グレムル前提のヒスムル(仮)20話事務所に入った時、何を思ってこの事務所を選び、入ったのかは曖昧で思い出せないのだが……武器のデザインに惹かれたのが理由の一つであったと思う。
あえて錆び付いたカラーリングにして、工具の形をとって……何より歯車が付いているのが気に入った。
だが、実際に私が入ったのは事務部署だった。
製造部署は人手が足りているので人手の足りない事務に行ってほしいと頼まれての事だった。
他のフィクサー達もそうだったのだろう。
仕方無くやっていたりサボったりしている姿が見えた。
……私は、割り振られた仕事を終業の4時間前に終わらせてしまったので、停滞している仕事を手伝う事にしたのだ。
翌日も、その翌日も手伝っていると……いつの日か、私に仕事が押し付けられるようになった。
まずい流れだとは思った。
だが……終わらせてしまえば後は楽になると思って、ひたすら処理し続けた。
退勤時間は日に日にズレて行き、事務所で朝を迎えたのが事務所に入って2ヶ月経った頃だった。
その時に私は休む事を考えなくなった。
眠らなければ眠らなくなる程起きていられるようになり、働けば働く程疲れを感じなくなったから。
そうやって働き始めた際に一度倒れて、一週間休まされた。
休んでいる間、ずっと残った仕事の事を考えていた。
きっと休んでいる間にどんどん増えて行くだろうと思うと居ても立っても居られなくて、休みの間もリモートワークをさせてもらった。
結局休みはリモートワークで潰れ、また事務所に出勤して仕事をする日々が始まった。
そんな時、ふらっと彼は現れた。
「ムルソー君、お疲れ様〜。」
私が事務所に入ったばかりの頃、よく私に話しかけて来た人が居た。
それが彼だった。
根元まで染め切っていない金髪と黒髪の彼は常にニコニコと笑って私に話しかけて来た。
「ずっと座ってるとお尻痛くなんない?平気なの?」
「ムルソー君、コーヒーいる?ラスイチだよ。」
「ムルソー君、はい!これ差し入れね〜。」
「見て見て、俺のお嫁さん。かわいいでしょ〜?」
「……」
一方的に話しかけては颯爽と去って行く。
まるで最初から返事を望んでいないかのような彼に言葉を返す事で、仕事をしながら話す事に慣れたような気もする。
「……貴方は何故私に構うのですか?」
外勤で一緒になった時、そう聞いた事がある。
彼は私から話を切り出した事に驚いたのか目を丸くして私を見た。
「珍しいね、ムルソー君から話しかけて来るの。」
「……私からは話しかけないと決めた覚えはありませんが。」
「ごめんって、嫌味で言った訳じゃないんだよ?」
「……」
「ふふっ……やっぱりさ、同じ職場で働いてるんだから仲良くしたいじゃん?だからだよ。」
「……理解出来ませんね。仕事での連携さえ出来れば親交は必要無いのでは?」
「あー……やっぱりそう言うタイプか、君……」
彼は苦笑して、少し寂しそうに私を見た。
「今はそう思うかもしれないけど、その内分かるよ。こうやって話す時間が楽しいって思えるかもしれないから。」
「……私は……特別楽しいと思った事はありませんが。」
「うっ……ごめんね、付き合わせて……」
彼は笑っていたが傷付いている事が分かったので悪い事を言ってしまったと思って目を逸らした。
その後も彼が話しかけて来るのを見て深刻な問題ではないと思ってそのまま日々を過ごした。
「えい」
「……、」
ある日、冷たい缶コーヒーを頬に当てられた。
怒りを込めた視線を送ると彼は慌てたように謝り始めた。
「ごめんって……差し入れしようと思って……」
「……ありがとう、ございます。」
缶を受け取って机の端に置き、パソコンに向き直った。
「……ムルソー君はさ……そんなに仕事して、大変じゃないの?」
「……何故そんな事を?」
「……ムルソー君、ずっと忙しそうなのに、ずっと疲れてなさそうに動いてるから。なんでそこまでするんだろうな〜って。」
「……」
……何故?
そんな事……私にも分からなかった。
「……ただ、やる必要があるからやっているだけに過ぎません。」
「……でも、これは君の仕事じゃないよね?」
「"任された"仕事です。」
「……」
「……何か?」
彼はややあって口を開いた。
「……ムルソー君……どうして平気なふりをするの?」
「……平気な、ふり?」
「うん。」
振り返ってみると、彼は真面目な顔をしていた。
「……私は……平気だからです。」
死にかけるよりはよっぽど、平気だから。
「……何も、感じないの?」
「……疲れはしますが。」
「じゃあ……」
「休めません。」
彼が何か言う前に、それを遮った。
「分かるでしょう?」
「……うん。」
彼は複雑そうな顔をしていた。
「……私は貴方の事が理解出来ません。」
「……」
「……何故、そんな顔をしているんですか?」
彼は暫く黙り込んだ後、少しだけ表情を和らげた。
「……仕事、少しでも手伝うよ。」
「……私に任された仕事ですが。」
「違うよ。任されたんならもうムルソー君の仕事であって他の人に任された仕事じゃないんだから……その仕事、誰かに手伝わせても良いでしょ?」
「……」
「じゃ、貰ってくよ。」
彼の突拍子も無い理論に驚いていると、彼は仕事を勝手に持って行った。
「……それは……貴方の独善では?」
言った直後にまずい事を言ったと思ったが、彼はそう簡単に煽られなかった。
「そうだよ〜人間なんて大体そうだから。」
「……」
「だから別にお礼とかいいからね。」
そう言って彼はニッと笑って書類の束を抱えて行ってしまった。
「……」
不可解だった。
私には到底……敵わない人だと思った。
「おはよ〜ムルソー君。」
「おはようございます。」
「いや〜今日珍しく寝坊しちゃってさ〜、朝ご飯コンビニで買って来たんだけど美味しそうなのが売ってて……食べる?」
「……二つ買って来たんですか?」
「そう。流石に同じ物二個は食べれないからさ〜、貰ってくれる?」
「……後で代金を」
「それはいいから!じゃ、またねー」
「ムルソー君ムルソー君、これ飲んでみて!めっっちゃ美味いよ!」
「……いく」
「お金はいいって〜こんなん外勤行けばすぐ稼げるんだから。」
「……後で頂きます。」
「ムルソー君おはよ〜……あれ……?昨日あげたやつまだ飲んでないの?」
「……忘れていました。」
「忙しかったんだね。」
「……」
「ねえねえ、今度ハムパン行こうよ。野菜もちゃんと摂れるから。何なら買って来ようか?」
「………暇があれば。」
「お前、最近やたらムルソーに色々買い与えてるよな。その金嫁さんに使ってやれよ。」
「何言ってるんだよ〜勿論使ってるとも。一応稼ぎ頭だからね。」
「そう言う話じゃねーよ。ムルソーの事甘やかすなって。」
「なんで?甘やかしてはないけど。」
「あいつ……ほら……クソ生意気だからつけ上がるぞ。」
「……そうかな……」
「あんたは緩過ぎるから貰って当然だって思い始めるぞ、あいつ。」
「別にすぐ稼げるしなぁ。」
「お前なぁ……」
「あんたな……」
「……」
「あれ、ムルソー君。もしかして聞いてた?」
「……気にしていません。ただ……私に私財を投じる必要は無いと言わせてもらいます。」
「別に良いのに……」
いつの間にか……こんな風に話すのが日常になっていた。
居るのが当たり前のような存在に、いつの間にかなっていた。
私から目で追う事は無かったが……彼が居る事によるストレスは感じなくなっていた。
……ある日、そんな彼の様子が変わった。
いつもの笑顔はあからさまな作り笑いに変わり、一人の時はぼんやりと足下を見つめて燃え行く煙草を持っているだけの時間が増えた。
「……こんにちは。」
「ぁ……う、うん、ムルソー君、いつの間に来てたの?」
「5分ほど貴方を観察していた。」
「あ、そ、そう……ごめんね、気付けなくて……」
彼の口数は少なくなっていき、私が話しかける側に回るようになっていた。
「……何かあったのですか?」
「……何でもないよ。ちょっとぼーっとしてただけ。」
彼は作り笑いを浮かべて誤魔化した。
「今日も仕事頑張ろうね。」
「……」
* * *
彼の妻が亡くなった事を知ったのは事務処理をしながら盗み聞きしたからだった。
私が思っているよりもその衝撃は強かったようで、外勤中彼は何度も自身の過失により危険な目に遭った。
声をかけた所で彼が咄嗟に動けないのは目に見えていたので武器を振るう事で守った。
「……ごめんね……」
「……」
私には彼の気持ちが分からなかった。
「……貴方は死にたいのか?」
「っ……」
「……生きたいのなら、もう少し集中したらどうだ?」
……いや、私はきっと彼の答えを知っていた筈だ。
だが、私は彼を責めた。
……彼の姿が、腹立たしかったから。
「……ごめん……ムルソー君……ごめんね……」
声を聞くだけでも泣いているのが分かる彼に背を向けて私は歩き出した。
「……ムルソー君……俺……」
嫌な音が、聞こえた。
振り向くと、彼の目が涙で濡れているのが見えて……
その胸からは、刃先が飛び出ていた。
「……ぁ……」
「……、」
刃が引き抜かれ、彼が倒れた瞬間に後ろの人間に槌を振り下ろした。
頭を潰し終えると、もう既に動かなくなった彼を見下ろして、まだ体が固まっていない事を確かめてから抱き上げた。
少し、重かった。
垂れ流れた血がじっとりと服を濡らして、冷たく染みた血が私の体温を奪うような感じがして、それが気持ち悪かった。
私は……残った仕事の事を考えていた。
事務所に着くと皆、彼の死体に集まった。
私は仕事がまだ残っていたから血で汚れた上着を脱ぎながらそちらに向かった。
「おい……お前……」
「……?」
「お前が一緒に居たんだろ?何か報告とか無いのか?」
「……」
私は彼の死体に目を落として言った。
「残った組織員に背後から刺されました。その組織員は私が処理しました。」
「……」
「遺言らしき言葉は聞けませんでした。……以上です。以降は事務処理に移ります。」
終始、私の方へ視線が向けられていた。
何が問題なのか、私は報告を果たしたし何より報告を求めたのは彼等だ。
私は……何も、悪くない筈だ。
元々、彼は不注意だったのだから。
それに……今、悔いた所で、何も変わらないのだから。
私は……
「……薄情な奴が。」
「……」
吐き捨てるような呟きが、私の耳から離れなかった。
彼の告別式に、私は参加せずに仕事をしていた。
皆、出払っていて私は事務所に一人で居た。
もしかしたら下か上の階には人が居たのかもしれないが、私には分からない。
……知る必要も無かったから。
ただ……静寂が、あれ程までに恐ろしかった事は無いと思う。
仕事を進めようとしても、一文字読むのも一文字書き出すのも一苦労で、全く進まなかった。
頭の中がざわざわと砂に揉まれているような感覚がして、それでもやめられなかった。
……彼が、後ろに居るような気がして。
いつの間にか眠ってしまったようで、私は机に突っ伏していた。
キーボードから外れていて安心していると書類が増えていた。
……私としては、どうでも良かった。
寝た事で頭がスッキリしていて、今なら出来る気がしたから。
そうやって……3日の間、私は彼が死んだ事を忘れていた。
その事実に気が付いて、少しの間呆然とした。
……私は……誰の死にも、何の反応も示せないのかもしれない。
すぐに忘れてしまうのだから。
「……」
仕方の無い事だと、割り切る事にした。
彼等が私に対して抱いている印象は事実であって何も間違っていないのだろうから。
ふわりと、煙草の匂いがした。
匂いの漂って来た方を見ると、会った事の無い人がこちらを見ていた。
恐らく新人ではない。
別の部署の人なのだろう。
少し話してみて彼があの人と私の話を知らない事が分かった。
「……」
無意識の内に期待している自分に気が付いて、頭を振った。
いつかあの人も知る事になるのだ。
そうなればどうせ……あの人の目も彼等と同じ物になる。
……今だけだ。
あの人とは何度か話してみたがやはり私と彼は意見が合わないようだ。
だが……彼は飽きずに私に話しかけて来た。
「……お前さんの人間らしい所を、見てみたいのかもしれないな。」
挙げ句の果てに、こんな事まで言って。
「ムルソ〜、今大丈夫か?」
「……?はい……何か……?」
「お前さんの槌替えてもらうぞ〜。」
やたらと私の世話を焼いて来て。
「……ふふ……」
槌を受け取った私を見て満足気に笑って……
「ほら、何か言う事は?」
……少し鬱陶しい。
「……ありがとうございます。」
製造部署に話を付けてくれたのは彼なので礼を言わない訳にもいかなかった。
「うん。素直でよろしい。」
彼は満足そうににまにまと笑った。
「……」
その笑みを、直視出来なくて私は目を逸らした。
こんな風に笑顔を向けられるのは、久しぶりだったから。
あの人を思い出してしまいそうで、怖かったから。
あれから数日後、私は彼と外勤に出る事になった。
私は1人で動こうとしたが、グレゴールが必ずついて来たので話をした。
「……一人の方が動きやすいのですが。」
「お前な……自分の背後自分で守れると思ってるのか?たまには人に背中預けろよ。」
「……」
咄嗟にあの人と私は違うと言いかけて、すんでのところで飲み込んだ。
この人はあの人がどうやって死んだかを知らない筈だ。
それに……恐らく、彼はそんなつもりで言った訳ではないだろうから。
* * *
「っが……!」
「……、」
1人の頭を潰した時、視界の端で逃げて行く人影が見えた。
だがその手前にはグレゴールが居て、鋸を振り翳しているグレゴールの横を通るのは些か危険に思えた。
「……っ、」
後で追わなければ。
まずは今目の前に居る奴等を片付けてからだ。
そうして鋸で切り刻む音と槌で殴る音と断末魔が数回響いた後、この路地は静かになった。
「ふぅ〜……これで最後か?」
グレゴールが血塗れの眼鏡を服で拭いながらそう呟いた。
「逃げた者さえ含めなければ最後ですね。」
「そっか。お疲れさん。」
「……終わったつもりですか?」
「え?」
グレゴールは心底不思議そうな目をこちらに向けた。
それに苛立つ気持ちを抑え込んで息を吸った。
「……どんな理由で逃げて行ったのか確認する必要があります。もし復讐の為の手段が目的であったのなら追って殺すべきです。」
「……まあ……確かにそうかもしれないけど……」
重そうに鋸を引き摺るグレゴールに構わず、早足で歩き出した。
まだ近くに居る筈だと思い、探し歩いたが見つからなかった。
建物の中には許可を貰わなければ入れない。
そもそも鍵も持っていない。
最悪の場合窓を割って侵入する事も考えたがやはり逃げ込んだ証拠も無いのに入るのは現実的ではないと思った。
車で逃げられたか、建物の中に逃げられたか、それとも……
「……なあ。」
私が考え込んでいると、痺れを切らしたのかグレゴールが口を開いた。
「確かにその方が安全かもしれないけど……今日はもう切り上げようぜ。無駄な体力消耗したくないだろ?」
「……」
「……お前はあんだけ動いたんだからちょっと休んだ方が良いよ。」
歩き回っても見つからないのは確かだ。
それに……私自身、疲れていた。
悔しいが彼の言う通りだと思って渋々頷いた。
「……今日は切り上げましょう。ただ……常に警戒はしておいてください。私よりも、貴方の方が外に出る事が多いでしょうから。」
「……うん。」
……どうして気を抜けば体が震えそうになるのか、分からなかった。
最近は外勤に出る機会が減ったからいきなり動いて疲れたのだろう。
……今日はもう休まなくては……
「……もしかしてさ……」
彼が何かを言おうとしていたので振り向いた。
「昔、お前が背負って帰って来たって言う同僚……」
「……」
思わず足を止めてしまった。
あの人の顔が、頭に浮かんだ。
「……ごめん。やっぱ何でもない。」
「……、」
何なのか分からない感情に突き動かされて、足早に歩いた。
酷く、胸が痛くて、苦しかった。
その痛みを誤魔化す為に、事務所に戻ってすぐに仕事に取り掛かった。
彼は何も言わずに帰ったようだった。
『……もしかしてさ……昔、お前が背負って帰って来たって言う同僚……』
涙が、頬を伝う感覚がした。
貴方は……それを知っていて、私について来てくれたのか……?
久しぶりに、あの人の声を思い出した。
色々な物が込み上げて来て、嗚咽を漏らしながら泣いた。
どうして今になって涙が出て来るのか、分からなかった。
彼が……グレゴールが、私を人として、扱おうとしているからだろうか。
(私は……)
貴方に……