変身(犬編) だから僕、何度も言いましたよね。
最悪の事態が起こる可能性だってあるんだから、なるべくその技は使わないで下さいって。
だって思い出してもみて下さいよ。この前は地面が爆発して危ない思いをしたばかりだし、その前なんかはオズバルドさんが熊になってしまったじゃないですか。元に戻るまでろくに街にも寄れずに大変だったの、まさかもう忘れてしまったので?よく躾けてあるって事にしてどうにかなりましたけど…。
ああ、そういえばソローネ君が蛇になった事もありましたねぇ。その時も狩人が手懐けてあるから安全という事で宿屋に納得してもらって、なんとか泊めてもらいましたっけ。いやぁ、オーシュット様々でしたね。
懐かしんでる場合じゃないでしょう!どうするんですかテメノスさん。そんな、そんな……
犬の姿になっちゃって!!
◇◇◇
テメノスさんがこんなにギャンブル好きだったなんて思いもしなかった。
彼が踊り子のライセンスを取得してからはいつもそうだ。やけに摩訶不思議の舞とかいうのを踊りたがる彼は、どうやらすっかり「いい出目」が出た時の快感の虜になってしまっているらしい。
初めて地面が爆発してからは流石に反省したのか、僕と二人で行動している時くらいにしか踊らなくなったけれど。全然そういう問題じゃないと思います。
失うのが金だけのぶん、本物の賭け事の方がまだましかもしれない。場合によっては死のささやきが聞こえる事もありうるというのに、どうしてこの破戒僧はこうも簡単に命をベットする事が出来るのだろう。
そういうわけで、今回の出目は「これ」だった。
テメノスさんが、真っ白でほわほわのけだものになってしまった。犬種は分からないが、大型犬ではない事だけはっきりと分かる。ぺたんと折れた耳が元々まるい頭の輪郭を更にまあるく際立たせている。もふもふというよりほわほわの和毛に覆われたその姿は、中身が30歳の男性であると知らなければうっかり撫で回してしまいそうな程の可愛らしさだった。
「困りましたねクリック君」
「なんで喋れるんですか!怖いんですけど……」
「身体以外はどうやら人間のままみたいですからね」
「…えっ、それはおかしくないですか?身体が犬なら、構造的に人の言葉は喋れないのでは……」
「君、変なところで細かいってよく言われません?人間が犬になるのは納得できるのに、犬が喋るのはそんなに気になるんです?」
「う……」
情けない事に、言い返せない。中身がテメノスさんのままというのはどうやら本当のようで、例えけだものになってしまってもその雄弁さは健在らしかった。
「…とにかく、これに懲りたらもうあの技は使わないで下さいね。テメノスさんがこんな状態じゃ、危なくて先に進む事も出来ないんですから。この間だって…」
「クリック君。反省している犬に長時間説教を続けるのって、虐待ですよ」
「都合の良い時だけ犬にならないで下さい!!」
まったく貴方って人は!どうせ反省なんてしていないし、それどころか絶対にまたやるんでしょう。今度は一体なにがどうなってしまうのか、想像するだけで頭が痛い。次にその素振りを見せたら、横から突撃してでも止めなきゃいけないかもしれないな。
そんな僕達が今いるのは宿屋の一室だ。いたいけな小型犬と化した彼を庇いながら魔物を倒して進むのは、流石に骨が折れるし何より危険なので、日の出ているうちから宿屋に世話になる事にした。ここで舞の効果が切れるのを待たなければならない。足止めなんか食ってしまって、テメノスさんのせいですよ、もう。
「まあすぐ元に戻れるでしょうし、それまでゆっくり待ちましょう」
そう言いながら、呑気にも彼はベッドにころんと横になる。ああ、シーツに毛が付いてしまうかもしれない。部屋を出る前にチェックしておかないと。
小さな欠伸をひとつして、いつもより更にくりくりの目を閉じると、その人――犬は、穏やかな寝息を立て始めてしまった。
(……まさか、寝た?)
この状況でそれはマイペースすぎますって。もしも暫く元に戻れなかったらとか、ずっとこのままだったらとか、そういう心配は無いのだろうか。そんなことになったら、貴方は大聖堂の名物犬として、巡礼者に撫で回される日々を送らなければいけなくなってしまうんですよ。それは僕としても、少しばかりおもしろくない。
ベッドの上に、距離を置いて腰掛ける。いつどのタイミングで元に戻るか分からないので、警戒しておくに越した事はない。
窓から差し込む午後の日差しが、寝こける彼をあたたかく照らしていた。普段からなんとなく白っぽい彼だが、今はその全てが白い。上から下まで真っ白だ。その白が光の反射で眩しいくらいだった。柔らかな毛が日光をふんだんに吸収して、干したての布団のようにふかふかに仕上がっている。あたたかそう。気持ち良さそう……。
「触りたいと思ってますね」
「!!!」
つぶらな瞳と目が合った。僕は慌てて飛び退いて、彼と更に距離を取る。テメノスさんが起き上がって、僕をじとりと見つめた。
「ちょっ…狸寝入りだなんてずるいです!」
「どちらかというと犬寝入りですかねぇ。誰かさんの熱い視線のせいで、ちっとも落ち着いて眠れないんですが」
「う…す、すみません……」
確かに、犬の姿をしているからといってじろじろと見すぎてしまった。中身は人間のままなのだから、そんな不躾な視線に晒されたら当然嫌に決まっている。僕が反省して彼に背を向けていると、後ろから思いもよらない言葉を掛けられた。
「仕方ありません。特別に触っていいですよ」
「…えっ」
「君も普段お疲れでしょうし、この愛くるしい姿で極めて健全に癒してあげましょう。さあいらっしゃい」
「は」
いや、いや、まずいですよ。だっていくら今の貴方がふわふわでほわほわの愛らしい犬だからって、中身は貴方のままなんですよ。それを撫で回すのは流石に気兼ねするというか、勿論変な意味では無くて、失礼にあたるという意味で。
それにテメノスさんが元に戻ったらまた移動を始めるんですから、今はその事について考えないと。ただでさえ誰かのせいで予定が狂ってしまっているのに、これ以上はうわ〜〜〜〜気持ちいい!!
ほわほわの前に人は無力だ。
自分で言うのもなんだが、僕は今まで厳しい鍛錬に耐えて耐えて、耐え抜いて、それなりに強い精神力を有していると自負していた。忍耐力だって鍛え上げられていると思っていたのに。それなのにこのざまだ。悔しくて情けなくて、涙と撫で回す手が止まらない。
「ううう……あったかい……」
「そうでしょう」
何故だかやたら得意げな彼がふふんと鼻をならす。流石に身体を触るのは抵抗があるので、頭部をぐりぐりと撫でさせてもらう。さらさらのほわほわで、既に想像よりずっと触り心地が良い。
暫く堪能した後、このあたりでやめておこうと手を離そうとした時だ。何の前触れも無く、彼がごろんと仰向けになる。
「え」
これは…また眠ってしまったという事だろうか。一瞬そう思ったが、こちらにチラチラ視線を送っているので違うようだ。
まさか、腹部に触ってもいいという事…?
ごくりと喉を鳴らす。
そこは頭よりもずっとふわふわであたたかくて柔らかそうで。頭だけであんなになってしまったのに(僕が)、こんなところを触ってしまったら一体どうなってしまうのだろう。
いや、それは流石にまずいでしょう。身体に触れるのは、いくら彼が犬の姿をしているからって抵抗がある。背中ならまだしも腹部というのだから尚更だ。勿論変な意味ではなくて、失礼にあたるという意味で。
テメノスさんも、ふざけて軽々しくそういう事を言わないで頂きたいものです。僕の反応が楽しいからって、いつもうわ〜〜〜〜気持ちいい!!!
腹部の触り心地は凄まじかった。当たり前だが頭部よりも柔らかいので、さらさらのふわふわのほわほわにやわやわがプラスされて、それはもうとんでもない事になっている。
「ううう…あったかい…柔らかい……」
「そうでしょうそうでしょう」
彼は嫌がる様子を見せないどころか尻尾をぱたぱたと動かしているので、僕は調子に乗ってそのまま撫でくり倒し続けた。ほわほわの和毛に手を沈めると、剣を握り続けていた手の疲労が取れていくようで、なるほどこれは確かに健全な癒し……。
そう思った時だ。ふとある考えが頭をよぎった。
(…犬の腹部って、人間でいうとどこにあたるんだ…?)
犬の身体のつくりについて、造詣がさほど深い訳でもない。けれどなんとなく見た事はある。犬が授乳するとき、親犬がこう横になって、子犬たちが腹部にわちゃわちゃと集まっていく光景。
つまりここって、胸なのでは?
恐ろしい事に気が付いてしまった。まさか僕はさっきから、30歳男性の胸部を夢中で撫で回していたんじゃ。いや、腹部でも充分異様な光景ではあるけれど。一度冷静になってそう思ってしまうと、とんでもない事をしでかしていた気になってくる。
「す、すみません!!失礼しました!!」
外の空気を吸ってきます!そう言うより早く、僕は扉を蹴破る勢いで部屋を飛び出した。視界の隅に、つぶらな瞳を更につぶらにした彼がぽかんと口を開けているのが見えた。
ああ、この後どんな顔をして部屋に戻ればいいのだろう。取り敢えず無礼を謝って、それから…。あてもなく外を駆けながら、僕はそんな事を考えていた。
◇◇◇
クリック君が出て行ってしまった。
動物による癒し効果というものはそれはそれは凄いと伺っている。犬や猫や羊は確かに愛らしいと感じるし、動物とは違うものの、オーシュットの尻尾の「モフモフ」とやらでソローネ君が頬を緩ませている光景を幾度となく見てきた。
だから偶然とはいえこの姿になってしまった時、迷惑を掛けた事への謝罪も兼ねて、存分に癒されて貰おうと考えたのだが。彼は突然顔を真っ赤にしたかと思うと、凄い勢いで部屋を出て行ってしまったではないか。一体どういう事だろう。あのまま誰かにぶつからないといいんですが。
じっと理由を考えてみる。
犬の姿は気に入らなかった?いや、途中までは間違いなく喜んでいる様子だったから、それは考えづらい。
赤面しながらのあの慌てようを見ると、――まさか犬の身体に邪な感情を抱いてしまったとか?
彼に最初からそういった趣味があったのか、私がきっかけで目覚めさせてしまったのかはわからない。後者だとしたら、相当罪深い事をしてしまったかもしれない。
彼が戻ってきたら、なんと声を掛ければいいだろう。デリケートな問題だから、言葉は慎重に選ばなくてはいけない。趣味や嗜好は人それぞれだから、私は決して気にしないと言って、それから…。仰向けで天井を眺めながら、私はそんな事を考えていた。