忠告 シティは、ここ一年の間にものすごい速度で繁栄したらしい。サテライトとシティを繋ぐ橋が出来たことで人の流れができ、町を支える働き手が格段に増えた。人々を収容するために高層ビルが乱立し、彼らを運ぶための交通機関も、面白いほどのスピードで発展していった。
しかし、町が進化したからといって、人々の意識まで進化させることは難しい。今でもシティでは様々な事件が起き、セキュリティや遊星たち市民デュエリストが対応している。ルチアーノはそんな町の様子を、治安維持局のビルから眺めていたのだという。
確かに、一般市民の僕でも、町の良くない噂を聞くことは何度かあった。遊星たちはデュエリストコミュニティの最前線にいるから、そういう話を聞きやすいのだ。違法デュエリストによる恐喝事件や、賭博デュエルなどの比較的よくある事件に始まり、Dホイールの窃盗や闇のカードによる傷害事件など、伝わる噂は幅広い。
幸いなことに、僕はそんな事件に関わることなく生活を送っている。僕がこの町ではそこそこの有名人で、遊星やルチアーノと交流を持っているから、敬遠されているだけかもしれない。そうだとしても、平和に過ごせるならいいことだった。
そんな僕も、悪事を目撃したことがあった。ルチアーノに引っ張られて町を歩いていると、彼が急に動きを止めたのだ。黙って僕の手を引き、建物の陰へと引きずり込む。僕が質問をしようとすると、振り返って唇に指を当てた。
「静かにしろ。大声を出すな」
なにやら、深刻な様子だった。彼はすぐに表に視線を戻す。視線の先を追うと、Dホイールに乗った青年の姿が目に入った。
「その人が、どうかしたの?」
声を潜めながら、ルチアーノに尋ねる。彼は、青年へと視線を向けたまま答えた。
「嫌な予感がする。観察するぞ」
僕は青年へと視線を向けた。Dホイールの座席に座って、端末を操作している。特に怪しいところはない。Dホイールの停めてある場所も店舗前の駐車場で、特に怪しいところはなかった。
「別に、何も怪しくなんてないと思うけど……」
僕が言うと、ルチアーノは呆れたように溜め息をついた。分かってないなとでも言いたげな様子で、気の抜けた声を出す。
「そいつじゃねーよ。もっと左の、黒いシャツの男だ。ずっと、あのDホイールを見てるだろ」
そう言われて、初めて彼の視界の先に別の男がいることに気づいた。Dホイールから少し離れたところで、青年の様子を窺っている。本人は読書をしているように見せかけているが、チラチラと青年を見ているのがバレバレだ。
「あの人だね。いつ気がついたの?」
「この通りに入った時にはあそこにいた。その時はベンチに座るんじゃなくて、付近を歩いてたんだけどね。怪しいと思ってマークしてたら、あのベンチに座った。あいつは、絶対にやるつもりだぜ」
「やるって、何を?」
答えは返ってこなかった。Dホイールに乗っていた青年が行動を起こしたのだ。彼は端末をしまうと、Dホイールから降りた。そのまま、真っ直ぐに目の前の店舗へと向かっていく。
「来るぜ」
ルチアーノが囁くのと、男が動き始めるのは、ほぼ同時だった。男は読んでいた本を閉じると、キョロキョロと周囲を見回した。自分を見ている者がいないことを確認すると、そっと青年のDホイールへと歩み寄る。懐から鍵を取り出すと、Dホイールに差し込んだ。
そこで、僕は信じられないものを目撃した。男の差し込んだ鍵は、Dホイールのロックを解除したのだ。男はDホイールに跨がると、エンジンをかけてしまった。
「やっぱりだ。行くよ」
「え? 行くって、どこに?」
ルチアーノは答えなかった。僕をその場に残したまま、男の前へと進んでいく。男の前に立つと、堂々とした態度で声をかけた。
「ねぇ、おじさん」
僕は息を飲んだ。あの男は、どう見ても犯罪者だ。そんな相手に声をかけるなんて、命知らずだと思ったのだ。
ても、ルチアーノは神の代行者なのだ。人間なんて怖くはないし、襲われたところで簡単にやり返してしまえるのだ。
「それ、おじさんのじゃないよね。どうして持っていくの?」
ルチアーノは問う。子供のように純粋でありながらも、凄みを効かせた声だった。男が、慌てたように言葉を吐く。
「なぜ、そう言えるんだ」
「だって、見てたから。おじさん、さっきからこのDホイールに乗ってた男の人を見てたよね。男の人がいなくなったから、盗みに来たんでしょ?」
「違う! これは元から俺のものだ。あいつの方が盗んだんだ!」
男は必死に食い下がった。しかし、明らかに目が泳いでいるし、声も震えている。嘘をついていることはバレバレだった。
「見え透いた嘘ばかりつくんだね。そんなんじゃ、僕はごまかせないぜ」
動揺する男を見て、ルチアーノは余裕の表情を見せた。いつものような言葉で、男を追い詰めていく。子供と大人が言い争う状況に、通行人がチラチラと視線を向けた。男が焦ったように吐き捨てた。
「だとしたら、どうするつもりだ? セキュリティでも呼ぶのか?」
ルチアーノがにやりと口角を上げるのが、纏っている気配で分かった。堂々とした態度で、彼は男を追い詰めていく。
「そんなものは要らないぜ。僕が、お前を捕まえるからな」
そう言うと、彼は懐から何かを取り出した。自信満々な顔で、男の前へと突き付ける。男の顔色が変わった。
「それは、治安維持局の……!? なぜお前みたいな子供が……!?」
「なんでだろうね。さあ、とっとと鍵を渡しな」
ルチアーノに迫られ、男はしふしぶエンジンを切ると、鍵を手渡した。鍵を持ち上げて一瞥すると、納得したように言葉を続ける。
「やっぱり、今流行りの模倣品か。あんた、素人みたいだし、闇取引か何かをしたんだろ?」
「それは……」
男が悔しそうに唇を噛んだ。図星みたいだ。ルチアーノがにやりと笑う。
「図星みたいだね。後のことは、下の奴らに任せるとしようか」
セキュリティを呼びつけると、ルチアーノは簡潔にそれまでの事情を話した。最初は訝しがっていたセキュリティも、彼が懐から差し出したものを見て顔色を変えた。なんだか、勧善懲悪歴史ドラマのワンシーンみたいだった。
男を引き渡すと、ルチアーノは僕の元へと戻ってきた。面倒臭そうに溜め息をついて、呆れたように愚痴を吐く。
「最近流行ってるんだよな。こういう手口。犯罪組織がターゲットの情報を調べて鍵を作って、金に釣られた一般人に実行させるんだ。一般人ならどんなに危険なことでもやるし、捕まったところでいつでも見捨てられるからな」
淡々とルチアーノは言うが、僕は恐怖に震えていた。僕の知らないところで、こんな恐ろしいことが起きていたとは。
「ルチアーノは、前から知ってたの?」
「当たり前だろ。僕はこれでも治安維持局長官なんだから」
胸を張るようにルチアーノは言う。彼にとっては、犯罪捜査も日常茶飯時なのだろうか。あんまりイメージが湧かなかった。
「そっか」
僕は大通りに視線を向けた。男は連行され、様子を眺めていた人々も、自分の目的の場所へと向かっていた。すっかり、いつもの日常に戻っていた。
「ひひっ。『悪いことはしちゃいけない』って、大人は散々言ってるのにな」
人々の行き交う通りを眺めながら、ルチアーノはにやりと笑う。その笑顔は、地獄の底から浮かび上がってきたかのように恐ろしかった。