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    zuho

    (@zuhoma1 )自分用かべうち

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    zuho

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    ##ズ~ル

    トウ虎/初ちゅ〜👅昨日までの曇天が嘘みたいに晴れやかな空。雨の跡が残るアスファルトの上に立ちながら、トウマは朝日のまぶしさに目を細めた。
    本当はもっと太陽が隠れきっている時間に部屋を出て、早朝特有の灰色の空だとか澄んだ空気だとか、それらを浴びつつ身体から眠気を追い払うつもりだった。その予定が叶わなかった理由、というか、言い訳として、今もトウマの部屋の寝室で眠っているだろう存在がある。
    昨夜、虎於がトウマの部屋に泊まった。そう、現在進行形で虎於はトウマのベッドを占領しているのだ。
    まあたまに、いや頻繁に、虎於とは互いの家を行き来していて、もはやひとり暮らしだと名乗っていいのかというくらい一人の時間が減っていた。つまり、理由なんて無くても一緒に過ごすようになっていた。
    いや、理由はまあ、ある。
    トウマは虎於と付き合っている。恋人、という意味で、恋愛的なお付き合いをしていた。関係の始まりは甘酸っぱくて、きっかけだってもどかしくて、大の大人の男がふたり、こんなにうだうだ悩んで赤面するのか、なんて我ながら呆れたものだった。けれど不思議と、呆れも恥ずかしさもむず痒さも全て心地が良いもので、それを虎於と共有していることを知って、知ったと同時に優越感を覚えてしまうのも事実だった。
    優越感といっても相手がいるわけではなく、言うなれば世界に対して、俺いま幸せ! ごめんな! と叫べてしまえそうな、ふわふわお気楽な気持ち。有頂天ってこういう気分のことなのかも、と思う日もあった。
    メンバーとの、友人とのお泊まり会が恋人との夜に変わってしまっては意識だって違ってくるわけで。空気なんてうんと甘くて、まだこう、辛うじて手こそ出ていないものの、手を絡めたり唇を啄んだり、まさに付き合いたてほやほや、みたいな夜が続いている。
    狭くはないが、虎於相手に立派だろうとは言えないソファに並んで座って、肩が触れるくらいに寄り添えば、きまって胸の奥から喉元までじわじわ何かが込み上げてきた。込み上げてくるそれがなんなのか、トウマにはその正体がいまいち掴めていないのだが、喉まで上り詰めてしまったのだから呑み込むのがもったいないなと思う時、または呑み込む余裕さえないような時、口からこぼれる言葉はいつも「好き」だった。
    好きかも、好きだ、可愛い。頭で考えて文字を作って口を動かす、その過程が間に合わないくらいぽろっと出ていく感情で、自分でも思いもよらないタイミングで音になってしまう事もある。それでも声になってから後悔なんて感じた事はなく、それどころかぽかんとする虎於を前にして、あ、俺もそう思う、と他ならぬ自分に賛同をして、また「好きだ」と繰り返してみたりする。
    最初こそ俺もだと返してくれていた虎於だが、トウマが一度に何度も言うので、近頃は分かった分かった、なんて頭に手を置いてくることがある。いい加減な反応しやがって、とムッとしたが、指触りのいい虎於の髪がさらりと揺れて、その下からほんのり赤く染った耳が現れてしまっては、トウマは緩む頬に従って口角を上げるしかなかった。
    昨夜も甘ったるい時間を過ごして、酒なんて飲んでいないのにほろ酔い気分の上機嫌で、互いの身体に腕をまわして眠りについた。
    そうなると当然、目覚めて最初に視界に飛び込んでくるのは虎於の顔だ。
    起き抜けにあの顔面を喰らって、最初は目も口も開けたまま固まってしまったものだった。過去形みたいに言ってみても、今朝だってちゃんと驚いた。長い睫毛やきれいに通った鼻筋とか、あまりの造形美に慣れる日なんてくるのか分からない。まじまじ見ても整ったパーツしかなくて、睫毛なんてシャーペンの芯とか乗っちゃうんだろうなとか、たいしてケアしている姿は見ないのに唇ぷるぷるじゃんとか、虎於の顔を見ているだけで時間潰せそう、と思う。
    まぶたにかかる前髪を寄せてやろうと指先を伸ばして触れた途端、虎於がうすく目を開けた。
    「……見すぎ」
    「おえっ、バレてた?」
    「なんとなく、視線が……」
    言いながら、虎於はまた瞼を下ろす。
    「走るの?」
    「あ、あー、うん。行ってくる」
    「ふうん……」
    でかい欠伸をするでも思い切り手足を伸ばすでもなく、虎於はふたたび身体を丸めた。なんていうか、上品だった。眠るだけなのに。
    その手がまだトウマの体温の残る場所をさすって、捲りあげていた毛布を掴み取る。いよいよひとりで寝直そうとするその様子に、もう少しだけ居ようかな、と思った。もぞもぞ枕に沈んでいく頭を見て、可愛い、とも思う。虎於の腕の中にもぐった毛布はトウマのシャツの裾を巻き込んでいて、それもなんだか可愛くて、後ろ髪を引かれながらなんとか準備をして、外に出たのだった。
    夏はまだとはいえ、陽が差してくるとじんわり暑い。こうなる前に走り終えて、ちょうど今ぐらいには帰路についていたかったのだが。
    しょうがないよなあ、とマンションの影で軽く足をのばしてストレッチを少しだけ。トウマはゆっくり駆け出した。


    爽やかな朝、というには些か汗をかきすぎた気もするが、身体は完全に起きた。ほどよい疲れとともにトウマはマンションのエレベーターに乗り込んだ。トラまだ寝てるかな、寝てんだろうな。ジョギングのあいだ、以前は景色を楽しんでいたものの、最近はもっぱら考え事に夢中になっている。もちろん、虎於のことで。
    首を解しながら部屋まで進んで、なるべく静かに鍵を回した。
    玄関には、自分のものでない靴が一足。左右丁寧に揃えられていて、トウマもその隣にスニーカーを並べる。普段は気にしないが、真似するみたいに脱いだあとにかかとをぴったり揃えてみた。
    キャップを取って、汗で張り付いた前髪をかきあげる。ふうっと息を吐いて、ひとまず寝室のドアに目を向ける。
    「……」
    でも汗かいたし、びっしょりだし臭いと嫌だし。無意識に唇をもにょりと動かして、すぐに行きたい気持ちを堪えたトウマは、脱衣所の引き戸に手をかけた。
    ささっと汗だけを流して、水を取るついでに冷蔵庫を覗いてみる。パンはあるからトーストにして、ベーコンと卵を使えば朝食はなんとかなりそう。トラ食べるかな、コーヒーでも淹れておこうかなと考えて、先に聞いた方が良いか、とカップの並んだ棚を閉める。
    雑にタオルドライした髪のまま、ガチャッとドアノブをひねる。勢いをつけたつもりはないが、思いのほか音が鳴ってしまってちょっと焦る。そーっと覗いてみると、毛布の塊が動く様子はなかった。ほっとする。
    まだ寝てるんだ。こっちかな、と顔が見えそうな方から近寄ってみる。
    その予想は当たりで、目を瞑っていても整いすぎている顔があった。すうすう寝息をたてていなければ彫刻かなにかみたい。芸術だよなあ、なんて思う。寝ているのなら、と隣に横になってしまおうとしたが、トウマは観察を決め込んだ。
    毛布はぎりぎり肩にかかっているくらい。腕が冷えてないかな、てろてろの素材のルームウェアを温かそうだと思ったことはないし、毛布かけてやろうかな、とか思いつつ、虎於の片手が口元に寄っていることに気がついた。その手はシーツを握りこむようにゆるく丸まっていて、虎於の唇にくっついていて、上品だなあ……と何度目かの感想を浮かべる。仕草自体は子どもっぽいのに、全体のバランスが良いからか違和感はないし、綺麗だなあと思った。同時に、ちょっとだけ可愛いかも、とも。
    ふと、顔に目がいった。いや、ずっと見ているのだが、なんかしかめっ面っていうか、眉が寄っている。背中は丸まっているもののどこか品があって、お行儀よく眠っているのに不安げにも見える表情がちぐはぐで不自然で、というより気がかりで、ベッドに乗り上げて虎於の頭を撫でた。
    睫毛が震えて、隠れていた艶っぽいロゼの瞳が覗く。しぱしぱ瞬きをしてから、薄目のままでトウマを見上げた。
    「へんな夢でも見た?」
    ぱちっと目を合わせて尋ねる。幼い相手をあやすような声色になってしまった。けれど虎於は撫でられる頭もそのままに、ぽやぽや焦点の定まらない瞳で見てくるので、あやすのも全然アリ、という謎の欲が生まれたりもした。
    「……みてない……とおもう」
    ちょっと考えたようだが、そんな答えが返ってくる。いつもならきりっと切れ長の目元も寝起きとあっては雰囲気が柔らかく、舌もうまく回っていないようで滑舌も曖昧だ。かわいい、とトウマは思わず吹き出してしまう。
    「あはは! トラ、ふにゃふにゃじゃん!」
    「うるさい……」
    こっちは寝起きなんだぞ、とぼそっと言って、虎於は耳栓がわりに毛布を頭まで被ってしまおうとする。トウマは笑って謝罪を述べた。
    「ごめんごめん」
    掴み上げようとする手をきゅっと握って、頭のてっぺんから耳の辺りまでゆっくり撫でた。虎於が目を細めるので、トウマはその手で前髪を寄せて額にキスをする。
    「おはよ」
    「……うん」
    虎於がもぞりと動いて、今度は眠たげな目を自分からこちらに向けてきた。
    「おはよう」
    あ、ちょっとはっきり発音できてきたじゃん、いつもの低音に近い声がして、トウマは朝食の話を持ちかけようとした。のだが、
    ちゅ
    虎於の唇が寄せられた。夜に交わしている啄むような甘いもの、ではなくて、喋ろうとしたトウマの口先を舌がつついて、中途半端に浮いていた歯を割って中に侵入してくる。
    「ん、むっ?」
    トラ? と声に出そうとしても叶わない。それどころか舌先が捕らえられて、ちゅっと吸われた。顎に添えられた親指のおかげで、またトウマの口に隙間ができる。ぬるついた表面が擦れあってぬちゅ、なんて口内で響く。ちょっと後ろに仰け反れば、もうひとつの手がトウマの耳にひっかけられた。やわく撫でられて大げさに肩が跳ねる。唾液が絡まって喉が鳴る。呼吸が上がる。単に酸欠というのもそうだし、突然の行為にすぐさまキャパーオーバーした脳からの警告、というのもそうだし、興奮してしまっているのもそう。疑問符は浮かび続けているし、硬直してしまった身体は虎於の舌使いを受け入れるのみだし、けれど固まったおかげでまばたきも忘れて、自身に寄り添ってくる虎於の表情を、ろくにピントの合わない視界に入れ続けていた。
    ふ、とキスの合間に鼻にかかった声がする。声というより吐息。虎於とこんなキスをするなんて初めてなのだから当然、そんな風に漏れる声もはじめてで、どっと背中に汗をかいた。
    ちゅぅっとトウマの舌を吸って離れて、ようやく二人のあいだに距離が生まれる。指で拭うのかと思えば、虎於は唾液でてらつく唇をべろりと舐めて、ふう、と息を吐いた。
    「シャワー浴びてくる」
    「へ!? あ、はい……」
    何事もなかったかのように、寝起きのままです、と言わんばかりの表情の虎於が横を過ぎて部屋を出ていった。
    虎於が最後に体重をかけたところに皺をつくったシーツ、なおも固まったままのトウマはその傍に微妙な膝立ちをして、真っ白になってしまった頭のなか、今のは何だ、とそればかりが巡っていた。





    その日は午後からゆったり集合、しかも今度のツアー用の衣装合わせのみという、実に穏やかで珍しいスケジュールだった。
    各地を巡る公演が控えているわけなので、嵐の前の静けさをすこしでも堪能して下さいね、というマネージャーからの気遣い──もとい、これから始まる多忙への脅し。それぞれ苦笑を浮かべつつ、調整してくれていること自体はありがたいので、個人練習を増やすことをせず素直に休養を取ることにした。なので今日も、拘束時間はそこまで長くない。
    というのに、虎於はずっと気が逸っていた。
    だって、視線が痛い。その主が共に仕事をこなすメンバーとあっては逃げることも出来ないし。何かというと、トウマがこちらを見てくるのだ、しつこいぐらい。理由はまあ、分かっているけれど。
    虎於はトウマと付き合っている。恋人として、恋愛的な意味合いで。はじまりもきっかけも思い返すだけでむず痒いし、今だってふとした瞬間、嘘じゃないよなと思いもする。けれどこの関係になってからの変化は案外、どれもこれも悪くない。
    例えばただの飲み会のようだった夜の空気が、うんと甘くなったこと。トラ、と呼ぶ声に弾みが増したこと。トウマが自分に笑いかける顔が、以前よりずっとだらしないこと。
    世間のイメージ通り経験こそ豊富だが、虎於にとって、こんなにくすぐったい付き合いははじめてだった。これまでの女性たちとの交流なんてただの上辺だったのだと身に染みる。言葉を交わして同意を得るだけで、緩みきった顔で笑いかけられるだけで満たされるなんて思ってもみなかった。
    そうは言っても、心の奥底で、どうやらトウマを求めていたらしい。可愛がってやりたいし、愛してやりたい、求められたい。その願望が性欲と直結するほど旺盛じゃないが、恋人に触れたい気持ちを抱かないほど淡白なわけでもなかったようで。
    今朝、やってしまった。しかし無意識で、単に夢の続きを追ってしまった結果なのだった。
    甘い夢を見た。指を絡め合わせて微笑む唇に吸い付いた。ここまでは現実でもよくあること。けれどその先、トウマは口をうすく開いて虎於を誘い込んだのだ。口先で舌同士を触れ合わせて、いたずらに下唇を食む。甘噛みみたいなその程度で、トウマの顔がふいっと横を向いてしまった。はっきりと視界に映るのは顔半分、鼻筋から顎のあたりのみで、いまいち表情が読めなかった。起きてから思えば夢なのだから当然で、けれど意識が夢に捕らわれているうちは拒絶されたかもと怖くなった。
    だから、というのは言い訳じみているが、柔らかく頭を撫でられる感触に起こされて、クリアになった視界に映るトウマが纏うあたたさかに安堵して、冷えかけた胸の奥が高鳴ってしまって、つい。深い口付けのあと、ぴたりと動かなくなってしまったトウマを思い返し、虎於は笑みが漏れそうになるのをなんとか堪える。
    そんなわけで交わしてしまった深いキス。もうとっくに仕事は始まっているのに、灯った熱が収まっていないらしいトウマからの視線に追いかけられていた。
    あれも無意識だろうな、と虎於は口の端を吊り上げた。でなければとっくに話しかけられて、夜の約束のひとつでも交わしているだろうし。
    そこまで考えて、はたと思う。夜の約束、なんて自分たちのあいだにあるのだろうか。
    恋人になって日が浅い、そんな可愛らしい理由で欲を抑えられるような男なんだろうか。
    本音を言えば関係が変わって直後、部屋に泊まろうとなった時、誘われている、と思ったのだ。慌ててあれそれ道具を買い揃えるような柄でもない、用意はあったし、急に虎於の部屋で過ごすことになったその夜、トウマが望むならどうにでもしてやるつもりでいた。それが無駄になった、というほど期待も準備もしていなかったが、これまでの泊まりと変わらず食べて喋って風呂を済ませて、時間がただただ過ぎていくことに少し不安になった。なんだ、変わらないじゃないか、と。
    不貞腐れている自分を認めるわけにはいかず、広いベッドのうえ、大人しくトウマの傍に陣取った。いっそ後ろから蹴飛ばしてみるか、それを行動に移してしまえば不満を自覚せざるを得ないのだが、事実面白くないのだし。虎於が脚を動かそうとしたちょうどその時、トウマがくるんとこちらに向き合うように体勢を変えた。
    「なあ」
    「な、なんだよ」
    トウマの瞳がじっと見つめてくる。元より鋭いそれが真剣に細められていて、突然の動作に驚いたのも相俟って答える声がすこし上擦った。じっくり五秒、トウマの口は微塵も動かず、なんだよ、と再度念を押そうとした時。
    「キスしていい?」
    ぽそっとそう言った。
    「は」
    予想だにしない一言に虎於はぽかんと口を開けてしまって、それを受けたトウマもまた、手で顔を覆ってしまう。
    「いや! ごめん、こめんでもねーか、やっぱなし……にはしなくて良いんだけど……」
    もごもごとはっきりしない物言いは、虎於の機嫌を上向かせるのに充分だった。顔を隠す手首を捕まえて、動いてしまわないように固定したまま、血管の浮いた手の甲へちゅっとキスをする。
    「へ」
    ぎょっとして目を見開いたトウマは手を退けた。現れた顔は真っ赤に茹だっていて、虎於は思わずニヤつきそうになる。だがここで笑ってやっては勿体ない、とゆるく微笑むのみに留めた。
    「これで良いか?」
    「へぁ……」
    なんだその声、どこから出てるんだ、とか、揶揄うのはまた後で。じぃっと熱を乗せてトウマを見つめる。
    「…………口に、お願いシマス……」
    ふっと笑いがこぼれる。親指で顎の輪郭をなぞってから、希望どおり唇を寄せた。触れた先はすこしかさついていて、しかし案外柔らかい。
    数回感触を楽しんでから、舌をとってうんと甘いやつをしてやろう、
    「ぇへ、おやすみ」
    と、もう一度味わおうと頬に手を寄せたところで、トウマがそう言って満足そうに目を閉じた。
    「は?」
    つぎに気の抜けた声を出したのは虎於で、しかし真紅のまるい頭がシーツにずりっと擦れる音がかき消してくれて、トウマの耳には届かなかった。さっきまで視線どころか唇さえ合わせていた当の本人は早々に枕に埋もれて、すっかり寝の体制に入ろうとしている。状況を呑み込むのに時間がかかったせいで、虎於が寝付いたのはトウマの寝息が聞こえてからだいぶ経った頃だった。
    そうして今に至るわけだが、キスこそ繰り返すようになったけれど、それだけ。そのキスだって戯れのようなバードキスで、言ってしまえばじゃれているだけ。てっきりトウマはそういうコトをしたがるタイプだと踏んでいたので、最初の泊まりの日は大いに気抜けもしたが、そうでないならそれで構わなかった。
    咎めることなく現状を続けているのは、単に満ち足りているからだ。背中に腕をまわして抱き合うだけで心地よかった。並んで座って身を寄せれば胸のうちまで温まったし、とにかくトウマが素直なおかげで、顔を見ながら言葉を交わすだけで充分だった。
    ──と、思っていたのが今朝までの話。
    夢の影響で寝ぼけてうっかり、なんて、欲を持て余しているみたいで恥ずかしかった。俗っぽく言うなら、欲求不満みたい。なにが充分だと呆れる反面、そもそも初日にあのまま寝こけたトウマも悪い、とむくむく批判が込み上げる。自分ばかりが求めているのはフェアじゃない。こんな目で見てくるのだ、無意識であれどうあれ、トウマも焦れているんじゃないのか。
    だとしたら、試すべきは今夜だろう。
    「トウマ」
    「ん?」
    平静を装ったつもりらしいが、肩がぎくりと跳ねたのを見逃さなかった。虎於が振り向いたことで、かち合いそうになった瞳を泳がせているトウマの肩に手を乗せた。すりっと首のほうに指をゆるく這わせて、唇を耳元へ寄せる。
    「今夜はどっちの家にする?」


    入り時間にもゆとりがあったが、衣装合わせは何事もなくスムーズに進み、余裕を持っての帰宅となった。悠が一度学校に寄る、と言って早々にビルを出ていき、それならお先に、とドアノブを回す巳波の姿も見送った。
    残った二人も居座る理由はなかったため、というより、トウマが腕をがしりと掴んできたので、引っ張られるようにして帰路に着いた。車は家に置いてきている。ぶらぶらしても良かったが、言葉少なく足を動かすトウマにただついて行って、見つけたタクシーに乗り込んだ。告げた住所に、トウマの家か、と思う。
    いつもくっついているわけではないが、シートに座るトウマが、しっかり距離を取っているのが気になった。閉じた空間に入ってしまえば視線を絡めて手なんか握ってくるくせに、その素振りも全くない。顔は窓へ向けられていて、かろうじて髪の間から耳が少し覗いている程度。ガラスの反射を利用しようにも、徐々に灯り始めるビルの明かりが邪魔をしてくる。
    伺えない顔から視線を落とせば、トウマの手が映る。彼の膝のすぐ隣、座席に置かれた片手がぎゅうと握りこまれていた。下手をすれば手のひらに爪が食い込んでしまいそうな強さだが、肝心の表情が見えないのだからその意味なんて分からなかった。何かしたかと自身の行いを振り返ってしまう。けれど覚えはないし、トウマだっていつも通りだった、はず、楽屋を出るまでは。いや、巳波を見送るまでは……?
    普段、隠そうとしても全部が顔に出るくせに、あのあと二人だけになって、強く腕を掴んできたトウマの顔にはいまいち感情が乗っていなかった。べつに逃げやしないのに、としか考えなかったが、何か理由があったのだろうか。悶々と考え始めてしまうと、トウマを見ているのも気まずくて、虎於も窓へと顔を向けることにした。近頃の車はエンジン音もブレーキも、何もかも静かで良くない。あまりの無音にそわそわ落ち着かない心地を感じて、誰にでもない悪態をつく。通り過ぎていく夜の明かりを目で追って、ざざ、と稀に鳴る端末の通話の音だけに耳を傾けた。


    力を込めて握りしめていた手のひらはじんと熱くて、その手にふたたび腕を引かれれば、やはり黙ってついて行くしかなかった。そうでなくとも行き先は同じ部屋なのだから、足はそちらに向くのだが。依然、トウマの表情は分からない。マンションから少し離れて降りるのはいつものことだが、そこからエントランスまでの長くもない距離を歩くのに、トウマがキャップを被り直すなんて珍しかった。怒っている風ではない、が、話してみなければ分からない。外で腹のうちを探る気なんてないので、虎於もトウマに倣って口を開かずただ歩いた。撮影終わり、何処に寄るでもなく着いてしまって夕飯の用意はない。食事をしながらゆっくり会話を、と思っても、調理の手間が必要だろうから腰を落ち着けるまでまた時間がかかりそう。いっそ、出前でも良いか。そういうアプリサービスがある、と嬉々としてトウマが頼んでみせたことがあった。ともあれ、ここまできたらトウマの出方を伺うしかない。
    本来なら今夜、いろいろと仕掛けてみるつもりだった。けれどその決意はもう頭の隅のすみに追いやられてしまっていて、虎於はひとまず目の前の、トウマの機嫌だけが気がかりだった。
    無機質な解錠音に、知らずに落ちていたらしい視線をあげる。腕を引かれるまま慣れた玄関に足を踏み入れて、前の背中が止まったのに合わせて立ち止まる。扉がゆっくり閉まってくる気配。カチャ、と小さく音を立て、完全に廊下と区切られる。トウマが動く気配がないので、虎於は後ろ手に鍵を閉めた。自分の家でもないのに、見なくても出来るもんだな、と感じてむず痒い。
    「トウマ」
    着いたぞ、いい加減話せよ、と思う。声をかけてもぴくりともしない肩を掴もうと手を挙げた。
    同時にトウマがぐるんと振り向いて、反射で引っ込みかけた手首をふたたび捕まえられる。あっと声を出す間もなくトウマの顔が近づいてきた。
    「っいた」
    とん、キャップのつばが虎於の額に勢いよくぶつかった。
    「あ!? ごめん!」
    「おま……おい、なんなんだお前」
    何も分からないまま焦らされて、やっとこっちを向いたと思ったら頭突きだと?
    機嫌が悪いです、と主張するようにため息をついて、トウマのキャップを取ってやるついでに電気をつけた。ぱちっと明るくなった玄関先、なんでか知らないけれどトウマは顔を真っ赤にしていて、さらにわけが分からなくて睨みつける。
    もごもご口を開閉させたあと、観念したように声を出した。
    「……ちゅー、したくて……」
    「は?」
    「あー、あー、良い、ごめん、ほっといてください……」
    トウマは自身の目元を隠す。ふうぅと息を吐くトウマの顔はまだ真っ赤。
    つまり、なんだ。今のは頭突きではなくて、キスをしようとしたけど、キャップのせいでうまく出来なくて?
    「……へえ」
    トウマの首に両手を添える。片手は帽子で塞がったまま、空いた親指でピアスを引っ掻けば、びくっと揺れる肩に笑みが漏れた。さっきまで無反応だったものだから尚更。
    「放っといて良いんだな」
    「んぐ……」
    何か言おうとしているようだが、唸る声にまた笑う。
    「いつから?」
    「え」
    「ちゅう、したかったっていうのは」
    もう十分熱そうなのに、トウマの頬にさらに赤みが増した。
    「トラが言うとなんか、えっちだな……」
    「なんだそれ。良いから、答えろよ」
    催促の意味も乗せて、またピアスをいじる。くすぐったそうに逃げるので、肉の少ないトウマの頬が反対の手にくっついた。
    「笑わない?」
    「ああ」
    「…………朝から……」
    正直な回答に、一拍遅れてくく、と虎於が喉を震わせる。トウマは口元をひくつかせながら、笑わないって言ったじゃん! と抗議の声を飛ばしてきた。
    「だって、……そんなに……」
    「しょうがねえじゃん、もう夜だぜ。朝にあんなことされてさ」
    あんなこと。元はと言えば夢のせいで、完全な無意識ではあったのだが、動いてしまったのは自分なのだし、どうせならこの恋人を調子付かせてやろう。
    不意打ちのつもりで、虎於はぐっと顔を近づけた。目を見開いたトウマに気を良くして、唇を奪う。
    「っん、?」
    へんな声。しぱしぱ瞬きをする姿もおかしくて、目を細めながら上唇に吸い付いた。うすく開いたすきまに舌を乗せれば、トウマの喉が上下する。抵抗もなく口が開いたので、なかの舌をひと舐めしてから上顎をつつく。くぼみを舌先でやわく撫でると、手首にトウマの指が絡んできた。
    でも、おしまい。まだ足りないけれど、焦らされた分、トウマにだってもどかしさを感じてもらわないと困る。
    尖った犬歯が覗いていたので、離れる直前にその先端をべろりと舐めてやった。いまだ赤らんでいる頬を撫でながら、虎於は顎を引いてトウマを見つめた。
    「俺は、ずっとこうしたかった」
    「……へ」
    「って言ったらどうする」
    「言っ、てるじゃん……てか、やっぱ朝のアレわざとかよ!?」
    「そうでもしないと、お前、先に進まなかっただろ」
    「それは、だって……」
    手首に触れているトウマの指に、力が入る。
    「トラが嫌だったらどうしよう、って」
    「俺が?」
    「嫌じゃないかとか、しても良いかとか聞いたって、トラ、嫌でも良いよって言いそうで」
    まあ、確かに。そう答える自分を容易に想像できるので、この際答えは返してやらないことにする。
    「でも、俺もずっとしたかった」
    ちゅっと触れるだけ、調子の良いキスが返ってくる。こつんと額をくっつけられて至近距離で目が合った。
    「なぁ、朝みたいなやつやって」
    可愛げのある仕草のくせに、なんだ、こんな、瞳をぎらつかせて。こんなの、最初の夜が、とか言っていないで、さっさと与えてやれば良かった。
    「ふ、いいぜ」
    唇を触れ合わせるまえ、口元に熱い息がかかるのがおかしくて、うれしくて、でもやっぱり、少しだけ待てを仕掛けてやりたくて。口の端に吸い付いて、すぐに顔を離す。
    「ぁえ」
    「トウマ、夕飯は?」
    「え?」
    にまにまと分かりやすく笑ってやれば、こちらも分かりやすく眉を寄せる。からかうなと言わんばかりに寄ってくる唇から顔を逸らして逃げる。もぉ、とむくれた声が耳の近くで聞こえた。
    「分かんない、あんま考えらんない。焦らすなよ」
    「はは、悪い」
    頬を両手で挟むように捕まえ直して、まるい頭のつむじにキスをする。
    「シャワー浴びてくる。いい子にしてろよ」
    「な、ぇえ」
    情けない声を無視して、適当にキャップを被せてやった。

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