夜の散歩 ショップの外に出ると、すっかり日が暮れていた。町には煌々と灯りがきらめき、すっかり夜の色に染まっている。普段なら帰る時間だが、今日は寄り道をしていくことにした。
光で溢れる繁華街を、看板を見ながら進んでいく。せっかく良い時間なのだから、夕食を食べていこうと思ったのだ。この辺りにはショッピングビルが乱立しているし、食べ物屋には困らない。
立ち止まって端末を起動すると、おすすめのレストランを調べた。洋食に和食、中華など、カテゴリーごとに分けられたランキングが、上から下までびっしりと表示されている。あまり値が張るお店には入れないから、リーズナブルなお店を探すことにした。
「おや、○○○じゃないか。こんなところで何をやってるんだい?」
不意に、目の前から声が聞こえた。甘ったるくねっとりしていて、大人びているのようにも聞こえるのに、どこか幼い印象を与える声だ。視線を向けると、赤い髪の男の子が立っていた。
ルチアーノだった。こんな時間に見かけるのは珍しい。日が暮れてしまうと、彼は町から姿を消してしまうのだ。
「用事で遅くなったから、ご飯を食べようと思ったんだよ。ルチアーノこそ、こんな時間に出かけてるなんて珍しいね」
「頼まれ事があったんだよ。全部終わらせて、帰ろうと思ったら君の姿が見えたのさ。……全く、あいつらは僕をなんだと思ってるんだろうね」
ため息を付きながらルチアーノは言う。詳しいことは分からないが、いつもの任務というものだろう。相変わらず大変そうだった。
「ねえ、良かったら、一緒にご飯を食べない? ちょうど調べてたところなんだ」
端末を見せると、ルチアーノはにやりと笑った。僕を見上げると、からかうような声色で言う。
「僕を食事に誘うなんて、君は怖いもの知らずだね。いいよ。付き合ってやる」
何を言っているのかは、よく分からなかった。どうして、食事に誘うことが怖いもの知らずになるのだろう。疑問に思ったが、怖いから深入りしないことにした。
端末を見ながらお店を決めて、近くの洋食レストランへ入る。デパートの上階なだけあって、そこそこのお値段のするメニューばかりだった。せっかく来たのだからと、パスタのディナーセットを選ぶ。
ルチアーノは、カレーのセットを頼んだ。雑談をしながら料理を待ち、運ばれてきたものを順番に食べていく。見慣れないおしゃれな食事に苦戦していると、ルチアーノがくすくすと笑った。
「君って、本当にこういうのが不慣れなんだな。面白いことになってるぜ」
僕の手元を眺めながら、ルチアーノはにやにやと笑う。
「からかわないでよ。僕は庶民なんだから」
最近まで、僕は辺境の郊外に住んでいたのだ。おしゃれなレストランなんて来たことがなかった。
ルチアーノに笑われながらも、僕はなんとか食事を終えた。料理は美味しかったけど、緊張であまり堪能できなかった。
レストランを出ると、少しだけビル内を見て回った。ファッションエリアを歩きながら、目ぼしいものないかを探す。せっかくの外出なのだ。真っ直ぐ帰るのはもったいないと思った。
当てもなく建物の中を回っていると、ルチアーノが不思議そうに声をかけてきた。
「何を探してるんだよ。見つからないなら、手伝ってやろうか?」
「別に、探し物があるわけじゃないよ。いい服が合ったら買うかもしれないけど」
「目的がないのに店を見るのかい? 人間って言うのは変わってるな」
腑に落ちない顔をするルチアーノを横目に、僕は建物の中を歩き回った。僕だって、普段からこんなことをしてる訳じゃない。今は、少しでも長く彼と一緒に痛かったのだ。
デパートを出る頃には、すっかり夜も更けていた。繁華街は街の明かりに溢れ、昼間のように明るく輝いている。建物の隙間に見える夜空だけが、今が夜であることを教えてくれる。
昔から、夜の町というものが好きだった。かつて住んでいた町は、夜になると真っ暗になってしまうから、夜でも明るい場所というものは珍しかったのだ。両親に手を引かれて歩く夜の繁華街は、僕の記憶に焼き付いて消えない思い出だった。
ルチアーノにも、夜の町を楽しんでほしい。子供の頃の僕が感じていたドキドキを、ルチアーノにも知ってほしかった。いつもは、夜になるとすぐに帰ってしまうから、もう少し一緒に居たかったのだ。
そう考えて、不意にいいことを思い付いた。これなら、ルチアーノもついてきてくれるかもしれない。口角を上げると、彼へ声をかけた。
「ねえ、少し付き合ってくれない?」
僕の言葉を聞くと、ルチアーノの怪訝そうに顔を上げた。緩んだ僕の顔を見て、嫌そうに顔をしかめる。
「なんだよ、その顔。変なことても企んでるんじゃないだろうな」
「違うよ。とりあえず、ついてきて」
彼の手を取ると、繁華街の外へと歩き出す。シティを抜けると、家の前へと急いだ。
「そこで待っててね」
そう言うと、僕は家の中へ駆け込んだ。リビングに入り、引き出しの中から鍵を取り出す。外に出ると、車庫からDホイールを引っ張り出した。
「なんだよ、それ」
ルチアーノが呆れた声で言う。じっとりとした瞳が、僕とDホイールに注がれた。
「Dホイールだよ。知り合いからもらったお下がりなんだ」
説明すると、彼は不愉快そうに目を細めた。
「それくらい見れば分かるよ。それで何をするつもりだって聞いてるんだ」
僕は、ルチアーノにヘルメットを差し出した。僕の使っているものよりも一回り小さい、子供用のものである。僕が幼い頃に使っていたものだ。
「なんだよ」
小言を言いながらも、彼は大人しく受け取った。その姿を見ながら、ヘルメットを被ってDホイールのエンジンをかけた。
「後ろに乗って」
Dホイールを近づけると、僕はルチアーノに言った。ルチアーノが表情を歪める。
「なんでそんなことしなきゃならないんだよ」
「僕が乗ってほしいからだよ」
そう言うと、彼は恥ずかしそうに俯いた。僕から目を逸らすと、小さな声で言う。
「今回だけだぞ」
僕の背後で、Dホイールに体重がかかるのを感じた。少しだけ機体が揺れて、後ろから抱き締められる。思ったよりも強く腕を回されて、心臓がドクドクと鳴った。
「じゃあ、行くよ」
エンジンをかけると、家の外へと走り出す。冷たい夜の風が、強い力で身体を駆け抜けた。町明かりに照らされた道路を抜けると、車の駆け抜けるハイウェイへと登っていく。
後ろにルチアーノを乗せて、当てもなくハイウェイを彷徨う。少し高さのある路上からは、町の様子がよく見えた。高層ビルが乱立し、無数の明かりに溢れたネオドミノシティは、息を飲むほどに美しい。この景色を見る度に、この町に来て良かったと思うのだ。
「なあ、君は、怖くないのかよ」
不意に、後ろから声が聞こえた。その呟きは小さいのに、少しも掻き消されることなく僕の耳に届いた。
「なんのこと?」
尋ねると、彼は少しだけ沈黙した。しばらくした後に、小さな声で言葉を続ける。
「僕と一緒にいて、怖くないのかよ」
「怖くなんてないよ」
僕は即答した。考えるまでもないことだ。僕はルチアーノを信じていて、そこに理由なんてなかったのだ。
「どんな力を持っていても、ルチアーノはルチアーノだから」
その言葉に、返事は帰ってこなかった。心なしか、回された両腕に籠った力が強まった気がした。
たどり着いた先は、シティ郊外の高台だった。何度か遊星と訪れた、町全体が見下ろせる高台だ。Dホイールを止めると、柵の近くへと歩み寄った。
ここから見る町の景色は、何よりも美しかった。少し離れた場所に立つビル群と、小さな家々の明かりが、地上をきらきらと照らしている。何度見ても見飽きない、美しいシティの景色だった。
ルチアーノは、黙って僕の隣へと歩み寄った。柵に手をかけると、地上の町並みを見下ろす。その瞳は、少し寂しそうな輝きを湛えていた。
「綺麗だね」
僕は呟いた。隣から返事はない。不審に思って、視線を向けた。
ルチアーノの瞳に、きらきらと輝くものが浮かんでいた。それはぷっくりと膨らんで、頬を滑って顎へと伝う。大粒の涙が、彼の瞳から流れていた。
「ルチアーノ…………?」
問いかけると、彼はハッとしたような顔をした。涙を拭って、震える声で言い訳をする。
「違う、これは、目にごみが入っただけだ!」
彼は、泣いていた。シティの灯りを見下ろしながら、ポタポタと涙を溢している。予想もしていなかった反応に、僕はどうすることもできなかった。
「分かってるよ」
そう言って、そっと彼から距離を取る。本当は抱き締めてあげたかったけど、嫌がるだろうと思って遠慮した。
隣からは、すんすんと鼻を啜る音が聞こえてくる。その音に気付きながらも、僕は何もしてあげることができなかった。町の景色を見下ろしながら、ただ、黙って彼の隣に寄り添っていた。
しばらくすると、聞こえていた音が止んだ。涙が止まったのだろう。頃合いを見計らって、隣の少年に声をかけた。
「そろそろ、帰ろうか」
彼は黙って頷いた。Dホイールに乗ってエンジンをかけると、黙ったまま後ろに乗り込んでくる。来た道を戻るように、ハイウェイの上を駆け抜けた。
ルチアーノは、夜になるとこの町から姿を消す。それは、彼が幼い姿をしているからだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。彼は、夜というものが恐ろしいのだ。
どうして彼が泣いていたのかは分からない。聞くこともできないし、聞きたいとも思わなかった。真実を知ったところで、それが僕にとって良いことだとは思えなかったのだ。僕にできるのは、ただ黙って寄り添うことだけだ。
僕は、彼のことを何も知らないのだ。夜の風を肌に感じながら、不意にそんなことを思った。