風邪を引いた話『獅子神さん、助けて〜!僕死んじゃうかも!』
「は!?待ってろ、すぐ行くから!!」
土曜の昼過ぎ、今日は株式市場も休みで、特段急ぐ仕事もなく、時間をかけてカレーでも作ろうかとキッチンに立っていたところだったが、真経津から冒頭の電話がかかってきて家を飛び出した。
あの一言を最後に、真経津に何度かけても電話が繋がらない。強盗に入られた?それとも、怨恨のある人物からの報復?最悪の想像をしながら、獅子神は急ぎ車を走らせた。
真経津のマンションに着くと、インターホンは押さずに合鍵でエントランスを抜ける。鍵は持たされているがいつも勝手に入るのは忍びなく、なんとなく真経津に開けてもらっていたが、非常事態のようなので致し方ない。
「真経津!大丈夫か!」
ガチャ、と扉を開けて大声を上げながら中に入ると、散らかったリビングでは寝巻き姿の真経津と、なぜかそこにいる叶がトランプをしている姿が見えた。
「やった、ボクの勝ち」
「え〜来るなよな〜、敬一君」
「は……?」
想像していなかった平和な公開を二度見するが、二人がただトランプをして遊んでいたことしかわからない。
「なーんかつまんねーの。帰るわ〜」
「叶さんの負け〜今度ご馳走奢ってね!ばいばーい」
少し不機嫌そうな叶に目線を合わせられ、「巻き込んで悪かったな、敬一君」
なんて言い残して、叶はそのまま帰って行った。
わけのわからないまま置いてけぼりにされた獅子神は、キッと真経津を見下ろす。
「……オメー、死ぬとか言ってなかったか」
「うん、死んじゃいそうだった」
「……叶と何してたんだよ」
「獅子神さんにああやって電話したら、来てくれるかな選手権して賭けしてたんだー」
「あれから電話に出なかったのは」
「あー、ごめんごめん、充電が切れてたみたい。気づかなかったよ」
はーーー、と長い息を吐き、獅子神はその場にへたり込む。
「あれ、どうしたの獅子神さん」
「別に……オレがどれだけ心配したかなんて、オメーには関係ねぇ話だよ」
「ごめんね、でも、死んじゃいそうだったのはほんとだよ」
その言葉にがばっと顔を上げて、獅子神は真経津を見る。よく見ると、普段よりも頬に朱が差していて、目が少し潤んでいる。もしやと思い自分の額と真経津の額とを合わせてみると、かなりの高熱のようだった。
「オメー……風邪ひいてんじゃねーかよ!!」
「そうそう、だからだるくて寂しくてつまんなくて、死んじゃいそうだったの」
「こンの……寝てろーーーーーーー!!」
へへ、と力なく笑う真経津を引っ掴んで寝室に連れて行き、無理やり寝かせた。
体温計をガラクタの山から探し出し、改めて測ってみるとなんと39.8度もの熱があり、獅子神は愕然とした。「そんな高かったんだね〜」なんて呑気なことを言う真経津は、言葉にどんどん力がなくなっていく。
しかし、どうして叶がいたのだろうか。
「叶さんはね、昼前に近くに寄ったとかで突撃してきたんだけど、ボクがだるくてつまんないって話をしたらさっきのゲームを思いついてくれたんだ」
考えを察せられて先回りして回答される。いいから寝てろバカと布団の上からさらに毛布を被せ、「真経津が獅子神よりも先に叶に連絡を入れていた」という可能性を否定できたことで、少しだけ嫉妬のような気持ちを抑えることができた。
「とにかく、オレはなんか体にいいモン買ってくるから!オメーはおとなしくそこで寝てろ!」
「ありがとう、なんだかお母さんみたいだね」
「うるせえ!」
そんなやりとりをして、近くのドラッグストアに急いで向かう。ポカリスエットと風邪薬と、あとは適当に食べられそうなものをカゴに詰め込んでレジを済ませ、また蜻蛉返りで急いで戻る。
「ポカリとか適当に買ってきたぞ、飲める、か……」
寝室を覗いて声をかけてみると、真経津がベッドに吐いてしまっていたようだった。この調子では寝れてもいないだろう。
「あはは、間に合わなくて……」
乾いた声で苦しそうに笑う珍しい真経津を見て胸のあたりがぎゅっと痛みながら、「いいから、オレがやる」と獅子神はタオルを持ってきて片付けを始めた。
ここでは匂いもあって寝られないだろう。再度リビングに連れていき、ソファーに寝かせる。ぜえぜえと荒い息をする真経津を横に見て、また胸がギュっと痛んだ。
「オメーも普通に風邪とか引くんだな」
「……ボクのこと、なんだと思ってるのさ」
むくれて拗ねたように言う真経津に、獅子神は
「何でもできてどんどん先に行っちまうから、どこかで人間じゃないやつみたいだなんて勝手に思っちまってた。ちゃんと人間で安心した」
「なにそれ、へんなの」
真経津はそう言うと、疲れたのか瞼を閉じてしまった。割とすぐにスースーと寝息が聞こえて安心し、粥でも作るかとキッチンに行こうとしたとき、真経津の指先が獅子神の服の裾を小さくつまんでいることに気がつき、しばらくそのままソファーにいることにした。
◆◇◆
いい匂いに釣られて目を覚ますと、ソファーで横になっている間にどうやら獅子神が何かを作ってくれているようで、キッチンに彼は立っているのが見えた。
声をかけずにしばらくそのまま彼の姿を見る。休日でもダラダラすることのない彼はきっと、家で何かをしていただろう。それを放り出して、すぐ来てくれた。真経津はそれが嬉しくて、風邪をひいてよかったなぁなんて呑気に考えていると、気づいた獅子神と目が合う。
「おう、起きたか。体調はどうだ?」
「さっきよりは大丈夫かな。いろいろありがとう」
「そっか、よかった。シーツは洗って干してあるから、乾けばベッドで寝られるぞ」
熱に浮かされた朧げな記憶だが、嫌な顔ひとつせず、獅子神は吐瀉物の後始末をしてくれた。いくら獅子神といえど、急に呼び出されて汚いものの掃除をさせられて、文句の一つだって言っていいはずなのに。彼は優しいことしか言わない。
「ねえ」
「うん?どした」
「これが叶さんでも、村雨さんでも、そうするの?」
「そうって……何がだ」
「いろいろ。今日してくれた、」
「ああ……いや、村雨なんか特に嫌がりそうだし、なんもしねぇと思うよ。叶は……よくわかんねーけど」
言葉の真理を図りかねた獅子神が、真経津を見やる。ああ、もう。これを言ってしまったら面倒なやつだと思われるかもしれない……
「……ボクだから、そうしてくれたの?」
「まあ、そうだな。誰だって、大事なやつがしんどそうだったらそうするだろ」
この世の中は性善説では成り立たないと思いながらも、彼は「普通のことだよ」と笑って答えた。
「すき」
急に消え入りそうな声で真経津が言うものだから、獅子神は少し動揺したものの、火を止め手を拭いてキッチンからソファーに近づいた。
「わかってるよ」
汗ばんだ髪を撫でられ、真経津は再び目をつぶる。
きっかけは真経津から。遊びのように想いを伝えたのが約一ヶ月前だった。獅子神は今まで男と付き合ったことはなかったが、彼から好意を伝えられ嫌な気持ちがしなかったこともあり、二人は交際を始めた。
と言ってもこのひと月はプラトニックなもので、一緒ににゲームをしたり、料理をしたりといった中学生のような遊び方ばかりで、性愛はまだ二人には伴っていなかった。
愛している、がわからない。好き、と何が違うの。一緒にいて楽しいなら、そう言う関係で十分じゃないか。真経津はずっとそう考えてきたが、たった今初めて「愛してる」という感覚がわかったような気がした。
もし逆の立場でも、自分も同じことができる。彼から出るものならなんだって触れるし、彼のためならなんだってできる。彼のことがもっと知りたい。何もかもを暴きたいし曝け出したい。
ああ、もっと早く気が付きたかったな、と思いながら、真経津は再び眠りについた。