悪い虫 テレビをつけると、深夜ドラマが放送されていた。画面の中で、二人の女が一人の男を取り合っている。どうやら、恋愛ドラマの修羅場シーンらしかった。
『私に隠れて浮気ってどういうことよ!』
画面の中で、一人の女が声を荒らげる。詰め寄られた男が、慌てたように言い訳をした。
『違うんだ。これは誤解で……!』
『何が違うのよ!』
言い争う男女を見て、二人目の女は不敵に笑う。女に冷たい視線を向けながら、突き放すように言った。
『諦めなさい。あんたは捨てられたのよ』
カップルの片割れが、浮気相手の女に掴みかかる。男を挟んで、女たちは掴み合いの喧嘩を始めた。下らなくて、すぐにテレビを消す。
シャワールームからは、まだ水の流れる音が聞こえていた。彼が戻ってくるのは、もう少し先になるだろう。
一人で眠るには大きいベッドに寝転がりながら、テレビの場面を思い出す。浮気で修羅場になるなんて、下らない。そんなに心配なら、GPSでもつけておけばいいのに。
「明日から、極秘の任務が始まるんだ。しばらくは会いに来れないだろうね」
そう言うと、彼は寂しそうな顔をした。置いてかれた犬のようにしょんぼりとしたオーラを出して、弱気な声で聞く。
「それは、どれくらいかかるの?」
「一週間くらいかな。来週にはタッグを組んでやるから、我慢しな」
「分かったよ」
僕が言うと、彼は聞き分けよく頷いてくれる。聞き分けのいい人間は好きだ。面倒が無い。
「じゃあ、また今度な」
小さく手を振ると、彼も手を振って返してくれる。自然とこんな仕草が出てしまうなんて、僕も俗っぽくなったものだ。
任務は、数日に及んで進められた。治安維持局長官として、人々に指示を出すのだ。退屈な役割だが、任務だから仕方ない。
部屋から人々が居なくなると、僕はモニターを起動した。座標を合わせると、青年の姿を写し出す。
GPS付きのチョーカーは、肌身離さず持ってくれているようだった。彼がどこに移動しても、僕には、彼の居場所が正確に把握できる。別に、GPSなんて使わなくても居場所くらい特定できるのだが、彼の所有権を示すためにアイテムを与えたのだ。
モニターに映る青年は、知らない女と歩いていた。また、この女だ。近頃、彼の周りを付きまとっている、身の程知らずな女。僕のことを知っているようには見えないが、彼の身辺を嗅ぎ回っているのは、嫌でも分かった。
この女は、彼に気があるのだろう。わざわざ、彼の向かう先に足を運び、声をかけられるのを待っている。彼が話しかけたら、嬉しそうに後をついていく。
本人は全く気づいていないが、あの青年はそれなりにモテるのだ。さっぱりした態度と異性を意識しない振る舞いは、男女問わず人の好感を誘う。本人の知らないところで、彼は好意を寄せられ、男たちの羨望の的となっている。
目障りだった。彼の前に表れ、気を引こうとするその女が。よりにもよって、僕の所有物に手を出すとは、身の程知らずにも程がある。
悪い虫は、追い払わなくてはならない。神の代行者を敵に回したことを、後悔させてやろうと思った。
僕は、シティ繁華街を歩いていた。あの青年の姿を探していたのだ。
青年は見当たらなかった。たった一時間だというのに、遅刻を咎めて帰ってしまったのかもしれない。
GPSを起動すると、彼の居場所を探った。位置反応は、すぐ近くのカードショップだ。隣には、例の女の気配もあった。
いい機会だ。あの女に、見せつけてやろう。あの青年が僕のものだということを。
僕は、路地裏のカードショップに向かった。彼が頻繁に向かう、お気に入りの店だ。彼は、最後に必ずこの店に来る。ここで待っていれば、そのうち現れるだろうと思ったのだ。
予想通り、彼はすぐに現れた。女を隣に引き連れ、優雅に歩いている。端から見たら、デートと思われそうな光景だった。
「○○○、こんなところで何してるんだい?」
声をかけると、彼は嬉しそうに振り返った。隣の女を気にもかけずに、弾んだ声で言う。
「ルチアーノ! どうして、ここに?」
「君の気配を感じたから、来てみたんだ。やっぱり、ここに居たんだね」
ここにという部分を強調しながら、僕は言う。彼の居場所などお見通しだということを、女に示さないと気が済まなかった。
青年は、僕の含みには気づかないようだった。咎めるような響きを込めて、こう語る。
「ずっと探してたんだよ。どこに居たの?」
「用事を済ませてたんだよ。僕だって暇じゃないからね」
女が、チラリとこちらに視線を向けた。僕たちの関係を気にしているのだろう。挑戦的に視線を向けて、試すように尋ねる。
「で、隣の女は誰だい?」
青年は、少しも動揺しなかった。代わりに、女がびくりと身体を震わせる。いい気分だった。
「僕の友達だよ。たまに、一緒に遊んでるんだ」
友達、か。こうもはっきり言われたら、女も悔しいだろう。にやつきそうになるのを抑えながら、僕は相手を観察した。
地味な女だった。十代後半くらいだろうか。大人しそうな黒髪に、シンプルなワンピースを着ている。少なくとも、僕に勝てるとは思わなかった。
「僕に隠れて浮気かい? いい度胸だね」
そう言うと、彼も慌てたようだった。焦ったような声で、僕に弁解する。
「そんなんじゃないよ。ただの友達だって」
その姿が面白くて、もっと意地悪をしたくなった。笑みをこらえながら、さらに言葉を続ける。
「どうだろうね。僕との約束をすっぽかして遊んでるくらいだから、よっぽど大切なんだろう?」
「違うよ。先に約束を破ったのはそっちでしょ。僕はちゃんと来てたんだから」
青年は言い訳を重ねる。そろそろ頃合いだと思った。
「だったら、今から付き合えよ」
そう言って、僕は彼の腕を掴んだ。ぐいっと引っ張って、こちら側へと引き寄せる。女が、呆然とこちらを見ている。
「分かったよ。それで、許してくれる?」
優越感を感じながら、僕はこくりと頷いた。青年の顔を近づけると、小さな声で恨み言を言う
「約束してたのに、なんで他の女と一緒にいるんだよ。寂しくなかったのか?」
「寂しかったよ。今、ルチアーノに会えてすごく嬉しいと思ってるんだから」
「その割には、他の女と仲良くやってるじゃないか」
「それは、ルチアーノが来なかったからだよ」
「いいわけするなよ。この落とし前はつけてもらうからな」
「分かったよ。どこにでも付き合ってあげるから、許してほしいな」
茶番のような密談を済ませると、僕は彼を解放した。こんなのはパフォーマンスでしかないのだけど、能天気な彼は本気だと思うのかもしれない。
まあいい。これで、この女は彼に近づけなくなるだろう。僕という飼い主の存在を見てしまったのだから。
「ごめんね。今日は、これで解散にしてもらえるかな」
青年は女に挨拶をしている。なんだか不愉快だ。腕を引っ張って、離れようと合図を送る。
「じゃあ、また今度ね」
手を振る青年を引きずって、僕は大通りへと出た。少し離れたところで、後ろを振り返る。
女は、呆然と僕を見つめていた。その、何も分かっていないという顔に、自然と笑みが零れる。
勝ったのだ。僕は、あの女に圧倒的優位を見せつけた。これで、あいつが彼を追うことはなくなるだろう。
「ルチアーノ、どうしたの?」
きょとんとした顔で、彼は問う。相変わらず、能天気な表情だった。
「何でもないぜ。それより、今日は何して遊ぼうか」
知らんぷりをして言うと、彼は考え込むような仕草をした。待っていたと言う癖に、何も考えていないようだった。
まあいい。これから、僕たちは久しぶりのデートとやらに繰り出すのだから。軽い足取りで、僕は大通りへと繰り出した。