看病 妙な寝苦しさで目が覚めた。身体が燃えるように熱く、びっしょりと汗をかいている。布団から足を出すと、ひんやりとした外気を感じた。
時計を見ると、朝の六時を指していた。いつもなら絶対に目覚めない時刻だ。
この感触は久しぶりだった。歳を取ってからは、風邪を引く機会なんてほとんどない。身体がどっしりと重く、動くのも億劫だ。
布団の中から這いずり出て、台所へと向かった。汗をたくさんかいていては、脱水を起こしかねない。コップに水を汲んで、一気に飲み干す。冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出すと、保冷剤と一緒にタオルで巻いた。体温計を取り出して、熱を計る。
モニターは、七度八分を示していた。数年ぶりの高熱だ。どうりで、身体が重いわけである。
重い足取りでベッドへと戻ると、布団を被って横になった。不調の日は、ゆっくりと寝るのが一番だ。
目を閉じると、眠気はすぐに訪れた。うとうとと微睡みながら、眠りの世界に落ちていく。薄れゆく意識の中で、何かを忘れているような感覚がした。
「おい、起きろよ」
どこからか、子供の声が聞こえた。
「起きろって、聞いてるのかよ」
ゆさゆさと身体を揺さぶられる。頭がぐわんぐわんと揺れた。思わず、目を開く。
ルチアーノが、こちらを覗き込んでいた。緑色の瞳が、真っ直ぐに僕の顔を見つめる。ぼんやりした表情の僕を見て、呆れたようにため息をついた。
「寝ぼけてないで、とっとと仕度しろよ」
そう言って、彼は僕の頬をつつく。次の瞬間、飛び退くように手を引っ込めた。
「お前、何したんだよ! 顔が熱いぞ!」
恐る恐る手を伸ばすと、両手で頬を包む。彼は、風邪を引いた人間を見たことがないらしい。心配そうに、僕の顔を触っている。いつもは温かいルチアーノの手のひらが、今日は冷たく感じた。
「風邪を引いたみたいなんだ。悪いけど、お出かけは今度にしてくれる?」
僕が言うと、ルチアーノは少しだけ落ち着いたようだった。ほっと息を吐いて、不安そうに言う。
「こんなに簡単に風邪を引くのか。人間って脆いんだな」
「心配しなくても、明日には治るよ」
安心させようと言葉をかけるが、彼は不安そうに僕に寄り添っていた。いつものような強気な言葉も、今日は一言も発してくれない。
風邪の原因は明白だ。昨日は、雨が降ったのだ。デュエル中に降りだした雨は、どんどん雨足を強めて僕たちの身体を打ち付けた。僕は撤退を提案したけど、強情なルチアーノは僕の静止を無視してデュエルを続行したのだ。
彼は、気にしているのかもしれない。僕の風邪が自分のせいであることを。
ルチアーノは、しばらく心配そうに顔を触ってから、唐突に立ち上がった。どこかへと姿を消して、しばらくしてから戻ってくる。
彼は、何かを手に取ると、僕の額の上に乗せた。
それは、冷却シートだった。ひんやりとした感覚が額に伝わる。
ルチアーノは、部屋の椅子を引き寄せると、その上に座った。恥ずかしそうに頬を染めながら、僕の手を握る。
「仕方ないから、看病してやるよ。ほしいものがあったら遠慮なく言いな」
「ありがとう」
僕が言うと、彼は顔を真っ赤にした。突き放すような声で言う。
「勘違いするなよ。これは僕の作戦のためだからな!」
そっぽを向くルチアーノの姿がかわいくて、思わず微笑んでしまった。彼の姿を見ていると、身体の重さも、少しだけ楽になるような気がした。
ルチアーノは、つきっきりで看病してくれた。退屈は嫌いだと言っていたのに、ずっと隣に座って、僕の様子を見ていてくれる。何度も熱を計り、僕がスポーツドリンクを取ろうとすると、代わりに拾って飲ませてくれた。トイレに行くときも、手を握って付き添ってくれたくらいだ。
こんなに優しいルチアーノを見るのは初めてだ。いつもは毒ばかり吐くし、僕の都合なんて気にせずに引っ張っていくのに、今日は側に張り付いて離れない。
「ルチアーノ、風邪って言っても大したことないんだから、僕のことは放っておいていいんだよ」
そう伝えても、彼は側から離れなかった。椅子の上に陣取って、僕の顔を覗き混む。
「悪化したらどうするんだよ。おとなしく看病されな」
彼は、何かに怯えているようだった。放っておいたら、僕が死んでしまうと思っているのかもしれない。
「風邪で死んだりはしないから、大丈夫だよ」
「そんなの、分かんないだろ!」
必死な声で言われたら、それ以上はなにも言えなかった。大人しく看病されることにする。
とは言っても、見られていると思うと緊張する。目を閉じても、隣にルチアーノの視線を感じてしまって、なかなか眠れなかった。その上、彼はしっかりと手を握っているのだ。顔を背けることもできない。ルチアーノの気配を色濃く感じながら、僕はそっと目を閉じた。
風邪を引いていることもあってか、横になっていたら、眠気はやってきてくれた。うとうとと微睡みながら、眠りの中に落ちていく。しばらくすると、僕の意識は途切れた。
目を開けると、ルチアーノが覗き込んでいた。さっきも見た光景だ。そう思いながら、ぼんやりと彼の顔を見つめる。
「目が覚めたかい?」
ルチアーノが優しい声で問いかけた。普段からは考えられない穏やかな表情だった。なんだか、こっちが不安になってしまう。
「食事を用意したんだ。食べられるかい?」
時計を見ると、午後二時を指していた。お昼というには、少し遅い時間だ。お腹はあまり空いていないけど、昼食は食べたかった。
彼は、僕が目覚めるのを待っていたのだろうか。食事まで用意して。いつもからは、考えられない行動だった。
「ありがとう。食べれるよ」
答えると、彼は台所に向かって行った。しばらくしてから、食器の乗ったトレーを持って来る。中身は、白粥とりんごだった。
ルチアーノに見守られながら、遅めの昼食を取る。お粥とりんごと言ったら、風邪を引いた日の定番メニューだ。わざわざ調べてくれたのだろうか。
少し眠ったら、だいぶ身体が楽になった。ゆっくりと身体を起こして、ルチアーノに声をかける。
「外出できないから、ゲームでもしようか」
ルチアーノは、心配そうに僕を見た。何かに怯えるような声で言う。
「寝てなくていいのかよ」
「大丈夫だよ」
ベッドから這い出ると、テレビゲームを用意する。テレビの画面をつけると、コードを繋いでコントローラーを握った。
「病気なんだろ。いいから寝てろよ」
ルチアーノに腕を引っ張られるが、僕は屈しない。熱は七度二分まで下がっていたし、寝てることが退屈になっていたのだ。
「もう大丈夫なんだよ。寝てばかりいても退屈だから、一緒に遊んでくれる?」
僕が言うと、彼はしぶしぶ了承した。隣に腰を下ろすと、コントローラーを手に取る。
「大丈夫って言うんなら、手加減はしないからな」
「いいよ。いつもみたいに遊ぼう」
対戦ゲームを取り出して、片っ端から差し込んでいく。戦って、飽きたら次へを繰り返して、永遠に時間を潰した。僕の元気な様子を見て、ルチアーノも安心したみたいだ。いつものようないたずらっ子の態度で、僕を追い詰めていく。
結果は、やっぱり惨敗だった。でも、悪い気はしない。ルチアーノがたくさん遊んでくれたのだから。
夜になると、彼は再び食事を用意してくれた。今度は鮭の入ったお粥と、ぶどうだ。冷蔵庫にあったものを持ってきたのだろう。
「ぶどうはルチアーノのために買ったものだから、一緒に食べよう」
誘うと、おとなしく受け入れてくれる。ここまで素直になってくれると、毎日熱が出ていたら、なんて考えてしまう。そんなことを言ったら、ルチアーノは怒るだろう。
身体も楽になったことだし、お風呂に入ることにした。たくさん汗をかいて気持ち悪かったのだ。身体を流したかった。
洗面所で服を脱いでいると、遠慮がちにルチアーノがやって来た。そろりと顔を覗かせて、伺うように言う。
「身体、洗ってやろうか?」
「大丈夫だよ」
さすがに、身体を洗ってもらうのは遠慮した。変な気を起こしてしまったら気まずくなるだろうし、それこそ、重病人みたいで嫌だったのだ。
「いつもは入りたがるくせに、なんだよ」
不満そうに言うルチアーノに、申し訳ない気分になる。
「ごめんね。お風呂に一緒に入るのは、元気な時にしたいんだ」
「なんだよ、それ」
不満そうなルチアーノに背を向けて、浴室へと入る。一日分の汗を流すのは、気持ち良かった。
お風呂を上がると、少しだけ体温が上がっていた。湯船に浸かったからだと言ったけど、ルチアーノは心配して後をついてくる。
「もう、今日はとっとと寝ろよ」
強引に布団に押し倒されてしまう。いつもなら嬉しいことだけど、今日は微妙な気分だ。
電気を消すと、ルチアーノはぴったりと僕の隣に寄り添った。張り付くように抱きついて、僕の額に手を触れる。
「死んだりするなよ」
耳元で、怯えたように囁いた。今日のルチアーノは、すごく変だ。死というものに、恐怖があるのだろうか。
「大丈夫、僕は死なないよ」
答えると、ようやく安心したように笑った。しっかりと手を繋いで、布団の中に潜り込む。昼間散々寝たというのに、目を閉じると、すぐに眠りの世界に落ちていった。
「おい、起きろよ」
ルチアーノに揺さぶられて目が覚めた。外は明るくなっていて、太陽の光が差し込んでいる。頭はすっきりしているし、身体も軽い。爽やかな朝だった。
「計れよ」
体温計を押し付けられて、体温を計る。六度七分。いつも通りの平熱だ。
「見て。平熱だよ」
体温計を示すと、ルチアーノはほっとしたような顔をした。すぐに強気な表情に戻って、僕の腕を引っ張る。
「今日こそは付き合ってもらうからな。覚悟しろよ」
いつものルチアーノだった。昨日のしおらしい姿が夢のように感じる。
無理矢理布団から引っ張り出され、急かされながら仕度をする。家を出ると、彼は僕の隣にぴたりと寄り添った。
「倒れたりされたら迷惑だから、一日見張ってやるからな」
僕の手を握りながら、彼は言う。
「ルチアーノ」
僕は、彼の名前を呼んだ。どうしても、彼に、伝えたいことがあったのだ。
「なんだよ」
ルチアーノが僕を見上げる。怪訝そうな表情だった。
「看病してくれて、ありがとう」
僕の言葉を聞くと、彼は耳まで真っ赤になった。昨日の自分の態度を思い出しているのかもしれない。きっと、相当恥ずかしい思いをしているだろう。
「別に、お前のためじゃねーよ」
目を反らしながら、尖ったような声で言う。その横顔が愛おしくて、僕は微笑んだ。