七夕 旧サテライトエリアへと続く大きな橋を、Dホイールで駆け抜けていく。背後にはルチアーノが乗っていて、僕の背中に腕を回していた。頬に当たる潮風は、熱気に焦がされて生ぬるい。僕の額から流れる汗を、ルチアーノがタオルで拭いてくれた。
陸地に上がると、Dホイールは住宅街へと向かってく。家が建ち並ぶ大通りの片隅に、目的の建物は建っていた。周囲の家と比べると、二倍以上はある大所帯である。古くなった壁や門は、人の手で補修がされていた。
門の前にDホイールを停めると、門を開けて敷地内に入った。庭で作業をしていた雑賀さんが、僕たちの方へと視線を向ける。手には鋸を持っていて、額からは汗を流していた。彼の手元に固定されているのは、大きな笹の木である。それこそが本日の主役であり、僕の呼ばれた理由だった。
「来たか。早速だが、手伝ってくれないか」
僕に視線を向けると、雑賀さんは開口早々にそう言った。平然とした顔をしているが、言葉には疲労が滲んでいる。周囲には笹の切れ端が落ちているから、一人で作業をしていたのだろう。子供たちのためとはいえ、なかなかに大変そうだ。
「大きな笹だね。雑賀さんが持ってきたの?」
尋ねると、彼は首を左右に振った。鋸を地面に突き立てると、呆れたようにため息をつく。
「これは、知り合いから譲ってもらったんだ。まあ、このサイズのものが送られてくるとは思わなかったがな」
笹を譲ってくれる知り合いがいるなんて、彼の人脈も相当だ。さすが、逃走中の遊星を助けた人である。
「僕も手伝うよ。何をしたらいい?」
「俺が胴を切るから、お前は余計な枝を切り落としてくれ」
枝切り鋏を渡されて、僕も笹へと手を伸ばした。そうこうしているうちに、家の中からマーサが姿を現す。手持無沙汰になっているルチアーノを見ると、にこやかな笑みを浮かべて言った。
「二人とも、よく来たね。ルチアーノくんはこっちを手伝ってくれるかい?」
「なんで僕が……」
指名を受けたルチアーノが、不満そうな顔で呟く。今日のお手伝いに向かうことを、彼は最後まで渋っていたのだ。子供の姿で生まれてきた彼は、子供として見られることを何よりも嫌がっている。子供のイベントと認めたものは、絶対にやりたがらないのだ。
「まあ、そう言わないで。たまには、こういうのもいいでしょ」
僕が言葉を添えると、彼は渋々室内へと入っていく。ついてきてしまった時点で、逃れられないことは理解していたのだろう。マーサは子供の扱いが上手いから、ルチアーノを任せても安心だ。まあ、そんなことを言ったら、またルチアーノは怒りそうなのだけれど。
扉が閉まったことを見届けてから、僕は再び鋏を枝へと伸ばした。短冊を下げる枝が残るように、慎重にボリュームを減らしていく。炎天下での作業は、体力をじわじわと消費していく。一時間も経たないうちに、僕の身体は汗びっしょりになっていた。
「これくらいやれば、家の中にも入るだろう。運び込むのを手伝ってくれ」
一回り小さくなった笹を見ながら、雑賀さんは大きく息をつく。作業が終わったら、後は家の中に運び込むだけだ。玄関の扉を開けると、二人がかりで笹を運ぶ。突然現れた巨大な植物に、子供たちは目を丸くした。
「すごい」「これが七夕の木なんだね」「竹?」「笹だよ」
口々に言葉を発しながら、子供たちは僕たちを取り囲む。目を輝かせる少年少女を、雑賀さんは柔らかい笑みであしらった。
「ほら、道を開けないと、笹が飾れないぞ」
子供たちの間を掻き分けながら、僕たちは部屋の隅へと向かう。そこには、笹を立てるための即席の支柱が用意されていた。中央に笹を突き立てると、ロープや針金で固定する。仕事を済ませてひと息ついていると、マーサが歩み寄ってきた。
「二人とも、お疲れ様。冷たいお茶を用意してあるよ」
水滴のついたグラスを受け取ると、一気に喉の奥へと流し込む。中央の机の上には、お茶菓子の駄菓子やクッキーまで置かれていた。片隅に座っているのは、仏頂面を浮かべたルチアーノだ。彼も彼で、何らかのお手伝いをしていたのだろう。
「お疲れ様。ルチアーノは何をしてたの?」
隣に腰を下ろしながら、僕はルチアーノに声をかける。足を小刻みに揺らしながら、彼は不満げな声で答えた。
「短冊の用意だよ。ひたすら折り紙を折って切って、山ほど作らされたんだ。こういうことは、子供がやればいいのにな」
むすっとした様子で語るが、僕はなんだか笑いそうになってしまった。そう語る彼の姿は、どこからどう見ても子供なのである。七夕の準備をしていても、少しも違和感は感じない。
僕たちが休憩している間に、子供たちは願い事を書き始めたらしい。隣の部屋からは、賑やかな笑い声が聞こえてきた。書き終わった子供が部屋の隅に現れては、短冊を吊り下げていく。僕たちがそれを眺めていると、マーサが声をかけてきた。
「二人も、短冊を書いてきたらどうだい?」
子供扱いをされたと思ったのか、ルチアーノは不満そうな表情で顔を上げる。彼が言葉を発するより先に、僕が肯定の言葉を返した。
「そうだね。せっかくだから、願い事を書いてくるよ」
強引にルチアーノの手を引くと、僕は隣の部屋へと向かう。中央に並べられた机では、子供たちが短冊に文字を書いていた。近くに寄って見てみると、色とりどりの折り紙で作られた短冊が置かれている。僕がペンに手を伸ばすと、近くにいた子供が声をかけてきた。
「○○○とルチアーノも、願い事を書くの?」
「うん。せっかくだから、一枚くらい書こうと思って」
答えながら、僕は目の前の短冊に手を伸ばす。何色かあるから、一番好きな色を選んだ。ルチアーノの髪の色と同じ、目が覚めるような赤色だ。ペンのキャップを外したところで、近くにいた男の子が袖を引いた。
「ねえ、知ってた? 短冊の色には、意味があるんだって」
初めて聞く話に、僕は目を丸くする。そんなこと、一度も聞いたことがなかったのだ。再びペンの蓋を閉めると、男の子に視線を向ける。
「そうなの?」
「そうだよ。赤はご先祖様への感謝の願い、青は人間力を高める願い、黄色は友達を大切にする願い、白は決まり事を守る願い、黒は学業の向上を願うことだよ」
知識を披露できることが嬉しいのか、彼は胸を張りながら答える。きっと、誰かから教わったことをそのまま話しているのだろう。本当に知らないことばかりだったから、僕には感心することしかできなかった。
「そうなんだ……」
小さな声で呟くと、今度はルチアーノが鼻を鳴らした。僕のことを見上げると、呆れた声で言葉を吐く。
「なんだよ。そんなことも知らなかったのか?」
「ルチアーノは知ってたの?」
「当たり前だろ。そんなの常識だ」
諭すような言葉に、余計に心にトゲが刺さる。ルチアーノはあらゆる知識にアクセスできるから、日本の文化にも詳しいのだ。教えようとして、逆に教えられることも多かった。
「で、○○○は何をお願いするの?」
凹む僕に気がついていないのか、男の子は無邪気に言葉をかける。気を取り直して、短冊の願い事を書くことにした。
「実は、願い事はもう決まってるんだ。この願い事なら、短冊は黄色がいいかな」
男の子から聞いた話を頼りに、僕は短冊へと手を伸ばす。赤い折り紙を戻すと、その手で黄色の折り紙を広い上げた。改めてペンのキャップを外すと、ペン先を紙に走らせる。僕の手元を覗いた男の子が、楽しそうに笑い声を上げた。
「なんか、恋人同士の願い事みたいだね」
予想以上にませた発言に、僕は少しドキッとさせられてしまう。僕たちが恋人同士であることは、ここの子供たちには秘密にしていたのだ。それなのにこんなことを言われるなんて、僕たちには恋人オーラがあるのだろうか。
「そうかな。友達同士の願い事だと思うけど」
答える僕を、ルチアーノはじっとりとした目で見つめている。彼から見ても、僕の願い事はバレバレなのかもしれない。もう少し気を付けなければと思うが、書いてしまったものは仕方がない。
「ルチアーノは、何を書くの?」
隣を振り向いて尋ねると、彼はむすっとした顔で僕を見上げた。チラリと短冊に視線を向けると、すぐに僕へと視線を戻す。
「僕は書かないよ」
「そんなこと言わないで、書こうよ」
「嫌だって」
結局、僕は彼を説得できなかった。しばらくの問答の末に、ルチアーノは短冊から離れて行ってしまう。僕も無理はさせたくなかったから、特に何も言わずに受け入れた。
「どうして、願い事を書かないんだろう」
「きっと、恥ずかしいんだよ。願い事は、個人の秘密だから」
「そうなのかな?」
男の子と言葉を交わしながら、僕は笹に短冊を吊るす。子供たちの騒ぎが落ち着いた頃に、マーサがお菓子を持ってきた。
「そろそろおやつにしようかね」
机の上にボウルが置かれ、子供たちが一斉に集まってくる。今日のおやつは、水色に染まったゼリーだった。上に乗っているのは、色とりどりの果物である。実に七夕らしいメニューだった。
「二人も、一緒に食べていきな」
マーサに誘われ、僕たちも子供たちの輪に加わる。子供扱いされてると思ったのか、ルチアーノは不満そうな顔をしていた。子供たちのためのおやつなのに、僕がもらってもいいのだろうか。まあ、マーサから見たら、僕も十分子供なのかもしれない。
デザートを平らげると、僕たちは子供たちと遊ぶことになった。この家に来るときは必ず遊びに誘われているから、僕たちにとっては日課のようなものである。最初は渋々オーラを発していたルチアーノも、デュエルをしているうちに楽しくなってきたようだ。自慢げな顔をしながら、子供たちにコンボを教えている。その姿は、外見相応の子供にしか見えなかった。
日が暮れるまで遊ぶと、子供たちは食事の時間を迎えた。さすがにご飯をもらうわけにはいかないから、僕たちは家へと帰ることにする。Dホイールに乗る僕たちを、子供たちが追いかけてきてくれた。
「○○○、また来てね」
「ルチアーノも、また一緒に遊ぼうね」
彼らに見送られながら、僕はDホイールを発進する。胴体で風を切りながら、僕たちは住宅街を駆け抜けた。夏の始まったネオドミノシティは、日が沈んでも生温かい。首筋に汗を滲ませながら、僕たちはダイダロス・ブリッジへと向かった。
「ねえ、ルチアーノ」
潮風を肌で感じながら、僕はルチアーノに声をかける。背後からは、少し尖った声が聞こえてきた。
「なんだよ」
「マーサの家の七夕はどうだった?」
「うるさかったよ。もう当分は要らないね」
そうは言っているが、機嫌を損ねてはいないようだ。子供たちに囲まれるのは、そこまで悪い体験ではなかったらしい。彼はプライドが高いところがあるから、子供たちに教えるのは楽しいのだろう。
潮風に身を委ねながら、僕は僅かに口角を上げる。来年も、マーサの家に行こうと思った。