グレムル前提のヒスムル(仮)24話一年の期間を経て、ヒースクリフはついにフィクサー免許を修得した。
施術も受け、残るは事務所での訓練と実戦のみだった。
グレゴールと一緒に事務所に入ると、最早見知った顔達が出迎えた。
「な……代表、こいつをここに入れたのか……⁉︎」
路地裏でヒースクリフと殴り合いになった男がそんな事を言った。
「お前さんは相っ変わらずガキ臭いなぁ?ヒョヌ。こいつはお前さんが思ってるよりも出来る奴だぞ。」
そう言ってグレゴールが苛立ちで引き攣った笑みを浮かべながらヒースクリフの頭を撫でた。
「つっても訓練はまだ付けてないからそこら辺は教えてもらわなきゃいけないんだけどな。」
「……俺らが付けて良いのか?」
あの時ヒョヌと一緒にグレゴールの陰口を叩いていたスキンヘッドの男がそんな事を言った。
「はぁ?おっさんがやるに決まって……」
「いや、お前さん達に任せるわ。」
「おっさん⁉︎」
てっきりグレゴールが稽古を付けてくれるものだと思っていたヒースクリフは驚いてグレゴールを見た。
「一旦だぞ、一旦……他にも相手してくれる奴を呼んで来るから。」
「……その後はちゃんと教えてくれるんだよな?」
「勿論。」
「……それなら……」
ヒースクリフは渋々承諾して、事務所の屋上へ向かった。
向かう途中でグレゴールに喫煙室に連れて来られたので入ってみると、一人煙草を吸っている黒髪の男が居た。
その男はグレゴールに軽く挨拶をしてから、ヒースクリフを見て目を丸くした。
「おお、君がおじさんが言ってたヒースクリフ君?」
「ぁ……ハイ……」
『おじさんが言ってた』と言われてもこちらは初対面なのだが……と思いながら見つめていると、男はすぐに自己紹介をした。
「あ。僕はマルセルって言うんだ。おじさんと一緒に武器の設計をしたり外勤行ったり……あとはコーヒー淹れたりしてるよ。よろしくね。」
「あー……よろっしゃす……」
ヒースクリフからしてみると微妙な関係値だったのでひとまず適当に返していると、グレゴールがマルセルに話しかけた。
「なあ、お前さん今暇か?暇ならこいつに稽古付けてやってほしいんだけど……」
「お、良いですよー。私が手取り足取り教えてあげますよ。」
「……」
鋸を使っているグレゴールの前で『手取り足取り』と言われると何だか不吉な感じがした。
「……その……因みにあんたは何使うんだ……?武器……」
「ん?鋸。」
「……」
「あっ、手取り足取りって本当に取る訳じゃないからね⁉︎事務の人達みたいな事はしないよ。」
「まあ……分かってるけど……」
「そもそもお前さんも鋸使うんだろ?」
「……なんか……いざ自分で人の手足捥ぐんだと思うと……」
「大丈夫だよー、すぐ慣れるって。」
ニコニコと笑うマルセルが少し怖くなった。
「……。」
その光景を物陰から覗く者が居た事にその場の誰も気が付かなかった。
屋上にはガラム、ヒョヌ、マルセル、グレゴール、ヒースクリフが揃っていた。
「……おっさん……」
「ん?どうした?」
「……まさか実物でやるのか……?」
グレゴールの腕にはアタッチメント式の鋸が付いていた。
「当たり前だろ〜。まあ、事故とかまずいからバッテリーは抜いとくけどな。」
「いや、鋸はそれで良いだろうけどよ……」
ヒースクリフは前方の3人を見た。
ガラムは両手に槌を持っており、ヒョヌは片手、マルセルは鋸を持っていた。
3人ともニヤニヤとしていた。
「あいつら俺の事ボコボコにする気満々だろ……!」
「大丈夫だよ〜、当てられる前にやれたら良いんだ。」
「大丈夫大丈夫、優しくするから……ふふふ……」
「……下手な悪意感じない辺りあんたが一番嫌なんだけど……」
マルセルがニコニコと笑いながら前に出た。
「大丈夫だ。お前さんは咄嗟の判断得意な筈だろ?」
「……はぁ……」
ヒースクリフも重い足取りで前に出た。
手に握っている鋸は施術のお陰か思っていたよりも軽く感じた。
「いや〜思い出すなぁ、去年の新人研修の事。」
「そんなニヤつくような事あったのかよ?」
「うん。リアクションがとにかく面白くってね〜……ふふふ」
「……」
マルセルが鋸で防ぐように構えるのを見てヒースクリフは両手で鋸を握り、腰を低くして構えた。
「そんじゃぁ……はじめー。」
グレゴールが号令をした瞬間にヒースクリフはマルセルに向かって駆け出した。
マルセルは微笑を浮かべて構えたまま動かなかった。
(とりあえず、武器を……!)
ヒースクリフはマルセルの鋸を弾こうと鋸を振り抜いた。
だが、振り抜いた瞬間、マルセルは鋸の軌道から消えていた。
「え?」
思わず間抜けな声を上げた瞬間、下の方にマルセルの黒い髪が見えた。
その瞬間に足元が払われ、ヒースクリフは何が何だか分からぬままに地面に転がっていた。
腕で顔を守ったので顔は無事だった。
「駄目だよー、後先考えずに先に攻めようとしちゃあ……こうなるからね。」
「っ……」
転倒したヒースクリフの傍に座っているマルセルを見ると、鋸の切先がヒースクリフの背中すれすれの所に浮いていた。
「っ、でも様子見た所でお互い動かなくなるんじゃ……」
「意地でも相手から来るのを待つんだよ。焦らした末に攻撃させれば隙が生まれやすくなるからね。」
「……ぐぬ……っ、」
正に今の自分のようだとヒースクリフは思った。
「あいつ俺らが稽古付けた時もああ言う事やって来たよな。」
ガラムが顰めっ面で呟くとマルセルがそれに答えた。
「あの時思い付いたんですよー。ガラムさん達すーぐ引っ掛かって……」
「チッ……」
「……俺……あいつらと同じなのか……」
ヒースクリフはかなり悔しい思いをした。
「大丈夫だよ。自分がやれるようにすれば良いだけだからね。」
「そうそう。自分が味わった屈辱を相手にも味わわせられると思えば楽しくならないか?」
「……」
マルセルとグレゴールの励ましを受けながらヒースクリフは立ち上がった。
(……俺は……そんな事の為にここまで来た訳じゃねえ。)
ヒースクリフは持ち手を握り直し、正面に向き直った。
「じゃあ、今のを出来るように……ガラムさんに相手してもらおうか。」
「はぁ……まあ、良いけどよ……」
マルセルと位置を変え、ガラムが正面に立った。
「……相手が両手使うタイプだとやりづらくないか?」
グレゴールがガラムの両手に握られている槌を見て呟くと、ガラムがそちらを向いた。
「じゃあ片手にするか。」
「いや……いい。」
ヒースクリフは鋸を構えてガラムを見据えた。
「……ならいいけどな……」
ガラムが溜め息を吐いて槌を構え、グレゴールの号令と共にこちらに迫って来た。
「……ッ!」
ヒースクリフも駆け出し、鋸を盾のように構えて二つの槌を防いだ。
ガードを崩そうと上下から攻めてくるのを出来る限り弾いて、胴に体当たりをして仰向けに倒す。
そしてその上に跨り、鋸の切先を突きつけた。
「おお……」
「良い感じだよー。じゃあ……次はヒョヌさんかな。」
「……」
ヒースクリフは何も言わずに立ち上がって、ガラムの上から退いた。
「……お前……あの時と、大分変わったな。」
「何が?」
「色々とな。特に目付き。あの時と違って目の光がハッキリしてる。」
「……」
「……フッ……ガキが大人になるってのはこう言う事なんかね。」
「……まだ……大人じゃねえよ。」
ヒースクリフはグレゴールを見ながら呟いた。
「……もっと、伸びるんだ。行けるとこまで行って……俺もムルソーを守れるような奴になる。」
「……も……?」
ガラムは疑問符を浮かべていたが、ヒースクリフはヒョヌに向かって行った。
「ヒョヌ。何か言う事無いのか〜?」
「何を言えって……今俺に何か言われた所でムカつくだけでしょ……」
「まあな。」
ヒースクリフは構えてあからさまに嫌そうな顔をしているヒョヌを睨み付けた。
「よーし。そんじゃ……始め!」
ヒースクリフの方からヒョヌに駆け出し、猛攻を始める。
「ちょっ、お前俺の時だけやる気違くねぇか⁉︎」
ヒースクリフは少し笑って猛攻を続けていた。
だが、そんな最中……
「ぐ……っ!この……‼︎」
鋸を弾かれ、衝撃で靴底を擦り切らせながら距離を取ると、ヒョヌの背後に影が見えた。
「……!」
その影が槌を振り上げているムルソーだと分かった瞬間にヒースクリフは駆け出していた。
「うっ……!性懲りも無く……!」
「違えよ!」
ヒースクリフはヒョヌを肩で押し退け、ムルソーの槌を鋸で防いだ。
「なっ……⁉︎」
ヒョヌは地面に転がった時に気付いたようで驚愕に顔を歪ませた。
「何、してんだよあんた‼︎」
槌を全力で弾いたが、ムルソーは重心を崩さずに立っていた。
「……訓練だ。」
「嘘つくな!あんた俺の相手するのに邪魔だったからこいつ殴ろうとしてたんだろ!」
ヒースクリフの怒鳴り声に表情を変える事無くムルソーは不意にグレゴールの方を見た。
グレゴールはギクリとした顔をしていた。
「……グレゴール。何故私を呼ばなかった?」
「……こうなるのが目に見えてたからだよ……」
グレゴールは額を押さえて溜め息を吐いた。
「そもそも訓練を付けるのであれば私が居なくともせめて貴方が付けるべきではないのか?何故見ているだけなんだ?」
「……ヒースクリフがヒョヌをぶちのめした後に相手しようと思ってたのにお前が乱入して来たんだよ。」
「は?なんでぶちのめされる事前提で……」
「こんな奴らにヒースクリフの訓練は任せられない。」
その言葉からは軽蔑が滲み出ていた。
「私が、やらねば。」
そう言い放ったムルソーの目には間違い無く殺意が宿っていた。
「いや、ちょっとムルソーさん……流石に手加減しますよね……?」
焦っているマルセルを尻目にムルソーはヒースクリフに対して猛攻を始めた。
「……あーあ……ヒースに嫌われても知らねえぞ俺は……」
戦況は芳しくなかった。
「ぐっ……うっ……!」
重い槌の振り下ろしを鋸で凌いでいると不意打ちで蹴りが脇腹に入れられ、それに動じた瞬間に一気に崩される。
「……素手での戦い方も仕込んでおくべきだな。」
ふとした瞬間に聞こえたムルソーの呟きがこれ程までに恐ろしく思えたのは恐らくこれが初めてだった。
「う……ぐ……」
力加減はしているのかもしれないがそれでも一発一発がかなり体に響いた。
息が荒くなり、立つ事すらもままならなかった。
鋸でどうにか膝を付かずにしゃがんでいられた程だった。
「……ムルソーさんは……出来るだけ早く仕留めるのに長けてる感じがしますね……見てみる限り……」
「ちょっと前ならもう少し動き鈍かっただろうにな……」
最早マルセル達は達観と言う名の実況をしていた。
「……立てないのか?」
ムルソーはヒースクリフを見下ろしながらそう言った。
「ぐっ……あたり、まえだろ……!あんたと違って打たれ強くねえんだよ!何考えてんだよ……」
「……防御に特化した強化施術を受けさせようか悩んでいた所だ。」
「あのクッッソ怖え施術また受けさせる気か⁉︎冗談じゃねえよ‼︎」
「……だが……」
「ふざけてんじゃねえぞ……」
怒りに声を震わせながら、ヒースクリフは立ち上がった。
「俺はな……あんたに、頼らずに……強くなりてえんだよ……」
「……な……」
「あんたの知らないとこで、強くなって……かっこよくなって……成長したんだなって、思わせたかったのに……」
ヒースクリフはボロボロと涙を溢しながら狼狽えているムルソーを睨み付けた。
最早悔しくて泣いているのか恥ずかしくて泣いているのか、怒り泣きなのか……ヒースクリフにも分からなかった。
「誰があんたにボッコボコにされて、恥ずかしい思いしたいと思ったんだよ……!」
「……私は……そんなつもりでは……」
「ぅううッ!」
ヒースクリフは鋸の峯をムルソーの頭に思いっきり振り下ろした。
「……は……っ⁉︎」
ムルソーはそのまま叩き付けた鋸に押し潰されるように地面に倒れた。
「ちょっ……!ムルソーさん大丈夫ですか⁉︎」
「あー……気絶してるなー……」
グレゴールは内心安堵していた。
(ヒースがこいつの事躾けてくれるんなら……)
そう思いながらマルセルに担がれて行くムルソーを見守っていた。
そして……地面に蹲って泣いているヒースクリフに近寄って側にしゃがみ込んだ。
「ぅぅううう……っ、」
「……そうだよなぁ。カッコつけたいよなぁ。」
グレゴールは泣き噦るヒースクリフの背中を撫でた。
「……でもな……ヒース。ムルソーの……お前さんが成長して行く過程を見たいって気持ちは俺も分かるし、分かってやってほしいんだ。何せずっと内勤でしかも家に帰れる日の方が少ないから……だからこう言う時ぐらい見守りたいって気持ちは……」
「……俺……また、あの人の事殴っちまった……」
「…………うん……それはもうしょうがないよ……あいつはお前さんに殴られないと分からないから……しかもあいつの方がお前さんの事ボッコボコにしたんだし……」
少しして落ち着いたのかヒースクリフが顔を上げた。
「……俺……おっさんみたいに……あの人の事、守れるような男に……なりたい……」
「ん"っ?ん、ぉ、おう……」
グレゴールは恐る恐る背後を見た。
ガラムとヒョヌがこちらをじっと見つめていた。
「なっ、何聞いてんだよ!早く仕事戻れ!」
珍しくグレゴールが怒声を上げたからか2人はのそのそと階段の方へ向かって行った。
その後、階段にて。
「……」
「……」
「「もしかしてあいつら……」」
「……」
起き上がってすぐに頭痛とぐらぐらと揺れるような感覚に襲われた。
「……はぁ……」
先程あった事を思い出して私は溜め息を吐いた。
また、失敗した。
また間違えた。
ヒースクリフは暫く私を無視するかもしれない。
それどころか、嫌われた可能性もある。
私を事務所の救護室まで運んだのは恐らく他の職員だろう。
「……」
これからどうしようかと思った時、仕事を途中で切り上げていた事を思い出した。
重い体と頭の鈍痛を引き摺ってベッドから降り、カーテンを開けると……
「……あ……」
ヒースクリフが、隣のベッドに座っていた。
グレゴールもその傍らに立っている。
「……」
どうするべきか分からず、目線を下に落とすと、ヒースクリフが口を開いた。
「……ごめん……」
「……?何が……」
「……殴ったの……」
以前グレゴールが「例え訓練だとしても特別な相手に武器を向けられるかどうか」と言っていたのを思い出した。
今ようやくその意味を理解した。
「……私も……すまなかった……」
「……正直そこは反省してほしいと思ってるけどな……でも……」
「?」
「……あんたが、俺の事見守ろうとしてくれてんのは……分かってるし、嬉しいから……もう、いいよ。」
「………」
ヒースクリフは頭を掻いて立ち上がり、救護室から出て行った。
「……」
私は……自分がまた無意識の内に仕事に逃げようとしていた事に気が付いた。
ヒースクリフは自分から歩み寄ってくれると言うのに。
「まあ、良かったじゃないか。」
グレゴールは事もなげにそう言って笑った。
「……本当に、良かったのだろうか。」
「……おお……お前もついに反省ってもんを覚えたか……」
「……」
わざとらしく目尻を拭う彼に非難を込めて目線を向けると、彼は「ごめんごめん」と謝って眉を下げて私を見た。
「でもさ……お前今まで反省らしい反省して来なかっただろ……?」
「そんな訳は……」
「まあ、でもさ……」
グレゴールはヒースクリフが出て行った部屋の扉を見やった。
「ヒースにお前の思ってる事が伝わったなら、それで良いんじゃないか?」
「……」
今まで、分かってほしいと思った事は無かった。
少なくとも、この工房に来た時には……理解されようとする事自体、しなくなっていた。
私はただ、与えられた仕事さえこなしていれば良かったから。
だから……あの人が、不可解だったのに……
「……」
このまま……彼に理解されて、良いのだろうか。
私は……こんな幸せに浸っていて、良いのだろうか。