんて来なければいい。
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