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    このあたりが神話ハインさんのイメージに近い
    Helios/haruka nakamura Fate.LUCA(album未草
    Throes Of Ascension/Solas Composer
    Who We Want To Be/Tom Day

    たまごまごまご
    にたまごまたまゆでたまご
    たまごまごまごたまごまご
    はんじゅくたまごたべられない

    #IFTED-WONDERLAND

    【n回目にして】

    空気がほんのりと暖かい。
    夜明けの香りが微かに聞こえる。

    指の先がチリチリと痺れていた。
    体のあちこちが痛く、血が右目に入って開けられない。耳元で囁かれるこの声が、遊んでくれと駆け寄って来たちびっこ達の泣き声か、燃える家畜の断末魔か分からない。見渡す限りの大地は煤けて黒く燻り、夜空は煙に霞んでいた。満月を隠した黒い雲からポツリと雨粒が落ちてくる。次第に激しくなる雨に雷も混ざり、瓦礫の隙間に残っていた火も消され、一人立ち尽くす彼女を容赦なく濡らした。

    「……。」

    点々と立つ電柱だけが、つい数時間前までここには街があったのだと伝えている。人獣も虫も文明も燃え尽き、助けを求める万人の声も枯れ果てて、千と二百五十年続く古都はあまりにもあっけなく陥落した。何をもって国とするのか、そんな議論などもはや必要のない焼け野原を前に、彼女は腕を組んで立っている。

    古き都、東夷のナグラハル。
    古来の魔法が脈々と伝わり、他国も羨む繁栄を誇った大都市は、外に助けを求める間すらなくたった一晩で焼失した。

    「…。」

    彼女は狩人だ。
    職業上、放浪生活には慣れている。むしろ悠々自適なあてのない旅が日常ですらある。無一文から立て直す方法も、飢えと雨風をしのぐ方法も、そして大火災を生き延びる実力と幸運をも持っている。とて、生き延びるために支払った代償はそう小さくない。しかし楽観的に捉えるなら、そう大きくもないと言えよう。

    故郷を失った。
    それだけなのだから。


    ​───────

    【夏休み初日】

    兎族の女将ヴィーナがフライパン片手に、垂れた兎耳を揺らしながら料理している。立ち上る煙は香ばしく、スパイスのツンとした香りが食欲を刺激した。女将の後ろにある棚には数々のボトルが並び、壁際にはモーニングビュッフェが設置されている。並べられた大皿は良く磨かれ、添えてある野菜は新鮮そのものだ。あとはメインが盛り付けられれば完璧だろう。

    だが時刻はまだ朝の七時前。
    ナイトレイブンカレッジ内、オンボロ寮の一階に併設されたこの店には、開店準備を手伝っているゴースト以外に誰もいない。

    階段の軋む音に女将の兎耳がピクリと反応し、二階から降りてきた女性を見上げて笑う。

    「おはよう!グリムちゃんは夏休み初日からお寝坊かしら?」
    「夏休みだからこそですよ。自堕落な生活を楽しむつもりらしいです。」
    「あらあら勿体ないわねぇ。」

    微かにミルクの香りがする女将は、カウンター席に座ったハインにレモンティーを差し出し、手際よく朝食を作り始める。ハインは学園長から貰ったスマホの通知を確認しつつ、ラジオから流れ出すニュースを流し聞いていた。するとガコンッと重い音がすぐ近くで聞こえ、床下収納が勝手に開かれる。

    「朝!」
    「朝です。」
    「おは!」
    「おはよう。」

    床下収納もとい地下世界へと続く出入口から顔を出したのは、土兎と呼ばれる種族の娘達だ。彼女達はヴィーナ食堂の従業員であり、オンボロ寮の住人でもある。だがナイトレイブンカレッジの生徒ではない。単なる従業員であり、学園に来たばかりのハインと同じ〈雑用係〉として滞在を認められていた。

    従業員の娘兎達はもそもそと、地中に作られた住処から出てくると、嬉しそうにぴょんと跳ねた。おはよう!おは!とそれぞれ挨拶しては、軽いスキンシップを交わし、その一人がハインの顔を覗き込むなりチョンと鼻先をくっ付ける。兎族なりの挨拶に目を薄めたハインは苦笑いを返して、その頭を雑に撫でてやった。

    「寝癖ついてるわよ。おばちゃんが三つ編みにしてあげましょう。」

    ライ麦パンをトースターに入れたヴィーナは、カウンター下から櫛とリボンを取り出すと、返事も聞かずに灰色の髪をとかす。手馴れた動作でゆるゆると結われ、瞬く間に三つ編みが完成だ。最後にリボンをキュッと結び、肩に流してやれば…女将は満足そうに頷いた。

    「ハインちゃんは夏休みどう過ごす予定?」
    「エースとデュースに誘われて、リゾートバイトに行くつもりです。一週間だけですけどね。」
    「あら、良いじゃなーい!」
    「グリムも連れていきたいですけど。」
    「行くんだゾ!リゾート!俺様も遊ばせろ!」
    「寝坊はもうよろしくて?」
    「昼寝するつもりだから心配ご無用なんだゾ〜。それよりもリゾートバイト?なんだか楽しそうだなー!」
    「リゾート地で一週間バイトして、そのまま一週間遊ぶ予定。遊ぶためのお金は自分で稼ぐこと。」
    「ぶな〜…俺様遊びたいんだゾ…。」

    チンッとトースターが鳴る。
    女将は熱々のライ麦パンを開き、具材を詰め込んでバインミーにすると胡椒を振り掛けた。グリムはツナを包んだオムレツを貰い、早速食べ始めている。

    すると一人の兎娘が隣に座り、むすーっと頬を膨らませながらハインの顔を覗き込む。おそらくはリゾートと聞いて、自分達も行きたいと思ったのだろう。それを察したハインはスマホをポチポチ、レモンティーに角砂糖を落とした。

    「…こう言う…私達が行くのは海辺ですよ。土兎にとっては今一つでしょう?」

    スマホに映し出されているのは、それはそれは見事な白浜とコバルトブルーの海である。ビーチパラソルが白浜を彩り、手前には夏お決まりのスイカと浮き輪がセッティングされている。

    「いまひとつ!」
    「でしょうね。」
    「土兎の夏、湖に行くが定番。」
    「地底湖ですか?そこ涼しい?」
    「涼しき!」

    今の時間、食堂は暇である。
    もう少しすれば生徒達が朝食を食べに来るのだろうが、なにせ夏休みだ。グリム同様、皆寝坊するだろう。

    「そう言えば、土兎は東の古都から来たと聞きました。」

    ハインはライ麦パンのバインミーを食べながら、艶消し加工されたような薄青色の尾をユラユラと揺らす。尾にはエースとデュースから貰ったブレスレットがつけられており、朝日にキラキラと輝いている。同じように…いや、それ以上に朝日を反射する左耳の金のイヤリングは、今日も綺麗に磨かれていた。

    「トレイン先生が授業時間外にお話してくださいまして、少し面白かったのです。」

    女将はカウンターに頬杖をついて微笑みながら、じぃっとハインを見つめていた。

    ゆるゆると動く尾は素直なものだ。
    表情にこそ大きな感情は出さないものの、尾は比較的素直に動いている。

    「ナグラハルかしら?」
    「そう。それです。」
    「私のおばあちゃんの、そのまたおばあちゃんのおばあちゃんがナグラハルに住んでたわ。」
    「どんなところですか?」
    「ふるーい大都市。魔法使いなら一度は訪れたい場所ね。でも多分、今時の若い子にとっては退屈かも。伝統とか血統とか、そう言うのが重んじられるから…リゾートバイトの方が楽しいと思うわよ。」

    ふぅん、とハインは微妙な反応を示しつつも、窓の外にいる人物に気がついて手招いた。ヴィーナは話を切り上げて客を出迎え、彼らの『いつもので!』と言う注文に笑う。

    「おはよーう監督生。お?何か美味そうなもの食べてる。なんだそれ?」
    「バインミー。」
    「エース、掃除の邪魔になってるからとりあえず席に座れ。おはよう監督生、グリムもおはよう。」
    「おはようデュース。あと…あの方は?」
    「あー、聞いてくれよ監督生。こいつがさぁ…。」

    エースはあらぬ方向を向いているデュースを指さして、少し呆れ気味なため息をこぼす。悪ノリしがちなグリムは『ぶな〜?お前まーた突っかかったのか〜?』と鼻先にケチャップをつけたまま、愉快そうに笑っていた。

    「卵の一件の人達でしたっけ?あれで懲りない彼らも彼らですけど、貴方も貴方ですよ。」
    「いや監督生、とりあえず聞いてくれ?俺らいつもヴィーナさんに食べさせてもらっているだろう?だからたまにはお礼をしようと思って、タルトをな?先輩にレシピを貰ったから作ろうとしたんだ。」
    「んで足引っ掛けられて卵割れてさぁ…デュースって俺より喧嘩腰なときあるよな。」

    ふぅん、と先程と同じ反応を返したハインは、べそをかきながら店の外に立っている先輩二人組をチラリと見る。

    別に喧嘩に負けて泣いてるだけならいいのだ。
    いや、良くはないのだろうが、何と言うほどのことではない。しかし先輩二人組を見るに…デュースと彼らは喧嘩をして決着が着いたものの、その次に口喧嘩を始めて収拾がつかなくなり、大事になる気配を察知したエースがここに連れてきたのだと思われる。

    「仲直りしました?」
    「…。」
    「私は知りませんよ。」
    「え〜…なぁ頼むよ監督生。殴っただなんてリドル寮長にチクられたら、俺らまーた首輪だよ。彼奴らなだめてさぁ…チクらないようにできない?」
    「なら貴方達四人で一緒にタルト作って、一緒にお茶がてら親睦を深めてみては?もしくは卵が先か鶏が先か話し合ってみたり?」
    「うっ…タルトはともかく、それは二度とごめんだ…。」

    苦い顔を浮かべるエースとデュースを横目に、モグモグと程よい酸味のあるバインミーを食べつつ、ハインは外にいる先輩を手招く。怒り泣く先輩達の荒々しい歩き方に、土兎の娘達は厨房へと逃げて行った。

    「おはようございます、先輩。それで?どうしましょう。リドル寮長に報告しても良いとは思いますが、先輩方も首輪をはめられると思いますよ。」
    「うるせぇぞ一年のくせに。尻尾生やした化け物が。」
    「お、ちょっ、先輩!それ言ったらマズイやつ!」
    「うるせぇ!魔法使えねぇくせに、一丁前にナイトレイブンカレッジの生徒を気取りやがって!」

    ギャンギャンと喧しくなる男四人を横目に、ヴィーナとハインは視線を合わせてため息をつく。

    聞くに、ナイトレイブンカレッジは名門校らしい。異世界から呼び出されたハインには、まったくもって馴染みのない学校ではあるが、この世界においては名門校なのだとか。しかしその割には精神年齢の低い生徒も多く、よくよく見てみれば無意味な小競り合いがあちこちで起こっている。クロウリーもこの実態については気付いているようで、証拠集めのために写真を撮るようハインに言いつけていた。

    「…はいちーず。」

    ぱしゃりとシャッター音が鳴り、殴り合い一歩手前だった男四人は動きを止めた。

    「先輩なら何を言っても良いわけではありませんし、友達だからとて全てを許すわけではありませんし。まぁ言われたところで、私は何とも思いませんよ。卵にこだわる人達に言われたところで、ねぇ?」
    「お前…ほんっとうに…えらっそうに…!」

    ズダンッと尾が床を叩く。
    カウンターテーブルの上に置いてあった茶煙草に手を伸ばしたハインは、チリチリと先に火を付けながら小首を傾げた。

    「仲良くやりましょうよ。」
    「監督生、校内は禁煙だ。」
    「デュース、校内での喧嘩は厳禁ですよ。」
    「一年、その歳での喫煙は…。」
    「先輩、その歳で卵ごときに…。」

    ふわりと紫煙が立ち上る。
    薄められた瑠璃の双眼は、獲物に狙いを定めるかのようだ。しかし次の瞬間にはパッと穏やかな笑みへと変わり、和解を促していた。

    「せっかくの夏休みですから、ゆっくり朝ご飯でもいかがですか。まったく。その後でタルトでも作りなさいな。今日のおやつとして、私楽しみにしていますので。ね、エース。」
    「うっ…監督生さぁ、びみょーに舌肥えてるの、なんなの。」
    「上から下まで食べてきましたから。」
    「上から下って?」
    「気になりますか?デュース?本当に?」
    「少し。」
    「上は王宮料理に始まりますね。下は砂漠で野垂れ死んだラクダが一番かな。食べたことあります?多分あれは二週間くらい経ったやつだと思いますけど、こう…肉質がですね…。」
    「よーしストップ!ヴィーナさん。俺もバインミーってやつお願いします!俺ら全員バインミーで!」

    カウンターチェアをきれいにくるりと回転させ、エースとデュースは〈食欲の失せそうな話〉から即時撤退をした。先輩二名も大人しく席につき、バインミーって?とヴィーナの手元を覗き込んでいる。グリムはちゃっかりオムレツをおかわりしていた。

    「出かけてきます。」
    「ぶな〜。俺様は留守番してるんだぞ!」
    「頼みました。」

    茶煙草を灰皿に押し込んで、初めてのバインミーを目の前にいつの間にか和解している男四人組を確認し、ハインは一人外へ出る。寮を見上げれば、窓からはゴースト達が手を振り、口パクで行ってらっしゃいと言っていた。

    ​───────

    牧草地かな?と勘違いしそうな運動場の、フカフカとした芝生に白い兎が跳ねている。遠くの木陰では朝から優雅なティータイムを楽しむハーツラビュル寮の面々が揃い、いちごタルトを囲んで楽しそうにしていた。面々の一人がハインに気付き、おいでおいでと手招くが、ハインは片手を上げて歩き去る。

    「トレイの知り合いかい?」
    「ん?リドルは会ったことなかったか。」
    「噂には聞いたことがあるけれど、話したことはないね。たしかオンボロ寮の監督生だろう?」
    「そう、エース達と同じ一年生だ。」

    けど…とトレイは苦笑いをこぼす。

    「俺らよりは歳上らしい。マレウスと同程度かそれ以上と言う噂も聞く。」
    「…女性に年齢を尋ねるものではないね。」
    「俺もそう思う。」

    ぱくりといちごを一口頬張ったリドルは、監督生の歩き去った方を眺めつつフォークをクルクル、何かを思い出そうとしている。トレイとケイトは『どうした?』と首をかしげ、寮長の視線を追った。

    「思い出した。話したことはないけれど、見たことはあるね。決闘事件から少し経った、川のモンスター事件で走っていた人だろう?」
    「そうだ…と、思う。いや俺その場面見てなくてさ。噂でしか知らないんだよ。」
    「あれは驚きだった。魔法が使えない人も、中々恐ろしいと思ったね。」


    うーん、とリドルは思い出すように腕を組み、僅かに首を傾げる。

    事件自体はそう大きなものではない。
    むしろ学園内では稀に起こる程度のもので、それらは大抵三年生達の魔法により解決されていた。広大な敷地を誇るナイトレイブンカレッジの自然環境から、ちょっとしたモンスターが顔を出し、生徒とエンカウントしてしまう、そんな〈イベント〉の一つなのだ。しかしエンカウントしたのが魔法の使えないハインで、周りにいたのがエースとデュースのみであり、その時間帯の空きコマは彼らのクラスのみと言う、微妙な条件が重なってしまっていた。

    「一年にモンスターの相手は厳しいだろう。エース達はどうやって勝ったんだ?」
    「まず、川から出てきたのは犬のようなモンスターだった。大きくはなかったけど恐ろしげだったよ。」

    水を滴らせた巨大な犬が、のっしのっしと道を行く。ギャーッと叫んだグリムの隣でデュースが大鍋を落とし、エースは火で追い払おうと必死な様子だった。彼らの不祥事に巻き込まれることの多いハインは、いつも通り後ろの方で応援するばかりだろうと、その時のエース達ですら思っていたようだ。

    しかし、意外にもハインが走り出す。
    そして走り出した時にリドルが通りかかり、助太刀してあげようとしたところだった。

    「えっ?ハインちゃん、モンスターに駆け寄ったってわけ?さすがに冗談っしょー?」
    「駆け寄ったと言うより、殴り掛かったが近いと思うよ。」

    前々から思っていた、と事件後のエースは言う。
    ハインは魔法こそ使えないものの、運動神経や体力は飛び抜けて優れており、もし喧嘩になったのならば性別的な不利すら関係なしに〈ぶちかましそう〉だと思っていたとか何とか。

    「ぶちかます?」
    「彼女、最初は普通に走っていたんだ。」
    「ちょ、待って?普通に?どういうことだ?」
    「そのままの意味さ。普通に足で走ってた。けれどモンスターとの距離が近くなったら四足になってね。微妙に姿も変わったような…よく分からなかったけれど、確かに四足で走って、モンスターの顔面を殴り飛ばしてた。」

    四肢による踏ん張りからの繰り出される殴り。
    エースもデュースも唖然とするしかなく、リドルも呆然とし、モンスターはキャンキャン鳴いて逃げていった。あれ以降、彼らは少しばかり大人しくなり、三人の関係性も変わったらしい。

    「…あの子が?」
    「そう。あの時の雰囲気とは違いすぎて気付かなかったけど、うん、間違いない。」

    だなんて話を知ってか知らずか、ハインはトテテ…と道を行き購買で買い物を済ませると、その足で植物園に入っていく。

    スッと自動ドアが開き、ふわりと花の香りが零れでる。すりガラスに緩和された日差しと、優しい温かさが、植物園内の何もかもを包んでいた。湿度は低めで丁度よく、魔法道具による気流が空気の停滞を防ぐ。花の香りが風に流され、そこに少しの青臭さと土臭さが合わさり、なんとも豊かな自然を感じさせた。

    そんな緑豊かな温室の中央付近。
    ベンチやテーブルが置かれているスペースの裏手に、ひっそりとした秘密の花園が作られている。これは知る人ぞ知るというもので、大抵の場合、誰かさんの昼寝スポットにされているか、今日のようにハインが訪れるかの二択であった。

    ハインは獣道に近い、草と草の合間にできた小道を進み、六畳ほどの花園に入る。大きく枝を広げた広葉樹がぼやけた木漏れ日を落とし、咲く花々は花園を抱きかかえるように咲き誇る。木々に絡むツタは青々と艶めき、花園外からの視線を遮ってくれる。温室内で飼育されていく小鳥達が鳴き、近くを流れる人工小川のせせらぎが聞こえ、まるで教科書に出てくる〈原初の花園〉のごとく空間だ。

    その空間で堂々と寝そべっている獅子の先客を前に、ハインは慣れた様子で尻尾を跨ぎ、ハンモックに腰を下ろす。

    「…ぐー…。」

    小鳥の歌声、水路のせせらぎ。
    木々の葉擦れ、そよぐ風。
    くかーっと爆睡する寮長の寝息。

    「…んあ?」
    「起きました?」
    「あー…あぁ…だる…。」
    「寝すぎ。」
    「うるせぇ。」
    「お茶は?」
    「ん。」
    「自分で好きなだけどうぞ。お湯はそこの水筒に。」
    「ちっ…お、これ…。」
    「流行りらしいですよ。はちみつ紅茶。カリムさんから貰ったやつなので、ティーパックでも等級は間違いなしでしょう。エース達と飲んでも良いけれど…彼らに飲ませるにはもったいない気がして。」
    「ははは、違いねぇ。」

    よっこいせと起き上がったレトナは大きく背伸びをすると、ハインの持ってきたピクニックバスケットをあさり、手頃な菓子を一つ二つとる。そのままカップを一つと水筒を手に、ティーパックをつまみ取った。

    「この前、タコ野郎があーだこーだ言ってたぜ。」
    「イソギンチャクの件?」
    「あぁ。あと別のも。不満の物言いじゃなかった。あれは…そうだな。二店舗目を出したいだとかも聞くし、お前の店を狙ってんのかもな。」
    「んん…有難いことに私の素人経営ながら、オンボロ寮のエトワール・キッチンは多くの方にご贔屓頂いております。遥々海中より素人のカフェに御足労頂くのは、多忙を極めるアズールさんに申し訳ないですよ。」
    「よく言うぜ。」

    ハッとレオナは鼻で笑う。
    いつもならばそろそろラギーが来る時間だが、何せ今は夏休み。帰省していたら来ないだろうし、していなかったとしても授業はないので何も言わないかもしれない。そもレオナはそんなこと気にしないので、ダラダラとくつろいでいる。

    「もうちっと勿体ぶれば、タコ野郎自ら交渉に来るかもな。」
    「敷居をまたがせたくないので、もし交渉となったら私自ら出向きます。経営者同士、しっかりお話させていただきましょう。」
    「…お前見かけによらず図々しいよな。トランプのとつるんでるだけあるぜ。」

    良く色が出た紅茶を口に、レオナはニマニマと笑う。ハインは『トランプの』と言う言葉に今朝のことを話し、呆れ半分のため息をこぼした。

    「あの二人…今朝また卵事件を起こしかけまして。懲りてない様子でしたし、一回怒ってみようかなと思いつつ宥めてみたのですが…どうすれば良いと思いますか?」
    「知らねぇよ…放置しとけばいいだろ。」
    「放置の結果、この前はグリムが火を吹きました。あとデュースの大釜でエトワールキッチンの床が抜けたこともありますし、エースの風魔法で色々吹き飛んだこともありますし…。」
    「そうかよ。そりゃ大変だな。俺の寮生じゃなくて良かったとつくづく思うもんだ。」

    あっま…とはちみつ紅茶に不服そうな感想を零したレオナだが、その割には機嫌が良さそうだった。いつもよりも口数多く、何を思い出したのかオクタヴィネルの商売について話し、最終的には「賢い女は長生きしねぇだろうなぁ」とちょっとした挑発で締め括る。

    「これまでも何度か言われたことがありますが、まさかナイトレイブンカレッジでも言われるとは思っていませんでした。」
    「お前の国がどんなんかは知らねぇが、この世界にはまだ男性主権の社会もザラにある。そう言う場ではな、愛想良くしておかねぇ女は明日の保証がねぇんだよ。まぁここは一応学園だが…唯一の女学生相手に誰がどこで何を思ってんのか、お前にも俺にも、あのアズールにすらも分からねぇだろう。」
    「なるほど?勘違いの大バカ野郎がくるかもしれないと?それはそれで拝んでみたいものですね。」
    「はっ、名門校なのに悲しいもんだぜ。」
    「まぁ名門校かどうかはともかく、私は卒業の見込みもありません。当面はここでお世話になりますから、外の世界に晒されることはありませんよ。それに、小賢さ故に長生きできなかったとしても、死に時、死に場所くらいは選べるかもしれないではありませんか。愚かなままではそれすらも選べず、成り行きに従って終わるだけ。どうせならば最期くらい選びたくありませんか?」

    それもそうかもな、とレオナは大して深く聞かずに流した。そこまでの興味はないのだろうし、彼の性格的に人のあれこれへ踏み込む訳もなく。常人から二路線三路線外れた回答をしてみても、王族の貫禄は揺るがない。

    それが良い。
    学園生活面においてエースとデュースによく助けられているハインだが、彼らに助けられているが故に少しだけ思うのだ。

    学生とはこんなにも面倒なのか、と。

    この点、レオナは関心が薄いゆえに程よく放置してくれる。親密とは程遠く、冷淡からもまた遠く。そして学友でもない、隣人的な距離感。

    「ま、アズールさんとは月に一度、経営について話し合いを行う中です。彼のことですから、同業者相手に下手な細工はしませんよ。交渉術なら私にも多少の心得がございますし。まぁ店舗経営は確かに初めてのことですが…人、金、物、時間、その辺の扱い方は経験があるのです。分野こそ違えども、流用できる範囲内ですよ。」
    「ほぅ?実家が飲食以外の商売でもやってんのか?最近流行りの魔法リラクゼーション系?」
    「いえ、軍事です。軍の財務他全て。一年生用の歴史の教科書に載っている、人類史の海洋軍事とほぼ同じものだと思ってもらって構いません。魔法はありませんでしたが…まぁ化け物は多かったですね。」
    「猛者ってやつか。じゃあお前なんだ、軍人か?にしては所作が躾られてんのな。」
    「無礼講は兵士の特権です。本部周りは躾られていますよ。」

    にこりと娘が笑う。
    その笑い方に薄らとアズールを重ね見たレオナは、グルル…と唸って首筋を掻いた。

    「君の笑い方はアーシェングロッド君に似ていて、少々威圧を感じさせますねぇ。」
    「学園長。バカンスに行ったのではなかったのですか。」
    「えぇえぇこれから出発ですよ。その前にこれを君に渡しておこうと思いましてね。ここまで来てあげたんです。私、優しいので。」
    「ついでに雑務を押し付けるつもりだったのでしょう。知っていますよ。まぁエトワールキッチンの片手間でも良いのならば引き受けますが、当然、対価は支払われるのですよね?」
    「君を学園に住まわせてあげていると言うのに…。」
    「港に良い物件がありました。グリムと二人暮らしする分には丁度良いところです。」
    「おおっと冗談、冗談ですとも!そんな顔しなくても!ほらほら、これを持ってみなさい。どうです?」

    ハインが学園に来たばかりのころ、学園長は衣食住の対価として頼み事を押し付けてきた。勿論ハインはそれらを承知し、疑問も不満も言わずに引き受けた。学園長も何かと忙しく、時間がないのは事実だとも知っている。

    「寮長の方々が持っているステッキですか。」
    「一応貴方、オンボロ寮の寮長ですし、監督生として頑張っているらしいじゃありませんか。いやー感心感心。そのご褒美です。私優しいので。」
    「この魔法石は?」
    「トラッポラ君達と一緒に、シャンデリアの魔法石を探しに行ってくれたことがあったでしょう。あの時の魔法石が一つ残っていましてねぇ。色味も貴方に丁度よさそうでしたから。まぁ、オンボロ寮も綺麗になりましたし?あーんなお店もできちゃって?いやぁ素晴らしい!しかもハインくんはアーシェングロット君のような脅迫…いえ、巧妙な交渉をしてこない!とても良い子ですねぇ。そんな良い子にはご褒美を与えなければ。」

    じゃあ夏休み中の〈学園内の対応〉は頼みましたよ!と、浮かれ姿の学園長はさっさとどこかに消えていく。ステッキを貰ったハインは座り直すと、一切の無視を決め込んでいたレオナを見た。

    「…アレがなぜ学園長に。」
    「さぁな。」
    「名門の名が泣きますよ。」
    「んだな。」


    ​───────


    夏休み初日の昼下がり、目を覚ましたら見知らぬ土地だったユウは、学園長だと名乗る人物を見上げて今後の処遇を待っていた。

    「魔法が使えないどころか、闇の鏡が何も分からないだなんて、そんな生徒は君が初めてですよ。あ、いや既に一人と一匹いますけど…ユウ君でした?全く、君はどこから割り込んで来ちゃったんですかぁ?」

    学園長は面倒臭そうな表情を浮かべながらも、手違いで招いた以上はこちらの責任とばかりに悩んでいた。ユウには馴染みのなさすぎる棺桶に、無遠慮にも腰掛けた学園長は、あーだこーだと言葉を並べていたが、そこそこ適当な解決策を思い付いたようだ。

    「そうです!せっかくの機会ですから、オンボロ寮の編入生として…ハイン君とグリム君も喜ぶでしょうし!そうしましょう!」

    住まわしてあげましょう、私、とびきり優しいので!もうそろそろ出かけないと、せっかくのバカンスが待っているので!

    急にご機嫌となった学園長はそう言うなり、ユウの手を引いて歩き出す。校内の案内を雑にしながら、魔法でユウを制服姿に変え、メインストリートを横切って、あれよあれよと植物園に戻って来た。

    「ハインくーん!!」
    「はい。」
    「ほーら新しいオンボロ寮の寮生ですよ!あとは任せましたから、仲良くしなさいね。では!」
    「…えっ?」

    じゃあ!とアロハシャツ姿の学園長は身を翻し、バカンスへと旅立っていく。ろくな説明もなしに任されてしまったハインは、新たな寮生を見、レオナを見、遠くの学園長を見、一拍置いて貰ったばかりのステッキを木に立て掛けた。

    「…えぇと、とりあえず自己紹介をよろしいですか。私、オンボロ寮の寮長を務めております、ハインと申します。同じ一年生同士でしょうから遠慮なさらず、お気軽に接していただけると幸いです。」
    「わ、わたしはユウと申します。えっと…お世話になります、寮長。」
    「はい。安心してお任せ下さい。ついでにご紹介しますね、こちらサバナクロー寮の寮長、三年のレオナ・キングスカラー先輩です。」
    「おぅ、新入り。おまえ幸運だな。オンボロ寮が一番マトモだ。飯も美味いしな。」

    木陰に寝そべったまま菓子を食べているレオナと、やれやれと座り直したハインを見て、ユウもそっとその場に腰を下ろす。何の説明もして貰えなかったのだろう、着慣れない制服の裾を握って、キョロキョロと周囲を見回していた。

    その様子を見たハインは紅茶を注ぎ、お菓子を添えて置いてやる。

    「見たあたり、違う世界から来てしまった感じですか?私もふと気がついたら鏡舎に立っていましてね。」
    「あの、帰り方とかって…。」
    「学園長が探しているはずですが…期待しない方が良いでしょう。一応私も色々と調べていまして、まぁ結果としては今ひとつですが。」
    「そんな…。」
    「新入り、お前は魔法使えんのか?」
    「魔法?魔法ってどう言う…?」
    「はー、監督生、こいつもお前と同じだなぁ。二人揃ったところで魔法の一つも使えねぇんじゃ何も変わらねぇぞ。」
    「普通は魔法なんて都合の良いものないんですよ。この世界がおかしいのです。」
    「ハッ、そうは言うが俺らにとっちゃ当たり前の常識だ。他の世界なんて知らねぇし、郷に入ってはなんとやらって言うだろ。」

    否定はしませんよ、とハインは頷いた。

    難しい話をするつもりはない。
    そんな話しなくともレオナは十分に理解している。生まれ落ちた場所によって常識など百八十度変わるのだ。その日暮らしが常識であるスラム育ちのラギーにとって〈教育を受ける〉ことが遥かに遠い夢だったように、食うに困らずが当たり前だった王室育ちのレオナにとって〈路地裏散歩〉が特別だったように、立ち位置を変えてしまえば物事など簡単に変わってしまう。

    「幸いにも今は夏休みです。ユウさん、まずは貴方の服や教科書、生活用品を揃えましょう。」
    「…監督生、サバナクローの空き部屋に要らねぇ布団がある。発注しすぎたらしい。処分ついでに持っていけ。他に欲しいもんあったら持って行っていい。」
    「ありがとうございます。行きましょう、ユウさん。」

    紅茶や菓子を置いたまま、ハインはユウを連れて花園を出て行く。キラリと光る魔法石と、金のイヤリングが眩く、南国の花々に囲まれて歩く姿は様になっていた。隣を行くユウも、その格好そこ初々しい女学生ではあるが、故に煌びやかだとも言える。

    男ばかりの学園に女学生が二人。
    これまで一人だったハインにとって、きっと嬉しいサプライズのはずだ。その発端が学園長の雑さから来るものだったとしても、ユウが帰りたがっているのだとしても、それを察して意を汲み上げてかつ、やはり仲間ができて少しは安堵しているはずである。

    ​───────

    「と、言うわけなのでエーデュース、グリムをお願いしても?」
    「えー、監督生は行かねぇの?」
    「来たばかりの寮生を放置はできないでしょう。でもグリムまで付き合わせるのは可哀想ですし。」
    「仕方ねぇなぁ、感謝しろよ?」
    「はいはい感謝してますよ。あとお土産楽しみにしてます。ついでに買い出しも頼もうかな…三人共、エトワールキッチンからお駄賃を差し上げますので、調味料系を買ってきてくれませんか。後でリストをお渡しします。多分三万マドルほど残ると思いますから、それは好きに使って下さい。グリム親分、彼らのこと頼みましたよ。」
    「まかせとけなんだゾ!さすが俺様の子分は羽振りが良いんだゾ!」
    「買い出しくらいもちろん引受けるが…いいのか?楽しみにしていたじゃないか。」
    「また次の長期休みにでも連れて行ってください。私は大人しく店を回します。」

    さっさっとエトワールキッチンの制服に着替えたハインは、猫用のリュックをグリムに背負わせてやりつつ笑う。申し訳なさそうにするユウを横目に、エーデュースはまぁ仕方ないか!と頷いた。

    「まぁなー学園長に任せるよりか、監督生の方がユウも安心できるだろうし。適任なのは間違いないよな。」
    「確かに。よし、お使いは任せてくれ。お土産も沢山買ってくるからな。」
    「ふな〜、留守番は任せたんだゾ!子分!」
    「はい、任されました。ではいってらっしゃい。」

    行ってきます!

    三人の声が揃って響き、ワイワイと楽しそうに出かけて行った。静かになったオンボロ寮にゴースト達の囁くような笑い声がこだまする。オンボロ寮一階部分の大半を改築して、めでたく開店したエトワール・キッチンは今日も賑わっているようだ。帰省せず、学園に残った学生達が既に集い、食事を囲んでの団欒を楽しんでいる。

    「では早速買い物に…と行きたいところなのですが、予定が一件入っておりまして。少々お待ちいただいても宜しいですか?」
    「もちろん。」
    「ありがとうございます。十五分もかかりませんから、そしたら買い物に行きましょう。そうだ。これからの食事についてですが、基本的には一階のエトワール・キッチンを利用して下さい。寮生は無料です。寮や学園での生活については女将のヴィーナさんが手助けしてくれますので、色々とお話を聞くと良いかも知れせんね。勿論、何かご不明な点等あれば私に言って下さっても構いません。学園長に代わって、私がサポート致しますよ。」
    「何から何まで申し訳ないなぁ…何かお返しでもできたらいいんだけど…監督生さん、いや寮長。私になにかお手伝いできることは…。」
    「んー…そうですね。でしたらエトワールキッチンで働いてもらいましょうか。まずは裏方として洗い場から始めまして、慣れてきたらホールやキッチンに入ってもらう形でどうですか?」
    「あ、それなら前もアルバイトでやってたから、多分お力になれるかも。」
    「それはそれは。素晴らしいことです。良ければもう一つ頼みたいことがあります。ユウさん、土いじりはお好きですか?」

    キュッとネクタイを締めたハインは、いくつかのファイルを小脇に首を傾げる。つられたユウも首を傾げ『土いじり?』と頭にハテナを浮かべていた。

    「学園の隅にエトワール・キッチン専用の農園がありましてね。今はジャック君やラギー先輩が、アルバイトと言う形で手伝ってくれているのですが…あぁ彼らのことはまた今度紹介しますね。今は一旦置いて…単刀直入に言いますと、畑の方の人手が足りないのです。」
    「畑仕事はやったことないなぁ…私にもできますか?」
    「植え付けや水やり、収穫などの重労働は魔法道具と妖精にお任せしていますので、やるとしたら柵を直したり、病気にかかっている物がないか見て回ったり、取りこぼした雑草を抜いてもらうくらいですかね。あと収穫物の仕分けとか。」
    「それならできそうかも。分かりました寮長!洗い場と畑は私にお任せ下さい!」
    「こちらこそ、よろしくお願いします。金銭面はお気になさらず。必要経費として全て学園長にツケておきますし、エトワール・キッチンは貴方一人増えたところで何ともありません。」
    「うわぁお金持ち…ほんと、ありがとう…元いた世界よりいい暮らし…あ、そうだ。あの、さっきの学園長、本当に学園長?」
    「一応。いざとなった時が見物ですね。きっと教育者の鏡のような、素晴らしい働きを見せてくれるのでしょう。」


    ​───────


    「監督生、さっきの誰っスか。」
    「新しくオンボロ寮に入寮されました、ユウさんです。私と同じ、魔法が使えない異世界の方ですよ。」
    「あー、レオナさんが言ってた人ッスね!っと、そうだ監督生、布団一式と、要らない家具とかまとめてあるっスから。俺も幾つか欲しいし、そこは相談で。」
    「ラギー先輩の残りで大丈夫ですよ。先に好きなの選んでください。」
    「いやー、監督生は良い子っスわ。じゃ遠慮なく、選んだら寮生に届けさせますわ。そうだこの際ついでに。給料前払いってできないっスか。ちょーっとピンチでさ。」
    「構いませんよ。すぐに用意しますので、まかないついでにお受け取りください。あと裏の倉庫に傷んでしまった野菜と、期限切れ間近の缶詰類他色々置いておきました。」
    「まじ?いやーありがたや。オクタヴィネルと言い、オンボロ寮と言い、飲食やってる寮は食いっぱぐれなくていいっスねぇ。」

    シシシッと笑うラギーは農作業に戻り、ハインは畑の奥にある古風な家へと歩いていく。枕木の花壇には薬草が育ち、清々しい香りのハーブ園が庭に広がっていた。玄関に掛けられたベルがチリン鳴り、室内に入れば、そこはなんとも落ち着いた小人の家のような空間がごじんまりと作られている。

    「お待たせいたしました、マレウス先輩。」
    「僕も今来たところだ。そう待ってはいない。勝手に茶を淹れたが、構わなかったか?」
    「ええもちろん。お好きな茶葉をどうぞ。お気に召す質ならば良いのですが…いかがですか?」
    「ふむ…うん、上々と言ったところだろう。悪くない。」

    優雅にティーカップを傾けるマレウスは、うんと頷いで足を組む。ハインはよいしょと椅子に腰かけ、薄青色の長い尾をユラユラ、鞄からいくつかのファイルを取り出した。

    「先程、オンボロ寮に仲間が増えたのですよ。私と同じ、魔法の使えない人の子のユウさんです。」
    「ほぅ、良かったではないか。人手が増えればお前の多忙も少しは緩和されるだろう。だが、いや監督生。僕が感じるに、ユウとお前は同じ人の子ではあるまい。ユウは確かに何の変哲もない人の子かもしれないが、監督生は違うだろう。」
    「普段くらいは人の子でいさせてくださいよ。皆さんの言うような魔法が使えない時点で、見た目が少し違うだけの人の子には違いないでしょう。」
    「ふふ、そういうことにしておこう。しかし生まれを忘れないのは大切なことだ。」

    マレウスの柔らかな忠告に、ハインは少しだけ肩をすくめる。

    忘れるわけがない。
    むしろ、どうすれば忘れられると言うのだろうか?ハインが人間をやめてかれこれ二百と数十年経った。元の世界で生きていたその間、出で立ちこそ人間のそれだったので大きな問題は起こらず、定住さえしなければ何てこともなかった。しかし五十年ほど前からだろうか。化生の下手な狐狗狸よろしく、どうしても尻尾が出てしまうようになり、ついに人の世を離れざるを得なくなったのである。

    そして約二年前。
    この世界に迷い込み学園長に拾われて、尻尾を持つ種族くらいいますよ?と何かを察した様に言われたので、それはそれはと一安心し、無事に〈今年も一年生〉として過ごしている。

    だが、忘れてはいない。
    元々は人間であり、出自こそ難あれど人の子であり、人間を辞めるつもりなど毛頭ない。人間だとは言えない見た目なのは事実だ。それは甘んじて受け入れよう。しかし…魔法があるのなら、人に戻る術もあるのでは?と思うのだ。

    まぁ、それはともかく。

    「先日の件を図書館で調べてきました。一応は私の故郷とこちらの世界とで共通点があるのですが、根本的なものが違うようですね。参考書も図鑑も、時間の許す限り読んでみたのですが…やはりいまいち感覚が掴めません。」
    「ふむ…どうやらそのようだ。たとえばこの〈験担ぎ〉は多くの国で今も昔も行われている、星占術と天文学を併用した歴史ある学問だ。過程は数式で表され、偶然などとの曖昧な要素が介入する隙はない。必然として導き出される。」
    「学問…どおりで、注釈の意味すら理解できない訳ですよ。私にとっての験担ぎは、学問で導き出されるものではありません。偶然に賭けた単なる気休めです。おこぼれがあったら嬉しいな、程度のものでした。」
    「それもまたいいではないか。予知しない幸運は嬉しいものだろう。」

    上品に笑うマレウスが、ふと外を見る。
    簡素な木枠に縁取られた窓の外には、ハインが趣味で作っているハーブ園が広がっている。ハーツラビュルから譲り受けた赤レンガが倉庫近くに置かれていたり、腐葉土が山になっていたりと、まだ作りかけのようだが、すでに完成した花壇に植えられたミントやカモミールは青青として健康的だ。

    「ふむ、ではそろそろお開きとしよう。以前言っていた資料と書物はこの鞄にまとめてある。今回の験担ぎの資料は貰って行こう。僕の方でも調べてみる。もしかしたらリリアが何か知っているかもしれない。また分からない事があったら僕を呼ぶといい。」
    「ありがとうございます。」

    パッとマレウスが消え、微かな煌めきだけが残される。整備しきれていない作業小屋のような家にマレウスを呼ぶなど、セベクあたりに知られれば怒られかねない。だがマレウスいわく『居心地が良い』とのことで『これから手入れをしていくのなら、古風で簡素な小屋風にしてほしい。足休めの場が好ましい』とご要望も賜った。

    (農村風の…て、ことなんだろう。)

    ディアソムニア寮のような豪華さを求められれば、流石に難しいと断るしかなかった。魔法道具に頼ったとて上限はあるのだ。しかし昔懐かしい農村風ならまぁできなくもない…として、ハインは助っ人ジャックとコツコツ、このハーブ園を作り上げた。

    エーデュース他には声をかけていない。
    かけたらオンボロ寮よろしく、集いの場にされかねないと思ったのだ。ジャックは気が利くので作業時以外は立ち入らないし、立ち入るにしても前もって確認をとってくれる。

    (…はー…静か…。)

    座り直したハインは、小鳥の遊ぶハーブ園を眺める。気の香りが漂う室内には、ふんわりと花の香りが混じっていた。差し込む木漏れ日は室内を彩り、チラチラ、キラキラと煌めく。

    この家の家具は基本的に、木目をそのまま生かしたもので揃えてある。長椅子にはオンボロ寮の物置から出てきた丈夫なカーテンをあえて用いて、詰め物こそしっかりと入れはしたがそれだけの、少しザラついた肌触りとなっている。天井の梁に紐を掛けてフックを吊り下げ、沢山の花束を引っ掛けておいた。この花束はエトワール・キッチン開店時に、お祝いで貰った花束であり、このうちのいくつかはオンボロ寮に持ち帰って飾ってある。

    「…ふぅん…。」

    ハインはマレウスの解説や注釈が書き込まれた資料を流し読み、難しそうに目を薄める。

    (魔法が存在するのはもう仕方がない…魔法石がトリガーなのは分かるけど、これ自体に特別、魔力が宿っているわけではない…けれどあのシャンデリアとかは動力源が魔法石だった。あれ含めて加工者の魔法なのか、そう言う呪文なのか…。)

    自分の持ってきた鞄と交換する形で、マレウスの鞄を手にしたハインは、ステッキを手に立ち上がる。レオナが土産と言って押し付けてきたドリームキャッチャーが窓で揺れ、それを見たハインはふと動きを止めた。

    マレウスの達筆。
    書かれているのは験担ぎについての解説と、各地にある似たような文化の説明だ。ご丁寧にオススメの参考資料や書籍についても記されている。

    (…そのため…験担ぎ同様、災い避けもまた必然として成り立つ…但し注意せねばならない…既に定められた災いを避けるには、験担ぎ以上の準備期間を要する…。)

    認識に改めるのは難しい。
    ましてや曖昧な験担ぎや災い避けのような神頼み系が、数式による必然だと言われれば尚更にだ。言葉で理解はできたとしても、感覚が掴めない。

    (…いや、これは…。)

    カチリと腕時計の針が動く。
    ユウのことを思い出したハインは考え事をしながら来た道を戻り、エトワール・キッチンに帰ってきた。

    「おかえり、ハインちゃん。」
    「すみませんヴィーナ。またすぐに出ます。ユウさんの生活用品を揃えないと。」
    「そのユウちゃんのことだけど…今あそこの席でまかない食べさせてるわ。でも…ごめんなさい、失礼な言い方になっちゃうけど…多分あまり恵まれなかったのかもしれない。お医者さんに一度診てもらって?」
    「? あぁなるほど。そうですね。分かりました。」

    ヴィーナの視線の先で、ラギーと一緒にまかないを食べているユウは楽しそうに笑い、緊張と不安は薄れつつある様子だった。しかしフォークの持ち方は幼子のそれに似ていて〈可愛らしい〉有様だ。カフェでテーブルマナー云々は些事としても、モストロラウンジでは確実にアウトだろう。

    「ではまず医務室に行って、結果によっては帰ってきます。どちらにしてもまた連絡しますね。」

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