潜入「明日のこの時間に、この場所に来てほしいんだ」
そう言って、ルチアーノは一枚のメモを取り出した。受け取って、そこに書かれている文字を見る。綺麗な筆跡で、時刻と市内の住所がかかれていた。
「いいけど……ここ、どこなの?」
僕が尋ねるが、ルチアーノは答えない。真面目な顔付きで僕を見つめている。
「それは、自分で調べてくれないかい? 行き先を知ったら、君は断るかもしれないから」
なんだか、深刻な様子だった。詳しいことは聞かない方が良いだろう。聞いたら、僕は行きたくなくなってしまうかもしれないのだ。
「分かったよ。行くだけでいいんだね」
「それ以上の要求はしないよ。ただ、来てくれればいいんだ」
そう言うと、ルチアーノはどこかに去っていった。最近は忙しいのか、あまり僕の家にも来てくれない。今日も、久しぶりの近況報告だったのだ。遠ざかっていく後ろ姿を見て、少しだけ寂しくなった。
家に帰ると、僕はルチアーノに渡されたメモを取り出した。端末を起動して、書かれている住所を入力する。マップ画面が開いて、ひとつの建物が示しだされた。
「えっ?」
僕は首を捻った。そこに書かれていたのは、学校の名前だったのだ。○○小学校という文字と、年季の入った校舎の写真が、画面上に映し出されている。交通手段を調べると、バスで一時間近くかかる郊外だった。
見間違いじゃないかと思った。小学校なんて、ルチアーノの任務には関係ない。マップを一度閉じて、住所を入力しなおす。
やはり、表示されるのは学校だ。彼は、学校に僕を呼ぼうとしているのだ。
一瞬だけ、断ろうかと思った。小学校の前に無関係な人間が立っていたら、明らかに怪しい。通報されてしまったら元も子もない。それだけは避けたかった。
でも、ルチアーノは僕の迷いくらい分かっているのだろう。彼は、行き先を知ったら僕が断ることを予見していた。そこまでして約束を取り付けたということは、それだけ重要な用事なのだろう。
僕は、行き先を端末に登録した。ルチアーノが求めているのなら、僕はどこにでも行く。それが、僕のパートナーとしての役割だと思ったのだ。
翌日、僕は小学校の近くに来ていた。校門の近くに立ち、ルチアーノが現れるのを待つ。不審者と思われては困るから、だいぶ距離を取ることにした。
ちょうど下校時刻なのか、校門付近は子供たちで溢れ返っている。楽しそうに笑い合いながら、それぞれの家路へと帰っていった。
こちら側へと歩いてきた子供が、僕を見て少しだけ驚いた顔をした。隣の子供をつつくと、何かを話しかける。このままだと、通報されかねない。ひやひやしながら、ルチアーノの姿を探した。
ルチアーノは、意外な場所から姿を現した。
いや、既に意外なんかではなかった。住所を検索して学校が示し出された時から、何となくそんな予感はしていたのだ。ルチアーノは、学校に潜入している。前にはアカデミアにも潜入していたくらいだから、きっと日常茶飯事なのだろう。
意外だったのは、その格好だ。女の子が着るようなカラフルなTシャツと、フリルのミニスカートを纏っている。足元は膝丈のハイソックスで、靴はかわいらしいスニーカーだ。ランドセルを背負って歩く姿は、どこからどう見ても女の子だった。
それだけでも十分なのに、隣には見知らぬ男の子が歩いているのだ。仲睦まじそうに隣に並んで、笑いながら何かを話している。男の子が身振り手振りを交えて語ると、ルチアーノがそれに答えるようににこにこと笑った。
ルチアーノは校門を出ると、キョロキョロと周囲を見渡した。僕が手を上げて合図を送ると、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「お兄ちゃん!」
声をかけて、僕に手を振り返す。演技であることは分かりきっているが、やっぱりかわいい姿だった。
ルチアーノは男の子の方を向いた。隣で訝しげな顔をする男の子に、説明するように言葉をかける。
「じゃあ、私はお兄ちゃんと一緒に帰るから、また明日ね」
「うん。また明日」
男の子は眉を潜めながら答える。校門で見ず知らずの大人が待ってるなんて、小学校ではなかなか無いことだろう。怪しまれても当然だ。
ルチアーノがこちらに歩き出すと、彼は僕へと視線を向けた。威圧するような鋭い瞳で、じっと僕を見る。視線を返すと、怯えたように目を逸らした。
ルチアーノが僕の隣へと歩み寄る。顔を近づけると、小さな声で言った。
「あいつを撒く。適当に合わせてくれ」
なんとなくだが、事情は分かった。あの男の子は、ルチアーノの演じる少女に気があるんだろう。彼との登下校を避ける口実として、僕が呼び出されたのだ。
「じゃあ、帰ろうか」
僕は言った。男の子に聞こえるように、少しだけ大きな声を出す。
ルチアーノが僕の手を取った。細くて小さい指が、僕のごつごつした手に絡められる。いつもと変わらない仕草なのに、見られていると思うとドキドキした。
「今日は塾があるから、急いで支度しなくちゃ」
ルチアーノが言う。彼に手を引かれながら、僕たちは停めてあったDホイールへと向かった。
「ねえ、あの男の子とはどういう関係なの?」
家に帰ると、僕は開口一番にそう言った。
ルチアーノは不快そうに眉を顰める。ヘルメットを棚の中にしまうと、面倒臭そうな態度で答えた。
「別に、ただのクラスメイトだよ。あいつは僕に気があるみたいだけど、鬱陶しいだけだ」
「仲が良さそうだったけど、いつもあんな感じなの?」
尋ねる声に力が入ってしまう。ルチアーノが知らない子供と二人でいるなんて、ほとんど見たことがない。彼は同世代の男の子に距離を置かれているみたいだったし、彼自身も友達というものを求めていない様子だったのだ。それなのに、ルチアーノはあの男の子に愛想よく振る舞っていた。僕にとっては、信じられない態度だったのだ。
「別に仲良くなんてねーよ。少し愛想よくしてやったら、追いかけてくるようになっただけだって」
ルチアーノはそう言うが、僕は気が気ではなかった。あの男の子は、ルチアーノに好意を寄せているのだ。自分以外の人間がルチアーノに好意を寄せているなんて、受け入れたくない事実だった。
「本当に、何もないんだね?」
心配になって、何度も確認してしまう。続けざまに飛んでくる質問に、ルチアーノが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「しつこいな。何もないって言ってんだろ!」
怒られてしまった。しつこく聞いたから当たり前だ。彼は何もないと言っているのに。
「だって、心配なんだよ。ルチアーノが他の子と仲良くしてるなんて、初めてだから」
僕が言うと、ルチアーノはにやりと笑った。からかうような笑い方をして、距離を詰める。
「もしかして、焼き餅を焼いてるのかい?」
「当たり前でしょ! 僕は、ルチアーノのことが好きなんだから!」
答える声に力が籠る。やっとだった。最初からそうだと伝えているのに、どうして気づいてくれないのだろう。もどかしくて仕方なかった。
「ずいぶん素直じゃないか。そうなら、最初からそう言ってくれればいいのに」
「言ってたでしょ! ルチアーノが気づいてくれなかっただけだよ」
言い返すと、彼は満足そうに唇を尖らせた。焼き餅が嬉しかったのだろうか。よく分からない。
「安心しなよ。僕が心を許すのは、君だけなんだから。君が僕を信頼してくれるなら、変な疑いはやめることだね」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは言う。その笑顔に、なぜか少しだけ安心した。
「ならよかったよ」
ルチアーノが大丈夫と言うのなら、大丈夫なのだろう。男の子がルチアーノを好いているのは確かだが、ルチアーノは相手に興味がないみたいなのだ。彼が信じてほしいと言うのなら、僕はどこまでも彼を信じる。
ホッと息をつくと、ルチアーノはきひひと笑った。僕の顔を除き込むと、脅すような声で言う。
「でも、あいつは君に目をつけたかもしれないな。君、面倒臭いことに巻き込まれるかもしれないぜ」
その言葉で、僕は思い出した。ルチアーノを連れて帰ろうとしたとき、あの男の子がじっと僕を見つめていたことを。その視線は、まるで僕を見定めるかのようだった。
あの子は、いつか勝負に出るだろう。その時、僕はどうすればいいのだろうか。にやにやと笑うルチアーノを見ながら、僕はそんなことを考えた。