年越し クリスマスが終わると、世間は一気にお正月一色になる。スーパーにはおせちの具材が並び、デパートにも門松やしめ縄が並んでいる。大晦日が近づき、世間が休日に入ると、店は人で溢れる。僕たちは早めに年末の買い物を済ませて、家でのんびりしていた。
「今日は年越しだから、年越し蕎麦を食べようか」
僕が言うと、ルチアーノは興味無さそうに答えた。
「僕は要らないよ」
「せっかくだから食べようよ。カレー味にするからさ」
「要らないって。そもそも、どうして年越しが蕎麦なのか知ってるのかよ」
言われてみれば、確かにそうだ。僕たちは、意味を知らないまま年越しに蕎麦を食べている。
「あんまり気にしたことなかったな。どうして蕎麦なんだろう」
僕が呟くと、ルチアーノはからかうように笑った。
「知らないで食べてたのかよ。人間って変だよな」
「そういうものなんだよ。風習って」
僕たちは、小さい頃から風習に従って行事をしている。それは先祖から子孫、親から子へ受け継がれるもので、深い意味など考えない。アンドロイドであるルチアーノには、それが不思議なようだった。
「年越しそばには、長寿や金運を願ったり、一年の厄を断ち切る意味があるんだぜ」
ルチアーノはにやにやと笑う。少し誇らしげだ。
「そっか。じゃあ、僕はたくさん食べないとね」
「何でだよ」
「長生きして、ずっとルチアーノのそばにいたいから」
僕の言葉を聞くと、彼はケラケラと笑い出した。
「それ、ダジャレのつもりかよ。つまんねーな」
真面目に言ったのに、笑われてしまった。とはいえ、深刻に捉えられるよりもましなのだろう。僕たちの寿命の話なんて、今はすることではない。
「ダジャレじゃないよ。とにかく、少しでもいいから食べてくれると嬉しいな」
笑って機嫌がよくなったのか、ルチアーノは了承してくれた。
「仕方ないから食べてやるよ」
キッチンへ向かうと、蕎麦を茹でる。自分の分は普通のだしで、ルチアーノの分はカレーで味付けをする。トッピングは天ぷらだ。いつもはカップ麺で済ませてしまうから、この日のために蕎麦の茹で方を練習していたのだ。
「できたよ」
丼を差し出すと、ルチアーノは恐る恐る麺を啜った。
「悪くないね。君にしてはちゃんとできてる」
「練習したからね」
僕が言うと、彼は呆れた顔をした。
「そこまでして食べさせたかったのかよ」
「せっかくの機会だから、ルチアーノにも経験してほしかったんだよ。日本の風習を」
「そんなもの、興味ないよ」
そう答えながらも、ルチアーノは頬を染めている。照れているのか、身体が温まっているのかは分からなかった。誰かと食べる年越し蕎麦は、いつもよりおいしく感じる。
テレビからは、年末の特番が流れている。歌番組やお笑い番組を交互に流しながら、特に見るわけでもなく、蕎麦を啜った。
「年が終わる前に、遊び納めをしようよ」
食事を終えると、僕は、ルチアーノを部屋に誘った。ボードゲームを引っ張り出して、床に並べる。
「負けて悔しがっても知らないぞ」
ルチアーノも乗り気みたいで、楽しそうに遊びに応じてくれる。ボードゲームには、デュエルのような息の詰まる駆け引きはない。それも、ルチアーノには新鮮なようだった。
楽しそうに笑いながら、ルーレットを回して、駒を進める。ルチアーノは人生ゲームが好きだ。彼は、他人の人生がめちゃくちゃになる様子を見て笑っているのだ。波乱万丈では済まない人生を、ゲームの中の僕たちは送っていく。
「めちゃくちゃな人生だよな。変なことで得したり損したり、ルーレットで結婚や子供の人数が決まったりしてさ」
「僕の人生も、似たようなものだと思うけどね。ルチアーノの采配で未来が決まるんだから」
「君は、それが嫌じゃないんだろ」
ルチアーノはにやにやと笑う。なんだか、嬉しそうだった。
「そうだよ。僕はルチアーノと出会えて幸せなんだ」
「本当に、君は変なやつだよな」
呆れたような、照れたような声が返ってくる。そんな彼を、僕は心から愛おしく思っているのだ。
ゲームが終わる頃には、十時を過ぎていた。早くお風呂に入らないと、お風呂で新年を迎えてしまう。立ち上がると、ルチアーノに声をかけた。
「年が明ける前に、お風呂に入って来るね」
「すぐに戻ってこいよ」
「あんまり待たせないようにするよ」
今年最後の夜なのだ。できれば、ずっと一緒にいたい。僕は急いで風呂場にに向かった。
お風呂から上がると、ルチアーノはベッドに凭れかかってうとうとしていた。遊び疲れたのだろうか、と考えて、昨日の夜にあまり寝かしてあげられなかったことを思い出す。今年最後だからとはしゃぎすぎてしまったのだ。
ルチアーノを部屋に残して、片付けをすることにした。食器を片付け、風呂の栓を抜く。リビングに戻ってテレビを眺めていると、ルチアーノが部屋に入ってきた。
「なんで起こしてくれないんだよ」
その声には、不機嫌が滲んでいた。拗ねているらしい。
「気持ち良さそうに寝てたから」
「一緒に年越しするんじゃなかったのかよ」
「年を越す前には起こすつもりだったんだよ」
彼は不満そうにソファに腰を下ろした。どすん、と鈍い音がする。
「ごめんね」
怒らせてしまったのだろうか。遠巻きに様子を見ていると、小さな声で言った。
「隣に来いよ」
拗ねたような、怒ったような声だ。なんとなく不穏な気配がして、躊躇ってしまう。
「来いって」
恐る恐る隣に腰かけると、ぎゅっと抱きつかれた。僕の胸に顔を埋めている。どう反応したらいいのか分からなくて、そのままになってしまう。そっと見下ろすが、表情は見えなかった。
しばらくすると、ルチアーノが顔を上げた。頬を膨らませて僕を見る。
「君は僕の部下なんだから、ちゃんと側にいろよ」
「ごめんね」
そっと頭を撫でると、彼は満足そうに笑った。珍しく、素直な反応だった。きっと、怖い夢を見ていたのだろう。一人にしたことを後悔した。
テレビでは、カウントダウンが始まっていた。もうすぐ、年が明けるのだ。
「ルチアーノ、今年はありがとう。来年もよろしくね」
僕が言うと、彼は怪訝そうな顔をした。
「なんだよ。急に」
「年末には、挨拶をするのがお約束なんだよ」
残り一分を切った。テレビの中では、芸能人が楽しそうにコールをしている。
ルチアーノがテレビの音量を上げた。カウントダウンの声が響き渡る。
「…………僕と一緒にいてくれて、ありがとう」
その声は、テレビに掻き消されることなく僕の耳に届いた。
ルチアーノが顔を上げる。ほんのりと赤く染まった頬が見えた。しばらくの間、黙って見つめ合う。時間が止まったようだった。
『明けましておめでとうございまーす!』
テレビから流れてきた声が、沈黙を破った。年が明けたのだ。拍手の音と歓声が流れ込んでくる。
「明けまして、おめでとう」
真っ直ぐに目を見て言うと、ルチアーノはわずかに微笑んだ。
「…………おめでとう」
新しい年が始まろうとしていた。
新年も、楽しいイベントが目白押しだ。おせちにお雑煮、初詣に七草粥。僕は、ルチアーノに季節のイベントを体験してもらいたいと思っている。神の代行者として生きてきた彼に、普通の人間の暮らしを知ってもらいたいのだ。
実は、ルチアーノにお年玉を用意しているのだけど、渡したら「子供扱いするなよ」と言って頬を膨らませるだろう。今はまだ、渡さない方が良さそうだ。
「今年も、よろしくね」
僕が囁くと、ルチアーノも小さな声で答えてくれる。
「君は僕の部下なんだから、今年もよろしく頼むよ」
今年も、良い年になりそうだった。