雨の日 その日は、すごい雨だった。部屋の中にいても、叩きつけるような雨音が聞こえてくる。テレビの気象番組を付けると、傘を抱えて吹き付ける風と戦う人々の様子が報道されていた。
こんな日には、外に出ないのが得策だ。この雨足では、傘を差しても足元が濡れてしまうだろう。到底デュエルなんてできる天候じゃない。幸いなことにルチアーノからの誘いもなかった。
僕は、部屋でカードを整頓をすることにした。デュエルモンスターズを続けていると、カードは無限に増えていく。ストレージボックス何箱にも及ぶ量のカードが、僕の家には眠っていた。
部屋に入ると、押し入れの隅に積まれていたストレージボックスを取り出す。蓋を開け、中からカードの束を取り出した。一枚一枚確認して、何を持っているか確認していく。
それは、気が遠くなるような作業だった。僕は、幼い頃からデュエルモンスターズのカードを集めているのだ。ストレージボックスの中にはデッキを作った時に余ったカードや、過去にデッキに投入していたカードが、バラバラに放り込まれている。その全てを確認しながら、僕はカードを仕分けていった。
膨大な量のカードを捌きながら、僕は、作業に苦痛を感じてはいなかった。ボックスの中身は年代別に詰められていて、古くなればなるほど懐かしいカードが出てくるのだ。中には友達と交換したものもあって、当時の記憶を思い出させてくれた。
一箱ずつ中身を取り出し、カテゴリーごとに仕分けていく。汎用カードは、いつ欲しくなっても取り出せるように上の方に入れた。
そんなことをしていると、あっという間に時間は過ぎていった。そろそろ、ルチアーノが来る時間だ。ストレージを片付けると、リビングへと向かった。
しばらく待っていると、背後で光が瞬いた。空間が歪む不思議な感覚がして、人の気配が現れる。
声をかけようと後ろを振り向いて、僕は絶句した。目の前に立つルチアーノは、異様な姿をしていたのだ。全身がびっしょりと雨に濡れ、乱れた髪の毛が肌に張り付いている。服も隅々まで水浸しになっているようで、ぽたぽたと水滴を垂らしていた。下を向いているから表情までは分からないが、纏っている空気は冷たい気迫に満ち溢れている。
恐怖で声も出なかった。喉元まで出かかった言葉が、胃の中へと消えていく。大きく深呼吸すると、なんとか心臓を落ち着かせた。
「ルチアーノ……? どうしたの……?」
尋ねると、彼はゆっくり顔を上げた。光の無い瞳が、真っ直ぐに僕に向けられる。空中で視線が噛み合った。
ルチアーノは、にやりと笑った。怯える僕を見て、おかしそうに笑い声を上げる。いつものルチアーノの反応だった。
「なんだよ、その反応。別にどうもしてないだろ」
けらけらと笑いながら、彼は言う。その姿に、僕は拍子抜けしてしまった。緊張が解けて、へなへなとその場に座り込む。まだ、心臓がバクバクと鳴っていた。
「びっくりした……」
そんな僕の様子を見て、ルチアーノはさらに笑う。どうやら、なんともないみたいだった。ただずぶ濡れになっているだけで、何かがあったわけではなかったのだ。
「変なやつ。なんでそんなに怖がってるんだよ」
苦しそうに呼吸を整えると、ルチアーノは呆れたように言った。危機感の無い発言に、ついつい強く言い返してしまう。
「そりゃあ、びっくりするよ。恋人がずぶ濡れで帰ってきたんだから、何かあったと思うし心配するでしょ!」
僕の言葉を聞いて、彼はようやく僕の気持ちを察したようだった。納得したような顔をする。
「そうか、人間は、濡れることを気にするんだったな」
「そうだよ。雨が降ったら傘を差すし、濡れたらすぐに身体を温めるんだよ。そうしないと、風邪を引くかもしれないからね」
「濡れたくらいで病気になるなんて、不便な体だな」
ルチアーノは何事も無いように言う。その間にも、ぽたぽたと垂れた水滴が床を濡らしていた。早いうちに拭かないと、部屋が水浸しになってしまう。
「そこから動かないでよ」
そう言うと、僕は洗面所へと走った。バスタオルを取り出すと、リビングへと駆け戻る。バスタオルを広げ、上からルチアーノの頭に被せた。
そのまま全身を包み込み、わしゃわしゃと髪を掻き回す。重くなった髪束にタオルを巻き付けると、しっかりと水を吸収した。
「わざわざそんなことしなくても、体を乾かすことくらいできるぜ。僕は、神の代行者だからな」
タオルの下で、ルチアーノが声を上げる。
「そんなこと言って、結局やらないんでしょ。僕を困らせたいから」
そう言いながら、僕は二枚目のタオルに手を伸ばす。水を吸った上衣を脱がせると、素肌にタオルを滑らせた。
「なんだ、気づいてたのか。つまんねーの」
拗ねたような声を聞きながら、濡れた衣類をタオルの間に挟む。たっぷり水を吸った衣類は、ずっしりと重くなっていた。後で絞らなければ。そう思いながら床を拭く。
ルチアーノは、僕を困らせようとしているのだ。困惑している姿を見て、からかうつもりなのだろう。彼なりの甘え方とは言え、困った癖だった。
そう考えて、ふと恐ろしいことに気づいた。彼がこの姿で僕の前に現れたということは、雨の降る屋外に出たということになるだろう。ひとつの疑問が浮かび上がる。
「もしかして、このまま帰って来たの? ずぶ濡れで町を歩いて……?」
僕が尋ねると、彼は当然のことのように答えた。
「当たり前だろ。傘なんか差さなくても、僕は壊れたりしないんだから」
僕は大きくため息をついた。子供がずぶ濡れで歩いているなんて、異様にもほどがある。誰かに通報されなくて良かったと思った。
上を拭き終わると、今度はズボンに手を伸ばした。ベルトを緩めたところで、上からルチアーノの声が飛んでくる。
「なあ、このまま下も脱がすつもりかい? こんなところで子供を全裸にして、セキュリティに見つかったらどうなるんだろうね」
僕はまじまじとルチアーノを見つめた。しっとりと濡れた髪は、乱れて一部の素肌を隠している。外気に晒された凹凸の少ない身体は、小さな子供そのものだ。腰にある綺麗な曲線が、ベースの幼さを際立たせている。雨に濡れたからなのか、表面が妙に艶めいていた。
僕は部屋の窓に視線を向けた。僕たちの背後には大きな窓がついている。レースカーテンはつけられているが、厚いカーテンは開いていた。
ぞっとした。レースカーテンは外からの目隠しをしてくれるらしいが、暗くなると見えてしまうらしい。時刻は夕方を過ぎていて、日が陰り始めている。外から見えてしまう可能性があった。
外から見える僕たちの姿は、子供を脱がせようとしている大人に見えるだろう。そうなれば、どうなるかは簡単に想像がつく。
僕はそっと手を離した。湿ったタオルでルチアーノの肌を覆うと、急いでカーテンを閉める。
「続きは、自分でやってね。ちゃんとお風呂にも入らないとだめだよ。分かった?」
慌てる僕を見て、ルチアーノは楽しそうに笑った。
「そんなに慌てて、やましいことでも考えてたのかい? 外から見られたところで、なんとでも言えるだろ?」
「信じてもらえなかったらどうするの?ほら、洗面所に行くよ」
強引に手を引いて、ルチアーノを洗面所へと連行する。服を脱がせると、浴室へと押し込んだ。
シャワーの音を聞きながら、脱ぎ捨てられた服を手に取る。軽く絞って水気を切ると、洗濯機の中に放り込んだ。
この服は、ルチアーノの表面装甲であり、身体の一部であるはずだ。未来の力を使えば簡単に乾かすことができるはずである。でも、彼はそれをしようとしなかった。
もしかしたら、彼はこれを当たり前だと思うようになったのだろうか。人間のように服を着替え、洗濯をすることが、日常の一部と感じるようになったのだろうか。僕と過ごす人間としての暮らしを、楽しいと思ってくれているのだろうか。
だとしたら、それはすごく嬉しいことだ。洗濯機を回しながら、僕はそう思うのだった。