喧嘩 ルチアーノが子供と喧嘩をしていると聞いた時、冗談を言われてるんじゃないかと思った。でも、遊星はそんな冗談を言うタイプではないし、端末から聞こえる声は焦っている様子だったから、きっと本当のことなのだろう。僕には信じられないが。
だって、ルチアーノは聡明な男の子だ。神の代行者として長い年月を生きてきた彼は、子供の姿と人格をしているけど、僕よりもずっと博識で達観している。同年代の子供は幼すぎて話にならないと言っていたし、そのせいで友達がほとんどいないのだ。そんなルチアーノが、同年代の子供と喧嘩をしているなんて、信じられるわけがない。
でも、現場の公園に駆けつけた僕の視界に入ったのは、男の子と睨みあっているルチアーノの姿だった。二人は息を荒らげながら、鋭い視線でお互いを見つめている。服は土に汚れていて、いかにも喧嘩をしてましたという様子だ。今にも第二ラウンドが始まりそうな二人を、遊星が間に入って制止していた。
「ルチアーノ!」
声をかけると、彼はびくんと肩を震わせた。驚いた様子で、園内へと駆け込む僕を見る。頬を膨らますと、突き放すように言った。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
「遊星から聞いたんだ。何があったの?」
「余計なことしやがって…………!」
ルチアーノが遊星を睨む。喧嘩に夢中で、周りの様子が見えていなかったらしい。悔しそうな顔をすると、視線を下に落とした。
「来てくれて助かった。二人とも、何も話してくれなくて困っていたんだ」
安心したように遊星は言う。
「誰がお前なんかに話すかよ!」「言いたくないもんは言いたくないんだよ!」
二人の子供が、口々に言葉を続けた。
「いったい、何があったの?」
僕が尋ねると、遊星が事情を説明してくれた。Dホイールで公園の前を通ったら、子供たちの言い争う声が聞こえたのだという。視線を向けると、よく知る子供たちの姿が見えた。彼の知り合いである少年と、宿敵であるルチアーノの姿だった。彼らは徐々にヒートアップし、取っ組みあいの喧嘩を始めた。ルチアーノが優位を取り、一方的に少年を追い詰めていく。慌てて止めに入って事情を聞いたが、どちらも語ることを拒否したのだ。
「誰がお前なんかに話すかよ!」「遊星には言いたくない!」
困惑する遊星を尻目に、ルチアーノは再び少年に掴みかかった。少年も恐れることなく交戦する。解決の糸口が見えなくて、仕方なく僕に連絡をしたのだという。
僕は、ルチアーノを二人から引き離した。彼らの前にいては、何も話してくれないと思ったのだ。
「とりあえず、どうしてこうなったのか教えてくれる?」
尋ねると、ルチアーノは頬を膨らませた。言い訳をするように捲し立てる。
「あいつが悪いんだよ。あいつが、僕を怒らせるようなことをいうから!」
ルチアーノは、冷静さを失っているようだった。子供のように言葉を吐いて、そっぽを向いてしまう。落ち着いてもらわなくては、話は聞き出せないだろう。
「とりあえず、話を聞きたいんだ。喧嘩の原因を作ったのはあの子なの?」
優しい声になるように意識して問いかけると、彼はこくりと頷いた。いい感じだ。次の質問を続ける。
「それで、先に手を出したのはどっち?」
「それは……」
ルチアーノが口ごもった。どうやら、彼らしい。なるほど。そういう経緯だったのか。
「どんな理由でも、暴力は駄目なんだよ。あの子に謝らないと」
僕が言うと、ルチアーノは軽蔑したように僕を見た。冷たい視線が突き刺さる。
「僕に説教する気かい? 悪いのはあいつなんだ。絶対に謝らないからな」
頑なな態度で拒否されてしまう。でも、それじゃあ収拾がつかないのだ。喧嘩というものは、謝罪が無いと終わらない。
「謝らないと、この場が収まらないんだよ。怒るなとは言わないから、一回だけ謝ってくれる?」
そう言うと、彼は少しだけ表情を緩めた。言いたいことが伝わったのだろうか。さっきよりも優しい声で答えてくれる。
「君って、けっこう悪どいやつだよな。そういうところ、嫌いじゃないぜ」
「そうかな……?」
前置きもなく褒められて、少しびっくりしてしまった。そんな僕を見て満足したのか、面倒くさそうにしながらも、少年のいる方へと向かってくれた。
少年も、遊星と話をしていたようだった。ルチアーノの姿を見ると、警戒したように顔を上げる。
「話はできたよ。あの子の言ったことが気に入らなくて、手を出しちゃったみたい。とりあえず、あの子に謝ってもらうことにしたよ」
僕が言うと、遊星は納得したように頷いた。向こうも、だいたいの話は聞けたらしい。
「ああ、こっちも、だいたい同じような話だった。こっちにも非があるから、謝らないとな」
ルチアーノの背を押して、少年の前へと送り出す。同じように、遊星も少年を送り出した。微妙な距離を挟んで、二人の子供が向かい合う。
先に口を開いたのは、ルチアーノだった。少年の足元に視線を落としたまま、小さな声でいう。
「…………さっきは、悪かったよ」
「…………こっちこそ、ごめん」
少年が答える。視線が合わないまま、二人はそれぞれの保護者の元へと戻っていく。
遊星にお礼を告げると、僕たちは公園を出た。いろいろとびっくりすることばかりだった。ルチアーノの手を引きながら、黙って帰路を歩む。
ひとつだけ、どうしても気になることがあった。ルチアーノが、喧嘩をしたという事実についてだ。短気だとは言え、彼は人類を操る神の代行者だ。そんな彼が冷静さを失う発言が、どのようなものか気になったのだ。
「嫌じゃなければでいいんだけどさ」
僕が口を開くと、ルチアーノは静かに顔を上げた。警戒するような瞳で、真っ直ぐに僕を見る。
「どうして喧嘩になったのか、教えてほしいんだ」
ルチアーノは、迷ったように視線を泳がせた。しばらく地面に視線を落としてから、小さな声で言う。
「…………あいつは、君のことを馬鹿にしたんだ」
「えっ?」
びっくりして、変な声が出てしまった。困惑する僕に、ルチアーノは言葉を続ける。
「あいつは、君のことを悪く言ったんだ。キングの腰巾着だって。チームニューワールドに気に入られてるだけで、大したことないって。腹が立って、気がついたら、手が出てたんだ」
びっくりした。ルチアーノが喧嘩をしたのは、僕のためだったのだ。僕を馬鹿にされたことが許せなくて、ついつい手を出してしまった。
「そっか……」
何も言えなかった。彼は、人のために怒るような性格じゃないはずだ。天地がひっくり返るような思いだった。
「手を出したこと、怒ってるかい?」
力のない声で、ルチアーノは問う。彼は、戸惑っているのだろう。自分の抱えた怒りに。
「怒ってないよ。むしろ、嬉しいと思ってる」
僕は答えた。ルチアーノは、少しずつ変わってきているのだ。僕のために怒ってくれるくらいには、僕のことを好きでいてくれている。それに、子供と喧嘩をする子供らしさまで生まれてきているのだ。
「君って、本当に変なやつだよな」
隣で、ルチアーノが呆れたような声を出す。見下ろした横顔は、普通の子供のようにあどけなかった。
この変化は、僕と関わったことで起きたのだろうか。僕と一緒に過ごした経験が、ルチアーノを子供らしい感性に引き戻したのだろうか。
そうだとしたら、それは良いことなのだろうか。その答えは、僕には出せなかった。