孤独の星(5)ギルモアがようやく家に帰還できてから、数日経った頃。
長身の赤髪の男は、自身よりふたまわりも大きな男を伴って朝のギルモア邸を訪れた。
「……将軍が、あのような目に遭われているのに気付かず、申し訳ありませんでした」
リビングの大きなソファに3人が並んでいた。ギルモア、ドラコルル、そして彼の副官だ。ギルモアとドラコルルの間には微妙な空間があった。副官はガチガチに緊張した様子で、2人の会話を黙って聞いていた。
「フン、諜報機関の長も形なしだな」
ドラコルルの謝罪を鼻で笑って返すギルモア。その隣に男が呆れたように座った。
「もう、誰のおかげで裁判が上手くいったと思ってるの! はい、みんなどうぞ」
男は盆からカップに入った茶と、小さな菓子をテーブルに並べた。
「ありがとうございます」
ドラコルルと副官は礼の言葉を述べると、茶菓子を見て目を見開いた。
それは、昔からドラコルルが好んで執務室に置いているものと同じだった。
「お口に合うかは分からないけど……これね、ギルモアくんが選んだんだよ」
「おっ、お前!!!」
呑気に言った男に、ギルモアは慌てた様子で叫んだ。その触覚の先はほんのりと赤くなっている。
「いただきます」
ドラコルルはカップに口を付けた。間違いなく、ドラコルルが好きなメーカーの、好きな種類の茶葉だった。じんわりと体が温かくなる。
「……夫と息子たちに力添えをしてくれたことは感謝している」
茶を啜り、ギルモアは呟くように言った。
「あの動画を見つけたのはお前の指示か?」
「あれは『偶然にも』見つかったものだと聞いております。私の知るところではありません」
「食えん奴め」
さらりと言ったドラコルルに、ギルモアはニヤリと笑った。4年も前に削除された動画を復元するなど、いくら警察でも不可能だ。だが、この星の叡智を結集させたピシアの技術なら。
弁護士から動画は「どこからか」持ち込まれたと聞いた時、真っ先に頭に浮かんだのはドラコルルの顔だった。
どうせピシアの技術者にハッキングでもさせたのだろう、とギルモアは菓子を頬張った。
「そこまでして、一体何が望みだ?」
ドラコルルはカップをテーブルの上に置いた。
「……将軍の、刑期が長くなった責は私にあります」
場の空気が張り詰める。
ギルモアの刑期が誰よりも長期になった理由は、クーデターの首謀者であったことに加えて、パピ大統領に処刑命令を出し、自ら銃を撃ち大統領を殺害しかけたことにある。あの眼鏡の地球人(ドラコルル曰く「マヌケづら」)がいなければ、少年大統領は本当に死ぬところだったのだ。
ドラコルルが手筈通り無事に処刑を終えていたなら、その責任はドラコルルが被っていたはずだった。
「仮に処刑がうまくいっていたなら、お前の刑期は40年は軽く超えていただろうな」
「ええ」
ギルモアの夫も、副官も、静かにその会話を聞いていた。
長い沈黙が続く。それを破ったのはギルモアだった。
「クーデターは失敗した。ワシもお前も、一度は塀の中に入ったが今はこうして外にいられる。それで良かろう」
ギルモアは再び茶を飲んだ。ピリついていた空気が、ふわりと柔らかくなったのが分かった。
「そう、ですね」
ドラコルルもカップに口を付けた。温かい茶を啜って、少し目を閉じる。そして、副官の方を向き、2人で小さく頷いた。
「お2人にお願いがあるのですが」
ドラコルルは鞄から封筒を取り出した。
「この度、結婚することになりまして。お2人には式に来ていただきたく──」
「えっ! 結婚するの!?」
ドラコルルが全てを言い終わらないうちに、男が嬉しそうに声を上げた。
ギルモアは封筒を受け取り、中身を確認した。シンプルなデザインの、結婚式の招待状だ。送り主はドラコルルと副官の連名になっている。
「だから副官を連れてきたのか」
ギルモアは2人を見やった。相変わらず緊張している副官は「はいぃっ!」と声を裏返らせた。
「招待しているのはほとんどピシアの部下たちですが……ぜひお2人もと思いまして」
ギルモアは隣に座る夫に招待状を見せる。
「だそうだ」
「2人ともおめでとう! 行こう行こう! あ、もし体調悪くなっちゃったらごめんね。ギルモアくんだけ行かせるよ」
キラキラした顔で男ははしゃいだ。ギルモアはペンを手に取り、出席欄に丸をつけた。
「ありがとうございます」
その場で招待状を受け取り、ドラコルルは柔らかく笑みを浮かべた。
「将軍には、よろしければスピーチも頼みたいのですが……」
「はっ!?」
ギルモアは驚きの声を上げた。
「何故ワシが」
「やってあげなよ。子供たちの結婚式で散々やったから慣れてるでしょ?」
「い、いやそれは……」
男の言葉にギルモアはたじろいだ。
そういうのは親に頼め、と言いそうになって、ギルモアは口をつぐんだ。
ドラコルルには親がいない。とにかく早く独り立ちしたくて士官学校に入ったと、昔そう聞いたのを思い出した。
馬鹿な男だ。若い頃から良いように利用され、しなくても良い苦労を散々させられたというのに。今でも自分を「将軍」と呼ぶのは、この男ぐらいだ。
「良いじゃないの。子供たちと一緒に、ギルモアくんのために沢山頑張ってくれたんだしさ、ドラコルルくんももうウチの子みたいなもんだよ」
男の言葉を聞いた途端、ドラコルルの頬にさっと赤みが差した。
「……こんな息子を産んだ覚えはないぞ」
「いつでもウチに来てね。相談でも何でも乗るよ」
「ありがとうございます……」
ドラコルルは戸惑いと喜びの入り混じった顔で言った。
「スピーチだが」
ギルモアは口を開いた。
「受けてやる。が、何を言われても文句は言うな」
横目でドラコルルを見る。彼は珍しく、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「じーちゃああああ!!!」
突然、玄関の開く音がすると同時に、子供の甲高い声が響いた。
ガチャリとリビングの扉が開かれ、小さな子供がひょっこりと顔を覗かせる。
「フー!」
男が声を上げた。
「じーちゃ!」
2、3歳頃だろうか、小さな女の子は不安定な足取りで男に抱き着いた。
「こら、フー! あ、ごめんなさい、お取り込み中でした?」
「いえ、大丈夫です」
続いてリビングにやって来た末娘夫婦に、ドラコルルが答えた。
フーと呼ばれた子供は、祖父の隣に座っている厳めしい老人、すなわちギルモアを見て、驚いたのか固まってしまった。
「フー、ほら、この人が君のおばあちゃんだよ」
おばあちゃん、という言葉に吹き出してしまった副官の鳩尾に、無音でドラコルルの肘鉄が食らわされる。
「おばあちゃんにご挨拶できる?」
子供は祖父の顔を見て、それからじっとギルモアの顔を見た。
「……ばーちゃ?」
「なんだ」
ギルモアの返事は随分と素気なかったが、子供には大した問題ではなかったらしい。
好奇心のままに祖母の頭のてっぺんから足元まで眺めるが、不意にその目線が止まった。
「ばーちゃけがしてるの?」
孫娘はギルモアの手首を指差した。幾重にも重なった白い筋が、袖の下から覗いていた。
「ママがね、このあいだほうちょうでゆびきってね、けがしてたの。ばーちゃもきっちゃったの?」
ギルモアの末娘は子供の気を逸らそうと呼びかける。が、ギルモアがそれを手で制止させた。
「ああ。手首を切ってしまってな」
「いたいのとんでけする?」
「痛いの飛んでけ?」
「けがしたらいたいでしょ? ばーちゃいたい?」
ギルモアは少し屈んで目線を下げた。娘によく似たまん丸い瞳を見つめ返す。
「もう痛くない」
「ほんと?」
「本当だ……じーちゃんに、痛いの飛んでけしてもらったからな」
ギルモアは無意識のうちに微笑んでいた。
「フーもいたいのとんでけしていい?」
「いいぞ」
子供はギルモアの前に立ち、傷の残る手首に小さな手をかざした。
「いたいのいたいの、とんでけー!」
まるで世界を救う呪文のような、そんな勢いで叫びながら手を高く上げた。大きな仕事を終え、ニッコリと微笑む。
「これでいたくならないよ」
「そうだな」
ギルモアが頭を撫でてやると、子供はコロコロとした嬉しそうな笑い声を立てた。
その光景を微笑みながら見ていた祖父は、そうだ、と手を叩いた。
「フー、おばあちゃんに抱っこしてもらう?」
「うん」
ん、と子供に両手を突き出され、ギルモアはため息をついた。
また腰を痛めなければ良いが、と子供を抱き上げる。
抱っこ、というより膝に乗せて軽く抱えてやるような形になったが、子供は満足そうだ。ギルモアの胸に身を預けて、恥ずかしそうに笑っている。
子供の体温は高い。子供たちも昔はこんな感じだったなと、ギルモアは感慨深い気持ちになった。
「ただいまー!」
玄関からドタドタと人が入って来る音がする。
またしても開かれたリビングの扉から、どっと人が流れ込んで来た。長男、長女、次女、それから次男が、それぞれ配偶者と子供たちを連れて現れる。
「待ってたよ〜」
のんびりと嬉しそうに声をかける祖父。
一方ドラコルルと副官は驚きに口を開けていた。
「ご家族揃ってどうしたんですか?」
恐る恐る尋ねた副官に、祖父は笑って答えた。
「今からギルモアくんおかえりパーティーをするんだ。2人は午後は予定ないんだよね? ご飯もあるしどう?」
「えっ……いや、しかし、ご家族の時間を邪魔するわけには」
戸惑うドラコルルに、ギルモアはじろりと視線を浴びせた。
「ほほう、ワシのスピーチを要らぬと言うのか」
疑問符を浮かべるドラコルルと副官に、ソファから立ち上がった夫がこっそりと耳打ちした。
「ギルモアくんは2人にも参加してほしいんだよ」
「しかし、我々は部外者です」
ドラコルルの言葉に、男はふふ、と笑った。
「ギルモアくんはね、子供の結婚式でしかスピーチしたことないんだよ。他はみーんな断ってたの」
ドラコルルは息を呑んだ。
それは、つまり。
「ドラコルルくんのこと、息子だって思ってるんだよ」
「さっき、こんな息子を産んだ覚えはないって言ってませんでした?」
こそこそと返す副官。
「実際産んではいないわけだしね。息子じゃないとは言ってないでしょ?」
確かにそうだ、とドラコルルは目を瞬かせた。ギルモアは否定しなかった。
昔は、ただ側に置いてもらえるだけで良かった。重用してもらった恩を返すことが自分の意義だと思っていた。ただの手駒としか思われていないと気付いても、その思いは変わらなかった。士官学校時代にギルモアに声をかけられなければ今の自分はおらず、副官と出会うこともなかった。だからクーデターの裁判でも必死に庇い立てし、1年前の裁判のために法律ギリギリの線を攻めて証拠を集めた。それでも、猜疑心の塊である彼には、自分の忠誠と献身は受け取ってもらえないだろうと覚悟して邸宅を訪れた。
ギルモアが家族を大事にしていることは、夫や部下である長男の話を聞けばすぐに分かった。感謝の言葉をかけられただけで嬉しかったが、息子同然と思われたということは──ただの駒ではなく、1人の人間として情をかけてもらえると、そういうことなのだろうか? 自分は、ギルモアにとって大切な人間であると認められたのだろうか?
「で、どうする? 参加してく?」
「聞こえてるぞ」
こちらを見ずにそう釘を刺して来るギルモアの触覚は真っ赤だった。
男の言葉は真実だったようだ。認められた喜びと同時に、明確に妻の意を汲む目の前の男に、尊敬の念を抱いた。
「……参加します」
ドラコルルの返事に、男はにっこりと笑った。
「おばあちゃん、寝ちゃったの?」
「そうみたい」
パーティーも終わり、大人たちが片付けに勤しむ中、ソファに座る祖父に背後から話しかけたのは、孫世代の中では1番年上の少年だ。
長男の子供で、ギルモアと男にとっては初孫にあたる。小学校高学年の彼は、ソファの背に肘をついて座面を見下ろした。
男の膝を枕にして、横を向いたギルモアは静かに寝息を立てていた。
「おばあちゃん、今日ははしゃいでたからね。疲れちゃったんだよ」
そんなにテンションが上がっているようには見えなかったけどなあ、と少年は首を傾げるが、祖父が言うならそうなのだろうと納得した。
幼い弟や、年下の従弟妹たちと違い、パーティーが始まっても少年は無邪気に祖母に近寄ることができなかった。幼稚園の頃に抱き上げてもらった記憶はあるのだが、それ以降の祖母は、周りの人間やテレビの語る「ギルモア将軍」としてしか知らない。クーデターを起こし、懲役50年の刑を下され、刑務所で長年暴行を受け裁判を起こし、恩赦をもらって釈放された男。ピリカ国民に憎まれ、大罪人として教科書に載っている男。
それを知っているが故に戸惑っていた少年に、パーティーの最中、ギルモアは声をかけた。
こっちへ来いと手招かれ、おどおど向かった先で、少年は小さな包みを渡された。中身は深い紺色のペンだった。終端には綺麗な紋様が彫られており、一目見ただけで高い品であると分かった。
「遅くなったが、小学校の入学祝いだ」
そう告げられ、肩を優しくトントンと叩かれたことを思い出して、少年は笑みを浮かべた。
「ばーちゃねてる?」
「ねてる!」
わらわらと集まって来た子供たちに、祖父は口に指を当てた。
「おばあちゃん寝てるから、しーだよ」
まだ幼稚園以下の幼い従弟妹たちは祖父の動作を真似し、小学校に上がったばかりの従弟妹たちはこくこくと頷いた。
「ね、おじーちゃんってさ、おばーちゃんのどこがすきなの?」
幼稚園年長の従妹が、祖父に囁いた。他の従妹たちも目をキラキラとさせて祖父の顔を覗き込んだ。
女の子らしい質問に、男は考え込む。
「うーん……」
「どうしたの?」
声を発したのはギルモア夫妻の次女だった。
片付けを終えた大人たちも集まり、ソファの周りに人集りができる。すやすやと眠るギルモアを見て、次男はニヤリと笑みを浮かべ、取り出した端末で写真を撮った。
「何で撮ったの?」
「今度何かあったらこの写真を流出させてやるって脅そうと思って」
「お前なあ」
長女の問いに次男はさらりと答え、長男は呆れた表情を浮かべた。次男の悪戯好きは大人になっても相変わらずらしい。
「本当に流出したらダメージを食らうのは俺たちも一緒だぞ。世間に顔バレしてるんだから」
「安心してください。ピシアが何としても阻止します。万一流出しても痕跡は全て消しましょう」
ドラコルルがにこりと微笑んで言った。だが、それを冗談だと笑い飛ばせる者はいない。その隣の副官と長男、すなわち現役ピシアの2人は引き攣った笑いを浮かべていた。
この人なら本当にやってしまいかねん。
「ねー、おばーちゃんのすきなところ! おしえてよ!」
痺れを切らした孫娘が叫んだ。祖父の答えをずっと待っていたのに、違う話が始まってしまったことに不機嫌そうに頬を膨らませた。
「ああごめん、そうだったそうだった……おばあちゃんの好きなところ、ね」
男は申し訳なさそうに謝ると、ギルモアに目線を落とした。小さな子供たちも、大人たちも、男の言葉を待った。
「いっぱいあるけど1番は……僕を選んでくれたところ、かな」
子供たちは首を傾げた。
「おばあちゃんの方から僕にプロポーズしてくれたんだよ」
その言葉を聞いて、女の子たちはきゃあと声を上げた。
「どんなふうに?」
「おしえて!」
孫に迫られ、男は照れながら答えた。
「婚約証明書を送ってきたの」
またしても子供たちは首を傾げた。
「結婚しますよって約束する書類なんだけど、お見合いの後にそれを送って来て、サインして返送しろって言われたんだ」
大人たちも頭上に疑問符を浮かべた。それはプロポーズと言えるのだろうか。
「まあ、母さんらしいというか……」
「でしょ?」
長男の言葉に、男は嬉しそうに笑って答えた。おそらく普通の人間なら怒るところだろうが、流石は母と長年連れ添って来ただけあるなあときょうだい一同でしみじみと思った。
ギルモアは人が良いタイプの人間ではない。むしろ悪過ぎる方だ。横暴で、苛烈で、強欲で、目的のためなら人を切り捨てることのできる残酷さも備えている。
だが、情のない人間かというとそうではない。夫と子供たちには不器用ながらも愛情を注ぎ、義理の息子や娘たち、孫にも優しさを向ける男だ。
彼はただ、愛を与える範囲がとても狭く、そして与え方が他人に理解されにくいだけなのだ。博愛主義のパピ大統領とは真逆で、誰も彼もに手を差し伸べたりはしない。
男は遠くを見つめたような目で、ぽつぽつと語り出した。
「……僕は子供の頃から体が弱くて、外に出られないから友達もいなくて。恋人なんか勿論できたこともなくて。ずっと家の中に1人で閉じこもって、小説を書くだけの人生なんだろうなあって思ってたんだ」
一同はじっと祖父の言葉に耳を傾けた。
「でも、ギルモアくんが生涯の伴侶に僕を選んでくれたから、ずっとそばにいてくれたから、ヨナンにヨルマ、マーナ、ジル、スーを産んでくれたから、僕はもう独りじゃなくなったんだ」
男は穏やかな笑みを浮かべていた。
ギルモアと出会う前の男の人生は孤独と虚無に満ちていた。体は弱かったがそれは病ではなく生まれつきの体質によるものであり、体のどこかが悪いわけではないのだからと、最低限の世話はされど家族からも放置される有様だった。人の温もりを恋しくは思っても、決して自分は得られないのだと諦めていた。
そしてギルモアもまた孤独な青年だった。性根の悪さと強烈な物言いから、周りの人間から距離を置かれていた。自分の性格が他人には受け入れ難いものであると分かっていたが、そんな自身を理解してくれる者がいないことに傷付いてもいた。
人は皆、大なり小なり孤独を抱えていて、それ故に互いを求め合う。
この広い宇宙の中で、どうにもならない寂しさを抱えた2人が出会い、心に空いた穴を埋め合うだけでなく、数え切れない程の幸福を共有することができたのはきっと奇跡だ。
「……なんてね。難しかったかな?」
不思議そうな顔をした幼い孫たちに、男は笑いかけた。
「きっと、みんなもいつか分かる日が来るよ……そろそろお開きにする?」
周りを囲む子供夫婦たちに声をかけるが、首を縦に振る者はいなかった。
「いいや、もうちょっとゆっくりするよ。目が覚めてみんないなくなってたら可哀想だろ?」
長男は笑いながらテーブル横の椅子に腰掛けた。
「まあそのうち起きるでしょ」
「いっそ夜ご飯もここで食べちゃう?」
「焼肉が良いなあ」
「お昼あんなに食べたのに?」
「夜食べるなら泊まりたいわあ」
「でもお泊まりセット持って来てないよ」
「パジャマだけ買えば何とかなるって」
「こんな大人数で泊まれるんですか!?」
子供夫婦たちは声量を抑えて話し合った。お泊まりの予感を感じた孫たちは喜びに声を上げ、しかし祖母が寝ていることを思い出して自らの口を押さえた。内緒話のように囁き合う幼子たちの様子はとても愛らしい。
久しぶりに親族大集合となったギルモア邸は賑やかだ。この温かくて和やかな風景も、ギルモアがいればこそ得られたものである。
男はギルモアの頭を優しく撫でた。
国を支配下に収めようとして失脚し、大犯罪者となった妻。大統領から赦しを貰ってもなお数多の国民に憎まれている。
しかし、男にとっては世界でたった1人の、かけがえのない伴侶だ。世間からどれだけ罵られようと、クーデター犯を庇うならお前も同罪だと叫ばれようとも、妻との平穏な生活を望んで何が悪いと思うくらいには、自分が強欲で独善的であることに気付いた。昔は何でも諦めるのが得意だったのに。そういったところは、ひょっとしたら妻に似てきたのかもしれない。
この7年間、色々なことがあった。かつてないほどの絶望と後悔、怒り、悲しみを味わった。数え切れない程涙を流した。
けれど今は、ただこの安穏を享受したい。
膝の上の重さも、温もりも、全てが愛おしい。
この先もこうやって、穏やかな幸福に浸っていたい。
男は微笑みながらギルモアを見つめた。
夫の膝の上で眠るギルモアは、何も知らない。
夫に頭を撫でられていることも。
その様子を、沢山の子供と孫たちに見られていることも。
数日後に大統領がお忍びで訪ねて来て、夫と大慌てすることも。
結婚式のスピーチで新郎新婦を泣かせてしまうことも。
そう遠くない日に、赤毛の「孫」を腕に抱くことも。
頭を撫でられる感覚に眠りが浅くなったのか、ギルモアは身じろぐ。
そして、男の膝の上で気持ちよさそうに笑みを浮かべたのだった。(終)