愛妻の日 彼の家に向かうと、夕食に好物が用意されていた。机の上に並んでいるのは、出前の寿司とたこ焼き用のホットプレートで、隣には生地や切り分けたたこが置いてある。この並びなら、冷蔵庫の中にはぶどうが入っていることだろう。
「どうしたんだよ。こんなメニューを並べて」
僕が尋ねると、彼はにこにこと笑って答えた。
「何でもないよ。ただ、ルチアーノに好きなものを食べてほしかったんだ」
彼が僕の好物を買ってくることは、日常茶飯事だった。頼んでもいないのに、寿司やたこ焼き、ぶとうにカレーなど、好物だと伝えた食べ物を買ってくる。それでも、ここまで本格的にもてなされることは稀だった。
「なにか、変なこと考えてないだろうな」
疑いながら言うと、彼は困ったような顔をした。
「考えてないよ。そんなに怪しいかな」
「怪しいだろ。何もない日に出前を取るなんてさ」
この男は、絶対に何かを企んでいる。嘘なんかすぐにバレるのに、馬鹿なやつだ。追求するが、彼は答えてはくれなかった。
「ルチアーノを労うためだよ。いつも一緒に居てくれるから」
意地でも答えたくないらしい。どうせ大したことではないから、これ以上の追求はしない。
寿司を食べ、たこ焼きを焼く。生地をくるくると回して丸い形に成型するのは、それなりに楽しい。もてなされるままに夕食を取り、デザートとして出されたぶどうを平らげた。
食事を終えると、彼はこんなことを言い出した。
「今日は、一緒にお風呂に入りたいんだ」
「なんでだよ」
問いかけると、答えづらそうに言う。
「背中を、流したいから」
「なんだよ、それ」
言われるままに風呂に入って、身体を洗われる。いつもよりも丁寧な洗い方だった。この後に、セックスでもするつもりなのかもしれない。
風呂を上がると、今度は髪を乾かしてくれた。ドライヤーを使い、丁寧に毛先を乾かして、櫛を通す。
しかし、洗面所から出ても、彼は何もしてこなかった。ソファに座って、テレビを見始める。
おかしい。彼は絶対に何かを企んでいる。それなのに、何も要求をしてこない。妙な気味の悪さがあった。
「おい」
声をかけると、彼は不思議そうな顔で僕を見上げた。
「どうしたの?」
「何が目的なんだよ」
「へ?」
しらばっくれたような答えだった。不快感が苛立ちに変わる。思わず、言葉が強くなった。
「とっとと要求を言えよ! 手伝ってほしいことがあるとか、ほしいものがあるとか、セックスがしたいとか、あるんだろ!」
彼は慌てたようだった。弁解するように口を開く。
「そういうことじゃないよ。ただ、僕はルチアーノを労いたくて……」
「嘘をつくなよ。気味悪いぜ」
何としてでも、企みを聞き出さなくては気が収まらない。彼の膝に乗ると、顔を寄せた。
「とっとと白状しないと、痛い目にあうからな」
その時だった。彼が見ていたテレビから、奇妙な言葉が聞こえてきたのだ。
『今日は、愛妻の日です。この機会に、奥さんを労ってみてはいかがでしょうか』
彼がギクリとしたような顔をする。分かりやすい反応だった。
「そういうことかよ」
吐き捨てるように言う。この男は、愛妻の日の労いとして僕に世話を焼いていたのだ。睨み付けると、申し訳なさそうに声を出した。
「ごめん」
「君、僕を女扱いしてたのかよ」
「そういうわけじゃないけど、ルチアーノと夫婦のイベントを経験したかったんだ」
「同じことだろ」
この男は、なんて馬鹿なんだろう。すぐにバレる嘘をついて、僕を騙そうとするなんて。
別に、恋人としてもてなされるのは嫌いじゃない。ただ、女扱いをされることだけは許せなかったのだ。
勢いをつけると、彼をソファの上に押し倒す。右手で身体を押さえつけ、左手を伸ばして寝巻きに手をかけた。
「今から、君を女の子にしてやるよ。そうすれば、君も妻ってことになるだろ」
「何を言って…………っ、待って」
ズボンを脱がせると、下着の中に手を入れる。そこにあるものは、既に期待で膨らみ始めていた。
「興奮してるのかよ。変態だな」
これから、僕はこの男を抱く。彼が僕を女扱いするのなら、僕が彼を女扱いすればいい。これは、僕からの仕返しなのだ。
「ルチアーノ」
「なんだよ」
「優しくしてね」
「気が向いたらな」
僕はにやりと笑う。今、この時だけは、この男の快楽の主導権は僕の手の中にあるのだ。
なんだか、優位に立った気分になって、僕はほくそ笑んだ。