人は理解不能な状況に陥るととっさに声も出なくなり体も動かなくなる。目の前には淀んだ目で俺を見る蛇穴。右腕一本で壁際に固定するように押し付けている。マイクは手が届かない机の上。蛇穴もマイクは持っていないが抵抗しようと体を動かすも蛇穴の右腕一本で押さえつけられビクともしない体を見るにここから抜け出すのは不可能だと悟る。自分よりも小柄で何を考えているのか分からない奴だが元軍人だった事を今思い出した。
「蛇穴、なんの真似だ」
「ボス。先程の女はなんですか」
「は?女?」
記憶を辿る。さっきアジトに来るまでに話しかけてきた女が浮かんだ。道を聞いてきたが派手な身なりに不自然さを感じ適当に答えてその場を離れた。それだけだ。
「道聞かれたから教えただけだろ。いいからこの手どかせ」
「ボスは甘いですね。あの女の意図に気づいてないのですか。ボスともあろう方があんな女に誘惑されるなど、あってはならない」
「…何が言いたいんだよ」
蛇穴が急に顔を近づける。らんらんと光る薄茶色の瞳孔に自分が映るほどに近く。
「貴方は一介の女なぞに気安く話しかけられるような人ではないのに…それを分かっていないようだ。もしかしてボスは経験がないのですか?だから雌猫に嗅ぎ付けられるのでしょうか」
「経験」が何を指すのかを察し頭に血が上る。
「それとこれになんの関係があんだよ!蛇穴いい加減にしねぇと」
最後の脅しの言葉まで言うことは出来なかった。不意に後頭部を引き寄せられ蛇穴の顔が近づくとそのまま唇が重なった。蛇穴が口の隙間から舌を滑り込ませる。蛇のように。
「っ…!!?」
咄嗟に顔を背けようとするが後頭部を固定した蛇穴の左手はびくともせず、腕を叩いたり掴んだりするも全く動く気配はない。その間にも蛇穴の舌はゆっくり自分の咥内を舐め回す。初めての感覚に自分の身体からだんだん力が抜けていくのを感じる。あんなに必死に抵抗し、退けようとしていた蛇穴の体を掴んでいないと足元が覚束無い。
「おやおや。これは予想以上の反応だ。やはりボスには経験が少ないようだ。これは困った」
口元を拭いながら蛇穴が呟く。俺に向けての嫌味なのか独り言なのか分からない。そんな事を考える余裕は無かった。蛇穴の抑える手がなくなった今、立っていることもできず蛇穴の足元に跪くしかない。頭の中に色んな感情や言葉が溢れるがそれを言葉にできない。
「ボス」
不意に蛇穴がしゃがみこみ目線を合わせる。そのまま俺の口元に指を添えると端から垂れていた涎を拭いそのまま舐め取る。
「さら…!」
「俺が教えてあげましょうか?」
その目は研究対象を見ている目と同じだった。こいつは俺で何をしたいんだ。俺をどうしたいんだ。そんな言葉を発しようとした口を蛇穴は再び塞いだ。