すごもりおでんは屋台で食べるものだと思っていた。
「どうしても食べたくなって」
だから、鍋いっぱいのおでんが出てきた時は驚いてしまった。
——たくさん作った方が美味しいからって思って作ったんですけど、やっぱり食べきれなさそうで。よかったらうちに来ませんか。
そんな都合のいい電話がかかってきたのはとある冬の日のこと。
こたつもまだ出ていないちゃぶ台の上。鍋敷きをはさんで鎮座するおでんの鍋を見てきょとんとする俺に、取り皿を渡すあんずさん。
ここからそれぞれ自分が食べたいものを取り分けるらしい。
昆布だしにちくわ、ごぼう天、厚揚げ、卵と、メニューはいたってシンプル。
こんにゃくって案外美味いんだなと思う。
「大根もう一つ食べる!」
おかわりをするあんずさんの声が無邪気な子どものようで微笑ましい。本来なら娘のようと言ったほうがいいのだが、まあ、異性として意識しだしてからは、もうそんな風な目では見れない。
「ふぅ〜あったかいもの食べて身体もあったまりました〜」
その場でごろんと横になるあんずさんの目は、とろんとしていて眠たそうだ。あえて声はかけないで、そのままにしておこうと思う。
白ご飯を最後まで食べた俺は、箸を置いてごちそうさまをした。
すぅ、と穏やかな寝息が聞こえてきた。
俺は天を仰いで、ほんの少し受けた打撃の傷を癒そうと、息を吐いた。
幼少期の記憶は、いつまでたっても和らぐことがない。
屋台へ連れられて行く時の道の暗さを振り払うように目を閉じる。
そして同時に思う。
こんな幸せ、続いていいんだろうか。
あんずさんが目を覚ました気配に、俺も目を開けた。
「ハアッ!」
気合を入れて身を起こしている。まだやることがあるみたいだった。
「片付けは俺がしておこう。鍋は運んでおけばいいんだよなあ?」
「はい! ありがとうございます」
たぶん、知ったかぶりがそろそろつらい。
カチャカチャと音を立てながら皿を洗っていると、あんずさんが近寄ってくる。
「先輩、もう少し水気落としてから入れてもらえません?」
「ん〜? そうかあ。わかった」
「………」
甘えたな声だなあと思う。
シャッと手を払ってタオルで拭いたら、頭を撫でて、それから。
「ッ……せんぱ、ちょ、と」
「うん」
あんずさんの二の腕をつかんで、白い首筋に齧り付く。
次第に高まる劣情に、怒りをぶつけて、後ろめたくて、それで余計に欲しくなって、嘲った。
「ちゃんと、くちびるにください」
そうして君は俺の柔らかい部分に触れるから、俺はこの身を預けることをためらうのだ。
「好きですか?」
「え」
「二日目のおでん。うちのは、味が染むっていうより、くたくたになっちゃいますけど」
不意を突かれて、口ごもった。
「それは……」
「明日も食べにきてくれると……助かります」
俺の反応に困惑して、言葉を選んだのが丸わかりである。こんなに困らせるなら、言ったほうがいいんだろうなあ。
「うん。明日もくる。あんずさんのことが好きだから」
「……うあっ」
時間差でくらったらしい。顔を真っ赤にしていてかわいい。
つかず、はなれず。
これで大丈夫な、はず。
「また呼んで」
振り返ると手を振る君がいる。寒いから中に入るように言ってもこれだから、さっさと帰ろうと思う。
帰るところ。
鍋いっぱいのおでんがあるところ。
いつかそんな日が来るんだろうか。
霞をつかむみたいに手応えのない日々だけど、きちんと言える日が来るように。
せめてきみにふさわしいひとになりたい。