TF主ゆや 始まり「ちょっとだけ、一緒に来てくれるかな?」
午前の仕事が終わり、荷物を片付けると、その青年は遊矢の耳元で囁いた。
「いいけど、どうかしたのか?」
遊矢は答える。彼にとって、仲間から声をかけられることは日常茶飯事だ。彼はランサーズの主要メンバーであり、ペンデュラムを産み出した存在だ。赤馬零児が姿を見せない時には、事実上のリーダーとして振る舞うこともあった。
「ちょっと、伝えたいことがあって。……人には聞かれたくないことだから、二人だけで話したいんだ」
困ったような、戸惑っているような声色で、青年は言葉を紡いだ。キョロキョロと周囲を見渡して、誰も見ていないことを確かめると、遊矢の手を取って外へと向かう。
建物の外は、荒廃した街並みが広がっていた。周囲の建物はほとんどが崩れ、原形を失った瓦礫の山が、いくつにも積み重なって進路を塞いでいる。舗装されていたはずの道路は、ひび割れたり穿たれたりしていて、まともに歩くことすら困難だ。いくつかある無事だった建物からは、仄かな灯りが溢れていた。
ここは、エクシーズ次元のハートランドだった。かつては未来都市として栄えていたはずのこの街は、彼らが足を踏み入れた時には、このような地獄絵図に染まっていた。融合次元に拠点を置く、デュエルアカデミアという組織の攻撃を受けて、この街は平和を奪われてしまったのだ。
酷すぎる街の状況に、遊矢は視線を下へと向けた。先を歩く青年も、辛そうにその街並みを眺めている。道無き道を進み、レジスタンスの避難所から離れると、ようやく青年は歩みを止めた。
「ごめんね。こんなところまで連れてきちゃって」
真っ直ぐに遊矢を見つめながら、青年は改まった様子で言う。彼がこんな態度を取ることは珍しい。重要な話ではないかと思った。
「気にしてないよ。それより、話ってなんだ?」
先を急かすと、青年は少しだけ口ごもった。僅かにもじもじと身体を動かした後に、消え入りそうに小さな声で口を開く。
「あの、急にこんなことを言われても困ると思うんだけど、どうしても聞いてほしくて…………」
青年は、そこで再び言葉を切った。緊張に満ちた態度に、遊矢までもが身構えてしまう。ここまでいい淀んでいるのだから、相当悪いことなのかもしれない。状況が状況だから、どんどん悪い方に考えてしまう。
青年は大きく深呼吸をすると、ようやく重い口を開いた。
「僕は、遊矢のことが好きなんだ」
「へ?」
予想もしなかった言葉に、遊矢は気の抜けた声を返してしまう。彼の口から発せられた言葉が、何を意味しているのかが分からなかったのだ。
「その、遊矢のことが、好きなんだ……」
聞こえてないと思ったのか、青年は再び言葉を吐いた。同じ言葉を繰り返されて、ようやく単語の意味を理解する。しかし、相手の真意を理解するには、それだけでは足りなかった。その単語には、無数のニュアンスが含まれるのだ。
「その『好き』って、恋愛の好きってこと……?」
恐る恐る問いかけると、青年は恥ずかしそうに頷いた。視線を合わせられないのか、顔は下に向けられていて、頬はほんのりと赤色に染まっている。まごうことなき肯定だった。
「えぇっ!?」
遊矢の脳内に、これまでの青年とのやり取りが蘇る。出会った日のことや、塾での出来事、バトルロワイヤルで共に戦った時のことだ。ランサーズが結成されてからは、共にシンクロ次元に向かい、フレンドシップカップに出場した。その間、彼は仲間として行動を共にしていたが、そんな素振りは少しも見せなかったのだ。
「君が好きだ。ずっと、君のことを見てた。笑っている姿も、泣きそうな声も、悩んでいる姿も、全てが綺麗で、好きなんだ」
青年は言葉を続ける。その声は真剣そのもので、少しだけ震えていた。
「本当は、こんなこというつもり無かったんだ。もうすぐ最後の戦いになるのに、こんなことを言ったら気持ちを乱しちゃうから。遊矢には、もっと心配しないといけないことがあるのに」
青年の言葉を、遊矢は黙って聞いていた。黙っていたかったわけではない。驚きと混乱で、返す言葉が見つからなかったのだ。彼にとって、青年は同性の友達であり、気のおけない仲間だった。そんな相手に愛の告白をされて、すぐに答えられる者などいないだろう。
青年は、恥ずかしそうに彼の顔を見た。赤く染まった頬と、緊張に強ばった顔が、白日の元に晒される。彼が、どれ程の決意で告白をしたのか分からないほど、遊矢は愚かではなかった。
「でも、どうしても言いたかったんだ。アカデミアに行ったら、また離れ離れになっちゃうかもしれないから。離れ離れになって、もう、二度と会えなくなるかもしれなかったから」
その言葉を聞いて、遊矢はハートランドで再会したときの彼の様子を思い出した。目の前の青年は、彼を視界に留めるや否や、渾身の力で抱き締めて来たのだ。権現坂のような暑苦しさで彼を抱擁すると、青年は泣きそうな声でこういった。
「良かった……! もう、会えないかと思った……!」
思えば、あの時にはもう想われていたのだろう。あの抱擁も、泣きそうな表情や声も、仲間に向けたものではなかったのだ。彼は、想い人への愛情表現として、彼の身体に触れ、涙を流したのだ。
まるで、彼が柊柚子との再会を喜んだ時のように。
「僕は、遊矢が好きだよ。…………もし、嫌じゃなかったら、付き合ってほしい」
青年は言う。死と退廃の気配で満たされたハートランドの片隅に、彼の声ははっきりと響いた。
遊矢は、困ったように視線を伏せた。彼の心の中は、柊柚子を取り戻すことで埋め尽くされている。離れ離れになった柚子を探し、この戦争を終わらせ、共に家に帰る。それが、彼の目的だった。彼女は大切な幼馴染みで、小さな頃から彼を支えてくれた存在である。一緒にいられないと不安になるくらいには、彼女のことを必要に思っていた。
でも、その感情が恋愛であるかと問われると、彼は答えに困ってしまう。彼女のことを大切に思っているのは確かだが、手に入れたいと思っているわけではなかったのだ。自分でも、その気持ちに答えは出せなかった。
しばらく考えた後、彼は顔を上げた。不安そうな顔をする青年を見ると、迷いながらも口を開く。
「少し、考える時間をくれないか。この戦いが終わるまでは、他のことなんて考えられないから」
返事を聞くと、青年は安心したように微笑んだ。状況が状況なのだ。このまま絶縁される可能性を考えていたのだろう。そこまでの決意を掲げて、想いを告げてくれた青年を、邪険に扱うことなどできなかった。
「分かった。……答えをもらうまでは、仲間のままでいてね」
青年は言う。そこには、別れを決意しているようなもの悲しさがあった。この青年はは、振られる前提で想いを告げたのだろうかと、遊矢は心の隅で思った。
●
校門の外に出ると、青年が待ち構えていた。遊矢の姿を捉えると、片手を上げて会釈する。青年の隣に駆け寄ると、慌てた様子で声をかけた。
「ごめん。待った?」
「全然。今来たところだよ」
短い会話を終えると、彼らは街の中心部へと歩み出す。目的地は街の中心部に位置する、LEOコーポレーションの上階だ。ランサーズが結成された日に、彼らが集められた部屋である。
次元戦争が終息を迎えてから、もうすぐひと月が経過しようとしている。四つに別れていた次元はひとつの星へと統合され、それぞれの次元に位置していた街は、各地で復興を進めていた。カードにされていた人間たちも解放され、人々は今までと変わらない生活を始めたところだった。
そんな中、ランサーズのメンバーに赤馬零児からの召集があったのだ。指定の日時に、指定の場所に集まるようにとだけ告げると、零児は青年の前から立ち去った。肝心の内容については、一切触れられないままだった。
「召集がかかるなんて、どんな用事なんだろうな。悪いことじゃないといいけど……」
淡々と歩を進めながら、遊矢は不安そうに言葉を発する。そんな彼に、青年が優しい声をかけた。
「重要なことならその場で伝えられてるだろうし、そこまで気にしなくていいと思うよ」
ビルの前に辿り着くと、二人は一度足を止めた。街を見下ろすほどに大きなビルを、首を後ろへ曲げて見上げる。正面から室内に入ると、受付で目的を告げた。
案内された裏道を通って、エレベーターに乗り込む。気が遠くなるほどの階を見送って、ようやく指定された部屋に辿り着いた。
他のメンバーは、既に集まっていた。部屋に入ってきた二人の姿を見て、思い思いに会釈をする。
「久しぶりだね、遊矢、○○○」
メンバーの中の一人、アカデミアの制服を着た少年が、遊矢に声をかけた。にこりと甘い微笑みを浮かべ、彼に対してウインクをする。
「デニス! 元気にしてたか?」
遊矢が、嬉しそうに彼に駆け寄った。
「お陰さまでね」
デニスの隣には、黒いコートに身を包んだ青年の姿もあった。彼はちらりと遊矢に視線を向けると、僅かに表情を緩める。
「久しぶりだな。遊矢…………それから、ユートも」
彼の口から零れた人名に、遊矢が少しだけ顔を曇らせた。視線を下に向けると、弱々しい声で言葉を返す。
「黒咲、ユートは、まだ……」
「案ずるな。ユートは、まだ生きている。生きている限り、また会える。そう言ったのはお前だろう」
黒咲の言葉に、遊矢は再び顔を上げる。普段と同じ笑顔に戻ると、力強い声で答えた。
「そうだな。きっと会える」
話を終えた二人は、青年へと顔を向けた。年齢は少し上だが、彼もランサーズのメンバーだ。いくつか言葉を交わし、近況を伝え合う。会話の中で、不意にデニスが言った。
「そういえば、この前、アカデミアに柚子ちゃんが来てたみたいだよ。素良と一緒に、融合の勉強をしてたらしいんだ」
「柚子が?」
答えたのは遊矢だ。プロテストに合格して以来、彼は手続きで忙しくしている。柚子と行動する機会も少なくなっていたのだ。
「でも、おかしくはないよね。柚子は、セレナの友達だったから」
彼らの会話を聞いて、青年が言葉を発する。話題が逸れそうになっていたところで、沢渡が口を開いた。
「柚子と素良って、よく一緒にいるよな。もしかして、付き合ってたりして」
その一言で、周囲に妙な緊張感が漂った。誰もが息を飲んで、次の言葉が発せられるのを待つ。唯一、黒咲だけが、そんな彼らを冷たい目で見ていた。
「確かに、あり得るかもね。毎日のように一緒にいるんだから」
デニスの言葉で、少年たちは会話を再開する。飛び交う会話を聞いて、権現坂が顔を顰めた。
「不純異性交友など、けしからん」
「権ちゃん、そういうのじゃないと思うよ」
青年に突っ込まれ、彼は大人しく口を閉じる。そのまま、彼らは傍観に回ることにした。
「なあ、遊矢はどう思うんだ?」
「へ?」
唐突に話が飛んできて、遊矢は驚いた顔をした。ただの与太話だと思って、まともに聞いていなかったのだ。ポカンとする彼を見て、沢渡が続けた。
「お前は、柚子と幼馴染なんだろ? 何か聞いてないのかよ」
「そんなこと言われても……」
困った顔をして、遊矢は言葉を探す。彼にとって、それは触れられたくない話題だったのだ。
彼が口を開こうとしたところで、部屋の扉が開いた。赤馬零児が、月影を携えて部屋へと入ってくる。腕の中には、零羅が抱かれていた。
「これより、ランサーズの定例会議を始める」
零児の一言で、騒いでいた少年たちが一気に静かになる。会話は中断されたまま、ランサーズの会議が始まった。
建物を出ると、遊矢は青年と別れた。薄暗くなった街の中を、一人で帰路へと歩いていく。家に帰る前に、遊勝塾に寄ろうと思ったのだ。
ランサーズの会議は、次元戦争の後始末についての通達だった。戦争の終結に協力したとして、ランサーズが表彰されること。戦争によって壊滅した街の復興に、ランサーズのメンバーが協力すること。そんな事務的な報告の後に、零羅の現状が語られた。
零羅は、今も赤ん坊のままだ。無垢な笑顔を浮かべた零羅は、遊矢に頭を撫でられるとにこにこと笑った。それは、ズァークの魂が消えたことの証明であり、零羅の姿が戻らないことの証明でもあったのだ。赤ん坊の姿をした零羅を見るたびに、遊矢の胸は罪の意識で締め付けられた。
塾へと辿り着くと、遊矢は静かに室内に入った。仲間たちは、今日も楽しそうにデュエルを観戦している。デュエルルームにいるのは、柚子と素良の二人だった。
「遊矢お兄ちゃん! お帰り!」
「今、柚子お姉ちゃんがデュエルしてるよ!」
彼の姿に気がつくと、仲間立ちは口々に声をかけた。腕を引っ張られ、強引に窓の前へと引きずられる。ガラスの向こうでは。柚子が融合召喚の練習をしていた。
「私の特訓の成果を見せてあげるわ! 融合召喚!」
柚子が、両手を合わせて融合召喚のポーズを取る。エクストラデッキから現れたモンスターが、彼女のフィールドに舞い踊った。素良が感心したようにその様子を眺める。楽しそうに笑い合いながら、二人はデュエルを続けていた。
──柚子と素良って、よく一緒にいるよな。もしかして、付き合ってたりして
その言葉が、不意に遊矢の脳内に蘇った。心臓が止まりそうなほどの痛みが、彼の身体を貫く。考えたくもなかったことを、一瞬だけ考えてしまった。
遊矢は、仲間たちに背を向けた。遊勝塾の建物を飛び出すと、全速力で目的の家を目指す。決意が変わらないうちに、相手と話をしたかった。
息を切らしながらやってきた遊矢を見て、青年は驚きの表情を浮かべた。遊矢を部屋の中へと上げると、冷たいジュースを出してくれる。一息に飲み干すと、大きく息を吐いた。
「話があるんだ」
そう言うと、青年は少しだけ身構えた。告白を受けたときとは正反対のシチュエーションに気がついて、遊矢も少し緊張が解けた。目の前の青年を見つめると、はっきりとした声で言う。
「告白の返事をさせてほしい」
青年が、息を飲むのが分かった。彼にとって、この日は待ち望んでいた日であり、迎えたくなかった日でもあるのだろう。次元戦争が終わっても、一度も催促をしなかったのは、答えを聞くことが怖かったからなのだ。遊矢が告白を断ったとき、この関係は終わるのだから。
青年は、静かに答えを待っていた。僅かに視線を逸らして、遊矢と視線が合わないようにしている。だからこそ、遊矢は真っ直ぐに青年の顔を見つめた。
「オレは、お前の気持ちを受け入れることにしたよ。恋人として、付き合おう」
答えを聞いて、青年が静かに顔を上げた。真っ黒な瞳が、静かに遊矢へと注がれる。真っ直ぐにその瞳を受け止めながら、遊矢は相手の言葉を待った。
「本当、なの? 」
問いかける青年の声は、不安そうに震えていた。返事を確かめるように、そっと遊矢の様子を窺う。その小動物のような瞳に笑いかけながら、遊矢は言葉を返した。
「本気だよ。オレは嘘なんて吐かない」
青年が、安心したように息を吐いた。泣きそうな笑顔で遊矢を見ると、席を立って手を取った。青年の手のひらは、遊矢よりも少しだけ大きかった。
「改めて、よろしくね」
「ああ、よろしく」
嬉しそうな青年とは裏腹に、遊矢の胸はじりじりと痛みを感じていた。悲しみを訴える心を押さえ付けて、目の前の青年に笑いかける。これでいいんだと、何度も自分へと言い聞かせた。
遊矢は、柊柚子を大切に思っている。彼女は彼の幼馴染であり、幼い頃から支えてくれた大切な人だ。彼女のいない人生なんて信じられなかったし、周りから冷やかされるくらいには距離が近いことを、当たり前だと思っていた。
しかし、彼はその感情を信じられなくなってしまったのだ。融合次元のアカデミアで、ズァークとレイの話を聞いたからである。ズァークは自らの意志で榊遊矢として転生し、レイも自らの意思で柊柚子に転生した。彼らが共に育ったのは、前世からの宿命によるものだったのだ。
その時、彼は疑ってしまった。自分が柚子を愛しているのは、本当に自分の意思なのだろうか。ズァークであった自分の魂が、レイを求めているだけなのではないだろうか。だとしたら、それはズァークとしての宿命に、柚子を巻き込むことになる。そんなことは、彼自身が許せなかった。
だから、遊矢は青年の告白を受け入れたのだ。彼の手を取り、共に人生を歩むことを選んだ。柊柚子の人生が、レイの使命から逃れられるように。
青年は、嬉しそうに笑顔を浮かべている。この男が自分の恋人になるなんて、まだ少しも実感が湧かない。同性と付き合うことになるなんて、少し前までは考えもしなかったのだ。
どうか、誰も気づかないでいてほしい。これが逃げだとは思わないでほしい。いつかこの選択が、きっと笑顔に繋がるから。青年の笑顔を見つめながら、彼は心の奥底で願った。