レインコート 六月は雨の季節だ。外はじめじめとして、湿っぽい空気がまとわりついてくる。湿気を吸って、ルチアーノの髪はふわふわと広がっていた。
この季節は厄介だ。気温は高くないのに、絡み付くような熱気が襲ってくる。少し動いただけでも汗びっしょりになってしまう上に、いつ雨が降ってくるかも分からないのだ。こんな状況では、デュエルをすることもできなかった。
ルチアーノは日々退屈していた。ソファに腰をかけると、つまらなそうに外の様子を眺める。町を行き交う人々は、誰もが傘を抱えていた。連日の雨が、人々の心を重苦しくしているのだ。
「つまんねーの。何か面白いこととか無いのかよ」
窓の外を眺めながら、ルチアーノがため息をついた。彼の嘆きはごもっともだ。この季節は、誰もが陰鬱な気持ちになる。
「そう言われても、難しいなぁ。さすがに、雨の中の散歩とかはしたくないでしょ」
「僕は構わないけどね。面倒くさいから、傘を差すのは嫌だぜ」
「だから連れていけないんだよ。雨なのに子供がずぶ濡れで歩いてたら、みんなびっくりするでしょ」
「人間って変だよな。そんなこと、気にしなければいいじゃないか」
「そうはいかないの」
答えながら、僕は考えていた。このまま、ルチアーノを閉じ込めておくわけにはいかない。彼は、僕に出会うまでずっと退屈していたのだ。そんなことをしたら、あまりにもかわいそうだと思った。
何か、良い考えは無いだろうか。彼の退屈をまぎらわせるか、外に出られるようにできる何かは。そう考えて、僕はあるアイデアを思い付いた。
「そうだ。午後から買い物に行こうよ。良い考えがあるんだ」
弾んだ声を聞いて、ルチアーノが怪訝そうに顔をしかめる。
「買い物? 何か、変なことでも企んでるんじゃないだろうな?」
「企んでないよ。ルチアーノにとっても良いことなんだから」
そう言って、僕は席を立った。自分の部屋へと向かって、鞄を腰に下げる。
「そこまで言うなら、付き合ってやってもいいぜ。その代わり、変なことだったら帰るけどな」
ルチアーノは答える。その声色は、機嫌を損ねているようには見えなかった。
それからしばらく後のこと、僕たちはショッピングモールに来ていた。ルチアーノの手を引きながら、子供服売り場を目指す。目的地は、季節限定の雨具コーナーだった。
ルチアーノは怪訝そうな表情で僕の後を付いてきた。周囲を取り囲む子供服の群れを見て、不快そうに顔をしかめる。僕が足を止めると、尖った声で口を開いた。
「ここ、子供服の棚だろ? どういうつもりだよ」
「レインコートを買うんだよ」
そう答えて、僕は目の前のポールハンガーに視線を向けた。子供向けのカラフルなレインコートがみっちりとかけられ、上には、折り畳み傘を並べた棚が取り付けられている。
「レインコート? そんなの、子供が着るものだろ。僕には必要ないよ」
ルチアーノはそう言って顔を背ける。予想通りの解答だった。子供扱いを嫌うルチアーノが、大人しくレインコートを来てくれるわけがない。
でも、僕は怯まなかった。僕には、彼を黙らせる切り札を持っているのだ。少しだけ口角を上げると、僕は彼にこう言った。
「ルチアーノは子供でしょ。雨の日に傘も差さずにびしょ濡れになるなんて、子供のすることだよ。大人ならちゃんと傘を差すんだから」
鋭い言葉に、ルチアーノは苦しそうに顔を歪めた。悔しそうに奥歯を噛むと、言い訳をするように言う。
「それとこれとは別だろ。僕には、傘なんて必要ないんだから」
「同じことだよ。それに、片方だけが傘を差さずに歩いてたら、何かあったんじゃないかって心配されるかもしれない。そうなったら、面倒な思いをするのはルチアーノだよ」
傘なんて必要ないと思う気持ちは、僕にも理解できる。この前みたいに、横殴りの雨が降っている日は、傘なんか差しても無意味なのだ。傘の外から襲いかかる雨でズボンはびしょ濡れになるし、靴は水没して悲惨なことになってしまう。それでも、大人は傘を閉じたりはしない。それが、大人としての振る舞いだからだ。雨の日に傘も差さずに歩いている人なんて、ドラマの演出でしか見たことがない。
「人間って面倒くさいよな。他人のことなんて放っておけばいいのに」
ルチアーノはため息をついた。じっとりとした瞳で僕を見る。そんな目で見られても、僕にはどうしようもできない。だから、彼をここに連れてきたのだ。
「ひとつだけあるんだよ。雨の日に傘を差さなくてもいい方法が。それを教えるために、ルチアーノをここに連れてきたんだ」
「それが、これだって言うのかよ」
そう言って、ルチアーノは目の前のポールハンガーに視線を向ける。そこに並んでいるのは、色とりどりに染められたレインコートだ。これこそが、ルチアーノのわがままを叶えるアイテムだと思ったのだ。
「そうだよ。レインコートを着ていたら、傘を差してなくてもおかしいとは思われない。僕と一緒に歩きたいなら、どっちかを選んでね」
「…………分かったよ」
ルチアーノはしぶしぶ納得した。レインコートを着ることよりも、僕と出掛けられないことの方が嫌らしい。嬉しくて、少しだけ口角が上がってしまう。
僕は、目の前にあるレインコートの群れに手を伸ばした。左右に掻き分けて、ルチアーノに似合いそうなものを探していく。サイズが合っていることを確かめると、ルチアーノの身体に当てた。
「これはどうかな? …………こっちもいいと思うんだけど」
次々と手に取る僕を見て、ルチアーノは呆れた顔をした。なすがままにされながらも、ぽつりと文句を溢す。
「なんでそんなに乗り気なんだよ」
「嬉しいからだよ。ルチアーノが僕とのお出かけを選んでくれて」
僕が言うと、彼は嫌そうに顔をしかめた。小さく息を吸うと、顔を背けながら言葉を吐く。
「勘違いするなよ。別に君のためじゃないからな。僕は、人間に舐められないために着るんだ」
「分かってるよ」
いくつか羽織ってもらって、ようやくひとつに絞りこんだ。一番最初に選んだ、真っ白なレインコートである。いつものルチアーノが白装束を着ているから、同じ色を選んだのだ。
「次は、長靴を選ぼうね」
レインコートを抱えながら、僕は裏の棚へと移動する。裏側には、色とりどりの長靴が並んでいた。
「長靴まで履かせるつもりかよ。僕をなんだと思ってるんだ」
子供だと思っているのだけど、黙っておく。下手に発言をして、機嫌を損ねたら元も子も無い。こっちもいくつかの候補を選び出すと、ルチアーノに差し出した。
「これ、履いてみて」
嫌そうな顔をしながらも、彼は足を素足のように変形させた。がちゃりと音を立てながら、インラインスケートを取り外す。真っ白な肌が姿を現した。
「靴下を借りてくるから、そこで待っててね」
「別に要らないよ。僕の足は汚れないから」
僕の言葉を無視して、彼は長靴に足を突っ込む。ズボンの裾を整えると、長靴の隙間に押し込んだ。なんだか、不思議な光景だ。
「こういうことかよ」
ぼんやりと足元を見ていると、彼はじっとりとした声で言った。慌てて視線を逸らして返事をする。
「えっと、そうだよ」
ルチアーノは目ざとかった。僕の反応を見て、不快そうに顔をしかめると、冷たい声で言った
「今、嫌らしいこと考えてただろ」
「違うよ!」
どうして、そんな風に思われてしまうのだろう。そう思ったけど、心当たりしかなかった。確実に日頃の行いのせいだ。自分の行動に後悔する。
「変態……」
冷たい視線に耐えながら、長靴を手に取る。最終的に僕が選んだのは、空色の長靴だった。レインコートに合わせて、いつもの靴に近いものを選んだのだ。
レインコートと長靴を手に取ると、僕はレジへと向かった。売り場では、ルチアーノがスケートを装着している。買い物袋を抱えると、彼の元へと戻った。
「これで満足かよ」
ルチアーノが不貞腐れたように言う。その姿を見て、かわいいと思ってしまった。
「雨が降ったら、これを着て出かけようね」
うきうきとした気分になりながら、僕は隣へと声をかける。対するルチアーノは、湿った声で返事をした。
「そうなったら、君の分を用意してやるからな。僕だけが着せられるなんて、絶対に認めないぜ」
なんだか、不穏なことを言っているが、気にしないことにする。絶対に何かをされるけど、それはその時に考えればいいのだ。
これがあれば、雨の日でもルチアーノと出掛けることができる。そう思うと、雨が降るのが待ち遠しかった。