グレムル前提のヒスムル(仮)21話「……ソー……なあ……大丈夫か?もう8時だぞ?」
「……」
目を覚ますと、ヒースクリフが私を揺さぶっていた。
「……何か……あったのか……?」
「何かあったのかって言うか……あんたが起きる時間、とっくに過ぎてるけど大丈夫なのか?」
「……はっ……⁉︎」
それを聞いた瞬間に私は飛び起きて着替えに掛かっていた。
「いつも何時に事務所着いてんだ?」
「9時だ!」
「あー……じゃあ、せめてこれ食いながら行けよ。ほら。」
着替え終わって鞄を持った頃にヒースクリフが袋詰めのロールパンを渡して来た。
「ありがとう。行って来る。」
「おう。気を付けてなー。」
ロールパンを少しずつ食べながら事務所に向かい、出勤ボタンを押して自分のデスクに着いた。
ギリギリ間に合った事に安堵しながらデスクトップに向き合っていると、一気に疲労感が押し寄せて来るのを感じた。
まだ朝だと言うのに……
チラリと傍を見やるとデスクの隅に置かれたエナジードリンクが目に入った。
深い溜め息を吐いてプルタブを開けた。
* * *
「ム〜ルソー。」
背後からそう名前を呼ばれた瞬間に固めた髪がぐしゃりと崩される感覚がした。
「あ、なんかトサカみたいになった。」
「……グレゴール。」
「あはは、ごめんって。でももうそろそろ帰った方が良いと思うぞ?最後に退勤したの5日前だろ?」
「……」
いつの間に……そんなに時間が経っていたのか。
久しぶりに戦慄という物を味わった。
「……そう、だな……そうなのだが……」
「キリの良い所が見つからないのか?」
「ああ……どれも提出期限が迫っていて、どうにも……」
最近休むようになった弊害なのか、やたらと多く感じる。
それに……とにかく、眠い。
休んでしまったら一気に押し潰されてしまいそうだった。
「……やろうか?それ。」
「……!」
背後から聞こえて来た声に一気に眠気が覚めた。
「……あんたが?」
グレゴールの声も少し低くなった。
「多少遅くなるかもしれないけどな……休みたいんなら休めば良いだろ。」
「……」
「……どうする?ムルソー。」
「……」
この人の事は気に食わないが、このまま意地を張っていても良い事は無いだろう。
「……お願いします。」
この人が……この人達が、やって来た事だ。
私にも、やり返す権利はあるだろう。
「おう。……お疲れさん。」
「……」
……どうしてこんなに、腹が立つのだろう。
「……」
グレゴールは不機嫌丸出しのムルソーの顔を見て物思いに耽っていた。
ガラムは確かにムルソーに仕事を押し付けてヒースクリフとも口論をしていた奴だ。
グレゴールも良い印象は抱いていない。
だが……いくらムルソーが親バカ気味だからと言って、ここまで引き摺っているのは珍しく思えた。
ムルソーも、そこまで自分の事を話そうとする奴ではなかったから。
「……なあ、ムルソー。あいつと何かあったのか?ヒース関連以外で。」
何の気無しにそう聞いてみると、ムルソーが思っていたよりも驚いてこちらを見た。
「……ど、どうした……?」
「……いや……何でも無い。大した事は、何も……」
「……」
明らかに嘘を吐いている。
だがまあ、自分に話さない程度の事なら本当に大した事は無いし、自分が出る幕じゃないのだろうと思い、グレゴールは身を引く事にした。
「……グレゴール。」
「ん?」
「少し、寄り道をしたいのだが。」
「良いけど……どこに?」
「……」
ムルソーは黙って早足で歩き始めた。
それに小走りで追いつくと、ホテルに着いた。
……確実にビジネスホテルではない。
(あ……こいつやるつもりだな……)
半分呆れつつも、もう半分は嬉しかったのでグレゴールは黙ってムルソーについて行き、チェックインを済ませて部屋に入った。
お互いに上着を脱いでハンガーに掛けた瞬間にベッドに引き倒され、熱烈なキスを受けた。
「あんやぁ……どうしたんだよ?溜まってたのか?ん?」
「……悪いか。」
「んー、いや、別に……アハハハ……ん、」
またもやムルソーにディープキスをされ、舌を絡め合いながら考える。
(……こんなに性急な事、今まであったっけな……)
お互いに熱い状態ならあったが、中々ムルソーの方が熱烈だった事は今まで無かった気がする。
強いて言うなら、初めてしたあの時ぐらいか……
唇が離れて、ムルソーがベルトに手を掛けている隙にその表情を見た。
「……」
必死そうな、泣きそうで泣かないギリギリの表情をしていた。
* * *
「……なあ、ムルソー。」
髪を乾かしている間、備え付けのヘアワックスで髪を固め直しているムルソーに声を掛ける。
「何だ。」
「……ヒースとはさ……いつするつもりなんだ?」
……あえて、あの表情については触れなかった。
だが、ムルソーの顔色は変わらず暗くなった。
「……彼自身、自分に納得が行かなければ今の関係から進む事が出来ないようだからまだ先になるだろうな。」
「はは……じゃあ俺も暫くはお前とイチャコラしてても許されそうだな。」
「……」
ムルソーの眉間の皺が増えた。
(……あれ……、)
俺、そんな機嫌悪くするような事言ったっけ?
不機嫌そうな目が、鏡越しに俺を見ていたから、思わず手を止めてしまった。
ムルソーは何か言いたげだったが、目を伏せてヘアワックスの蓋を閉めて脱衣所を出て行った。
「……」
ホテルから出て家まで歩いている間も、ムルソーは機嫌が良くなさそうだった。
「……」
本当に踏み入れてはいけないラインはお互いに超えていない筈だったし、超えるつもりも無かった。
触れずに、追わずに、ただ目を逸らすか、流すだけ。
二人で決めた事だったから。
「……なあ、ムルソー。」
だが、もどかしかった。
今までずっと。
今日だけは……踏み入ってみたかった。
「……やっぱり、何かあったんだよな?」
その言葉に、ムルソーの足が一瞬止まり掛けながらも進んで……ややあって、止まった。
その時、初めてムルソーが振り向く瞬間が恐ろしく感じた。
激しい苛立ちだけが、その目にこもっていた。
当たり前だろう。
セックスで忘れようとしていた苛立ちを、掘り返してしまったのだから。
「………ごめん。何でもない……」
結局、今回も核に触れる事は出来なかった。
「……あ、ちょっと煙草吸ってから帰って良いか?先に帰ってて良いよ。」
言うがままに一人で帰路につくムルソーの背中を眺めて……一人、壁を背に煙草を咥えて火を点けた。
何故か胸がキリキリと痛んで、無性に泣きたくなった。
(……あー……)
悲しいな……なんか。