女装「君に、渡したいものがあるんだ」
そう言うと、ルチアーノは紙袋を差し出した。受け取ると、中身はそこまで重くはなかった。わしゃわしゃとした音が聞こえる辺り、袋に入った服か何かだろう。
「どうしたの? 珍しいね」
そう言いながら、僕は紙袋の中身を覗いた。案の定、袋に入った布地が見える。それは、ただの服ではなさそうだった。
「開けてみなよ。きっとびっくりするぜ」
楽しそうに笑いながらルチアーノは言う。これは、何かを企んでる時の顔だ。そもそも、彼が何の目的もなくプレゼントを贈るはずがない。
僕は、中の袋を引っ張り出した。表面には、カラフルな印刷を施された厚紙が差し込まれている。そこに写っていたのは、セーラー服を着た成人男性の写真だった。
「なに、これ」
思わず、素で呟いてしまう。僕には、袋の中身が理解できなかったのだ。いや、理解はできているが、飲み込みたくなかったと言う方が正しい。目の前にあるものは、どう見てもパーティグッズのコスプレ衣装だったのだから。
「何って、見ての通りセーラー服だよ。君に似合うと思って、買ってきてやったんだ。ここで着てもいいんだぜ」
きひひと笑いながらルチアーノは言う。僕が包みを仕舞おうとすると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「なんで仕舞うんだよ。僕からのプレゼントなんだぞ? ありがたく受け取れよ」
「だって、恥ずかしいから」
そう言うと、ルチアーノはにやりと意地悪な笑みを浮かべた。いいネタを見つけたとでも言うような態度で、此れ見よがしに僕に近づく。
「ふーん。つまり君は、今まで僕に辱しめを受けさせてきたってわけか」
ルチアーノは言う。その言葉にずっしりとした重みを感じて、僕は思わず息を飲んだ。
「そうじゃないよ。僕は、ルチアーノに似合うと思ったから女の子の服を買ってきただけで、辱しめなんて考えて無かったよ」
慌てて弁解するが、彼はにやにやしながら距離を詰めてくる。至近距離で見つめられて、心臓がドクドクと鳴った。
「今さら言い訳したって無駄だよ。君は、僕の恥ずかしがる姿を見るために女の子格好をさせたんだろ。だったら、僕にも君を女装させる権利があるよな」
笑みを浮かべてはいるが、語調には有無を言わせぬ凄みが満ちている。どこにも逃げ場はなかった。
「どうしても、着ないとダメ……?」
「ダメだよ。これは、僕からの『お願い』だからね。約束しただろ。なんでも聞いてくれるって」
そんなことを言われたら、聞き入れるしかない。僕は、彼との賭けに負けたのだ。勝者との約束を破ったとなったら、僕の決闘者としての格が落ちてしまう。
「分かったよ。着てくるから、ちょっと待ってて」
そう言うと、僕は袋を抱えて部屋を出た。自分の部屋に入ると、服を脱いでベッドの上に置く。セーラー服の上衣を着ると、スカートに足を通した。
スカートは、足元がスースーしていて変な気分がした。確かに涼しいが、防護衣としては心もとない感じがする。こんなぶかぶかな服では、しゃがんだ時に下着が見えてしまう。
変に意識をしてしまって、上手く歩けなかった。えっちらおっちらリビングに入る僕を見て、ルチアーノはおかしそうに笑った。
「なんだよ、その歩き方。もっと普通に歩けよ」
「普通になんて歩けないんだよ。下がスースーしてて変な感じがするんだ」
「そりゃあ、スカートだからな。もしかして、履いたこと無かったのか?」
こくりと頷くと、彼はケラケラと笑った。面白いものを見るような目で僕を見る。
「女装したことないとか、本当に男子学生だったのかよ。男は女装するものだろ?」
なんだか、偏った知識だった。いったいどこでそんなことを覚えてくるのだろう。
「あのね、普通は女装なんてしないんだよ」
反論するが、彼は少しも聞いていないようだった。僕の腕を引っ張ると、強引にソファに座らせる。
「いいから、ここに座れよ。もっと可愛くしてやる」
そう言うと、彼は布製の袋をひっくり返した。がらがらと音を立てて、中に入っていたものが零れ落ちる。床に散らばったのは、色とりどりの化粧品だった。
「何するつもりなの?」
困惑する僕を横目に、彼は化粧品を手に取った。楽しそうな笑い声を上げながら、何かのチューブを捻る。
「目を瞑って、じっとしてろよ」
そう言うと、顔に何かを塗りたくられた。思わず声が出てしまうが、身体を押さえ込まれてしまって動けない。彼は次から次へと何かを塗りたくる。僕は、なすがままになることしかできなかった。
しばらくすると、ルチアーノは手を止めた。手を離して、僕を解放してくれる。大きく息を付きながら、僕は目を開いた。
「ほら、できたぜ。見てみな」
差し出された鏡を見て、僕は絶句した。そこには、明らかに僕ではない誰かの顔があったのだ。コモンドールと称される髪はウィッグによって押さえられ、顔には、女の子に見せるためのメイクが施されている。鏡の中に映る人物が、僕自身だとは思えなかった。
「誰……?」
呟くと、ルチアーノはケラケラと笑った。僕の反応が面白いらしく、ずっと笑ってばかりいるのだ。苦しそうに息を付くと、笑みを含んだまま言った。
「誰って、君に決まってるだろ。変なやつ」
ひとしきり笑うと、ルチアーノは端末を取り出した。呆然としている僕を前に、ぱしゃぱしゃと写真を撮る。動かない僕を撮ることに飽きると、今度は指示を出しながら撮り始めた。ルチアーノの気が済むまで、何枚も何枚も写真を撮られる。これは黒歴史になるだろうなと、頭の隅で思った。
「せっかくだからさ、このまま外に行こうぜ」
散々写真を撮ると、彼はそんなことを言い出した。びっくりして、息が止まりそうになってしまう。両手を目の前で振りながら、僕は拒絶の意思を伝えた。
「こんな格好で外に出たら、不審者だって思われて通報されちゃうよ」
必死に言葉を並べて、なんとか彼の魔の手から逃れようとする。僕だって、犯罪者のレッテルを貼られるのは嫌なのだ。しかし、ルチアーノは少しも譲らない。意地悪な笑みを浮かべると、脅すような声で言う。
「へぇー。君は約束を破るようなやつなんだ。不動遊星に話したら、軽蔑されちゃうかもしれないね」
「…………分かったよ」
結局、折れたのは僕の方だった。こうでもしないと、ルチアーノは執拗に僕を追い詰めるのだ。逃れるには、うんと答えるしかなかった。
「じゃあこのタイツを履いてくれないかい? 君の生足は汚いからね」
しれっと失礼なことを言いながら、黒いタイツを押し付ける。締め付けの強い生地に苦戦しながらも、なんとか腰まで引っ張り上げた。
「履いたよ」
「じゃあ、行こうか」
そう言うと、彼はしっかりと僕の手を掴んだ。ルチアーノから手を握られたことにびっくりするが、よく考えると、逃げられないように拘束しているだけかもしれない。
玄関には、僕に履かせるための靴まで用意されていた。女の子が履くには大きめの茶色のローファーは、僕の足にぴったりのサイズだった。足を押し込むと、固い感触が伝わってくる。
玄関の外に出ると、心臓がどくんと鳴った。緊張で身体を強ばらせながら、ネオドミノシティを歩いていく。僕の必死なお願いで、散歩ルートは人通りの少ない田舎道に決まった。
人通りが少ないと言っても、通りを行く人影はゼロではない。誰かとすれ違う度に、じろじろと見られているのではないかと思ってドギマギしてしまう。身体を強ばらせて歩く僕を見て、ルチアーノはきひひと笑った。
「何緊張してるんだよ。もっと普通に歩かないと、不審者みたいだぜ」
「しょうがないでしょ。こんな格好で外に出るなんて初めてなんだから」
小声で答えると、人の視線を避けるようにルチアーノの影へと隠れる。心臓がドクドクと音を立てて、羞恥に身体が暑くなる。女装した状態で幼い男の子に手を引かれて歩いているなんて、まるで何かのプレイみたいだ。そんなことを考えて、少しだけ興奮してしまう。
ルチアーノとの散歩は、永遠とすら思えるほどに長く感じた。実際は二十分くらいなのだが、何時間も歩いていたように感じたくらいだ。家に帰る頃には、へとへとになってしまっていた。
「疲れた……」
玄関に座り込むと、開口一番にそう呟く。大きく息をついた僕を見て、ルチアーノはケラケラと笑った。
「これで分かったかい。君のお願いで、僕がどんな気持ちになってるか」
そうだ。今までしてきたことは、普段から僕がルチアーノに求めていることなのだ。自分のしていることが、こんなにも恥ずかしいことだとは思わなかった。
「よく分かったよ。恥ずかしいってことが」
僕は答える。少しだけ興奮したことは、秘密にしておこうと思った。