眠れぬ夜に その日は、くたくたに疲れていた。ルチアーノの任務の手伝いで、朝からデュエルを繰り返していたのだ。彼らの組織は、目的の達成のために力を持つ者のデュエルを必要としているらしい。僕はシグナーでもなければプロデュエリストでもないけど、彼の目的を果たすには都合が良かったらしく、何度か引っ張り出されていたのだ。
家に帰ると、鞄を下ろしてソファに座り込んだ。身体が重くて、歩く気力も起きない。ルチアーノに引っ張られながら、食事を取ってお風呂に入る。
「世話を焼かれないと何もできないなんて、赤ん坊みたいだな」
ケラケラと笑いながら、ルチアーノは言う。
「ルチアーノがこき使うからでしょ……」
僕には、言い返す気力さえなかった。それくらい疲れきっていたのだ。一日中引きずり回されて、四連戦もしたのだ。しかも、ルチアーノの力を使った物理ダメージ付きのものを。疲れていないわけがない。
「ほら、赤ちゃん、お風呂はこっちだぜ」
特殊な嗜好の人みたいな誘導をされながら、僕はお風呂に向かう。なんだかんだで世話を焼いてくれるのだから、ルチアーノも丸くなったものだ。
「一緒に入る?」
回っていない頭で尋ねると、嫌そうに睨み付けられた。
「嫌に決まってるだろ!」
完全に拒否されてしまった。そこまではっきり言われると、少し傷つく。不機嫌に鼻を鳴らしているが、僕を支える手は離れることはない。
そんなこんなで、なんとか身の回りのことを終える。満を持してベッドの上に飛び乗ると、ふかふかの布団が迎え入れてくれた。
「明日も働いてもらうからな。とっとと寝ろよ」
そう言って、ルチアーノが部屋の電気を消す。部屋の中が暗闇で包まれた。窓から差し込む光を頼りに、目を慣らしていく。しばらくすると、ぼんやりとルチアーノの顔が見えた。
僕は目を閉じた。今日は、すぐに眠れるだろうと思ったのだ。
シーツの上に身体を沈めて、深呼吸をする。隣からは、ルチアーノが身じろぎをする音が聞こえた。静かに呼吸を繰り返しながら、今日のことを思い出す。
今日のデュエルは、壮絶だった。ルチアーノは裏取引を使って力のあるデュエリストを見定めていたらしく、一筋縄ではいかない相手ばかりだったのだ。僕たちは苦戦し、時には追い詰められながら、それでも勝利を掴んでいった。
楽しかった。ここまで骨のある相手と戦ったのは久しぶりだったのだ。ルチアーノも一般デュエリストとのデュエルに飽き飽きしていたようで、勝つか負けるかのデュエルを楽しんでいた。
僕はゆっくりと目を開いた。再び、あの時の高揚が蘇ってきたのだ。胸が高鳴り、頭の中がデュエルで埋め尽くされていく。明日も、こんなデュエルができるのだろうか。そう思うと、いてもたってもいられない。
眠れなかった。まるで、遠足前の小学生みたいだ。これでは、ルチアーノに笑われてしまう。
取りあえず、デュエルのことを意識から追い出そう。全く関係ないことを考えるのだ。明日のご飯のこととか、ルチアーノのこととか。明日は少し遠くに行くから、人気のお店を調べてもいいだろう。お寿司かカレーがいい。それなら、ルチアーノも食べられる。彼も体力を使うのだから、エネルギー補給は必要だろう。そうじゃないと、午後まで持たない。
気がついたら、任務のことに戻ってしまっていた。全然だめだ。もっと関係ないことを考えなくては。
そういえば、眠れないときは全く関係ない単語を羅列すれば良いと聞いたことがある。脈絡のない単語を繰り返すことで、脳が考えることをやめるというのだ。
脈絡のない単語とは、どのようなものだろうか。少し考えてから、試しに考えてみる。
りんご……ゴリラ……ラッパ……パンダ……。これは違う。ただのしりとりだ。もう一度やり直そう。
ぶどう……ウサギ……ギター……大会……。
だめだ。何度考えてもしりとりになってしまう。変に頭を使ってしまっているし、何一つ効果はないようだ。
僕は何度目かの寝返りを打った。顔がルチアーノの方を向く。目を開くと、視線が噛み合った。
「さっきから、ごそごそうるさいよ。とっとと寝な」
ルチアーノが呆れた声で言う。
「ごめん」
謝ると、再び目を閉じた。何も考えないようにするが、眠りは訪れない。完全に覚醒してしまった。何度か身じろぎをしてから、目を開く。
ルチアーノが訝しそうな顔をした。じっとりした視線で、僕を見つめる。
「もしかして、眠れないのかよ」
図星だった。まあ、これだけ音を立てていれば、嫌でも気づくだろう。
「そうだよ」
答えると、彼は大きくため息をついた。面倒臭そうに言葉を続ける。
「なんでそうなるんだよ。さっきまで、あんなに疲れた疲れたってうるさかった癖に」
疲れているのは、本当だ。身体は重いし、攻撃を受けた部分はじわじわと痛んでいる。疲労に襲われて、起きる気力も湧かない。
「疲れてるのは本当だよ。でも、眠れないんだ」
僕が答えると、ルチアーノは面倒臭そうにため息をついた。手を伸ばすと、僕の背中に触れる。
「どうしたの?」
尋ねると、ルチアーノはにやりと笑った。からかうような語調で囁く。
「君は赤ちゃんだから、寝かしつけてくれる相手がいないと眠れないんだろ?」
ドキリとするような声色だった。戸惑っていると、背中をトントンと叩かれる。子供をあやす親のような、優しい触れ方だ。
「ほら、良い子は眠る時間だぜ」
仄かに笑みを含みながら、あやすような声で言う。からかわれているのは確かだった。
こんなことをされると、余計に眠れなくなってしまう。顔は近いし、甘い囁きに耳を擽られているのだから。平静を装うのが精一杯だった。
「あのさ、そんなことをされると、余計眠れないんだけど」
僕の言葉さえ、彼はからかいのネタにするつもりらしかった。楽しそうに笑って、言葉を重ねる。
「なんだよ。あやすだけじゃ足りないって言うのか?」
にやにやと笑いながら、彼は顔を近づける。小さく息を吸うと、何かを歌い始めた。
鼻唄のような、スキャットのような、歌詞のない歌だった。クラシックだろうか。ふんふんと、息を吐くような声で歌う。
たぶん、子守唄のつもりなのだろう。普段の彼からは信じられないくらいに優しい声だ。聞いていると、心が癒されていく。
僕は目を閉じた。彼の歌声に身を委ねながら、ベッドに身体を預ける。しばらくすると、僕の意識は眠りの中に落ちていった。
気がついたら、眩い光が室内に注ぎ込まれていた。顔を上げると、ルチアーノが僕を覗き込んでいる。朝みたいだった。
「おはよう、赤ちゃん」
にやにやと笑いながら、ルチアーノが僕に話しかける。
「赤ちゃんじゃないよ」
反発するように言うと、彼はきひひと笑った。にやにや笑いを浮かべたまま、楽しそうに言う。
「子守唄が無いと眠れないなんて、赤ちゃんじゃないか」
何も言い返せなかった。昨日の夜、なかなか眠れなかったのは事実なのだ。それに、ルチアーノの子守唄に安心したことも。
それにしても、意外だった。ルチアーノがクラシック音楽を嗜むとは。普段の彼はスプラッタ映画を好んでいるし、あんまりそういうイメージはなかったのだ。
「ルチアーノって、クラシックが好きなの?」
尋ねると、彼は困ったように眉を潜めた。何かを考えるように首を傾げる。
「別に、好きなわけじゃないぜ。その場で思い付いたのがあれだっただけだ」
ルチアーノ自身も、分かっていないようだった。彼は、どこでその曲を知ったのだろう。クラシックのようだけど、僕は一度も聞いたことのないメロディだった。
考えていると、ルチアーノに手を引かれた。強引に布団の上から引きずり出される。
「そんなことより、とっとと仕度するぞ! 今日も忙しいんだから」
まるで、僕の思考を妨げるように、洗面所へと連行される。その態度は、何かを隠しているようにも感じた。
あの曲は、彼らが未来で歌っていた曲なのかもしれない。手を引かれながら、僕はそう考える。未来の曲なら、僕が知らなくてもおかしくはないのだから。
ルチアーノには、僕の知らない秘密がたくさんある。そう思うと、なんだか切ないような、楽しみなような気持ちになるのだった。