結び目の条件 一つ条件を提示してもいいですかと彼は言った。
常に人前で隙を見せず堂々としていた彼が自信なさげに俯き、消えてしまいそうな声で口にしながらだ。上着の裾を軽く引いて意識を自分に向かせた後も、彼はその手を離すことはなかった。幸い震えてはいない。恐怖や畏怖が彼を支配していないことに一先ず安堵し、俺は目の高さを合わせようと膝に手をついた。
「一つと言わず、君が必要なだけ提示してくれて構わないよ」
俯いた顔を覗き込もうとして、しかし、彼は俺から逃げてそっとそらした。
「一つでいい」
「そうか」
「貴方は?」
「俺か?」
「貴方からは無いんですか?」
条件とやらを口にするのかと思えば、こちらが先らしい。平等にいきたいというところだろうが、生憎大してこれといった条件はなかった。強いて言えば今からしようとすることですべて約束されたようなものだから、付加したいものなど何もない。
「特には……」
「フェアじゃない」
「そんなことはない。俺の望みは君が頷いてくれた時にすべて叶ったからな」
「僕だって、」
「ん?」
急に顔を上げ、裾を引いていたはずの手は胸ぐらを掴んでいた。力加減がどうもできていない。服の皺や緩みなどどうでもいいが、力み過ぎて彼自身が傷ついてしまうのは避けたかった。震えはじめた手に自身のそれを重ねて、その弾みでようやく目が合った。
澄んだ空だと思っていた彼の瞳は酷く荒れた海で、ひと風吹けば波が防波堤を越えてしまう。望んでいないものを視界に入れたくはない。少々慌てて腕の中に閉じ込めた。
動揺していたらしい。腕の中で彼が苦しいと訴えるまで力加減ができていなかったのは自分の方だった。
「すまない」
「別にこれくらい」
どうってことはない。続くと思っていた声は届かなかったが、落ち着く位置に収まった彼が額を押し付けてきた。これはおそらく甘えているのだろうと気づき、肩の力を抜いた。
腕の中のあたたかさにホッとし瞼を閉じる。話を切り出すタイミングを逃した。そもそも話をはじめたのは彼だから、こちらは待つのが正解だ。しかしながら、それは一般論であり、二人の間で成り立つ理論とは違っている。彼は話好きだが、口にした言葉が自身の立場を弱くしてしまった場合、唐突に話を切ってしまう癖がある。