ワイン 玉座の間に、光の渦が現れた。それは人の形を作り上げ、玉座の上で実体化する。すらりとした長身に、腰回りを覆う巨大な布。人間離れしたその姿は、彼の仲間に当たるプラシドだった。
プラシドは、チラリとルチアーノに視線を向けた。一言だけ名前を呼ぶと、手に持っていたものを投げ寄越す。慌てて受けとると、濃い紫の液体が入ったガラス瓶だった。
「なんだよ、これ」
尋ねると、プラシドは僅かに口角を上げた。ルチアーノから視線を逸らしたまま、淡々とした口調で言う。
「ワインだ」
「それくらい見れば分かるだろ。どこで手に入れたんだよ」
ルチアーノはぶっきらぼうに言う。ラベルを見る限り、それなりのブランドの品であることは確かだろう。アルコール度数は低いし、テイストは甘めのようだ。ジュースと変わらないようなものだと思った。
「会食会で貢がれた。お前は、ぶどうが好きなのだろう。受け取れ」
「それって、要らないものを横流ししてるだけだろ。自分でなんとかしろよ」
ルチアーノの呆れ声は、プラシドには届かなかった。前を向いたまま、モニターを眺めている。仕方ないから、大人しく受けとることにした。
「どうするんだよ。これ」
ルチアーノは瓶を眺める。中では、紫の液体が揺らいでいた。
翌日、ルチアーノは青年の家を訪ねていた。手元には、前日に受け取ったワインが抱えられている。自分では消費ができなくて、青年の家まで持ってきたのだ。
「今日は、君に良いものをあげるよ」
そう言うと、ルチアーノはワインの瓶を差し出した。青年が不思議そうな顔でそれを受け取る。瓶の中身を見ると、疑問符を浮かべながら質問をした。
「これは、何?」
彼には、ラベルの文字が読めないようだった。海外のワインなのだ。当然、ラベルの文字も外国語である。中身を伝えようと口を開きかけて、ルチアーノは笑みを浮かべた。
「それは、ぶどうのジュースだよ。人間から貢がれたから、君にもお裾分けをしようと思ったんだ」
ルチアーノは、青年に嘘を伝えることにした。中身がワインだと伝えたら、彼は飲むのをやめてしまうだろう。アルコールを飲ませるには、嘘を吐く必要があったのだ。
彼は未成年だ。法律上はアルコールを飲めないし、飲んだことを知られたら罪に問われてしまう。しかし、ルチアーノは知りたかったのだ。彼がアルコールを取った時の反応を。
「そうなんだ。じゃあ、一緒に飲もうか」
青年は疑うこともなくワインを冷蔵庫にしまった。単純なやつだと思いながら、ルチアーノはソファに腰掛ける。夜になったら、彼の酔った姿が見られるのだ。どんな痴態を晒すのかと思うと、少しだけ楽しみだった。
食事を終えると、青年は冷蔵庫からワインを取り出した。棚からワイングラスを二つ取り出すと、片方をルチアーノの前に差し出す。このワイングラスは、以前に青年がジュースを飲むために買ってきたものだった。
このグラスに注がれるのが本物のワインだなんて、彼は予想もしないだろう。そう思って、僅かに口角が上がる。甘い酒は好きではないが、彼の反応を見られるなら、付き合ってやるのも悪くないと思った。
「これって、コルク栓だよね? どうやって開けるの?」
瓶の蓋を見ると、青年はルチアーノに尋ねる。そんなことも知らないのかと呆れながらも、青年から瓶を奪い取った。
「こうやるんだよ」
そう言うと、ルチアーノは簡単に瓶の栓を抜いた。青年が感心したような表情を浮かべる。瓶を受け取ると、弾んだ声で言った。
「ルチアーノはすごいね。こんなことも知ってるなんて」
「別に、常識だろ」
青年は嬉しそうに瓶の中身を注いだ。グラスに紫色の液体が満ち、甘い匂いが漂う。片方のグラスを差し出すと、にこりとルチアーノに笑いかけた。
「せっかくだから、乾杯しようよ」
仕方なく、ルチアーノもグラスを手に取った。グラスとグラスを合わせ、カチンと音を立てる。青年がグラスに口をつけるのを見ると、彼も液体を口に含んだ。
口内に満ちた甘さの中に、僅かにアルコールの風味がある。ルチアーノは、甘いアルコールというものがあまり好きではなかった。アルコールを摂取するのに、なぜわざわざ子供の飲み物のような風味を加えるのか、彼には理解できなかったのだ。
グラスから口を離すと、青年は大きく息をついた。ルチアーノに視線を向けると、やはり嬉しそうに言う。
「これ、おいしいね。甘いけどちょっと苦くて、不思議な感じがする」
グラスの中は空っぽになっていた。瓶の中身を注ぐと、すぐに二杯目に口をつける。
「気に入ってもらえたなら良かったよ」
答えながら、ルチアーノは青年の様子を観察した。今のところ、特に変わった様子は無い。酒に強いのか、平然とグラスを傾けていた。
「あんまり飲みすぎるなよ。君は、こういう飲み物に慣れてないんだから」
「大丈夫だよ」
そう答える声は、どこか浮いている感じがした。早くも、酔いが回っているのかもしれない。彼がどれだけ酒が飲めるかは、ルチアーノにも分からないのだ。そろそろ止めた方がいいだろう。
「せっかくいいものをやったんだから、もっと大切に飲めよ。続きは明日な」
適当な理由をつけて、強引に瓶を奪い取る。簡易的に蓋をすると、瓶を冷蔵庫の中にしまった。
異変が起きたのは、それからしばらく後のことだった。ソファに座ってテレビを見ていると、青年がルチアーノの手を握ってきたのだ。怪訝に思って視線を向けると、頬を赤く染め、不安そうにルチアーノを見つめていた。
「ねぇ、ルチアーノ。僕に何を飲ませたの?」
子供のような物言いに、思わず面食らってしまった。言葉を返せないでいると、青年はすがり付くように言う。
「すごく身体が熱いし、心臓がドキドキするんだけど……。まさか媚薬とかじゃないよね……?」
彼の言葉に、ルチアーノは思わず笑ってしまった。彼は、今なんと言っただろうか。媚薬だなんて、なんておもしろい発想なのだろう。
笑い出したルチアーノを見て、青年は不安そうに顔を寄せた。酒を飲むのは初めてなのだ。未知の感覚に襲われて不安なのだろう。
「そんなもの、この世に存在するわけ無いだろ。それは酒だよ。ほぼジュースに近いやつだ」
ルチアーノが笑いながら言うと、今度は大きく目を見張った。相変わらず忙しいやつだと、ルチアーノは心の中で呟く。
「お酒!? そんなもの飲ませたの?」
「そうだよ。君の反応が見たかったんだ。君が酒に強いのかも気になったしね」
「そんな……。僕は、まだ未成年なんだよ……!」
慌てる青年を見て、ルチアーノはケラケラと笑う。生真面目な反応が面白くて仕方なかった。
「散々イリアステルに加担しておいて、今さら何も言ってんだよ。犯罪なんて散々やってきただろ」
「そうなんだけど、飲酒は初めてだから……」
不安そうに言う青年の姿は、なんだか弱々しく見えた。顔を近づけて心臓の音を聞くと、ドクドクと高鳴っている。どうやら、酒はあまり強くないようだ。
「心配しなくても、身体の不調はすぐに治るさ。そこで安静にしてな」
笑いながら言うと、青年はルチアーノに体重を預けてきた。ずしりとした大人の重みが、ルチアーノの身体へとのし掛かる。しっかりと手を握ると、青年は震える声で言った。
「怖いから、ずっと側にいてね」
ぴたりと寄り添う青年を眺めながら、ルチアーノはにやりと口角を上げた。こんな弱った青年の姿を見ることなど滅多に無い。普段なら不要なだけの甘い酒も、たまには役に立つのだと、ルチアーノは思ったのだった。