プロポーズの日 彼の家へワープすると、寿司のパックが用意されていた。いつものようなスーパーのものではなく、少し値の張るチェーン店のテイクアウトだ。こんなものが置かれているなんて珍しい。嫌な予感がして、思わず顔をしかめた。
「おかえり、ルチアーノ」
机の上に気を取られていると、台所から声が聞こえた。僕に視線を向けながらも、手を止めることなく動かしている。ここからは見えないが、何かを作っているみたいだった。
「君、何を企んでるんだよ。こんなもの、いつもだったら買わないだろ」
僕が言うと、彼は困ったように微笑んだ。手元のボウルにラップをかけると、僕から隠すように冷蔵庫へと仕舞い込む。
「別に、変なことは考えてないよ。たまには、お店のお寿司だって食べたいでしょう?」
歯切れの悪い答えだった。こういう時の彼は、大抵悪いことを企んでいる。警戒するに越したことはなかった。
「そんなこと言って、後から要求してくるんだろ? いやらしいことを考えてるなら、応じてやらないからな」
言い返すと、さらに困ったような顔をした。図星なのだろう。食器棚に近づくと、誤魔化すように箸と皿を取り出した。
「どうしてそうなるの。別に、何も言ってないでしょ」
それは、日頃の行いが悪いからだ。そう思ったが、言わないことにした。何を言ったって、この男は困った顔で躱してしまうのだ。
僕が黙っていると、彼は箸を差し出してきた。取り皿に寿司を乗せると、目の前に並べる。
「何も要求はしないから、食べてほしいな」
そこまで言われたら、食べてやらないともったいない。箸を手に取ると、取り分けられた寿司を口に運んだ。皿の上には、まぐろにサーモン、えびなどの、僕が好んで選ぶものばかりが並べられている。何度も食事をするうちに、好物を覚えられてしまったのだろう。
高級チェーン店の寿司は、いつものパック寿司よりもおいしかった。言葉を発することもなく、次々と口に運んでいく。口を開いたところで、彼が企んでいるのはろくでもないことなのだ。聞く必要はないと思った。
箸を置くと、彼は自分の分の皿を差し出してきた。まぐろとサーモンが、照明に照らされてキラキラと輝いている。
「僕の分も食べていいよ」
不自然だった。高級寿司を買ってきた上に、僕に食べさせようとしているのだ。絶対に何かを企んでいる。皿を押し返すと、威嚇するように言い返した。
「そんなもので釣ろうとしても、無駄だからな。コスプレもしないし、行為にも応じないぜ」
「違うんだよ。そういうつもりじゃなくて、ただルチアーノに食べてもらいたいんだ」
困ったように言いながら、青年は寿司を差し出した。僕が取らずにいると、箸で挟んでこちらに差し出す。
「ほら、あーんして」
馬鹿にされていると思った。差し出された手を、思いっきり叩き落とす。寿司が零れ落ちて、机の上を転がった。
「何するの!?」
彼が尖った声で言う。その語調が気に入らなくて、余計に腹が立った。
「君こそ、何考えてるんだよ! 僕を馬鹿にする気かい?」
「違うよ、僕はただ、ルチアーノに喜んでほしくて……」
彼の悲しそうな顔に、背筋が凍えるような気分がした。その表情は、心からの悲しみを湛えていたのだ。嫌われたらと思うと恐ろしくて、僕は席を立った。
「知らないよ。全部君が悪いんだからな」
捨てゼリフを吐くと、僕は部屋から逃げ出した。優しさを素直に受け入れられない自分が、何よりも嫌だった。
結局、行く当てなんてなかった。シティに出たところで、そこに僕の居場所なんてないのだ。人間はただの人間でしかなくて、僕たちの在り方を理解しない。神の代行者としての僕を受け入れてくれたのは、あの青年だけなのだ。
彼は、どうして僕を受け入れてくれたのだろう。僕は神の代行者で、人間にとっては化物だ。それだけでも難があるのに、僕は性格が悪いのだ。人に好かれるとは思わなかった。
青年の悲しそうな顔が、頭から離れなかった。彼は、純粋に僕を喜ばせようとしていたのだろう。彼が僕を大切にしてくれていることは、僕が一番良く理解している。彼はいつだって、温もりで僕を包んでくれるし、僕の嫌がることは絶対にしない。誰よりも優しくて、お人好しなのだから。
僕は重い腰を上げると、彼の家へと歩き出した。ワープを使えば一瞬だが、今は使いたくなかったのだ。一歩ずつシティのタイルを踏みしめながら、彼へ告げる言葉を考える。考えたところで、何も思い付かなかった。
リビングに入ると、彼はすぐにこちらを向いた。気まずそうな笑みを浮かべながら、僕に声をかける。
「おかえり、ルチアーノ」
「…………ただいま」
気まずかった。なんだか、今日の僕は変なのだ。彼に対して、妙に尖った態度を取ってしまう。子供のようだと諭されても、仕方がないと思った。
彼は、何も気にしてないようだった。僕の返事を聞いてにこりと笑うと、冷蔵庫の扉へと手をかける。中からボウルを取り出すと、机の上に置いた。
「これ、さっき出せなかったから、食べてもらえると嬉しいな」
返事も待たずに、彼は食器棚からグラスを取り出す。いつの間に入手したのか分からないが、ワインを入れるためのおしゃれなグラスが二つ机の上に置かれた。ボウルの中身を掬い上げると、グラスの中に入れていく。
中身は、サイダーに浸けられたカットフルーツだった。一口サイズに切られたフルーツたちが、炭酸の中で踊っている。フルーツの間には、色とりどりに染まったゼリーが転がっていた。
「これ、君が作ったのかい?」
尋ねると、彼は嬉しそうに笑った。スプーンを取り出すと、グラスの中に入れる。くるくると掻き回すと、泡がパチパチと弾けた。
「そうだよ。作ったって言っても、ゼリーと果物を混ぜただけだけどね。宝石みたいで綺麗でしょう」
綺麗だった。チープな子供のお菓子なのに、光に照らされて輝く姿には、不思議な魅力を感じる。スプーンで掬い取ると、恐る恐る口に運んだ。
「おいしい……」
思わず声が出てしまって、頬が赤く染まった。これが僕のために作られたメニューだと言うことが、一口食べただけで分かったのだ。果物は生のものをカットしているし、ぶどうは巨峰とデラウェアの二種類が入っている。炭酸が甘いからか、ゼリーは甘さ控えめだった。甘党な彼からは信じられないほどに、さっぱりした味付けになっている。
「良かった。口に合うか心配だったんだ」
青年はそっと胸を撫で下ろした。安堵した様子の仕草に、少しだけ罪悪感を感じてしまう。人間がどう思おうと、僕には関係ないことなのに。彼に染められていることに、悔しさを感じる。
「…………さっきは、悪かったよ」
口に出すと、少しだけ気持ちが楽になった。彼は優しく微笑むと、僕の頭に手を当てる。しばらくの間、僕は大人しく頭を預けていた。
「気にしてないよ」
そのまま、僕たちは沈黙に身を委ねた。何を言うのも気まずくて、言葉が出てこなかったのだ。二人分の食器の音と、炭酸の弾ける音が部屋を満たす。しばらくすると、彼が席を立った。
「ちょっと待っててね」
そう言うと、彼はリビングを出ていった。自室の押し入れを開ける音がした後に、何かを後ろに隠した姿で戻ってくる。僕の前に立つと、改まった様子で言った。
「今日は、プロポーズの日なんだって。だから、花束を買ってきたんだ」
前置きをしてから、彼は隠していたものを差し出した。それは、真っ赤なバラの花束だった。作り物ではない赤いバラが、白い包み紙に包まれている。リボンも赤色で、彼の本気を窺わせた。
「改めて、僕と一緒にいてください」
小さく頭を下げると、僕の前に花束を差し出す。受け取ると、ずっしりとした重みがあった。
「もしかして、全部このためだったのかよ。寿司もフルーツも、君の態度がおかしかったのも!」
僕が言うと、彼は困ったように笑った。頬を赤く染めながら、恥ずかしそうに頭を掻く。
「そうだけど…………やっぱり、変だった?」
「先に言えよ!」
全ては、僕の勘違いだったのだ。企みはあったが、怪しいことなどひとつもない。全ては、僕を喜ばせるためにしていたのだ。
「だって、そんなことしたらバレちゃうでしょ。プロポーズは、サプライズにしないと」
「それで怪しまれてたら意味ないだろ! こんなの、僕が性格悪いみたいじゃないか!」
「別に、気にしてないよ。疑われるのは、僕の日頃の行いが悪いからだし」
納得している様子で呟いて、彼はにこにこと笑う。この男は、本当に馬鹿だ。そう思い知らされて、大きく溜め息を付いた。
「今度は、誤解される前に言えよ。分かったな」
「分かったよ」
釘を刺す僕を見て、彼はだらしない顔で返事をする。絶対に分かっていないと思いながらも、それを不快には思わなかった。