……にゃー(鳴き声)「それじゃあモニカ、ちゃんと寝ているんだよ? 暇だからと言ってベッドの中に本や紙は持ち込まないように……ね? ネロ先輩も見張っていておくれ?」
「はぁい」
「任せろ」
空になった食器を乗せた盆を手に部屋を出る前にモニカに釘を刺す。そしてネロにも見張りを頼んだ。
宿泊している宿の一階が食堂も兼ねており、礼と共に盆を返す。モニカが猫はしかに感染した事を知ると宿の主人が部屋で食べられるようにと準備してくれたのだ。そして抗生物質も分けてくれた。この土地の風土病で、旅人が罹患することもままある為か宿屋にも常備してあるらしい。
宿を出て、アイザックは旅に必要な不足してきたものを買い足す為に宿の主人に教えてもらった雑貨店へと、いつもより、ややゆったりとした足取りで進めると、ポケットの中で白いトカゲ姿のウィルディアヌがモゾモゾと動くのを察し、アイザックはローブの中に手を入れる。指先に白いトカゲを乗せて肩へと移した。
「マスター、貴方も罹患しているのですから横になって下さい。買い求めるものがあるのでしたら、わたくしが——」
そう、猫はしかに罹患したのはモニカだけでなく、アイザックも一緒だった。それ故に、アイザックは室内でもローブを身に纏い、フードを外さずにいた。更に言えば熱の上昇具合でではアイザックの方が高熱だった。しかし、アイザックは熱がある素振りをモニカやネロの前ではひた隠し、敬愛するお師匠様の看病をしていた。
主人想いの契約精霊は心底アイザックの心配をしているのだ。しかしそんな心配をよそにアイザックは歌うように言葉を紡ぐ。
「僕は体力もあるから大丈夫だよ? 薬も飲んだし。それよりもウィル、僕のお師匠様のあの姿を見たかい? 申し訳なさそうな顔をしながら熱で苦しむ姿にはとても胸が痛むけれど、あの紅潮した頬に猫耳はいつもの愛らしさをより一層惹き立てているよね。そしてあのふわふわの猫耳に少し触ってみたいなって思ってしまっても仕方ないと思うんだ。……あぁでも弄るとハゲるって話だからね。それがちょっと残念に思うよ」
恍惚とした様は、猫はしかの高熱のせいなのか、それとも敬愛する〈沈黙の魔女〉について語っているからなのか、あるいはそのどちらも含まれてからなのかウィルディアヌには判断がつかない。人では無いウィルディアヌに人が人に向ける感情は難しく思える。人外である己が人に向ける——かつての主人、アイリーン妃に向けていた想いも。そして今の主人であるアイザックに向けている想いや感情も。
ただひとつ。今、思うのは、『面白くない』とはこの様な感情の事をいうのか——と、ウィルディアヌは目を細め思案する。
「…………」
ウィルディアヌは肩の上からアイザックの身体を伝い下の方へと這うと地面へと降り、従事服に身を包んだ青年へと姿を変える——が、いつもと違うところがひとつ。
何故か頭部には根本が幅広くて少し尖った耳が生えていた。
「…………ウィル?」
いつもらしからぬ彼の行動にアイザックはウィルディアヌの腕を引き、往路の端に寄り、歩みを止める。
一般的に感情に乏しいと言われている上位精霊だが、アイザックはそうは思っていない。
今日の、今のウィルディアヌは無表情ながらも眉間に皺が寄っている——様に見えた。そして頭部には猫耳。
(猫はしかは成人が感染したウィルスは発症が収まっても体内に潜伏するって話だけど……人外も感染する? ネロ先輩は心配なさそうだけど。もしかしてウィルディアヌは僕の契約精霊なのだから僕が罹患したことで影響が?)
その辺りは外からやってきた自分たちよりも、この土地の者に訊ねる方が詳しい情報を得られるだろう。買い物は後回しにし、この現状について調べる方が先だとアイザックは考えを纏め、ウィルディアヌにそのことを伝えようとするよりも先に契約精霊が口を開く。
「マスターが〈沈黙の魔女〉様を敬愛しているのはよく存じております。貴方が嬉しそうなのはとても喜ばしい事だと重々承知しておりますが、しかしこうもあのお方の話ばかりの上、あまつさえ猫耳を触ってみたいと申されますとやはりマスターもトカゲよりも猫やイタチの様に毛並みのいい小動物の方が好みなのか……と思ってしまっても致し方の無い事だと思うのです。わたくし、少々傷つきました。そして嫉妬、という感情はこのようなことをいうのかと理解した気がするのです。そこでわたくしは考えたのです。〈沈黙の魔女〉様の猫耳を触れる事の出来ない主人の為に契約精霊が出来るのは、姿を弄り猫耳もわたくしに生やせばいい……と。これも幻術の一種ですのでこの様な事も得意です」
「…………わぁ」
呼吸というものも精霊にはする必要のないものだろうがあえて表現するならば、息継ぎなしの早口でウィルディアヌはそう語る。その姿にアイザックは(あ、お師匠様について語る時の僕ってこんな感じなんだ)と、どこか冷静に察した。
師弟が似るように、契約者と契約精霊も似てくるのだろうか? だとしてもこんなところまで似る必要はないだろう。
「つきましては、猫耳を触りたいという主人の願いを叶えようとしている契約精霊に労いを……褒めて欲しく思います」
ウィルディアヌがこういう事を口にするのはとてもとても珍しい事だ。強かになったと言えども今でも誰よりもアイザックの事を心配をし、想ってくれている。そして苦労を沢山かけているのは事実であり、彼が褒めて欲しいというならばそれは聞き入れるべきだ。しかしそれは言葉だけでは駄目なのだろう。
「……具体的にどうして欲しいのかな?」
「頭を撫でたらいいのではないでしょうか」
真顔でウィルディアヌに問うアイザックに契約精霊は同じく真顔で答える。
「………………わかった」
その言葉もどこかで聞いた台詞だなぁとアイザックは思いながら、ウィルディアヌの望み通り、頭を撫でた。ついでに猫耳にも指で優しく触れる。滑らかな触り心地がした。
「………………、…………にゃー」
「…………っ」
真顔で猫の鳴き声をするウィル。その鳴き真似に手をウィルディアヌの頭と猫耳を撫でていた手をぱっと離す。
アイザックの脳裏に瞬時に浮かんだのは、黒竜セオドアとのあの出来事。〈暴食のゾーイ〉により、アイザックや、そしてモニカの〈大事なもの〉が奪われた時の事。重要なのはその猫の鳴き声の真似だ。
「そういうことを、するのは、やめてくれないかな?」
あの時、まだウィルディアヌはエリン領からサザンドールまで海路を使い移動中で傍にはおらず、あの場にはアイザックとモニカしか居なかったのだから知る筈もない。言葉をいつも以上に区切り言い聞かせるよう、訴える主人に契約精霊は「はて?」と首を傾げる。
「〈ウォーガンの黒竜〉様は猫の姿以外の時も『にゃー』と口にしていたのでそれを真似たのですが何か問題があったのでしょうか?」
問題があるから口にしているのだが、人と人外では感覚が違うのだから仕方がない。
——それでも。
(流石に、ちょっとクラクラしてきたかも)
罹患して熱があるのとは別で羞恥で更に熱が上がった気がしたアイザックだが、実際横になっているべき位の高熱なのだ。
この様子を、町を行き交う人々は見ていた。顔のいい、しかし目つきの悪い旅装をした青年が、顔の良いしかし無表情の青年の頭を撫でている姿を。そして『にゃー』と鳴き、何故か目つきの悪い男の方がダメージを受けている姿を。
そして、目つきの悪い男の身体がふらりと倒れ掛かれ、無表情な男が受け止め支えたその姿を。その時に目つきの悪い男のフードが外れ、毛疹が見えたのも。
無表情な男が目つきの悪い男を横抱きにして宿屋がある方へ連れていく姿も全て。
平時ならは人の気配や視線に敏感なアイザックだが今は高熱で、注意力も散漫になってしまうのは仕方のない事だ。倒れて意識を失えばなおの事。
意識を失ったアイザックがウィルディアヌに横抱きに抱えられ、宿のベッドまで運ばれたことを知るのはまだもう少し先の話。
そして、熱が下がったモニカが「弟子の看病が、できます!」と張り切る姿もまた別の話…………。
To be continued…………?