衣更え ルチアーノには、衣更えという概念がない。気温が上がり、僕たちが半袖の服を着るようになっても、平気で長袖の服を纏っている。外は日に日に暑くなっていて、室内でも冷房が必要なくらいなのに、彼は涼しい顔で布にくるまっているのだ。
僕は、Tシャツの裾を掴むと、ばさばさと風を送り込んだ。炎天下の繁華街は、いつ来ても灼熱地獄だ。ビルに太陽の日差しが反射して、平地よりも空気の温度を上げているのだという。
町を行く人々は、ほとんどが半袖を身に付けていた。この時期になると、男性でもショートパンツを履く人が出てくるし、男女問わずタンクトップを着ている人を見かけるようになる。中には長袖で肌を覆っている人もいるけど、日焼け対策の手袋か室内用の防寒具がほとんどだ。暑がりな人は首に冷却タオルを巻いたり、小型扇風機を回して身体を冷やしている。
隣を見ると、ルチアーノが涼しい顔で佇んでいた。こんな炎天下だというのに、纏っているのはいつもの長袖と長ズボンだ。熱中症が啓発される炎天下に、外でデュエルをしていたというのに、彼は汗ひとつかいていなかった。
僕は鞄からペットボトルを取り出すと、キャップを捻って口を開けた。冷凍して持ち運べるタイプのスポーツドリンクは、既に半分以上が溶けてしまっている。微妙に薄いその飲み物を、喉の奥に流し込んだ。
「ねぇ、ルチアーノ。そんなに厚着で暑くないの?」
尋ねると、ルチアーノはちらりとこちらを見た。相変わらず涼しげな顔をして、誇らしげな態度で言う。
「僕は神の代行者だからね。これくらいの熱、大したことないさ」
「感覚はなくても、熱は籠るでしょ。この前も、すごく熱くなってたし」
僕は彼の身体に手を伸ばした。指先で、恐る恐る剥き出しになった肌に触れてみる。熱せられた人工の皮膚は、火傷しそうなほどに熱かった。
「大丈夫? すごい熱いけど」
心配するが、彼は不快そうに眉をしかめるだけだった。汗びっしょりの僕を見て、嫌そうな顔をする。
「勝手に触らないでくれよ。汗臭さが移るだろ」
「失礼だなぁ。心配してるのに」
抗議の声を上げるが、ルチアーノは聞き入れない。ふんと鼻を鳴らして、僕から一歩だけ離れた。
「僕は人間とは違うんだ。熱が籠ったくらいじゃ倒れないよ」
そうは言うが、心配なものは心配だ。人間だって熱中症になるのだ。精密危機のルチアーノが、熱の影響を受けないわけがない。実際に、冷却機能を酷使しているのか、彼は眠りにつくのが早くなっていた。
ルチアーノと別れると、僕はショッピングモールに向かった。ルチアーノは嫌がるかもしれないが、夏服を買ってあげようと思ったのだ。
エスカレーターを上ると、子供服売り場へと向かう。このショッピングモールには、スーパーマーケットに併設された子供服売り場と、ブランドの専門店が入っている。先に安価な服を見て、良いものが無かったら専門店へ向かおうと思っていた。
実際に子供服売り場を見て、僕は唸り声を上げた。男の子向けの子供服は、思っていた以上に少なかったのだ。並んでいるのはどれも同じようなデザインのものばかりで、ロゴのついたシャツや似たような丈のショートパンツくらいしかない。違うテイストのものを探そうとすると、パーカーやベストのようなものしかないのだ。思い返せば、僕も子供の頃は同じような服ばかり着ていた。あれはすぐに汚すからだと思っていたけど、単純にそれしかなかったからかもしれない。
僕は専門店街へと向かった。あまり値の張る服ばかり買うわけにはいかないのだが、何もないのなら仕方ない。こっちまで来れば、少しはルチアーノに似合う服が見つかると思ったのだ。
しかし、この目論みも外れてしまった。ショッピングモールの専門店街には、男の子向けの服屋は入っていなかったのだ。専門店はほとんどが女の子の服ばかりで、あるとしてもユニセックスなものだけだ。
僕は悩んでしまった。子供服コーナーで男の子向けの服を買って行っても、ルチアーノは着てくれないだろう。コーナーにあるものは、どれも彼が着るには子供っぽすぎるのだ。
だからと言って、女の子の服を買うことはできない。ルチアーノは鋭いのだ。女の子向けのブランドで買い物をしたら、すぐに気づいてしまうだろう。
迷いながらスーパーマーケットへと戻って、いいことを思い付いた。僕の悩みを解決するための抜け道が、ここにはあったのだ。これなら、子供らしくなりすぎないし、ルチアーノも着てくれるだろう。そう思って、僕はとある服を手に取った。
「ルチアーノに、渡したいものがあるんだ」
そう言うと、彼は呆れ顔で僕を見た。ちらりとだけ視線を向けて、すぐにテレビへと視線を戻す。
ここは、僕の部屋のリビングだ。今日はデュエルの予定が無かったから、夜に僕の部屋で落ち合うことにしていたのだ。このところ、ルチアーノは頻繁に僕の家に来てくれる。任務がある時以外は、ずっとここにいるくらいだった。
「なんだよ。また貢ぎ物か? 毎度毎度、よく飽きないな」
テレビに視線を向けたまま、呆れた声でルチアーノは言う。そんな彼を横目に、僕はソファの下に手を伸ばした。ここに、ルチアーノへのプレゼントを隠していたのだ。
僕が取り出した袋を見て、ルチアーノはぎょっとした顔をした。しっかりとこっちに視線を向けると、高い声で言う。
「なんだよ、その袋。いったいどういう貢ぎ物なんだ?」
「開けてみれば分かるよ」
そう言うと、僕は不織布の袋を差し出した。スーパーマーケットの服にプレゼント包装はないから、自分で用意したものである。
ルチアーノは恐る恐る袋を開けた。袋に手を入れると、中のものを引っ張り出す。
それは、セットアップの洋服だった。セーラー襟のブラウスと、膝上丈のゆったりとしたパンツだ。上下で着ると、セーラー服のようになるデザインである。
「なんだよ、これ」
ルチアーノは呆れたように服を広げた。ブラウスを見下ろすと、自分の身体に当てる。
「プレゼントだよ。長袖だと暑そうだから」
「要らないって言ってるだろ。まあ、君が着てほしいって言うなら、着てやらなくもないけど」
そう言うと、彼は服を畳んだ。綺麗に折り目を付けると、不織布の袋に戻していく。
「気が向いた時でいいから、着てほしいな」
僕は言う。視線を向けると、ルチアーノは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
今日のプレゼントはこれだけだが、僕は、これからも彼に服を贈ろうと思っていた。真夏に長袖を着ている子供なんて異質だし、見ているこっちが暑くなるのだ。子供にこんな格好をさせて、虐待だと思われても困る。
あの後、インターネットで子供服を調べた僕は、新しい知識を得たのだ。インターネットには、子供服を販売するサイトがたくさんあって、凝ったデザインのものが購入できるのだ。中には、ルチアーノの普段着に近い西洋の貴族のようなデザインのものもあった。
ルチアーノは、僕の選んだ服が嫌ではないらしい。文句を言ったりはするけど、ちゃんと着てきてくれる。そこまでしてくれるなら、こっちにも選びがいがあると言うものだ。
次は、どんな服を贈ろうか。そう考えるだけで、僕の心は浮き足立つのだった。