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    ena_476

    @ena_476

    竹雪と市茜。
    ピクブラに投稿した小説も再掲しています。

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    ena_476

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    記憶が混濁した想い人との短い生活を描いた曽野綾子先生の小説「わが恋の墓標」の市茜パロ。手元になく記憶だけで書いているので色々と抜け落ちています。

    ▼1980年前後、雪村が竹之内の所で下宿をはじめて二十五年近く。長命者に関する書籍を大量に保管している古い館は等々力渓谷にあった。そこに勤める四十半ばの使用人が雪村に語った昔話とは。

    羊殺しが行われておらず、雪村が少し穏やかな設定です。

    #竹雪
    eighthLunarMonth
    #市茜
    ichthy

    わが恋の墓標パロ長命者の労働をとりまく環境は、あまりに悪すぎる。
    竹之内を相手に、雪村が白い髪を掻きむしって憤慨したのがはじまりだった。

    公共の職業安定所の営業時間は夏も冬も午後六時まで。これじゃあ夜しか動けない俺たちオキナガは仕事に就くなと言ってるようなもんじゃねえか。オキナガの生活を守るのはあんたの専門なんだろ。

    愚痴を聞いていた竹之内は新聞をめくりながら、顔も上げすに言った。
    「それなら当事者から声をあげるべきだな。俺一人になにもかも頼られても困る」
    少し頰をふくらませ雪村は押し黙った。
    雪村は光明苑が長野に移ったのを機に社員寮付きの仕事に就いていたが、オキナガを嫌う先輩社員たちの度重なる嫌がらせに据えかね、とうとうその中の一人を殴り倒した対価に仕事と寮を無くして竹之内を頼ったのだ。それから二十年あまり、下宿生活は続いている。

    何度か夜間警備や工事のバイトをしてみたが、未成年の見た目のためにめったに夜間仕事に採用されない。仕事に就けたとしても、体力仕事は向かない上、夏場に弱い体質もあって無断欠勤が続き長続きしない。手に職を付けるために専門学校に通おうかとも思ったが、同じ理由でうまくいかないのではないかと挑戦するのも戸惑われた。学費を竹之内に頼るのも気が引けた。
    テレビの外国語番組など見て勉強もしてみたが、暇つぶしの一つに過ぎず、上達は遅かった。
    何をするにも成人前の外見と、白い髪、赤い目が人目を引き、足を引っ張るような気がしている。雪村が竹之内相手に当り散らしたのは、好景気の中バイトすら何度も断られた秋の終わりだった。
    <ruby><rb>棗</rb><rt>なつめ</rt></ruby>の年賀状が届く季節が近づいている。今年の年賀状には、長男の修介が大学を卒業しましたと書いてあった。自分だけ何も進んでいない焦燥感が雪村を苛立たせていた。


    「長命者の資料なら国会図書館以上」
    竹之内が言う屋敷は等々力渓谷にあった。豪奢な大正建築の屋敷は別世界のように見えた。
    自分を含むオキナガが働き先もなく困窮している現状を訴える前に、オキナガについて詳しく知りたいと言うと、竹之内が紹介してくれたのだ。
    実際雪村だってオキナガのことはよくわかっていないし、世間でどの程度認識されているのかもからきしだ。

    屋敷の女主人、按察使薫子は、雪村の整った顔立ちと珍しい白い髪を気に入って、泊まって行ってもいいのよと客室の用意までさせた。遅くなっても始発で帰りますからお構いなく、と断ったが活字を追うのはことのほか楽しく、雪村は按察使邸に通い詰め、結果泊まり込みになる日もあった。

    薫子のためにあつらえられた屋敷は、日光もあまり差さず居心地が良かった。薫子の父が集めたという、長命者と思われる逸話をまとめた古い本に混じり真新しい書籍が何冊もある。戦後にごく少数ながら発行された、雪村の忌まわしい記憶、生体解剖を詳細に記した来間嘉一朗の医学書まであった。薫子にたずねると、使用人の伊集という男のものだと教えてくれた。
    「伊集?」
    「珍しい苗字でしょ〜」
    「あ、按察使さんがそれを言うんですか」
    「やっだ雪村くん、薫子でいいのよ♡」
    「はあ。薫子、さん」
    毎晩、コーヒーと軽食を運んでくる男に名前があったと雪村は初めて知った。竹之内と同じくらいの身長で、年齢は四十くらいに見える。薫子の古い友人の息子で、竹之内とも知り合いらしい。
    「お母さんはそれは綺麗な人だったのよ〜。亡くなっちゃってるんだけど、あたしたちと同じオキナガだったの。だから興味があるのかしらね、ここで働くようになって、あたしの父が集めたオキナガの本はほとんど読んじゃったみたいだから。自分でも買い足していいのよって言ったらあの有様。もう図書館にでもしたらいいのよ」
    薫子は呆れたように言った。

    書籍の情報を知っている人物がいるのは心強い。雪村はコーヒーを運んできた伊集に「ここの本、ほとんど読んだんですか」と尋ねた。
    「はい。日本語で書かれたものはほとんど」
    「へえ」
    すごいですね、と声をかける前に伊集は一礼をして部屋から出ていってしまった。これだけの量の、特に面白いとも思えない本を自分で買ってまで読むのにはなにか理由があるはずだ。
    「ふーん……」
    雪村は椅子にもたれかかって、壁に沿って並んだ本棚を仰ぎ見た。

    それから、雪村は伊集にあれこれと聞き、知りたい内容が載っている本を読むことにした。伊集の表情は分厚い眼鏡の奥でよく見えなかったが、嫌そうには見えなかった。
    一方で外国語で書かれた本は自分で確認しなければならない。辞書を片手に、吸血鬼と呼ばれたエリザベート・バートリはオキナガではない昼の人間だと記述のある本を半分まで読んだ夜のことだった。
    「お力になれず申し訳ありません」
    コーヒーを運んできた伊集の声で雪村は顔をあげた。
    「いや、気にしないでください。伊集さんは外国語の本はどのくらい目を通されたんですか」
    「これだけの量になりますと目次に目を通すのが精一杯で、英文のものをなんとか十冊程度」
    「へえ。伊集さんはどの分野にご興味があるんですか」
    オキナガの本と一括りに言っても、彼らの生活や歴史を根拠に基づいて扱ったもの、オキナガだと思われる登場人物が出てくる噂話にすぎない物語など様々だ。
    いつも質問にはすぐ答える伊集は少し考え込んだ。
    「あ、いや、言いたくないことなら。すみません」
    「……死んだ長命者、白骨化した長命者が蘇る方法はその本に載っていましたか」
    「いえ、今のところは……」
    「そうですか」
    そういえば、伊集はオキナガの母親を亡くしたのだ。雪村も顔すら覚えていない母を思って泣いたことがある。オキナガになって、長くそんな感情も忘れていたが、老いる身で自慢の母を想うのはまた違うものかもしれない。
    「あ。じゃあ、そういった記述を見つけたら、伊集さんにお伝えしますよ」
    表情を崩したことのない伊集の口元が歪むのを雪村は見た。なにかまずいことを言っただろうかとたじろいだ雪村に、伊集はかぶりをふった。
    「もしそのような記述があっても私には知らせないでいただけますか」
    「でも、そのためにここまで資料を集めて、調べたんでしょう」
    「いいえ。構いません」
    竹之内が国会図書館よりも充実していると言ったオキナガ関連の本が並んだ部屋で雪村は言葉を失った。
    ここの本をほとんど読んでおいて?
    伊集の言い分はなにもかも矛盾している。

    部屋を出ようとした伊集のほうからチリ、と金属のかすれる音がした。見ると、長い毛先の絨毯に、親指程度の小さな銀色の瓶が落ちている。雪村はその細長い瓶を拾い上げた。
    「……伊集さんのですか? 落としましたよ」
    伊集は、はっと雪村の持つ瓶を見た。
    「ありがとうございます。いつも首から下げているものです」
    「なくさなくてよかった」
    瓶を手渡すと伊集は大事そうに受け取った。
    「中に、私の恋人の指の骨が入っているのです」
    ぎょっと手を引っ込めた雪村に、伊集は話を聞いて欲しいと言った。
    雪村様に話を聞いて頂けたら、気持ちの整理がつくかもしれない。長年続けた意味のない本の収集もやめることができるかもしれないと。


    ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼


    誰かに聞いてもらえば少し気が楽になるのかもしれません。
    お嬢様や竹之内様からお聞き及びかもしれませんが、私の母はオキナガでした。

    先の戦争の最中に六歳の私を残して亡くなったのです。私は父の親戚の家に引き取られたのですが……父と言っても母と結婚もせず、顔も見たこともありません。母の妊娠を知って逃げた、どうしようもない男です。
    父の親戚もろくに知らない子供を突然押しつけられて困惑したでしょう。

    そんな私の前にあらわれたのが茜丸と名乗る少年のオキナガでした。

    少女と見間違えてもおかしくはない、儚げな外見で、室町時代の終わりに竹之内様に血分けされたと。
    当時竹之内様と母は……詳しくはしりませんが男女の仲だったようです。ですから茜丸は、竹之内様の血の子である自分にとって私は弟にあたると……むちゃくちゃな理屈ですが、当時はそういうものかと思いましたし、親戚の家での扱いが酷かったものですから茜丸についていきました。実際彼は私を実の弟のように、いえそれ以上に可愛がってくれました。

    そうこうするうちに日本は戦争に負け、私たちのような浮浪児はその日に食べるものにも困るようになりました。食料を手に入れるためには盗みでもなんでもしました。時には茜丸は体を売って私の食料を手に入れてくれました。
    今思えば変わった少年で……幼い私には優しかったのですが、私が成長するに従ってヒステリックになることがありました。
    勝手にこんな体にして捨てたと、竹之内様のことを恨んでもいました。

    彼は見た目が美しいので客に困りはしませんでしたが、夜に目が赤く光ったり、客に噛みついたりするので一つ所にはあまり長くはいられませんでした。オキナガにも色々と個体差があるようですが、私の知る限り、彼はすぐに血をほしがるオキナガでした。
    当時は闇市や売春街、スラム街も至る所にありましたので引っ越し先には困りませんでしたし、彼は私だけには優しかったので長い間二人の生活を続けていました。私がある程度の年齢に達してからは私の血を与えるようになりました。

    あれは私が十八になった年です。茜丸はずっと、私の母を黄泉がえらせることができると言っていました。母が亡くなったのと同じ、ひつじ年のクリスマスに、母と同じ年格好の女を生け贄にして母を蘇らせると。
    あれは昭和三十年。クリスマスイブ前日の夜でした。私は……当時は茜丸のことを保護者のようにも恋人のようにも思っていました。言い訳にもならないことですが、疑いもせず、彼の言うとおり、生け贄にする女性を探していました。
    駅のほうが騒がしくなって、様子を見に行ってみると酔っぱらい運転の車が商店街に突っ込んだと大騒ぎになっていました。血を流して倒れた怪我人のなかに茜丸もいて、私は意識もない彼に付き添って救急車に乗りました。昼の人間よりも早く怪我が治っていくので、茜丸はオキナガだとばれ、病院に夜間衛生管理課の役人がやってきました。私は名刺を受け取るだけは受け取って、夜のうちに意識が朦朧としている茜丸を背負って病院を抜けだしました。

    私も彼も人には言えないようなことをして生活していたどころか、殺人を計画していましたし、夜間衛生管理局に在籍している竹之内様に生きていることが知られれば二人とも殺されるかもしれないとも聞かされていました。いつもあれこれと指示をしてくれる茜丸が頼りにならないことで、私は憔悴していました。
    数日で茜丸の怪我はすっかり治って、やっと目つきもしっかりしてきたのですが、どうにも様子がおかしい。自分のことも私のことも忘れていて、何度言っても自分の名前すら忘れてしまいます。

    あとになって来間嘉一朗の研究書を読みましたら、脳のダメージは体ほど早く回復しないようだとわかりましたが、当時はこのままなのかと途方にくれました。
    何度言っても昼間外に出ようとするし、猫や犬を捕まえて食べようともしていました。服の着替えにすら手間取っているのを見た時には血の気が引きました。怪我をした時には血を与えるのが一番ですが、血の飲み方も忘れているようで、生の肉を買って与えました。機嫌のいいときに童謡を歌っている様子はまるで子供でした。
    邪気のない表情は懐かしく、出会った頃の優しい茜丸を思い出しましたが、これからのことを考えると私は不安で押しつぶされそうでした。

    病院から抜けだして十日ほどたつと、多少回復したのか少しは意思の疎通ができるようになりました。それでも会話の内容はほとんどが支離滅裂で、壊れた頭で悩み事を抱えているようなのです。
    不安があるなら話せば楽になるかもしれないと言って聞き出しますと、私のほうをじっと見て申し訳無さそうに話はじめました。
    君のことは嫌いじゃないけれど、君と一緒に暮らしていることがあの人に知られたら困ると言うのです。その悩みは彼にとって大変深刻なもののようで、あの人というのは誰かと聞いてみますと、茜丸は小さな声で恋人だと答えました。

    君も優しくていい人だとは思うけれど、僕の恋人はもっと優しくて僕を大切に思ってくれている。頭に靄がかかったようで姿がよく思い出せないけれど、きっと心配しているだろうから早く体を治して帰らないとなどと浮ついた様子で言うのです。
    ああ、またか、と思いました。幼い頃から、彼の初恋の相手──異母姉の話をずっと聞かされて過ごしていました。茜丸の五歳年上の異母姉は戦乱の中にあって、亡くなるまで茜丸を守り、理解し、愛してくれたと毎日のように聞かされていましたから。
    茜丸は落ち着いているときは、自分が治療中であるという状況をそれなりに理解しているようでした。しかし気分によってはずっと恋人の話をしている時もありました。
    彼が一刻も早く帰りたいと言う家の近くには川が流れていて、壁には大きな猫のようなシミがあった。二人で協力して暮らしていた。どちらかが欠けてもお互い生きていられない。ここの生活より貧しいけれど、早く恋人が待つ家に帰りたいと。

    私は茜丸と川のそばに住んだことはほとんどありません。はじめに二人で住んだ長屋が大雨で流されてからというもの、川のそばだけは避けてきました。ですから、幼い頃から聞かされてきた異母姉との話だろうと、私は表情には出しませんでしたがイライラしながら聞いていました。
    茜丸が仕事をできなくなったために金銭は残り少ないのに、私が外に働きに行けば茜丸が何をしでかすかわかりません。
    狭い家でできる内職をしながら茜丸の面倒をみていましたので疲労もたまっていました。

    そんな生活が半月近く続いたでしょうか。小雨が降った正午すぎに、茜丸が部屋からいなくなっていて私はあたりを探し回りました。やっと川のそばでみつけた時、彼の顔は雲越しの弱い光に焼かれて赤く腫れていました。すぐに連れて帰り、日の光から遠ざけて血を飲ませようと腕を出しましたが噛みつこうとしません。見ると犬歯を向きだしにしているのに、恋人に悪いからと言って口を押さえ耐えているのです。
    吸血に催淫作用があることを思い出し、私に襲われるとでも思ったのか。
    あれほど苛ついたことはありません。あまり言いたい話ではありませんが茜丸は体を売って生活をしていましたし、当時の私とは恋人のような関係でした。今は体の傷を治すのが先決なのに、ありもしない貞操を守ろうとしているのです。私は腹立ち紛れに怒鳴り散らしたように思います。姉はもう死んでいる、もう帰る場所はないだとか、酷いことを沢山言いました。

    そして少し怒りが収まったあと、まだ口を押さえている茜丸が哀れにもなって、私は自分の腕を包丁で傷つけ、血を皿にとって彼に渡しました。
    茜丸は怯えたように口をつけ、私に礼を言って眠りました。

    私は生身の人間です。吸血された程度なら傷もすぐにふさがりますが、幾度も体を刃物で切るわけにもいきません。
    朝方に茜丸が眠ったあと、私はすぐに電車に乗り、茜丸の知り合いの医師を訪ねました。理由を話して献血用の針と管をいくつかもらってきました。これで刃物で体を傷つけずに血を抜くことができると安心しました。

    医師の住む町は、昔、茜丸と住んでいたバラック小屋のそばでした。
    懐かしさから近くを通ると薄汚れた町はそのままで、驚いたことに二人で住んでいた小屋も残っていました。
    ここに住んでいたのは、確か私の年齢と茜丸の外見年齢が同じになった頃でした。兄のように思っていた茜丸との関係が友人や恋人のようになった、不思議な時間でした。思えば彼との関係はあの頃を境に悪化していきました。
    中を伺うと、誰も住んでいないようで、土足で入りました。茜丸が眠るのに使っていた押入れを開けてみますと、大きなシミがあるのに気づきました。伸びをした猫のようにも見えます。まさかと思い外へ出ました。雨水を流すための小さな排水路の音に気がつきました。耳の良い茜丸なら川と表現してもおかしくはありません。
    茜丸が帰りたがっていた生活の場所はここでした。彼の言う恋人とは義母姉ではなく、何年か前の私だったのです。


    帰宅すると、夜になっていたというのに茜丸はまだ眠っていました。私は自分の左腕に採血用の針を刺し、茜丸を起こし飲ませました。茜丸は夢うつつで私に礼を言い、再びぐったりと眠りにつきました。私もほとんど寝ないまま何度も血を流して疲れきっており、着替えもしないまま眠りについたのを覚えています。

    翌朝起きると茜丸の姿はありませんでした。外は雨が降っています。そういえば子供の頃、風邪をひきやすかった私を探し、傘をさしてバイト先まで迎えにやってきたことがありました。彼はきっと、記憶にある幼い私を探しに出かけたのだろうと夜まで探し回りましたが見つかりません。酷い気分でした。

    夜のうちに雨は止みました。翌日の正午前に、川下に黒こげの遺体があがったと騒ぎになりました。私は茜丸に違いないと思いました。茜丸の知り合いの例の医師ーー雪村様もご存知の来間先生に連絡をしますと、こんな時のためにと長命者登録をしていない茜丸の歯形を取って偽名で登録していました。遺体安置所に来間先生ご本人がこられまして、歯型が一致したので彼に間違いないだろうと教えて下さいました。
    雪村様も長命者登録の際に歯形を採取されたとは思いますが、こういった理由です。先生は茜丸に別れを済ませ、骨になるところは見たくないと帰っていかれました。
    オキナガは葬儀まで三日も待たなければなりません。その間は非常に辛いものです。最後の夜になって、夜間衛生管理課から連絡が入ったのか来間先生が連絡されたのか、竹之内様がやってこられました。
    安置室で対面した竹之内様は、私の名を知ってとても驚かれたようです。戦後、一度父の親戚宅に連絡を取った際、変わらず元気にしていると聞いていくらか包んで送ったそうですから。

    竹之内様は火葬場まで付き添ってくださいました。私は焼きあがったばかりの熱い茜丸の指の骨をなんとか手に隠し、今はこうやって持ち歩いています。遺骨は茜丸を知っている息長の神父に預けました。竹之内様の元ではあの世でも癇癪を起こすでしょう。

    ただ茜丸が言っていたのと違い、竹之内様は私を出来損ないと腹を立てるようなことはありませんでした。
    きっと茜丸のことだから君に苦労をかけたのだろう、なんの償いにもならないがとの言葉に甘えさせていただき、基本的な教育と仕事先の紹介をいただきました。いまも年に一度は私の顔を見においでくださいます。いや、私がお嬢様のご迷惑になっていないかの確認のためかもしれません。
    変わっているのは蔵書の量だけです。茜丸が亡くなった数年後、来間先生も亡くなりました。母を蘇らせる方法は本当にあったのか、茜丸のでまかせだったのかはわからずじまいです。私は茜丸の言葉が嘘だったのか真実だったのか、そのために様々な分権をあたりましたが……。

    きっと嘘だったのでしょう。
    今までそんな記述は一切見ませんでした。彼はなにもかもを恨み妬んで、発散先をいつも探していました。それが私と母であってもおかしくはありません。
    でももし、本当に生け贄を捧げることによって骨からオキナガを蘇らせることができるのならと、ときどき夢想するのです。

    長くなりましたが、私も茜丸の隣で長命者の受ける差別を身をもって経験した部分もあります。雪村様のように長命者の現状について声をあげる方が多くなり、長命者の就労を含める環境がよくなるのでしたらそれは素晴らしいことだと思います。
    そのために私にできることがございましたら何なりとお申し付けください。


    ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼


    白髪が混じり始めた男が握りしめる手には、彼の恋人の骨が入った銀色の瓶があるはずだ。
    伊集が深々と礼をして部屋を去ったあと、本を開いても細かく並んだ英文は雪村の頭にさっぱり入ってこなかった。

    雪村は始発よりも少し早い時間に駅へと向かい、竹之内の家へ戻った。竹之内は出勤した後のようで、家の中はがらんとしている。雪村はぐったりと体を横たえたが、眠るのにしばらくかかった。
    目が覚めても、等々力へ向かう気にはならない。ぼんやり時間を潰していると、竹之内が仕事から戻ってきた。
    「今日は休みなんだよ」
    聞かれてもいないのにそう伝え、簡単な食事を用意し食べ終えてから雪村は切り出した。
    「なあ。按察使さんの家にいる執事の伊集さんさ」
    雪村の声の重さで竹之内は唇を結んだ。無言で次の言葉を待っている。
    「白骨からオキナガを蘇らせる方法があるかどうか、知りたいんだってさ。あるのか?」
    「聞いたこともないな」
    「まあ、あの人も信じてはいないみたいだったけど」
    「余計なことを詮索するより、やるべきことを進めるべきだろう」
    抑揚のない竹之内の言葉に雪村は牙を剥いた。
    「余計なことじゃないだろ。あんたが結婚しようと思った女に子供がいたなんて俺は聞いてねえぞ」
    「知ってどうする」
    雪村はぎりっと歯を食いしばった。

    周りの人間全てが竹之内より先に死ぬ。近しい人間こそに執着を残しても辛いだけだと、柔らかな部分を竹之内は自分から切り捨てているように雪村は感じている。

    竹之内と関係を持つようになって数年後、結婚を申し込んだ女と死別したと知って雪村が真っ先に憤ったことは、竹之内が女の墓参りに一度も訪れていないことだった。
    バカじゃねえの、ああそうか、俺が先に死んだらお前は俺のことなんかすっぱり忘れて新しい奴を引っ掛けるつもりだな、お前はそういう冷たい奴だ、俺の両親は墓なんてねえけど命日と沖縄戦が終結した日にゃ手を合わせてると罵倒したら、少ししょぼくれた様子で、年末に墓参りに行くようになった。
    竹之内が女の墓を訪れている時間は、雪村にとって簡単に死ねなくなったと自戒するための時間だ。

    時間を越えて生きる竹之内は感情をそぎ落とし、限られた時間の中で生きているあの男は恋人の骨の欠片を首から下げ妄執を手放すことなく生きている。
    雪村はため息をついた。

    とにかく竹之内になにか言わなくてはならない。雪村はまくしたてた。
    「言うことだろ、そういうの。なあ、独身の女と子持ちの女と結婚すんのはお前の中で一緒なのかよ、俺の中では全っ然違うからショックだった。正直あんたの口から聞きたかったよ。それと、俺の前に血分けに成功した奴が死んだのと、光明苑にいた俺に下宿勧めてきたのって関係あるのか」
    「あれとお前のことは関係ない」
    「ほんとかよ。あんたの言うことは信用ならねえ。伊集幸絵が死んでるって知った日さ、俺はお前のことが知りたい、もっと教えろって言ったよな。そりゃあ、お前の長い人生を全部教えてもらうのなんか無理なのは知ってるさ。けど最近の話だしな。まったくどういう……竹之内?」
    竹之内の表情の変化に、雪村は話すのをやめた。竹之内は、幸絵の死が惨たらしい殺人だったと初めて話した。
    あんな殺され方をするような人ではなかった。子どもを残してどれだけ無念だっただろう。それなのに結局俺はあの子を守れないどころか酷い目にあわせていた。事件の真相はわからないまま、犯人も捕まっていない。彼女の墓を訪れるたび、帰ったら雪村に伝えようと思ったがどうしてもできなかった。口にしたくなかった。
    竹之内の悲痛な面持ちは、事件で味わった辛酸のどれだけを現しているのだろう。雪村は竹之内を抱きしめた。
    「許してくれるのか」
    普段と変わって弱気な声を出した竹之内に雪村は言った。

    「は? そういうんじゃなくて。とりあえず事件のこと教えろよ。全部だぞ全部。なにもかも洗い直したらひょっとして犯人の尻尾くらいはつかめるんじゃねえの? あの頃の警察なんてザルだろ、俺が今からやったほうが少しはマシかもしれねえ」

    ひと月もすれば、雪村は光明苑に保管されていた写真から六十歳をむかえたばかりの雀城英了をとらえ、事件の真相を吐かせることになる。
     


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