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    グレムル前提のヒスムル7

    ヒスムル(仮)7『ほら、泣かないの。もう15歳でしょ?ちゃんとしなさい。』

    俺が唯一信じていた先生にそう言われて、俺は今までの全てを否定されたような気がした。

    何を言われても無視するように言われて、そうして来たのに。

    何をされても、毅然としているのが大人だと思ってそうして来たのに。

    勉強も、何回もやれば理解できる筈だと言われてそうして来たのに。

    何も、何も功を成さなかった。

    頭痛も、苛立ちも、全部我慢したってのに。

    あいつらが、まだ馬鹿にして来るから、俺は……

    きっとあの言葉がきっかけになったのだろう。

    全員、殴り付けてやった。

    こんなにスッキリするのだと分かってからは、止まれなかった。

    退学になって、家に引き篭もった。

    次に行く学校の手配なんてされなかった。

    『どうせ入ったって卒業出来ないでしょ?』

    そう言われて、俺は殴る事も、何かを言い返す事も出来ずに、それを受け入れた。

    この方が楽なのだと考えて、無理矢理受け入れた。

    何も考えたくなかった。

    食べる物が無い日を過ごす時、最初の内は寝て空腹を紛らわせていた。

    その内、自分で作るようになった。

    朝昼晩、全てを自分が作った質素な料理で済ませるようになった。

    作ってもらって、それを食べるのが屈辱的だったから。

    先生や、クソ野郎どもに対しては強気に出れたのに、家族に対してはどうしても強く出れなかった。

    俺はこの家の中で最底辺の人間なのだと、そんな劣等感が常に付き纏っていたから。

    ある夜、俺は家をこっそり抜け出して夜の巣を出歩く事にした。

    ネットで知り合った友達に会って、遊んだ時間は特別感があって楽しかった。

    だが、所詮上辺だけの関係だった。

    ある時、そいつが自分の事を見下しているのが分かって。

    あの日のように、黙らせてやった。

    面白いぐらいに従わせられて、俺はもう我慢しなくなった。

    最初からこうすれば良かったのだ。

    その日から、家族に対しても反発するようになった。

    爽快だった。

    鏡を見てみると、今までの自分から抜け出せたような、強くなれたような気がして、久しぶりに自分の顔を見て笑えた。

    それでも、胸の奥で何かが引っ掛かっていた。

    親に対して反論する時、口汚く罵って口論している時、ずっと胸の奥がズキズキと痛んでいた。

    まだ、良い子の自分から脱する事が出来ていなかった。

    だから、その勢いのままに家を出た。

    外で経験を重ねれば、この胸の痛みも無くなるのではないかと、そう思っていた。

    そんな時に、ムルソーと出会ったのだ。

    ハンマーを振るって敵を薙ぎ倒し、確実にとどめを刺して次の攻撃を防ぎ、また薙ぎ倒すのを見て、俺の心は確かに動かされた。

    これなら出来るかもしれないと、こうなりたいと、そう思わせてくれる物をムルソーは持っていた。

    ……ムルソーが共倒れのようにその場に倒れた事で台無しになりかけたのは言うまでもないが。

    だが、それでも。

    ムルソー達は、俺にとっての見本だった。

           *  *  *

    「……ヒースクリフ。」
    「んぁ……?」

    ムルソーの声でヒースクリフは目を覚ました。

    「区切りの良い所まで終わらせた。そろそろ退勤しようと思う。」
    「んー……」

    ヒースクリフはシパシパする目を擦って立ち上がった。
    体を伸ばすと節々がバキバキと音を立てて痛んだ。

    「……俺、どんくらい寝てたんだ……?」
    「……4時間程。」
    「……じゃああんたもそんぐらいやってたのか……?」
    「そうなるな。自分でも驚いた。」

    デスクを見てみると、あの書類の山は4分の1程が片付けられていた。

    「……やっぱあんたってすげぇな。」

    ムルソーは特に何も返さなかった。



    二人で事務所を出るともう空は明るくなっていた。

    だが、店はまだ開いていなかった。
    時刻を見ると5時を指していて、何とも微妙な時間な事が分かった。

    「……一旦家帰るか?」

    ヒースクリフは眠そうにそう言ったが、ムルソーはある事を思い出して「あ」と声を漏らした。

    「何だよ?」
    「……鍵を……グレゴールに渡したままだった……」
    「何で」
    「……代わりに、貴方を探しに行くと言っていたから……」

    昨日、グレゴールに詰め寄られた末に私は鍵を彼に渡したのだった。

    もし、ヒースクリフが死にかけていたら……グレゴールが見つけてくれるかもしれないと言う、他人任せな考えを頭に浮かべて。

    あの後の彼の行動は把握していなかった。

    「……私に対して、酷く怒っていたな。貴方の事を気に入っているようだから。」
    「……それって……大丈夫、なのか……?」
    「……?」
    「……あんた、俺のせいでおっさんと仲拗れたんじゃ……」
    「……」

    やはりヒースクリフは鋭い所がある。
    物事を理解出来ているから胸の内に色々な物が蓄積されていっているのかもしれないと思った。

    「……否定は出来ないが……そんなに深刻な状態ではない、筈だ。グレゴールも私の事をよく分かってくれているから……」
    「……」
    「だから、貴方が気にしなくても良い。昔はよく怒られていたから。」
    「……やっぱあんたが一方的に怒られてたんだな。」
    「……そう、だな。」

    私が昔の事を思い出していると、ヒースクリフが何かを言いたそうにこちらを見ている事に気が付いた。

    「……どうかしたのか?」

    ヒースクリフはちょろちょろと視線を動かした後、頬を掻きながら話した。

    「……あんたとおっさんって……実際どう言う関係なんだ……?」
    「……セックスフレンドだが。」

    唾が変な所に入ったのかヒースクリフは咽せて咳き込んだ。

    「……大丈夫か?」
    「ゔ……ただの……セフレ……?ほんとに……?」
    「ああ……それがどうかしたのか?」
    「じゃあなんであのおっさん彼氏ヅラしてんだよ……意味分かんねぇ……」

    ……彼氏ヅラ、か。

    「……だが、はっきりと彼に言われた訳ではないからもしかしたら彼にとっては違うのかもしれない。」
    「何だよそれ⁉︎ほんとにそうだとしたらおっさん可哀想だぞ⁉︎」
    「……何故……?」

    ヒースクリフは溜め息を吐いて何も答えてくれなかったので理由は分からず終いだった。

    「……所で、貴方はどう思っているんだ?」
    「? 何が?」
    「私を抱きたいと思うか?」

    ヒースクリフが二度目の咳をした。
    私が返事を待っていると、ヒースクリフは頭をボリボリと掻きながら答えた。

    「……なんか……やっぱり、あんたとそう言う事するって思うと……なんか、違う気がして……」
    「……ふむ。」
    「だってそんな事したら憧れの意味が変わってくるじゃねえか。」
    「……私は構わないが……」

    ヒースクリフが顔を赤くしているように見えた。
    いつもそんな時に彼は照れ隠しのような顰めっ面をするから、その分分かりやすかった。

    私は何となく彼の頭に手を置いて髪を撫でた。

    「なんで撫でてくるんだよ……」
    「……なんとなく。」

    ヒースクリフは嫌そうな顔をしつつも抵抗する素振りは見せなかった。

    私はそれを良い事に撫で続けて彼の顔を観察していた。

    「……その、さ。やっぱり俺……まだ、大人って言えねえから……もしあんたとそう言う仲になるんだとしても、今の俺じゃ釣り合わないと思うんだよ。」
    「……何故?」
    「何故って……」

    ヒースクリフはそこで視線を泳がせて息をついた。

    「……だって俺……今、ヒモみてぇなもんだし……大人ですらないじゃねぇか。中身だって子供その物だし……やっぱり……もっと、デカくなってからあんたと付き合う方が……」
    「……それはつまり……私と恋人になりたい気持ちがあると言う事か?」
    「ばっ……!例えばの話だよ!」

    顔を赤くしたヒースクリフにバシッと腕を叩かれた。

    「……ふむ。その割には随分と細かく想像しているようだが……」
    「……何が言いたいんだよ。」
    「私の胸に触れた時、随分と興奮していたな。」
    「っ……!こ、興奮って……」
    「この話をする時、いつも貴方は興奮している。」
    「だから……!興奮って使うのやめろよ……なんかいかがわしくなるだろ……」
    「興奮と言う言葉は性的な意味ではなくても使われる。怒った時がその一例だ。」

    ヒースクリフは拳を握って今にも叫び出しそうな雰囲気を纏っていた。
    顔は真っ赤になっているようだが。

    「……私の体に興味があるから取り乱しているのではないのか?」

    ヒースクリフは唸り声を上げながら私の胸ぐらを掴んでぶんぶんと揺さぶった。

    「図星なのか?」
    「ぅぅ〜〜……ッ!違えよ!条件反射だ!!条件反射だーーッ‼︎」

    そう言ってぶんぶんと揺さぶっているヒースクリフの後頭部に手を回して自分の胸に引き寄せた。

    ヒースクリフは胸に顔が埋まった瞬間にぴたりと動きを止めた。

    ゆっくり離してみると、ヒースクリフは呆けたような顔をして一点を見つめていた。

    思考停止しているようだ。

    頬を軽く叩いてやるとハッとして、キョロキョロと目線だけを動かした。

    「……私の胸は赤ん坊に与えるおしゃぶりと同じ効果があるようだな。」
    「ーーーっ……、あんた……自分の体何だと思ってんだよ……」

    ヒースクリフは額に手をやると、ふらふらと歩き始めた。

    彼について行くとそこにはベンチがあり、ヒースクリフはそこへ腰掛けて目を閉じた。

    「なんか……疲れた……」
    「変な時間に寝て起きたからだろう。ゆっくり休むと良い。」

    私もヒースクリフの隣に腰掛けて仮眠をとる事にした。

    (2人揃って寝ては危険だろうか。)

    そう思ったが、きっと何かあった時に起きられるだろうと根拠の無い確信をして目を閉じた。



    目が覚めると既に日が昇っていて、店も開いていた。

    体を伸ばそうと思って、遅れてヒースクリフが肩に寄りかかって眠っている事に気付いた。

    子供のようにすやすやと眠っている彼を見ると動こうにも動けず、じっとしている事しか出来そうになかった。

    何となく、撫でたくなってそっと手を置くがヒースクリフは目を開けなかった。

    (……自分の子供を見る時はこんな気持ちなのだろうか。)

    無意識に歯を噛み締めている事に気付いて、私はその事について考える事にした。

    これが愛しいと言う感覚なのだろうか。

    過ぎ去った夏を、冬を思う時とは違う感覚。

    恋しさとは違う、胸が沸き立つような気持ち。

    (……私は、貴方の事をどう思っているのだろう。)

    例えばグレゴールがその場に居て、当たり前のように過ごせるような、そんな存在とは少し違うヒースクリフ。

    ……特別。

    そうだ。ヒースクリフは特別なのだ。

    予測が出来なくて、いつの間にか彼の中で何かが起こっていて、言葉ではなく行動で自分の状態を伝えてくるような、そんな新鮮な彼は間違い無く特異で、特別な存在だった。

    彼が私を特別に思っているのと同時に、私も彼の事を特別に思っていたのだ。

    答えに至った所で、ヒースクリフが目を覚ました。

    目を覚ますやいなやバッと身を離したので頭から手を離す事になった。

    「おはよう。」
    「……ぉ……おはよう……」

    ヒースクリフは眉間に皺を寄せて口角を最大限に下げながら挨拶を返してきた。

    「……朝食を買いに行こう。」
    「お、おう……」

    ヒースクリフは頭をガシガシと掻きながら立ち上がった。

    「何が食べたい?」
    「え……?んー……適当で良いよ……」
    「……パンにしようか。」
    「ん……」

    ヒースクリフが頷いたので私も立ち上がって、随分前に行った記憶のあるパン屋へ向かった。

    ヒースクリフは一瞬店に入るのを躊躇ったが、恐る恐ると言った様子で私について入ってきた。

    ヒースクリフが迷っているようだったのでさり気なくそのパンをトレーに追加して行くと、かなりの量になっていた。

    「半分こにしよう。」

    そう言うといくらか気が楽になったのかヒースクリフは私の目を見て頷いた。


    ベンチに並んで座り、パンを食べ始めるとヒースクリフが不意に話し始めた。

    「……なあ、覚えてるか?あんたがここで寝てて……」
    「私が起きるまで貴方が待ってくれていた。」
    「そう。あの時も朝メシ奢ってくれたよな。」
    「……」

    それがどうかしたのだろうかとヒースクリフの次の言葉を待っていると、ヒースクリフは歯切れを悪くしながら続きを話した。

    「……あの時、財布落としたって言ったじゃねえか。」
    「……」
    「……ほんとは、金自体持ってなかったんだよ。」
    「……はあ。」
    「財布も……何も持たずに家出て来たんだよ。」
    「……」
    「持ってくるような金も持ってなかったんだよ。」
    「……?」

    回りくどい言い回しに私が首を傾げていると、ヒースクリフが突然怒ったように声を低めた。

    「なんでそんな反応軽いんだよ。」
    「……私にリアクションを期待しているのか?」
    「……」

    ヒースクリフは言葉を失ったかのように口を開いたまま硬直した。

    沈黙が長く続いたので何か言った方が良いような気がしてどうにか考え出した。

    「……金銭面を気にしているのなら気にしなくても良い。元々奢る予定だったし、貴方がどう思っていようが私の中で貴方の印象は変わらない。」

    ヒースクリフは頭を掻いて溜め息を吐くように唸った。

    「……ハァ……」
    「……解決したか?」
    「……自分が馬鹿らしくなってきた。」
    「何故……?」

    ヒースクリフは膝に肘をついてまた溜め息を吐いた。

    「……財布失くした事にして、奢ってもらった事とか。あんたにどう思われるか気にしてた事とか……気にしてたのも、ああ思ってたのも、全部俺だけじゃねえか。」
    「……」
    「……あんたに普通の物求めたら駄目だってはっきり分かったよ。」

    ヒースクリフは大きく口を開いてハムと卵とレタスのサンドを齧って咀嚼した。

    「……それでも。」
    「ん?」
    「貴方は私を好いたままで居てくれるのだろう?」

    ヒースクリフは目を見開いて信じられない物を見るような目でこちらを見てきた。

    「……なんでそんな自信満々なんだよ、あんた……」
    「実際にそうなのだろう?」
    「……」

    ヒースクリフは黙り込んで目を逸らした。

    「……この自信は貴方を信じているから生じる物でもある。」

    私がブレッドを千切って口に入れながらそう言うと、またヒースクリフが溜め息を吐いた。

    「……そーやってすぐ調子乗らせる……」
    「そんなつもりではないが。」
    「あんたがそのつもりだったとしてもなぁ、こっちは……」

    ヒースクリフはそこで言葉を切って少しの間躊躇った後にサンドを齧った。

    「分かっている。本気なのだろう?」

    そう問いかけるとヒースクリフは案外素直に頷いた。

    「いつかあんたに追いついてやる。それで皆見返して、あんたとも対等になるんだ。」

    そう言って笑うヒースクリフの紫の瞳が輝いているのが見えて、思わず息を呑んだ。

    ……どうやら私の周りには野心高い人間が集まって来るらしい。

    私は……そんな彼らに求められるのが嬉しいのかもしれない。

    そして。

    彼に、抱かれる事を密かに望んでいるのかもしれない。
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