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    yuki_no_hate

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    yuki_no_hate

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    Webオンリーこの傷痕ごと愛してくれ弐 参加中です。
    同僚水小説③
    花吐きネタです。病に関してはにわか程度にしかわからないのでゆるっと捏造している部分もあります。

    花を吐く話[水木視点]

    水木視点


    ――俺、結婚することになった。

    そういって目の前の男は薬指に嵌まる銀色の指輪を見せた。それをみた俺はどうしようもなく心臓が痛み、胸元のシャツがしわくちゃになるくらい握りしめたかったがぐっと堪え、口の端を引き攣らせながらなんとか笑みを浮かべておめでとうと言った。


    そこではっと目が覚めた。辺りを見回せばまだ暗く真夜中で、先ほどみたものは夢だとわかり安心したのもつかの間――
    「っ、う゛……か、ッは……ゲホッ――」
    唐突に襲う吐き気に咳き込んでしまい、便所に駆け込む暇もなく掛け布団の上に胃の中身をぶちまけたつもりだったのだが吐瀉物特有の酸っぱい臭いはせず、不思議に思いそちらをみると花のようなものが散っていた。
    「なんだ、これ……赤い花……、っ! ……いや、まさか……嘘だろ……」
    嘔吐中枢花被性疾患……通称花吐き病。どこか噂で耳にしたことはあったが実際に罹患した人間はおらず、都市伝説だろうと囁かれている奇病でだ。けれどそんなものは架空の病だとその存在を信じてなどいなかった。
    しかし、花を食べた覚えはないし身体の中から生花のような花が出てくるなど人体の構造上あり得ない。だから、架空のものだと思っていた病は信じがたくても実際にあったのだと厭でも思い知らされ、血の気が引いた。
    「嘘だ……あんな、夢を見ただけでこんなふうになるなんて……くそっ……」
    悪態をついて頭を抱える俺の脳内で最悪の二文字が埋め尽くされていく。それはこの病の症状を引き起こす条件が理由だった。

    片想いをこじらせると花を吐く――

    改めて思い返して再び頭を抱える。これではまるで、俺があいつに懸想をしているみたいじゃないか。…………否、不本意ではあるが症状が出た時点で自覚していようがいまいが関係ないのだろう。あの男……隣席の同僚とは身体の関係はあるけれど、そんな感情を抱いた覚えはなかったし、抱くこともない。だから割りきった付き合いをしていた。
    それはあちらも同じなわけで。つまりは都合のいい相手だ。ただそれだけだ。それなのに……あぁ、きっとあの夢を見たからそんな気になってこんなことになってしまったんだろう。この状況も夢であったら良かったのにと強く願うも虚しく、時間は無情にも流れていき、気がつけば窓の外が明るくなっていた。

    不運にも今日は平日で会社に行かなくてはならない。病の症状が出てしまった以上、あいつとは必要以上に関わらないようにしなくては。これはあいつと距離を置くことで症状がなくなることへの期待だった。少しずつ距離をおいて関係も解消されれば不本意な感情も消えるはずだ。
    ひとまずそうして駄目ならまた考えよう。そう思い、睡眠不足でふらつく身体で立ち上がり朝の身支度を始めてシャツに袖を通しネクタイを締め、ズボンを穿いてベルトを締めながら居間に行く頃には卓袱台の上には朝食が並べられていた。
    「おはようございます」
    「おはよう」
    短い挨拶を済ませてふたりで向かい合い、いただきますといってから細心の注意を払って食事を始める。気を付けないと早食いをしてしまい、母が辛そうな顔をするからだ。
    ただ、今日に関してはそうしなくても心配そうな顔でこちらをみているから余程ひどい顔をしているのだろう。母は俺が悪夢にうなされているのを知っているから、今日はいつもよりひどかったのだと思っていることだろう。
    そう思ってくれているならそれでも良い。朝食を終えるとごちそうさまでしたと手を合わせて空になった食器類を台所へと持っていく。魚の骨などを備え付けの袋に捨て、水を張った盥へ静かに食器を沈めた。とぷんと音を立てながら沈んだ食器をみて、まるで今の俺のようだと自嘲する。
    それから、気持ちを切り替えるように両手で頬を数回叩き背広と鞄を抱えて行ってきますと声をかけて会社へと向かった。


    職場へ着くと誰もいない。これはいつもの事だ。俺の次に来るのが隣席の男……出口だ。出口は表情の変化に乏しい男で、人に意見を求められれば忖度しない返答をするが、それで人を怒らせたことがない不思議なやつだった。
    そして出口自身も誰かになにか厭なことを言われても表情ひとつ変えずにそうですかと一言であしらって怒りを露にすることはなく、過去に一度だけどうして言い返さないのかを尋ねたことがあるのだが、そうしたところで意味がない、腹が減るだけだとそう返ってきた。
    どこか達観したやつだと思った。年齢は変わらないはずなのに俺とは違って気長で動作もどことなくのんびりとしているのに不思議と仕事は淡々とこなして必ず定時には上がっている。テキパキと時間内に済ませる手腕は見ていて気持ちが良いくらいだ。
    それを面白く思わなかった先輩方が終業直前に意地悪で仕事を押し付けようとした時は必ずといって良い程存在を消してやり過ごしているものだから見事といえば見事だが、隣席であるが故にとばっちりを食らったことがあるのでその時は捕まえて手伝わせた。

    それからよくつるむようになった。とはいっても俺も出口も積極的に何かをしようということはなくただ何となくふと思った時、屋上へ煙草を吸いに無言で立つ時に着いていったりついてこられたりする程度の付き合いだったのだが。
    一度宴席で潰れる直前まで飲まされた夜、家に帰るまで意識が持たないと連れ立って雪崩れ込んだ宿で一夜を共にしてから関係が少しずつ変わっていった。
    その時は完全に酔っぱらっていたし身体が動かなかったので布団もしかずその場で転がり眠ったせいで冬の寒さに耐えられず、無意識に温もりを求めていたのだろう……朝起きたら抱き合っていた。きっとそれがいけなかった。
    あまりの心地よさに癖になってしまい、もう一度その体温を肌で感じたいと思ってしまった。それは向こうも同じだったようで、定時で上がれそうな日の夜は示し合わせることなく自然とふたりで宿に向かうようになっていった。
    初めはシャツ越しの熱で満足していたのだが、次第に纏う服は減っていき最終的には……という流れだ。
    どちらが突っ込むか突っ込まないかで揉めて、結局自分が負けて尻を洗われた時の何とも言えない気持ちを忘れることはないだろう。思い返してみれば、手慣れている感じがあったので自分とそういう関係になる前にも誰かと関係を持っていたのかもしれない。
    それを思うと少しばかり苦い気持ちになるが、それもきっとこの病の影響だろうかと思い、ため息をついた。

    ふと時間をみると、そろそろ出口が来る時間になったので資料室へと向かった。少しでも避けられればいいというのが理由の大半だが、資料室には本当に用事があるのでなにも問題はない。
    そして頃合いを見計らって席へと戻ると出口は外回りの準備をしていたので、俺はなるべく顔をみないように挨拶をして資料を片手に書類仕事を始める俺の態度に出口はなにも言わずそのまま出ていったのでほっと胸を撫で下ろした。

    それからというもの俺は書類の処理に必要だと理由をつけて資料室へ行き、出口が内勤の時にうまく噛み合うように外回りの予定をいれてなるべく同じ部屋にいないようにしていて、一週間が経っていた。
    その間も夜中に目を覚ましては口からは花が散った。最近ではどうかすると昼間でも吐きそうになるのでより一層注意が必要だった。だからかもしれない……いつも通りに資料室で必要なものを探している最中、背後に近寄る存在に気がつくことが出来なかった。
    「水木」
    突然名前を呼ばれ、びくりと肩が大きく跳ねた。今日は朝から外回りのはずだったのにどうしているんだと困惑したが出口は構わずこちらに近づいてきたので、俺は資料を探すフリをして出口の方を振り返らないようにした。
    「水木。呼んでるだろ」
    これはこっちをみろという意味を込めて言っている。呼んでも振り返らない俺を不審に思ったのだろうが、心の準備が出来ていないうちに呼ばれたって振り返れるわけがない。
    「すまん。今調べ物してて忙しいんだ」
    苦し紛れにそう言うが、出口はこちらに近寄ることをやめず、俺の背後に立ったのが気配でわかった。すぐ後ろには出口の身体があって、これはこれで振り返ることが出来ないので都合が良い。このままなんとか適当にあしらってやりすごそう……そう思っていた俺はどうしようもなく莫迦で愚かだった。
    直後、棚に腕を伸ばしていると手首を掴まれて硬直する。俺よりも大きい掌が、長い指が強めの力で手首を握られて思わずたじろいだ。出口の動きはそれだけに留まらず腹の前に手を滑らせながら腰に腕を回して身体を寄せられ動きを封じられてしまう。
    「水木、最近俺の事避けてるだろ」
    「……気のせいだろ。俺だって忙しい時は忙しい」
    「あんなあからさまにして、ばれてないと本気で思ってる?」
    出口の問いかけに返す言葉がでなかった。こいつはぼんやりしているが周りを、人をよく見ているので大体の事を察して把握するのが上手いことは誰よりも知っているつもりだ。だからこそ細心の注意を払っていたのだが、いつの間にか距離を置くことばかりに気を取られていたようだったと気づいても後の祭りだった。
    俺が返答をしない限り出口は拘束を緩めないだろう。いっそこの身に起きたことを話そうかと思ったが、やはり顔を見て話すには躊躇する内容なのでそのまま黙っていると、突然耳元に息を吹き掛けられて膝から力が抜けたがそれを見越しての事だろう。身体を抱える腕によってそのままくず折れるような展開にはならなかった。
    「っ、なにすんだよ」
    「お前が真面目に答えないのが悪い」
    出口は耳元で言いながら一度身体を拘束した腕をずらし、手を胸元付近まで持っていくとネクタイを軽く引っ張った。ちゃんと返事をしないと次はこれをほどくという意思表示だろう。耳元で響く低音に腹が熱くなったような気がして、それを吐くようにため息をついた。
    「悪かったよ。……最近体調が悪くて自分でもひでえ顔してるなァって思ったんだ。そんな顔をお前さんに見せたら心配かけると思ってなるべく顔を見せんようにしただけだ」
    口を挟む隙を与えず、一気にそう返事をしたが出口の反応はといえば無言だった。無言でネクタイの結び目を緩め、抗議するまもなく上から三つ目までのボタンを手早くはずしていった。質問には答えたのに結局そうするんじゃねえかと今度は怒りが沸々と湧いてきた。
    「おい……答えたのに何してくれてんだ」
    「嘘を吐くから」
    「嘘じゃねえよ」
    「じゃあ本当か?」
    「だから、耳元で話すなって……」
    「本当かと聞いてるんだ」
    さっきから一体何なんだ。こっちはこっちの事情があるんだよと言いたいが、話すにはやはり抵抗があり口をつぐんでしまい、思わずうつむいた。手首の拘束は取れないし、身体を捕まえたままでいつになったらほどいてくれるのか……そんなことを思っていると、突然襟を引っ張られる感覚がして直後に喉元がつまる。
    「あ、ちょっ……なに、……ぁ、っ……」
    首の後ろを吸われ反射的に身体が跳ねた。しかし出口は構わず首筋に唇を這わせ、強く吸われる度に身体はびくりと反応する。こればかりはどれだけ構えても耐えることはできなかった。
    「出、口……なんのつもりだ……こんな、とこで……っ、はぁ……」
    出口は首筋を吸いながら長い指はシャツ越しに腹を撫で、それは上にあがって胸元に触れて来たところでまた腹が、今度は喉まで熱くなってきて……これは不味い状況になったと焦る。こんなことになるなら無理にでも振りほどいて逃げた方が良かったと後悔するには些か遅すぎた。
    「わかっ、た。ちゃんと話すから……手、離……っ、ぐ……ぅ、……けほっ、……くそ、こんなときに……」
    拘束された方の手に思わず力が入り、血流が塞き止められたような感覚を覚えたがもうそれどころではなかった。
    あの嘔吐感だ……咳が出始めたら花を吐ききるまで止まらない。こうなったらもうどうにでもなってしまえと半分自棄になり出口の腕を掴み、腹の上から抱えるように自分の手を押さえると予想外の行動に、今度は出口が驚いたようで身体がぴくりと反応した。
    それで拘束を解くような男ではないのだが、今はそれで好都合だった。身体を少し折りながら空咳を繰り返しているうちに喉に引っ掛かるものが咳をする度に口内から落ちていき、それは量を増していった。
    床に散る花を見て、以前よりずっと量が増えていることに意識が遠退きそうになって拘束されていたのも忘れて倒れそうになったので出口もそれに引っ張られて体勢を崩したが、棚に身体をぶつけてしまわないよう配慮する余裕はあったらしくそのお陰で棚の金具部分が身体に食い込むということはなかった。
    虚脱感に襲われていた俺はそのまま力なくその場に座り込み、出口も俺のそばに腰を下ろして今度は心配そうにこちらをみていた。
    「はぁ……は、……」
    「水木、大丈夫か? それに、これ……」
    「……花吐き病。なんか、急になっちまった。気味が悪いだろ? 身体の中から花が出てくるなんて」
    「花吐き……お前、好きなやつがいるのか」
    「この病気の事、知ってたのか?」
    「存在すると聞いたことはある。実際にみるのははじめてだが」
    「俺も。……まったく、そんなんじゃないって思ってたんだけどなぁ」
    俺が笑いながらそういうと、出口の瞳は怒りとも悲しみとも取れない何かしらの感情が入り交じった色にかわっていて、その瞳がこちらを見ることはなくその視線は床に散らかった花に落とされていた。
    「見るなよ……って、なにやってんだ!」
    出口が床に転がった花を手に取ろうとして俺は慌ててその手を掴んで触れる直前で止めるが、もう片方の手でそれをつまみあげてまじまじと眺めていた。花吐き病の事を知っているのなら触れたら感染することを知っているはずなのに……。
    「……綺麗だな」
    「やめろよ。一応腹の中から出てきたやつだぞ。これでわかったろ。見られたくねえから避けてたんだ」
    「なら、もう見たしそれはもう避ける理由はないな」
    「え……いや、まあそうだけど」
    お前から離れなきゃ意味がないんだとは口が裂けてもいえなかった。言ってしまえば俺がこいつを好きだと認めることになってしまうのではないか? それを認めてしまったら、これまでの関係にひびが入ってしまう。それを思うとそれだけは避けたかった。
    「まだなにか言いたいことあるのか?」
    「……出口、もしかしなくても怒ってるのか?」
    返事は聞かなくてもわかっていたが、一応は尋ねてみる。しかし返事はなく、その代わりにこちらをじっと見据えたまま動かずにいた。
    出口の瞳は先程より怒りに近い感情が色濃く出ていて、蛇に睨まれた蛙の気持ちが少しだけわかるような気がした。人を射貫くような視線を向ける出口に思わず怯んでしまい後退りをするが棚が背に当たることで逃げ場がないことを思い出し少しばかり狼狽えてしまう。
    「誰?」
    「え」
    「お前が片想いしている相手だ」
    「いや、だから……俺はそういう気はなかったんだって」
    「気がなくても体はそうだと認識してる。そうなった心当たりはあるんだろ」
    「それは……そう、だが」
    「言えよ」
    先程よりも目が据わっている。目付きの良くないやつほど目が据わると……否、そもそもの話滅多に感情を表に出さない出口が怒りにも近い感情を露にしていること自体が恐ろしいことなんだ。俺の口から返答を待ちつつも身体はじりじりと迫ってきていて、逃げ場を失った俺は手首を掴まれてしまった。
    「……やめてくれ。言いたくない……それに、俺たちはそこまで踏み込んだ間柄じゃないだろ? ……な?」
    その場凌ぎでそう言うと出口は一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべた。……かと思えば苦しそうな表情に変わり喉元を押さえ始めた。
    「…………っ、は……ぅぐ、……かはっ、けほ……ッ……」
    「出口……?」
    俺は慌てて背中を丸めた出口の横に移動して背中をさすってやる。感染していたとしても何事もなければ症状が出てくる事はないので、出口のはただの咳き込みだと……そう思いたかった。
    けれど、咳き込む出口から吐き出されたのは自分と同じ赤い花だった。血のように赤い花はとてもきれいで……同時になぜだか胸が痛んだ。出口は普段から感情に波はないし表情も滅多に動かない。だが、自分と同じ人間なわけで……だから誰かに懸想をすることがあっても何らおかしくはない。それなのに――
    「……大丈夫か?」
    「うぇ……なんか、喉に引っ掛かる感じが厭だ」
    「……なぁ、出口」
    「なんだ?」
    「俺たちは距離をおいた方がいいと思う」
    「なんで」
    「何でって……お前さん、ちゃんと好きな人いるんだろ? 拗らせるほどにさ」
    「それ、本気でいってるのか?」
    あぁ、またこの目だ。なんだか先程より瞳の色に影が落とされているし声もいつもより低いような気がするが気のせいにしておこう。
    「あぁ。そのくらい想ってるやつがいるなら、俺は……邪魔だろ?」
    俺の言葉に出口は手首を掴む手に力を入れたので、ギリギリと皮膚が軋む音が聞こえた気がして思わず痛いとこぼすと出口ははっとしたように手を放し、手首の拘束はほどかれた。
    俺はその隙に立ち上がり、はずされたシャツのボタンをかけ直し、ネクタイを手早く締め直す。それから床に散らばった花を拾えるだけ拾って……捨てようとしたが、出来なかった。なぜなら、俺の吐いた花と出口の吐いた花が混ぜこぜになってしまいどちらの物かわからなくなってしまったからだ。
    自分の物だけなら、躊躇なく捨てていたのに……そんなふうに思い、嘆息して出口の方をみると出口も同じことを思っていたのか俺が拾いきれなかった花をそれぞれ手にとって違いがないかを見比べていた。
    「そんなもん、どっちも同じだろ」
    「違うかもしれんだろ」
    「同じ花だし、色までおんなじなんだから見分けつかねえって。ほっとけばいいだろ」
    「それはそうだけど、このまま放っとくわけにはいかん。これはお前の気持ちが形になったものなんだから」
    「……お前さんは本当に優しいんだな。俺はお前さんのそういうところは気に入ってる」
    「そうかよ」
    そう。こいつは見た目よりもずっと優しい男なんだ。
    だから、こいつがこじらせるほど想う相手がどんなやつかは知らないがこいつの想いが報われますようにと、軋むような胸の痛みには蓋をして知らぬふりをして心より願った。


    ――そして俺は今日も赤い花を吐く。


    [同僚視点]

    水木が花吐き病に罹っていたのが分かったのはつい先日の事だった。


    ある日突然水木の態度が一変し、あからさまに俺を避けるようになった。初めに違和感を覚えたのは挨拶をする時、あいつは必ず人の顔をみて挨拶をする。それはいくら気に入らない上司であっても俺のような気遣いが不要な相手であってもだ。
    それが、挨拶をしても振り向こうともせず声だけで返事をした瞬間になにかがおかしいと思った。そのときは周りに人がいたし外回りの時間が迫ってきていたこともあったのでまた顔を会わせたときに訊けばいいかと思っていたら、あいつは図ったように俺がいるときは必ずと言っていいほど席を立っていた。
    それが一週間……一週間だ。よくやるわと思ったがここまで避けられ続けた俺もよく我慢したと思う。

    水木とは初めは隣にいる同僚という間柄ではあったが、先輩の意地悪によって押し付けられた仕事をふたりですませた頃から関係は少しずつ変わっていった。その頃はまだ煙草を吸う時間を共にする程度だった。
    それが大きく変わったのは潰される直前まで飲まされたとき、限界を迎えてふたりで宿に転がり込んでからだろう。そのときに感じた体温が忘れられず、また触れたいとそうも思っていたら水木もそうだったと分かった。
    そして服越しに体温を感じるだけでは物足らず……示し合わせたわけでもなく素肌に触れ合うようになって身体を重ねるに至る。そうして過ごしている間に俺は水木と過ごす時間が好きになっていった。他愛のない会話があってもなくても、あいつがそこにいるだけで満足だった。
    そんな毎日が当たり前だと思っていた辺り俺も傲慢だったかもしれないが、水木のことはそのくらいには大切に思っていた。とはいえ、あいつにとって俺は肌を重ねて性欲を発散するのに都合のいい相手にしか過ぎないので俺の気持ちは一方通行だったのだがそれでもよかった。よかったと思っていた。

    そして今日も、水木はろくに顔も合わせようとせずそそくさと資料室へと逃げていった。そんなに頻繁に通ってると却って怪しまれるんじゃないかとは思うが、水木は資料室のものを参考に書類関係の仕事は完璧にこなしていたのできちんと仕事をしていると認められ咎められることはなかった。
    水木が資料室へ行ってから頃合いを見計らい自分も席を立つ。それから自分の名札部分にかけられた外回りの札を取り払い、資料室へ行ってきますと断って部屋を後にした。


    資料室に入ると奥の方で物音がしたのでそちらへ向かえば水木の後ろ姿が視界に入った。俺を避けるためにわざわざ仕事を抱えて資料室にほぼ入り浸り状態にするとはどこまで念入りなんだとほんの少し呆れはするが、何にたいしても念には念を入れる水木らしいと思う。
    「水木」
    声をかけると資料を探す手はピタリと止まる。が、気を取り直したように手を動かし始めた。一週間も避けられていたこともあり、呼び掛けても返事がないことに多少の苛立ちを覚えながら水木へと近寄りながら、再び声をかける。
    「水木、呼んでるだろ」
    「すまん、今調べ物してて忙しいんだ」
    これは二割本当で八割は嘘だろう。一体どういうつもりなのか、直接聞いた方が早い。今水木がいる場所は壁沿いに備え付けられた棚で、これより先に逃げ道はない。ならば後ろから囲い込んでしまえば後はどうとでもなる。

    資料を探す水木の腕を捕まえて、その手を手首の方へとずらす。もう片方の手を腹の辺りを滑らせながら腕に抱え込み後ろから抱き締めると背中の体温が伝わって久しぶりの感覚だとそんなことを思う。だが、今はそれを楽しむ時じゃない。
    「水木、最近俺のこと避けてるだろ」
    水木の耳元でそう問うと、小さく肩をを跳ねさせながらも水木は返答するが、その内容にまた苛立ちを覚えた。こいつは人を見る目がある。俺のこともよく分かっているからそんな言い回しをしたところで納得するわけがないことも分かっているはずだというのに。本当にそれでごまかせるとでも思っているのだろうか。
    水木からは返事をしたので拘束を解いてもらえると思っていたのか、いつまでも手を離さない俺に少しばかりの困惑と早くはずしてくれないかという焦りを感じたので、耳の上部……欠けた辺りにふっと息を吹き掛けてやると力がぬけたのか体勢を崩したので抱えた腕に力をいれてくずおれるのを阻止した。
    水木ほどではないが、腕力は人並みにあるのでそのくらいは容易だった。直後に何をするんだと水木から怒りの言葉をもらったが、真面目に答えないのだから自業自得だろう。身体を支えていた手を胸元へと運び、ネクタイをつかんで軽く引っ張って見せると水木は観念したのか小さくため息をつきを吐いた。
    「悪かったよ。……最近体調が悪くて自分でもひでえ顔してるなァって思ったんだ。そんな顔をお前さんに見せたら心配かけると思ってなるべく顔を見せんようにしただけだ」
    水木の返答に先ほどから感じていた苛立ちが色濃くなった。他の社員から水木が体調悪そうにしているがなにか知らないかと尋ねられたことはあったから体調が悪いのは本当かもしれない。けれど、こちらが口を挟めないように早口で返答してこの場から去りたいという気持ちが筒抜けだった。
    だから、手に持っていたネクタイを緩めて釦を三つ程はずしてやった。すると水木はわかりやすく怒りを露にするが今の俺にはなにも感じなかった。自分でもこんなやり方は卑怯だとは思う。けれど、まともに話し合おうとしてもこいつはうまく逃げてしまうからこうしてしまうのが手っ取り早いし、この機を逃してはならないような気がした。

    シャツの襟首を咥えて後ろへ引き、首の後ろへ唇を這わせて強めに吸って痕をつけ、首筋にも同じことを数回ほど繰り返した。その度に水木の身体は小さくて跳ねて声を漏らすのを聞きながら、腹を撫でてから胸元に手を持っていき傷のある辺りをシャツ越しに触れていった。きちんと話さないとこの場で最後までするという意思表示だと水木は気づいたのか、若干の焦りを見せた。
    慌てたように分かったと言う返事と共に、突然水木の様子が一変しこれはただ事ではないとすぐに分かった。
    水木は何度か空咳を繰り返し、何度もえづきながら俺の腕をつかみ、それを腹の辺りに持っていったかと思えばそのまま食い込ませるように押さえつけた。思わぬ行動に少し驚きつつも水木の力は俺よりも強いので俺はなにも出来ず、水木に対して心配だという感情が湧いて先ほどの苛立ちもどこかへと消えていた。
    やがて、水木はなにかを吐き出したのでそちらをみると赤い花だった。赤い花が水木の口からいくつも吐き出されて床に落ちていく。血のように赤い花を吐ききって、水木は小さく息を飲みそれからふらついて倒れそうになったので突然のことに同じように倒れてしまうが、すんでのところで踏ん張ることが出来、棚に身体をぶつけることだけは避けられた。

    荒れた息を整える水木の横に腰を下ろし、水木が落ちついてから声をかける。
    「水木、大丈夫か? それに、これ……」
    「……花吐き病。なんか、急になっちまった。気味が悪いだろ? 身体の中から花が出てくるなんて」
    水木は俺から視線をはずして目を伏せて自嘲する。この病気の存在を知らない人間からすれば奇妙なものに映るだろう。それはそれとして……水木が病に罹っていて、症状が現れたと言うことは水木には想い人がいるということだ。
    そんなんじゃないって思ってたんだけどなぁと、そう言って困ったように笑う水木を見て俺の胸は痛んだ。こいつが誰かを好きになることがないなんてどこかで安心していた自分に対して、恥ずかしさと腹立たしさを覚えた。

    視線は自然と水木から吐き出された花へと向かっていて、思わず手を伸ばしたが慌てた水木に手を捕まれて阻止されたがその隙にもう一方の手で花に触れ指先で摘まんでその花を見る。血のように赤いその花はこれまでみた花よりもずっと綺麗で、綺麗だと思わず声に出していた。
    花吐き病は吐かれた花に触れると感染するのは知っている。それでも、水木の内面に触れてみたかった。
    「やめろよ。一応腹の中から出てきたやつだぞ。これでわかったろ。見られたくねえから避けてたんだ」
    「なら、俺はもう見たしそれはもう意味はないな」
    これで水木が俺を避ける理由は払拭されたと安心したが、水木はそうは思っていないようだった。もしかしたら、否……もしかしなくても好きなやつにおれとふたりでいるところを見られたくないのかもしれない。そう思うと、こいつの好きなやつが自分でないことを厭でも思い知らされて、腹の中でこぽこぽと息を吐くように何かが蠢いた気がした。
    「……出口、もしかしなくても怒ってるのか?」
    戸惑った表情を浮かべた水木は俺にそう尋ねる。そうか、俺は今そんな顔をしているのかと表情に出したつもりはなかったが、水木にはそう感じたらしい。腹を立てていたのは水木に対してではなく自分に対してだったのだが……そういったことは口にだして言わないと伝わらないことなのは百も承知だった。

    水木が誰を想い、この花を吐き出すようになってしまったのか……聞いたところで教えてはくれないだろうが、それでもやはり水木の口から聞きたいとおもった。聞かなくては、気が済まなかった。水木がこじらせるほどに思いを寄せる相手が羨ましかったし、妬ましかった。
    「誰?」
    「え」
    「お前が片想いしている相手だ」
    「いや、だから……俺はそういう気はなかったんだって」
    「気がなくても体はそうだと認識してる。そうなった心当たりはあるんだろ」
    「それは……そう、だが」
    「言えよ」
    自分でも驚くくらい冷たい声だと思った。そこまで強く問い質すつもりはなかったが、一度認識してしまった嫉妬という感情に嘘は吐けないようだった。
    逃げ場がないのに、それでも逃げようとする水木の手首をつかんで捕まえる。答えてくれれば諦めもつくのだから答えて欲しかった。けれど、得ることはできなかった。
    「……やめてくれ。言いたくない……それに、俺たちはそこまで踏み込んだ間柄じゃないだろ? ……な?」
    取り繕えていないひきつった笑みを浮かべながらのその場凌ぎの返答。そうまでして隠したい相手なのかと思うと、悲しみが襲うと共に先ほどから腹のなかで蠢いていたものがせり上がってくるような感覚がして、耐えきれず咳き込んだ。
    「…………っ、は……ぐ、……かはっ、けほ……ッ……」
    「出口……?」
    掴んでいた水木の手を握ったまま胸の痛みに耐えながら何度も咳き込んだ。腹の中で蠢いていたものは、何となく想像はついていたがこれほどとは思わなかった。一週間もこれが続いていればたしかに体調も悪くするのも納得できる。
    何度かえづいて、喉に異物が引っ掛かる不快感を覚えながら吐き出されたのはやはり赤い花だった。俺は自分の気持ちを自覚していたし、拗らせていたつもりはなかったが水木が誰かを思っているのが分かった時点で失恋が確定したようなものだ。これはきっと早く気持ちを伝えなかった俺への罰だろう。
    背中をさする水木の手が温かい。この温もりを手放したくない。そう思っているのに水木の口からでた言葉は俺の心を更に抉った。
    「俺たちは距離をおいた方がいいと思う」
    その一言に、反射的になんでと問いかけた。水木は水木で、俺に片想いの相手がいると本気で思ったようだった。俺の恋路を邪魔をしてはならないと、そう思ったのだろう。
    「それ、本気で言ってるのか?」
    「あぁ。そのくらい想ってるやつがいるなら、俺は邪魔だろ?」
    とんでもなく見当違い。気持ちを伝えられなかった俺が思うのもなんだが、人の気も知らないでと少しばかり殺意がわいた。俺が好きなのはお前だけなのにと、この場で押し倒して首を絞めて殺してやろうかとそんなことを思い、手首を掴んだ手に力が入る。
    「痛っ……」
    「ッ……」
    水木がいたがる素振りを見せ、はっと我に返り思わずすまんと口走りそうになったが口を噤んだ。これについてはなぜか謝りたくなどなかった。
    水木から手を離すと、水木はすぐにはずれたボタンをかけ直してネクタイを締めると床に散らばった花を集めて腕に抱えたがなにか躊躇っているようだった。そんなもの、捨ててしまえばいいのにと思いながら、捨てるには抵抗があるのは分からんでもなかった。
    水木が吐いた花と、俺が吐いた花はどちらも似たような色と形をしていた。俺は花を手にとって、違いがないかを見ているとそんなもの同じだろという声をかけられるが、俺は首を横にふった。
    「違うかもしれんだろ」
    少しでも違えば水木から吐き出された花を手に入れることができるなんて、我ながら浅はかだと思った。こんなことをするくらいならとっととお前が好きなんだと言えば良いことくらい分かっていた。
    しかし今この状態で気持ちを伝えたとしても水木は信じないだろうし、そもそも水木に想い人がいるのに俺の告白はそれこそ邪魔でしかない。それでも拾い集める俺に見分けがつかないしほっとけばいいと言う水木に対して再び首を横に振る。
    俺の知らない誰かに当てた気持ちだったとしても、この花は水木の気持ちが形になったものだ。誰かに見つかったらどこかから舞い込んだものとしてしか認識されずにゴミ箱へと捨てられるだろう。そう思うとやはり放ってはおけなかった。
    これはお前の気持ちが形になったものなんだからと告げると、水木はふわりと笑みを浮かべた。
    「……お前さんは本当に優しいんだな。俺はお前さんのそういうところは気に入ってる」
    その言葉に俺は返事をすることが出来なかった。こいつは周りから出世欲の塊だのなんだのと言われ、人の心がないと思われているがそんなことはない。水木はお人好しで優しい男だ。どこの誰だか知らないがこいつのことを幸せにしてくれるなら……それならそれで良いのかもしれない。
    本当なら俺がそうしてやりたかったが、それが叶わないならせめてこいつが幸せになることを祈ることくらいは許されて欲しいと軋んで痛む胸を押さえながらそんなことを願った。


    ――そして俺は今日も赤い花を吐く。
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