お正月 目が覚めると、日が高く登っていた。壁掛け時計の短針は十時を指している。隣を見るが、寝ていたはずのルチアーノの姿はどこにもなかった。どうやら、既に起きているようだ。
リビングに向かうと、ルチアーノがソファに座っていた。退屈そうに足を組んで、テレビを眺めている。僕の足音に気づくと、にやにやと笑いながらこちらを振り向いた。
「やっと起きたのかい? リーダーを待たせるなんて、お仕置きがほしいのかな?」
「退屈だったら、起こしてくれても良かったんだよ」
僕が言うと、彼は拗ねたように言った。
「昨日の君も、起こしてくれなかったじゃないか」
どうやら、これは昨日の仕返しのつもりらしい。一人で取り残されて寂しかったのだろう。
「ごめんね」
近づいて頭を撫でると、ルチアーノは不満そうに僕を見上げた。怒るだろうな、と思いながらも、ポケットから封筒を取り出す。
「明けましておめでとう。これは、僕からのお年玉だよ」
差し出された封筒を見て、ルチアーノはあからさまに嫌な顔をした。
「子供扱いするなよ。一人で起きれもしないくせに」
予想通りの展開だ。思わず微笑んでしまう。
「これは日頃のお礼だから、受け取ってくれると嬉しいな」
「嫌だよ。お年玉なんて、大人から子供への施しだろ。人間から施しを受ける気なんて無いよ」
「そんなこと言わないでよ。お年玉の由来は、家族に振る舞うお餅だったんでしょ」
僕が言うと、ルチアーノは頬を膨らませて反論した。
「それとこれとは別だろ!」
封筒を押し返すと、僕の頬をつねる。神の代行者を名乗るルチアーノなのだ。心を開いたとは言え、人間からものをもらうのは嫌いなのだろう。仕方がないから、机の上に置くことにした。
「ここに置いておくから、気が向いたときに受け取ってくれると嬉しいな」
一言だけ言い残して、キッチンへと向かう。中途半端な時間だが、お腹が空いたからご飯を食べることにした。お正月と言ったらお雑煮だ。
「お昼は、お雑煮を作るからね」
向こうからの返事はない。拗ねているのだろう。あまり良いことではないのだけど、ルチアーノが素直な気持ちを見せてくれることに、嬉しさを感じてしまう。
だしを溶かしてつゆを作ると、鶏肉と小松菜を入れる。肉に火が通ったら、今度はお餅を入れて、柔らかくなるまで煮込む。鍋からだしのいい匂いがして、お腹が鳴った。
柔らかくなったお餅を、お椀によそっていく。
「できたよ」
お椀を並べながら声をかけると、ルチアーノは拗ねた顔のままこちらを振り返った。すっかりお子さまモードだ。
「なんで二人分作ってるんだよ」
「お正月を感じてほしかったから」
拗ねながらも、しぶしぶと席に座った。箸を手に取り、お餅をつつく。
「餅って、どろどろになった米だろ? 何がいいんだよ」
餅に箸を突き刺しながら、怪訝そうな顔で言う。一口サイズに切ろうとして、苦戦しているようだ。
「とりあえず食べてみてよ。おいしいから」
なんとか切り分けて、口に運ぶ。もちゃもちゃと咀嚼すると、眉に皺を寄せた。
「微妙だな」
ルチアーノらしい感想だった。嬉しくて、にこにことしてしまう。そんな僕を見て、彼は眉を顰めた。
「何笑ってるんだよ。気持ち悪いぜ」
「ルチアーノが素顔を見せてくれるのが嬉しいんだよ。外では、こんなところ見せてくれないから」
「君の前だけだよ。バラしたら殺すからな」
物騒なことを言っているが、頬は赤く染まっている。照れているのだ。信頼されているなと思う。
「誰にも言わないよ。ルチアーノの素顔を一人占めしたいから」
僕が言うと、ルチアーノは頬を染めたまま俯いた。黙ってお餅を咀嚼している。
「僕は、ルチアーノのことが一番に好きだからね」
重ねて言うと、さらに頬を赤く染める。
「……うるさいよ」
これ以上言うと、また機嫌を損ねてしまうだろう。黙ってご飯を食べることにする。
ルチアーノは、人の優しさに弱い。人に褒められたことの無い彼は、愛情の受け取り方を知らないのだ。
「食べ終わったら、ゲームをしようよ」
話を変えると、彼は黙ったまま頷いた。この姿が僕だけのものだと思うと、どうしてもにやけてしまう。
午後からは、ひたすら遊んで過ごした。お正月には、たくさんの遊びがある。かるたに福笑い、羽根つきに凧揚げ、めんこやコマ回しも用意していた。
ルチアーノが興味を持ったのは、羽根つきだった。打ち返せなかったら墨を塗る、というルールが、彼のいたずら心に触れたらしい。
「君が負けたら、たくさん落書きをしてやるよ」
楽しそうに言って、羽子板を構える。
「手加減くらいしてほしいな」
「気が向いたらね」
ルチアーノは手加減なんてしてくれなかった。本気で羽子板を打ち付け、猛スピードで羽根を飛ばす。一般人である僕には、怪我をしないように逃げるだけで精一杯だった。
「ほら、落としたんだから落書きさせろよ」
水性ペンを手に取ると、ルチアーノはいたずらっぽく笑う。
「今のはずるいよ。もう少し人間の身体能力に合わせてほしいな」
「わがままなやつだな。しょうがないから、特別に聞いてやるよ」
今度は、少しだけスピードの落ちた羽根が飛んでくる。それでも、僕には追いかけるだけで精一杯だ。完全に、ルチアーノの手のひらの上で転がされ、顔中を落書きだらけにされてしまった。
「君の顔、真っ黒だぜ」
ルチアーノはきひゃひゃと笑う。余裕綽々の彼に対して、僕は疲れきってへとへとだった。
「もう走れないよ。違う遊びにしない?」
「いいぜ。人間は貧弱だもんな」
ルチアーノが強靭すぎるだけなのだが、黙っておく。僕だって、学生時代は体育でそこそこの成績を取っていたのだ。
家に上がると、シャワーを浴びて汗とインクを流した。微妙に残っているところもあるが、夜に落とすことにする。
「今度は、福笑いをやらない?」
せっかく買ってきたのだから、遊ばないともったいない。袋を開けて、福笑いのセットを広げる。
「いいぜ。下手な方が罰ゲームな」
ルチアーノも乗り気で応じてくれた。二人で紙を広げ、目隠しをして顔のパーツを手に取る。
「まずは目から置いていくよ。右目」
紙を触りながら、勘で顔のパーツを置いていく。全部置き終わって目隠しを外すと、到底人の顔とは言えないものが出来上がっていた。
「なんだよ、それ! めちゃくちゃじゃないか!」
ルチアーノはケラケラと笑う。本当に楽しそうだった。
「ルチアーノだって、人のこと言えないでしょ!」
僕は反論する。彼の作った人の顔も、到底整っているとは言えなかった。
「君よりはましだよ。これも、僕の勝ちだな」
半ば強引な決定だったが、ルチアーノが楽しそうだから良しとしよう。ルチアーノが楽しんでくれることが、僕にとって一番の幸せだ。
遊び疲れると、夕食を取って休憩した。冷蔵庫からおせちを引っ張り出す。重箱の中身は縁起物ばかりで、子供が喜ぶようなものではない。ルチアーノもあまり乗り気ではなかったが、少しずつは食べてくれた。
「正月ってこんなにぐうたらするものなのかよ。食べて遊んでるだけじゃないか」
僕が残ったおせちを片付けると、ルチアーノは呆れたように言った。
「そういうものなんだよ。年末年始は」
実際に、寝正月という言葉もあるくらいなのだから、正月は疲れを癒す季節なのだろう。毎日、真面目に生きているのだから、一年の終わりと始まりくらいはゆっくりしてもいいはずだ。
テレビでは、年始を祝う特番ばかりが流れている。面白かったりつまらなかったりするその番組たちは、一年の始まりを実感させてくれた。
ルチアーノにとって、これからの一年がいいものでありますように。僕は、心からそう願った。