盗撮 ルチアーノには疲労というものがない。こう言うと奇妙なことのようだが、アンドロイドなのだから当然である。機械でできた彼の肉体は、負荷で消耗することがないのだ。それなのに、慣れない経験をしたり頭を使った時には、思考システムが消耗するのかすぐに眠ってしまう。不思議な男の子だった。
そんなんだから、振り回される人間は一苦労だ。肉体を消耗しないルチアーノは、何戦もデュエルを要求する。しかも、一切手加減なしのリアルダメージ形式だ。僕のデュエルスキルを上げるための修行らしいが、人間の僕にはかなりの苦行だ。家に帰る頃には、動けないほどにへとへとになってしまった。
その日も、僕はソファの上に倒れ込んでいた。今日のデュエルは四連戦だった。しかも、その全てがルチアーノの集めた有力チームのメンバーだったのだ。勝ち抜き戦を持ちかけられ、必死になって戦った。服は傷ついてボロボロだし、身体には無数の傷がついている。これも、ルチアーノと関わるようになってから日常茶飯事になっていることだった。
「いつまで伸びてるんだよ。そんなことしてないで、さっさと寝な」
ルチアーノが呆れ顔で言うが、僕は少しも動けなかった。動く気力が湧かないのだ。ソファの上に寝転がったまま、やる気のない声で答える。
「疲れて動けない」
「なんだよ。だらしないなぁ」
文句を言いながらも、彼は僕の方に歩み寄った。面倒臭そうな顔をしながら、こちらに手を伸ばす。意図を理解できなくて、その手のひらを見つめた。
「どうしたの?」
「手伝ってやるって言ってんだよ。手を取りな」
握り返すと、ぐいっと引っ張られた。上半身を引き上げられ、ソファの上に座らされる。
「まずは食事からだな。冷蔵庫を借りるぜ」
キッチンへと向かうと、上から順にドアを開けていった。中身を覗かれるのは恥ずかしいが、止める気力がないので黙っておく。苦言を呈したら、彼は気を変えてしまうかもしれないのだ。
「これでいいか」
呟くと、冷凍庫の中から何かを取り出した。ストックしておいた冷凍パスタだ。僕が食べているところを、ルチアーノも見たことがあるはずだ。
パスタの袋をつまみ上げると、袋の指示通りにレンジにかける。待っている間に、食器を取り出して、朝の洗い物まで片付けてくれる。
「ごめんね、そんなことまでしてもらっちゃって」
声をかけると、ルチアーノはこちらを振り向かずに答えた。
「別に、君のためじゃないんだぜ。僕の利害のためにやってるんだ」
そんなことを言っているけど、今までの彼なら絶対にこんなことはしない。情が湧いている証だった。
話をしていると、レンジが軽快な音を立てた。がさごそと袋を開ける音がして、ほかほかのパスタが運ばれてくる。
ルチアーノは、フォークでパスタを巻き取ると、僕の口元まで運んだ。
「口を開けろ」
二人の間に沈黙が流れた。ルチアーノの行動が理解できなかったのだ。ぽかんとした顔でルチアーノを見つめる。
「どうしたの?」
彼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。パスタを僕の口に押し付けて、尖った声で言う。
「食べさせてやるから、口を開けろって言ってんだよ」
それって、つまり『あーん』してくれるってことだろうか。食べさせられる自分を想像してしまって、顔が熱くなる。そんなの、まるで子供じゃないか。
「自分で食べれるから、大丈夫だよ」
断ると、彼は目を細めてこちらを見た。じっとりとした声で言う。
「なんだよ。僕に食べさせられるのは嫌だって言うのか?」
「そうじゃないよ。だけど、なんか恥ずかしくて」
だって、こんなのは親子かラブラブなカップルくらいしかしないのだ。自分がされるのには抵抗があった。
「いいから口を開けろ。嫌なら、食事を片付けるぞ」
強引に脅されて、しぶしぶ口を開ける。口の中に、ほかほかのパスタが押し込まれた。咀嚼して飲み込むと、今度は次の一口が差し出される。
「ほら、次だ」
僕に拒否権はなかった。仕方なく口を開け、次々と差し出されるパスタを食べていく。一袋に二人前が入っているが、ペロリと平らげられてしまった。
「じゃあ、次は風呂だな」
食器を机に置きながら、ルチアーノは平然とした顔で言った。嫌な予感がして、視線を向ける。
「もしかして、お風呂までついてくるつもりなの……?」
僕が言うと、彼はきひひと笑った。からかうような声色で言葉を発する。
「当たり前だろ。君は一人じゃ何もできない赤ちゃんなんだから」
猛烈に嫌な予感がする。こういう時のルチアーノは、ろくなことを考えていないのだ。
「ほら、行くぞ」
無理矢理手を引かれて、洗面所へと引き込まれる。着替え一式を台の上に置くと、僕の方を振り向いた。
「脱がせてやるから、両手を上げなよ」
やっぱりだ。ルチアーノは、僕を子供扱いしている。子供のように接することで、僕の反応を楽しんでいるのだ。
「一人で脱げるから、大丈夫だよ」
服に手をかけようとするが、先を越されてしまった。ルチアーノが服の裾を掴む。ぐいっと引っ張ると。腕に引っ掛かって止まった。
「はい、ばんざーい」
にやにやと笑いながら言われて、僕は観念した。両手を上に上げて、服を脱がされるのを待つ。
「ひひっ。君、子供みたいだな。」
ルチアーノが楽しそうに笑う。子供に子供扱いされる恥ずかしさに、顔が赤くなった。羞恥に襲われる僕を笑いながら、ルチアーノは衣服を脱がせていく。
脱がされるというのは、こんなにも恥ずかしいものなのかと、今更ながら気がついた。ルチアーノは、いつもこの羞恥に耐えていたのだ。
さすがに浴室まではついてこないだろう。そう思っていたが、僕の考えは甘かったらしい。衣服をレインコートのような形状に作り替えると、彼は浴槽の中まで入ってきた。シャワーを捻り、お湯を僕の身体にかけていく。
「熱くないかい?」
「熱くないけど…………身体まで洗うつもりなの?」
「疲れてるんだろ。僕の気が変わらないうちに、大人しく洗われな」
有無を言わせぬ態度で言うと、シャンプーに手を伸ばした。手のひらで泡立て、僕の頭を洗い始める。
髪を洗い、身体を洗うと、湯船を中に押し込まれる。疲労で興奮する元気が無かったことが唯一の救いだ。元気な時にこんなことをされたら、手に負えなくなっていただろう。お湯に浸かっている僕を見下ろして、満足そうに笑った。
「風呂から出たら、身体を拭いてやるからな」
ここまで来たら、お世話じゃなくて介護だ。健全な男子には、あまりにも恥ずかしすぎる。
「もういいよ。ありがとう」
お礼を告げて逃げようと思ったが、彼は許してくれなかった。
「だめだよ。今日の君は赤ちゃんなんだから、パパの言うことを聞かないと」
結局、僕は逃げられなかった。ルチアーノに捕まえられ、身体を拭かれてしまう。意外なことに、彼の手付きは優しかった。ふわふわとしたタオルで、優しく身体に触れられる。お風呂で身体が温まったこともあって、なんだか眠くなってしまった。
「おい、寝るなよ。君、本当に赤ちゃんなのか?」
呆れたような声でルチアーノが言う。ぺしぺしと頭を叩かれ、なんとか目を開けた。
「眠いよ。疲れてるんだから」
うとうとしながら答えると、彼は大きくため息をついた。呆れたような声をしているが、どこか嬉しそうだ。
「仕方ないなぁ。服を着せてやるから手を上げな」
そこからは、あんまり記憶がなかった。子供のように服を着せられて、ベッドの上に運び込まれたことは覚えている。気がついたら、深い眠りに落ちていた。
気がついたら、隣でルチアーノが眠っていた。身体を起こして、枕元の時計を見る。時刻は七時前を指していた。いつもなら絶対に起きない時間だ。
ぐっすり眠っていた。いつから眠っていたのかも、いつベッドに入ったのかも分からない。覚えているのは、ルチアーノに世話を焼かれた記憶だけだ。
隣で、ごそごそと音がした。ルチアーノが目を開ける。起きている僕を見ると、にやにや笑った。
「おはよう、赤ちゃん」
「赤ちゃんじゃないよ」
答えるが、説得力は少しもなかった。昨夜の僕は、ルチアーノに世話を焼かれていたのだ。最初は仕方なくだったけど、途中からは本気で頼ってしまった。まるで、子供みたいだ。
「赤ちゃんだろ。僕の腕ですやすや眠ってさ。服を着せるの、大変だったんだぜ」
からかうように笑いながら、彼は言葉を告げる。昨日のことを思い出して、頬が熱くなった。
「仕方ないでしょ。ルチアーノが無理させるから」
「僕のせいじゃないぜ。君が脆いのがいけないんだ。もっと体力をつけないと」
「そんなの、無理だよ」
僕は、ただのデュエリストなのだ。デュエルは体力勝負とは言うけれど、普通のデュエルではこんなに体力を消耗することはない。彼の要求に答えるには、それこそ化物にならなくてはいけないだろう。
「だらしないなぁ。まあ、面白いものを撮らせてもらったし、許してやるよ」
そう言うと、ルチアーノは何かの端末を取り出した。猛烈に嫌な予感がする。心臓をドクドクと鳴らしながら、ルチアーノに声をかけた。
「ねぇ、何か変なこと企んでない?」
ルチアーノはにやりと笑う。端末を見せびらかすと、からかうように言った。
「別に、変なことは考えてないぜ。君の滑稽な姿を、お仲間にも見せてやろうと思っただけさ」
彼は、楽しそうに笑いながら端末の画面を点灯させた。小さなスクリーンに、何かの画像が浮かび上がる。それは、人間の写真だった。
心臓がドクドクと鳴り、冷や汗が流れる。その写真は、昨日の僕の姿を撮影したものだったのだ。何者かに『あーん』をされ、パスタを食べる僕。ばんざいの姿で、服を脱がされる僕。寝惚けた顔で、服を着せられる僕。ベッドに寝かされ、寝顔をさらす僕。いつの間にどう撮影したのか、浴室で身体を洗われる僕の姿もあった。
羞恥で顔が赤くなる。いつ撮られていたのかさえ、少しも見当がつかなかった。
「それ、いつの間に撮ったの!?」
僕が尋ねると、ルチアーノはきひひと笑った。愉快そうに大口を上げながら、甲高い声で言う。
「こんなものくらい、いつだって撮れるぜ。僕は、機械でできてるんだから」
そういえば、ルチアーノはアンドロイドなのだ。視覚情報は全て保存されているのだろう。写真を撮影するくらい簡単なはずだ。
迂闊だった。ルチアーノという存在を甘く見ていたのだ。彼は、人をからかうためならなんでもやる性格だったじゃないか。
「消してよ!」
必死に端末を奪い取ろうとするが、簡単に躱されてしまう。バランスを崩して、ベッドの上に倒れ込んだ。
「嫌だよ。こんな面白いもの、簡単に手放したらもったいないじゃないか」
ケラケラと笑いながら、ルチアーノは端末を服の中にしまった。もう奪い返せない。諦めるしかなかった。
「それ、誰にも見せないでね」
姿勢を直しながら言うと、彼は不思議そうに首を傾げる。意味が分からないという態度で、無邪気な声を上げた。
「何でだよ。こんな面白いもの、見せないともったいないだろ?」
「僕が恥ずかしいんだよ!」
口調を強めると、彼はにやりと笑った。言質を取ったという様子で、勝ち誇ったように言う。
「ふーん。恥ずかしいんだ。なら、不動遊星に送っちゃおうかな?」
「絶対にやめて!」
わざとだ。この子は、確信を持って僕をからかっている。僕が嫌がることを知りながら、分からないふりで強行しようとしているのだ。
必死に説得すると、なんとか言葉を退けてくれた。ひと安心して、大きく息をつく。
「君が粗相をしたら、いつでもこの写真を遊星に送りつけるからな。覚悟しろよ」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは言う。昨日の妙な態度は、これが目的だったのだろう。僕の弱みを握ることが。
こんな恥ずかしい姿を見られたら、彼らに合わせる顔がない。なんとか、ルチアーノの機嫌を損ねないようにしようと、心に誓ったのだった。