試す男と、言わない男幽霊族の旦那、あんたそろそろ後妻を迎え入れる気はないのかい?」
どうやら妖怪の中にも人間と同じようにお節介焼きがいるらしい。
ゲゲ郎に後妻云々の話が持ち込まれたのは何もこれが初めてではない。もう十は数えられるだろうか。
ゲゲ郎の嫁さんが亡くなって10年過ぎた辺りから、そういった縁談話を持ち掛けられることが多くなった。妖怪の倫理は分からないが、強い種族の者と番になって種の存続や繁栄を求める気持ちは妖怪も人間も変わらないらしい。
しかし当の本人は後妻を迎え入れる気はさらさらなく、毎回律義に理由を付けては断っていたのだが、あんまりにもしつこく続くためいつからか同居する俺にも相談するようになっていた。人間の見合いでいう釣書のようなものを渡してきて、「今度の相手は大丈夫だろうか?」だなんて聞いてくるゲゲ郎に対して、俺は「岩子さんと同等かそれ以上に愛することが出来ると思えるなら受け入れてもいいんじゃないか」と返し、暗に却下するように誘導している。ゲゲ郎にとって岩子さんの存在こそ最上の愛であると思っているから、それに並びうる相手が現れるなんて絶対無理だと確信していた。
ゲゲ郎と番いたいと思って話を持ってきた相手の方にも仲介の妖怪にも申し訳ないなとは思うが、自分の考えが間違っていないことはゲゲ郎の安堵した顔を見ればすぐ分かる。
毎回ゲゲ郎が俺に相談してくるのは、俺に縁談を断る口実を作って欲しいからだろう。既に最初から答えは決まっているくせにずるい奴。
今回もまた同じように後妻を迎え入れる気は今のところないと断ろうとした。しかし、今回の相手はなかなか引き下がらなかったようだ。
『あなた様が今でも奥方様を想い続けていることは十分承知しております。けれどわたくしもずっとあなた様を秘かにお慕いしておりました。ですから一度だけでもお会いしていただけませんか』
女妖怪から送られてきた文に目を通し溜息を吐くゲゲ郎の後頭部をおもいきり叩いてやった。
モテる男への対抗心からなのか、健気な女妖怪への申し訳なさからなのか、自分自身への戒めからなのか。
突然頭を叩かれたゲゲ郎は涙目になって喚いていたが、それを無視して手元にある文に視線を落とす。
その文の結びにはこう書いてあった。
『あなた様から色よい返事を頂けることを首を長くしてお待ちしております』
ゲゲ郎に懸想していた女妖怪は【ろくろ首】だった。
【ろくろ首】
ゲゲ郎曰く古き時代より人間社会に溶け込み生存してきた妖怪の一種で、首さえ伸ばさなければ見た目は普通の人間と大差無い為、その正体が妖怪だと露見することなく人間と婚姻関係を結ぶ者もいたという。ただ、一概には言えないが、嫉妬深い一面がある妖怪のようで、それが原因で自身の正体が明るみになってしまった、なんてこともあるらしい。笑い話で済めばいいが、中には嫉妬に狂うあまり旦那を伸ばした首で絞め殺してしまったという恐ろしい話も残っている。
そんな特性を持つ女妖怪がゲゲ郎に懸想していて、会いたいと切望しているのだ。
面倒なことにならなければいいが。
「なぁ、これは一度会っておいたほうがいいんじゃないのか?後で断るにしてもさ」
俺の言葉に、それまで難しい顔をしていたゲゲ郎も渋々といった風に頷いて賛同してくれた。
「そうじゃな。この文に込められた思いを無下には出来ん」
そう言いながら貰った文を丁寧に折りたたんで懐に入れたゲゲ郎の姿にどうしてだか胸がざわついた。
向こうから会いたいと切望され、こちらが了承する形で会うことが決まった。
どんな形で会うのかはまだ決められていないが、デェトにしろお見合いにしろ、ただの同居人で人間の俺は厳密には関係ないからその日は離れていたほうがいいだろうと思った。相手方がどんな性格なのかも分からないから変な刺激は与えないほうがいい。
そう思っていたのに。
「一つお主に頼みがある。その日、お主にも同席して欲しいじゃが駄目か?」
―儂の相棒じゃから。
手を握られ、俺の弱いところを突いてくる。本当にずるい男だよお前は。
了承したことで喜んで抱き着いてきたゲゲ郎をあやしながら、脳内ではその日に合わせて休暇が取得出来るがどうかの算段をつけていた。
▽
「わたくしのお願いを聞いて下さって本当に有難うございます。今日は一日あなた様と一緒にいてよろしいのですね」
ゲゲ郎に向かって頬を赤く染めて笑顔を浮かべるのは、【祢玖(ねく)】と名乗ったろくろ首の女妖怪。なんでも人間社会に紛れて生きていくために自ら付けた名だという。
もう長いことそうやって生きてきたからなのか、見た目は勿論、その仕草も言葉遣いも、社会で生きている人間の女性そのものだった。
まさかその正体が妖怪であるとは、知らない人からしたら俄かに信じ難い話だろう。
しかし、ゲゲ郎と長く一緒にいるその影響で見えないモノが視えるようになり、感じなかった気配を感じられるようになった今では、この女性の正体が妖怪であると理解できた。
「祢玖殿は外でお勤めされているのじゃな」
「ええ。小さな会社ですがお勤めさせていただいております」
「それはすごい」
「いいえ、そんな。ようやく慣れてきたところですわ」
ゲゲ郎との会話も穏やかに進んでいく。
今のところ心配するようなことは起きる気配はない。このまま何事もなく済んでくれればいい。
退屈だろうにちゃんと大人しく座っている鬼太郎の様子を気に掛けつつも、そう願った。
「わたくしのような妖怪が人間社会で働くこと自体大変なことも多いですけれど、今では生きがいのようなものになっておりますの。長い年月を過ごす人あらざるモノでありながら、変ですわよね」
「僕は人間ですが、仕事が生きがいになっているという考えは共感出来ます」
「まぁ!水木様もそう思われますのね」
祢玖さんの言葉に共感を覚えて深く頷き賛同すると、今度はこっちに笑みを浮かべて話を振ってきた。妖怪の中でも人に紛れて社会で働いているモノは少ないのだろうか。賛同してもらえて嬉しいという感情がありありと伝わってきた。
人間と妖怪という種族は違えど、社会で働くモノとして共通の話題で盛り上がっていると、ふいに横から袖を引っ張られたので視線を向けると、暗い顔をしたゲゲ郎と目が合った。なんだか負のオーラまで纏っている気がする。
「お主ら二人だけで盛り上がらんといてくれ。外で働いたことがない儂には分からん話なのじゃ」
「あ、すまん。そうだよな、ずっと家にいるゲゲ郎には分からん話だったよな」
「うぐッ」
「申し訳ありません。あなた様をないがしろにしたつもりはございませんの。ただ、理解して下さる方がいてつい嬉しくなってしまって」
「うぐぅ」
何やら呻き声を上げて胸を押さえていたゲゲ郎だったが、
「どうせ儂は働くこともせん怠け者じゃもん。相棒の水木の気持ちに理解も共感もしてやれん愚か者じゃもん。きっと亡き妻にだって呆れられとったに違いない…ううっ」
そう言いながらとうとう座卓に顔を突っ伏し拗ねてしまった。滂沱の涙を流し鼻水を垂らしているその姿にかっこよさの欠片もない。
自分に懸想している客人の前だろうと関係なくいつものように醜態を晒しているゲゲ郎に、流石に幻滅させたのでは…と、ゲゲ郎の世話を焼きながらちらりと祢玖さんのほうに視線をやると、幻滅するどころか新たな扉を開けてしまったようだ。
口元は手で覆い隠されているが、その瞳は爛々と輝き頬は紅潮している。
隠された口元から微かに漏れ出た言葉は、「え、やだ、可愛らしい…」だ。
この情けない姿に母性本能でも刺激されたのか。ああ益々面倒なことにならなければいいが。
滞りなく済んでくれればいいと願っていたのにそうもいかないようで、溜息を吐き出すと共に、もう既に面倒くさいことになっているゲゲ郎の背中をバシンと叩いた。
客人の前で情けない姿を晒しながらも、その日の顔合わせはどうにかこうにか終わってくれた。
鬼太郎も知らない女性が家の中にいる状況であってもお行儀よく膝の上で座っていてくれて、「いい子だな」と安堵した。
玄関でお見送りする時に、今度は外でお会いしたいですわと祢玖さんのほうから再び会う約束を取り付けていて、今日限りでさよならする気はないという意思を感じ、随分積極的な方なんだなと感心してしまった。
返事に困ったのか後ろを振り返り視線を合わせてきたゲゲ郎に、口パクで『いいから早く応えてあげろ』と伝えると、一つ頷き、是と返していた。
「それではまたお会いできることを楽しみにしておりますわ。水木様も有難うございました。鬼太郎君もまたね」
「うむ。それまで息災でな」「ええ、お元気で」「さよなら」
にこやかに手を振って去っていく祢玖さんを見送って玄関を閉めたゲゲ郎が、上がり框に立ち同じく見送りをしていた俺の肩に頭を預けてきた。いつも飄々としているこいつに限って緊張や気疲れなんて関係ないだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。
隣に立って見送っていた鬼太郎も、疲れきっている様子の父親を労わってあげようと腰のあたりを擦っていた。
「お疲れ。どうにかこうにか無事に済んで良かったな。今晩は晩酌に付き合ってやるから」
ゲゲ郎のことを労わるように頭を撫でてやると、もっと撫でろといわんばかりに頭を押し付けてきたので、調子に乗んなと頭をひと叩きして終わらせた。
「やはりあのような場は儂には向かん。むしろ水木のほうがあの者とようく喋っておったではないか。…まさか気に入ったのか?」
「同じ社会に出て働く者同士共感したまでだよ。お前のほうはどうなんだ。祢玖さんと会ってみて印象は変わったか?」
「そうじゃのう。どことなく妻と似た雰囲気をもつ女子じゃった」
「人間の社会に出て働いているっていう点でも共通してるもんな。お前と鬼太郎ぐらいなら養っていけそうだ」
「…しかし一番大事なのは鬼太郎を可愛がって大切に思ってくれるかじゃ」
「そうだな。それは俺もそう思うよ」
酒を口に運びながら、祢玖さんとの顔合わせはどうだったか聞いてみたら、やはりあまり乗り気ではなかったようで渋い顔をされた。しかし、祢玖さんの印象を問えば、悪い感じではないようだ。奥さんに似た雰囲気を持つ女性ならばもしかしたらゲゲ郎に合うかもしれない。あとは鬼太郎のことを我が子のように大切にしてくれる相手であることを願う。
「今度は外で会う約束もしていたもんな。…てっきり断るのかと思ったぜ」
「うむ。祢玖殿が言うように外で会ってみるのも良いかと思うたんじゃ」
「にしては返事すんのに間があったじゃねぇか」
返事に詰まりこちらを振り返った時の下がり眉を思い出して口元が緩んだ。
「…あれは、お主の都合を気にしとったんじゃ」
「なんで俺の都合なんか気にすんだよ?」
ぐい吞みを濡れ縁の床板に置いたゲゲ郎が手持無沙汰になった両手を擦り合わせながら、じっとこちらを見つめてきた。
「なんだよ?」
「…いや、その、な。今度外で会う日が決まったら、その日もお主に立ち会って欲しいと思ってな…」
「なんで?俺はもういいだろ?」
「儂の相棒だからじゃ」
「相棒だからって何でも一緒はないよ。今度は俺を抜いて3人で会ったほうがより相手さんがどんな女性なのか分かるかもしれないだろ。鬼太郎への接し方とかさ、父親して気になる部分だろう?」
「うぅむ。…それはそうじゃが」
俺の言い分に理解はできても納得は出来ないといった様子のゲゲ郎は、不満顔のまま床板に置いていた猪口を手に取った。酒を注いでやろうとした俺の手から徳利を取り上げ、自身で空の猪口に注ぎ入れるがあまりの雑さに酒がいくらか零れてしまった。ああ勿体ない。
「なに怒ってんだよ。そんなに納得できないか?」
「―怒ってなどおらん。お主は気にせんでよい」
「へいへい」
いっきに呑み干して濡れた口元を拭ったゲゲ郎が、俺に向けて徳利を傾けてきたのでそれに応じた。
俺の猪口に酒を注ぎつつ、ゲゲ郎が口を開く。存外落ち着いた静かな声であった。
「水木は…、お主は儂があの者と懇ろな仲になっても何とも思わないか?今の暮らしを終えることになっても良しとするか?」
並々に注がれた酒を喉に流し入れ、息をついた後、はっきりと答えた。
お前と鬼太郎が幸せになってくれるのならそれでもいい、と。
「もともとこれから先もずっと一緒に暮らしていける保証なんてないんだ。確実に俺はお前たちより先に逝く。人間だから。だから…」
「だからなんじゃ。自分がいなくなった後のことを考えてあの者と一緒になることも反対しない、とそういうことか」
「…うん。でも、肝心なのはお前と鬼太郎の気持ちだからな!本当にその気がなかったら早めに断ったほうがいい。相手さんに期待を持たせてしまうのも酷だから。でも向こうがまた会いたいって切望してお前も了承したのなら今度は俺抜きで会ったほうがいいんじゃないかと思ったんだ」
「…そうじゃな。水木の言う通りじゃ。儂の我儘でお主の優しさを蔑ろするところじゃった。まことにすまん」
少し気を落としたようなゲゲ郎が頭を下げてきたから、肩に手を置いてそれを制止した。
「いいって。それにしてもさっきのゲゲ郎の言葉はなんだか必死すぎて笑えてくるぜ」
猪口を唇に当てながらくつくつと肩を揺らすと、今度は俺の肩を掴んで笑うのを止めるように言い募ってきた。
「あ、あれはつい咄嗟に出てしまった言葉なのじゃ!今すぐ忘れてくれ!」
「あっはは そうだな。この酒を呑み干したら忘れることにするよ」
「あ~…うぅ…やっぱり忘れんでくれッ」
「どっちだよ!」
忘れろと言ったり忘れんでくれと言ったり。ゲゲ郎の葛藤が面白くて益々笑いが込み上げてきてしまう。酒を呑むどころではなくなって背中を丸めて吹き出すのを堪えていると、背中をパシンと叩かれた。
「儂はもう寝る!お主もさっさと寝ることじゃな!」
そう言って自分の分の猪口と空の徳利を持って奥に引っ込んでしまった。
晩酌の時間を一方的に打ち切られ、なんだかまだ呑み足りない気はしたが、ひとりでちびちびと呑んでいても楽しくないので、自分も切り上げることにした。
台所で片づけをしながらふと思い出す。
『お主は儂があの者と懇ろな仲になっても何とも思わないか?』というゲゲ郎からの言葉。
あの時返した言葉に嘘偽りはないけれど、言わずに仕舞い込んだ言葉もある。
「何とも思わないわけないだろ。…馬鹿」
今頃寝室でぐーすかと眠りこけているゲゲ郎には決して届くことはない。