アフタヌーンティー 世の中には、男一人では入りづらい店がある。雑貨屋やおしゃれな喫茶店、女性向けの映画を上映する映画館などがそうだ。そこでは、男はスープの中の虫のように浮いてしまい、冷たい視線にさらされることになる。
そのチラシを見た時、僕は唸り声をあげてしまった。そこには、色とりどりのスイーツの写真と共に『巨峰とシャインマスカットのアフタヌーンティー』の文字が並んでいる。開催地はシティ繁華街に建つおしゃれなホテルで、インターネットで調べると女性と思わしきアカウントの投稿ばかりがヒットした。
僕は頭を抱えた。チラシに映るスイーツはどれも綺麗で、美味しそうなものばかりだ。紅茶も有名なものばかりで、スイーツによく合うのだろう。甘いもの好きな僕にとって、それは何よりも魅力的だったのだ。
アフタヌーンティーは、女性に人気な文化である。会場にいるお客さんも、ほとんど女性ばかりだろう。男の僕が行ったら、浮いてしまうのは確実だった。
仕方ない。これは諦めるしかないだろう。そう思ってチラシを折り曲げた時、ふわりと空間が歪んだ。
「ただいま。今日も面倒なことに巻き込まれてさ。寂しがったりしてなかったかい?」
声と共に、光の中からルチアーノが現れる。長い髪がさらりと揺れ、被った布の隙間から、少女のような顔がちらりと見えた。
その姿を見て、僕はあることを閃いた。男の僕でも、回りからの視線を集めずにアフタヌーンティーを食べる方法があるのだ。
「おかえり、ルチアーノ。突然で悪いんだけど、今度の木曜日って空いてない?」
尋ねると、ルチアーノは怪訝そうに眉を潜めた。訝しげに僕を見て、冷めた声で言う。
「なんだよ。変なことでも企んでるのか?」
鋭い言葉だった。少しだけ言葉に詰まってしまう。
「別に、変なことは考えてないよ。ただ、ルチアーノについてきてほしいところがあるんだ」
僕が言うと、彼は目を細めて僕を見た。顔を目前まで近づけられて、心臓がドクドクしてしまう。
しばらく僕を見ると、彼はゆっくり顔を離した。訝しむような顔のまま、気の無い返事をする。
「まあ、いいか。ついていってやるよ。どうせ暇だからな」
「ありがとう。約束だよ」
そう言うと、彼は訝しげに眉をしかめた。疑うような目で僕を見ると、冷たい声で言う。
「やっぱり、変なこと企んでるだろ」
「それは、秘密だよ」
僕は答えた。ここで計画を話してしまったら、彼は絶対についてきてくれない。僕の作戦のためには、秘密にしておかなくてはいけなかったのだ。
「ねぇ、ルチアーノ、明日のことなんだけど」
声をかけると、ルチアーノはちらりと僕を見た。再びテレビに視線を向けて、気の無い返事を返す。
「なんだよ。別に、忘れてるわけじゃないぞ。明日は、君の用事についていくんだろ」
「そうなんだけど、ひとつだけ、お願いがあるんだ」
そう。今日は水曜日だ。明日には、強引に約束を取り付けたXデーがやって来る。僕の計画を完遂するために、ルチアーノに伝えなくてはいけないことがあったのだ。
「なんだよ」
「明日は、女の子の服を着てきてほしい」
そう言うと、彼はあからさまに嫌そうな顔をした。眉間に太い皺を寄せて、冷たい声で言う。
「なんだよ。やっぱり変なこと考えてるじゃないか。僕にそんな格好をさせて、どういうつもりだい?」
「明日になれば分かるよ。とにかく、明日は女の子の服を来てきてほしいんだ」
理由をはぐらかすと、彼は余計に怪しんだようだった。蔑むような冷たい目線を送ると、冷えきった声を投げ掛ける。
「分かったよ。…………変なことさせたら、ぶっ潰すからな」
渋々といった様子だが、なんとか聞き入れてくれた。これまでの経験で、僕が一度言ったら引かないと学習したのだろう。彼が折れてくれるようになったことに嬉しさを感じながらも、少しだけ申し訳なさを感じてしまう。
翌日になると、ルチアーノは女の子の格好で僕の前に現れた。実を言うと、ばっくれられてしまうのではないかと心配だったのだが、彼はちゃんと約束通りの格好で来てくれた。いや、僕の予想よりも上を行くくらいだ。身を包んでいる服は以前に僕がプレゼントしたワンピースだったし、靴も女の子らしいリボンのついたパンプスを履いてる。一番豪華なのはヘアスタイルで、いつもは後ろでまとめてるだけの髪の毛を、今日はくるくると内側で巻いている。女の子らしい格好も相まって、まるでお嬢様のようだった。
驚きのあまりに言葉を告げられずにいると、彼は眉に皺を寄せた。冷たい瞳で僕を見る。
「なんだよ」
「いや、ちゃんと着て来てくれたんだなって思って」
そう言うと、彼は不快そうに鼻を鳴らした。僕の言葉が気に入らなかったようだ
「君が着てこいって言ったんだろ。今さら何言ってるんだよ」
それはそうなのだけど、彼の装いは予想外だったのだ。言葉にすると怒られるから、黙っておくことにする。
「じゃあ、行こうか」
そう言うと、僕はルチアーノの手を取った。ワープを使えば一瞬なのだけど、あえて徒歩で向かうことにする。彼には、行き先を伝えたくなかったのだ。
「どこに連れていく気だよ。変なところじゃないだろうな」
文句を言いながらも、彼は大人しく付いてきてくれた。公共交通機関を乗り継いで町まで出ると、噴水広場を抜けて大通りへと向かう。辿り着いたのは、繁華街の片隅に建つ高級ホテルだ。大きな門の上に、金色の文字で書かれたホテル名がキラキラと輝いている。
「ホテル? 君、本当に何を考えてるんだよ」
隣から、ルチアーノの冷たい視線を感じた。何かを勘違いされているらしい。日頃の行いのせいだ。
「違うって。こっちだよ」
手を引くと、レストランの入り口へと回り込んだ。正門よりも小さな門の上に『restaurant』の文字が刻まれている。いかにもな建物だった。
レストランに入ると、受付の女性に予約した旨を伝えた。女性はにこりと微笑んで僕たちを案内する。彼女には、僕たちが兄妹か歳の差カップルに見えているのだろう。
「こちらです」
高級ホテルの座席は、ふわふわのソファだった。二人掛けのソファに、二人で並んで身体を埋める。体重がかかり、お尻がクッションの中に沈んだ。
「一体、何を予約したんだよ」
女性が離れると、ルチアーノが僕に耳を寄せた。ひそひそ声で話しかける。
「アフタヌーンティーだよ。今は、ぶどうとシャインマスカットのスイーツなんだって」
僕が言うと、彼は呆れたように笑った。にやにやとした視線で僕を見て、からかうように言う。
「もしかして、一人で食べるのが嫌だったから僕を呼んだのかよ。どれだけ寂しがりなんだか」
「違うよ。男一人だと浮いちゃうから、ルチアーノに来てもらったんだよ」
「どっちでも同じことだろ。一人が嫌だったってことなんだから」
ケラケラと笑いながら、ルチアーノは机の上に視線を向けた。そこには、アフタヌーンティーの写真と共に、スイーツの詳細を記したボードが置かれている。雑な仕草で手を伸ばすと、ボードに書かれた文字を読み上げた。
「巨峰とシャインマスカットのタルト、シャインマスカットのムース、巨峰ジャムを添えたスコーン、巨峰の琥珀糖……。何もかもがぶどうばっかりだな。別にここまでこだわらなくていいだろ」
「ぶどうのアフタヌーンティーだからね。紅茶もぶどうに合うものが選ばれてるんだよ」
話をしていると、女性がアフタヌーンティーを運んできた。インターネットでよく見るティースタンドに、色とりどりのスイーツが並べられている。下の段はスコーンとサンドイッチで、上の二段が甘い食べ物だった。
スイーツが運ばれると、今度は紅茶を運んできてくれる。一杯目の紅茶をティーカップに注ぐと、僕は両手を合わせた。
「いただきます!」
「…………いただきます」
隣で、ルチアーノが同じように手を合わせる。お嬢様のような外見と、渋々手を合わせる態度のちぐはぐさが、なんだかおもしろかった。
アフタヌーンティーは、下から食べるのが作法らしい。カトラリーを手に取ると、僕はサンドイッチに手を伸ばした。恐る恐る皿の上に取り分けると、ナイフで切りながら食べ始めた。
「なんでナイフで切ってるんだよ。サンドイッチなんだから、手で食べればいいだろ」
隣からルチアーノの声がする。視線を向けると、彼は優雅にサンドイッチを口に運んでいた。服装のせいなのか、手で持っているのに下品な感じがしない。
「ルチアーノって、いつも優雅だよね」
感心しながら言うと、彼は不可解そうな顔をした。サンドイッチの欠片を口に押し込むと、ごくんと飲み込んでから言葉を発する。
「なんだよ、それ。褒め言葉のつもりか?」
「一応」
真似をしてみるが、僕には彼のような優雅な食べ方はできなかった。パンの欠片がポロポロと零れ、着ている服を汚してしまう。仕方ないから、諦めて普通に食べることにした。
パンを食べ終えたら、いよいよスイーツだ。タルトをお皿の上に乗せると、二つに切り分けて口に放り込む。ほんのりぶどうの味がするクリームと、サクサクの生地が口の中で混ざって、優しい甘さが広がった。紅茶を一口飲み、隣のムースに手を伸ばす。口に運ぶと、泡のように柔らかな感触が広がった。
「これ、おいしいね」
そう言って隣を見ると、ルチアーノはタルトをつついていた。一口食べては紅茶を口に含み、甘さを打ち消すように食べている。上のクリームを口に入れると、眉間に大きな皺を寄せた。
「そうか? 甘ったるいだけだろ? こんなののどこがいいんだよ」
彼には、アフタヌーンティーのスイーツは甘すぎたようだった。紅茶を胃に流し込みながら、少しずつスイーツを食べている。僕が食べ終わる頃にも、三分の一ほどが残っていた。ウェイトレスの女性を呼びつけると、ティーポットを差し出してこう言った。
「紅茶のおかわりをください」
二杯目の紅茶を飲みながら、なんとか完食してくれた。カトラリーを置くと、呆れたような声で言う。
「よくこんなの食べられるよな。下からなんて言わずに、サンドイッチを残しておけばよかったぜ」
「でも、おいしかったでしょ?」
僕が言うと、ルチアーノは生意気な笑顔を見せる。ちらりとカウンターに視線を向けると、含み笑いを込めて言った。
「まあ、及第点くらいはやってもいいかな。店の質は悪くないよ」
生意気だなぁと思いつつも、彼の立場を思い出して、仕方ないことだと思い直す。彼は、政治的組織のトップとして政治家との取引をしてきたのだ。舌が肥えててもおかしくはなかった。
二人分のアフタヌーンティーは、八千円近くかかった。さすがは高級ホテルだ。分かっていたけれど、少しびっくりしてしまう。敷地内から出ると、ルチアーノに声をかけた。
「さすがに、このお値段だとそんなに来れないね。次は半年後くらいかな」
「僕は、もう一年は食べたくないけどね」
ルチアーノは気の無い返事をする。それって、一年後なら誘ってもいいということだろうか。そう思ったが、口には出さないでおく。
僕はルチアーノの手を取った。もう慣れてしまったのか、振りほどかずに受け入れてくれる。そのまま、暖かな日差しが射し込む通りを歩いていく。繁華街を抜けたところで、不意にルチアーノが言葉を発した。
「次にスイーツを食べたくなったら、龍可を誘ってやれよ。あいつなら喜んで食べるさ」
確かに、龍可なら一緒に来てくれそうだ。彼女も甘いものが好きだし、僕と一緒にアフタヌーンティーに行ってもおかしくはないだろう。候補としては最適だった。
「ルチアーノは気にならないの? 僕が龍可と一緒に出掛けてたら、浮気みたいで嫌じゃない?」
「別に、それくらい気にしないよ。僕は心が広いんだ」
そうは言っているけど、彼は少しも目を合わせてこなかった。本心では抵抗があるのに、気にしてない振りをしているのだ。
「やっぱり、僕はルチアーノと一緒がいいよ。恋人同士なんだから、できるだけ一緒にいたいんだ」
そう言うと、彼はからかうような笑い声を上げた。にやにやした顔で僕を見ると、子供をあやすような声で言う。
「君は、本当に寂しがり屋だな。分かったよ。好きにしな」
上から目線な発言がかわいらしくて、思わず笑みを溢してしまった。ルチアーノが怪訝そうに僕を見上げる。
「何にやにやしてるんだよ。気持ち悪いな」
「ルチアーノはかわいいなって思って」
そう言うと、彼はあからさまに嫌な顔をした。その姿が愛おしくて、僕はそっと彼の身体を引き寄せた。