安室さん家の江戸川くん① 休暇としていた日に呼び出されるほど予定が狂うことなんてあるだろうか。先ほどまで通話していた画面を見つめながら、車内の狭い空間に溜め息を吐いた。
普段絡まない幹部からの電話に少々嫌な予感はあったが出ないわけにはいかない。わざと数回着信音を待ち出ると、案の定「すぐに出ろ」と理不尽なことを言ってきた。
「なんです、いきなり」
「バーボン、日本にいるんだろ?」
「ええ、まあ」
「今からいう地点にくたばったガキの死骸がある。始末しておけ」
「……なぜ、僕が?」
「テメェはそういうのが、得意だろ?」
そういうの、とは遺棄されたものを処理することを指しているわけではないとすぐに察した。騒ぎになるのを避けたい、誰かに見つかる前に処理、もしくは、取り繕えと言っているのだ。確かにそういった交渉や調整は得意とするところではあるのだが。
「ジン、僕の専門は情報収集であって、」
「任せたぞ」
こちらの話は聞かずに一方的に切られた。ジンの傍若無人な態度は今に始まったことではない。なりより、逆らったとして自分には利益が全くない。コードネームを与えられたとはいえ、組織の中では新参者の内だ。理不尽な要求への苛立ちを飲み込み、バーボンはハンドルを握った。
指定されたのは遊園地。まさかこんなにも賑やかなところにジンが来ていたなんて。どれほど重要な理由があったにせよ、滑稽なネタとして十分過ぎるのではないか。いつか使えるものとして、彼と遠くに見えるジェットコースターを合わせて写真に収めておきたかったとバーボンは笑った。
流石に遊園地に全身黒い服装は悪目立ちするだろう。後部座席に潜入時の予備として置いていた中から、一応場に合った服に袖を通した。
さて、最終目的地は遊具施設の管理棟の裏だ。なぜまたそんな場所にと思ったが、到着までに少し調べたところ、管理棟の裏は窓もなく出口もない設計で、最適ではないが適当ではあった。設計が違法でないといいのだが、と考えたところでバーボンは頭を振った。今は『バーボン』なのだから余計だ、と。
まもなく閉園を迎えるアナウンスが場内の至る所から聞こえる。何の対策もなく帰路につく人々の流れに逆らうのは良くないかと、バーボンは出入口で案内をしていたキャストに「落とし物をしてしまった」と声をかけ、物を探すフリをしつつ、人目につかない場所まで移動した。あまりこういったことは得意ではないのだがと思いつつ「失礼」と一応詫びて、キャストを催眠剤で眠らせ制服を剥いだ。目論見通りジャストサイズの制服へ着替え、ジンから指定された場所まで急いだ。
管理棟の裏は照明が全くなく、木々によって駐車場からの光すら届かない。暗視ゴーグルなんて便利なツールの持ち合わせもなく、かといって特別夜目がきくわけでもない。致し方なくライトを袖の中に入れ照射範囲を袖と手のひらで覆うことで狭め、できるだけ真下を照らして子どもの遺体を探し始めた。
ジンからの情報は「ガキ」とだけ。対象範囲が広過ぎだと、別の構成員なら愚痴を漏らしただろう。しかしながら、洞察力において組織でバーボンの右に出るものはいない。状況から得られる情報である程度は絞られていた。
園内で迷子の知らせは無いようだった。となれば、一瞬見失ったとしても周りが慌てることもなく、更には自力で探し出せる年齢となる。保護者同伴となれば話は違ってくるため、友人や恋人同士で訪れたか、あるいは一人で自由に過ごしていたか。いずれにせよ、市街地から少し奥まった遊園地に保護者の同伴無しに訪れることができるとなれば、最低でも高校生か。また、ジンの性格を考えれば、高校生くらいでも女性であれば「女」と言ったはずだ。
「高校生くらいの男……」
日本の高校生の平均身長は160cm後半。切り刻まれていない限り、体を丸めていたとしてもそれなりの大きさだ。すぐに見つかる、そう思っていた。けれども、手入れのされていない雑草ばかりが視界を埋める。足元しか照らせないことにじわりと焦りを感じはじめたバーボンだったが、ほどなくして男性のものと思われるスニーカーを発見した。
「人が履いていた形跡はあるな」
ゆっくりとライトを上げて辺りを照らし、その異様な光景に声を詰まらせた。
数十分前までそこには人が倒れていたとわかる形で服だけが転がっていた。辺りに血痕や争った形跡もない。ただ、人が倒れてしまったことにより、人型に雑草が折れたり横に曲がったりしている。丁寧に服だけを置いたわけではない。まるで肉体が蒸発して消えたように、その場に「体」だけがなかった。
「何が、起きたんだ……」
ともあれ、目の前の光景を一つ一つ確認していこうと、思わず口を覆ってしまった手を抜け殻へ伸ばしかけた。
「……ぅ……」
突然人の声がし、伸ばしかけた手を戻した。呻き声がする。それも幼い声だ。ざっと照らしていない範囲も見回したが、人の気配はない。まさか人ではない声が聞こえてしまったのか。いや、あり得ない。非現実的なことは一切信じていないバーボンは一つ息を吐いてもう一度周辺を見回した。
「……いってて」
今度ははっきりと子どもの声が聞こえ、素早く隠し持っていた拳銃を掴んだ。声のした方へ銃口を向け、目を凝らす。予測が間違っていなければ抜け殻の中から声はする。動物の鳴き声であればわからなくもないのだが、なぜ人の、しかも幼い子どもの声がするのか。息を止めて、静かに引き金に指をかけた。
「……あれ?」
抜け殻と思っていた上着からむくりと小さな頭があらわれ、ついでキョロキョロと辺りを確認している。バーボンは自身が今キャストの制服を着ていることを思い出し、すぐに拳銃を隠した。
「……君、大丈夫かな?」
「誰?」
そっと声をかけてみたが、子どもは慌てふためき後ずさった。だが、行動とは裏腹に声は妙に落ち着いている。というよりも今目覚めましたといった調子だ。完全に覚醒して驚き声をあげられてしまっては困るとバーボンは先手を打った。
「おっと、怖がらないで。僕はここのキャストだよ。わかるかな?」
「キャスト……」
子どもはじっくりとバーボンの姿を捉え、徐々に目線を上げていく。ちょうど二人の視線が交わったところで、子どもはぴくりと体を震わせた。バーボンも疑われないように同じ反応をしてみせると、子どもは訝しげな目を向けてきた。それがどうにも幼い子のようには思えず、バーボンもまた同じ視線を送ってしまう。子どもの顔を注視していると、ようやく頭に怪我を負っていることに気づき、指先で柔らかな髪をかきあげた。
「どこかで打った傷だね。痛くはないの?」
「え?」
子どもはブカブカな袖から小さな手を出して傷口に触れた。指先に付着した滑りを指の腹を擦り合わせて確認している。やはり子どもらしからぬ行動だとバーボンは瞬きを繰り返した。
「君、お父さんやお母さんは?」
「え?」
「まさか一人で来たわけじゃないよね?」
「……と、友だちと来たけど」
「友だちとだけで来たの? そんなことして学校の先生に怒られない?」
「なんで?」
「なんでって……小学生だよね、君」
「しょうがくせい……?!」
「ど、どうかした、」
「だ、大丈夫! 友だち探して帰るね!」
「ちょ、と待った」
飛び出して行こうとする子どもの腕を掴み、バーボンは僅かに考えを巡らせた。
体にサイズに見合わない服から現れた子ども。頭部に打撲と思われる出血を伴う傷があり、口元に薄っすらと液体を漏らした跡がある。
ジンが指定してきた場所はここで間違いない。そして「くたばった」と言ったからには、それに至る行為が間違いなくあったはずだ。彼は「殺した」とは言わなかった。例えば「刺した」「殴った」とも言わなかった。敢えて「くたばった」としたことに、バーボンは僅かに引っかかった。
「こういったことは得意じゃないんだけどな」
バーボンはそうぼやき、子どもの腕を強く引いて自分の腕の中に入れて、キャストを眠らせた時に使ったもので小さな鼻と口を覆った。反射神経の良い子どもだったようで腕を掴まれてすぐに暴れたが薬には勝てなかった。
静寂の中に溜め息が一つ。呆気なく腕の中で目を閉じてしまった子どもを見つめ、バーボンはどうしたものかと霞んだ星空を見上げた。