追憶は二度、起こら(せ)ない「しっかし、無茶苦茶するよなあ、おまえ」
異世界ミラドシア・ベンガーナ奪還の祝いの席。その中心から離れた場所でひとごこちついているときにポップが話を振ったのは、ほんの軽い気持ちのつもりだった。
「え……」
話しかけられた《絆の勇者》は、戦闘時の勇ましさはどこへやら。子どものように――実際見た目はポップと大して変わらない子どもだし、それどころか最近生まれたばかりだというとんでもな存在ではあるのだが――あどけないキョトンとした顔でポップを見つめ返した。
「あの大軍勢にひとりで飛び込むなんてさあ。ま、そのおかげでおれたちは助かったわけだけどよ」
分断され、キングヒドラと対峙したときは正直、もうだめかと思った。ベルタの助太刀はありがたかったが、それもいつまで持ちこたえられるか分からなかった。目の前のコイツがクロコダインやヒュンケルや、仲間たちを引き連れ駆けつけてくれなかったら、どうなっていたことか。
「おかげでダイやマァムも無事だった。ありがとな」
「……だって」
笑顔でお礼を言うと、勇者は何故か口ごもり、顔を伏せてしまった。ん? どうした、腹でも痛くなったか? と覗き込むと、親友ダイによく似た純粋に輝く瞳が、咎めるような感情を湛えてポップを睨んでいた。
「だって……早く助けに行かないと、そうしないとポップが――自己犠牲呪文使うんじゃないかって、思ったから」
「……は、はぁああああ!?!?」
爆弾発言に思考が停止する。一拍遅れて理解が追いつき……ポップは驚きのあまりすっとんきょうな声をあげてしまった。
「な、なにおま、え、メガンテ!? お、おれが!?」
口をぱくぱくさせるポップを、《絆の勇者》は拗ねたような上目遣いでねめつけた。
「使うよね? いざとなったら」
「使わねーよ!! おれはなあ、アバン先生があの呪文使ってどうなったかこの目で見てるんだぜ!? だっていうのに、誰があんなおっそろしい呪文使うもんかよ! なあダイ!?」
同意を求めて振り返った先、傍らに佇む友もまた、硬い表情で口を引き結んでいた。
「あの……ダイ?」
「……ほんとは、おれもさっき、同じこと思ってた」
「へあっ!?」
梯子を豪快に外されたポップの声が裏返る。二の句を継げない魔法使いにふたりの勇者は真剣な顔で、少し泣きそうな声で口々に言い募った。
「このままじゃ、ポップがあの呪文を使っちゃうんじゃないかって……だっておまえ、あのとき魔法力を使いきったって言ってたし!」
「だってあのキングヒドラ、すごく頑丈で強そうで、生半可な攻撃じゃダメージが入らなそうに見えたし」
「だから……もしアバン先生やみんなとの合流が間に合わなかったら」
「もしベルタの魔法力まで尽きてしまっていたら」
「ポップはきっと、きっとまた」
「『また』って言うな! 言っとくが“おれ”はまだ一回も自己犠牲呪文なんて使ったことはねえからな!?」
怒鳴られ、図星を突かれたふたりの勇者はハッとして息をのんだ。項垂れた彼らにポップが深々と息を吐く。
「ちょっと落ち着け。冷静になってみろ。おまえら、この間の追体験を引きずりすぎなんだよ」
それは、確かにその通りだ。ふたりが言及しているのは先日、《絆の勇者》がその能力で追体験し、ダイたちのなかに上書きされた冒険の記憶のなかの“ポップ”のはなしだ。
バランに追い詰められ、自分しか戦えるものがいなくなって、当然勝ち目などあるはずもなく、それでもバランにダイを奪われまいと、何がなんでも守り抜こうと命を捧げた。今ミラドシアにいるポップではない“ポップ”のはなしだ。
分かっていてなお、あの恐怖が足をすくませるのだ。ダイは自分ではない“ダイ”の絶望と同化し、《絆の勇者》は追体験を通して“ダイ”の痛みと共鳴した。そうして刻み込まれた記憶が、ふとした瞬間にフラッシュバックする。今回のような事態に、心を不安でからめとろうとする。
ポップのなかにその選択肢と、それを断行するだけの覚悟があると。知ってしまったから。
この記憶を追体験することで、今ミラドシアにいるポップの手札にもまた、そのカードが入り込んだことを知っているから。
“二度目”がないと、どうして言いきれる。
次も“同じ手段”を選ばないと、どこにそんな保証がある。
「……あのなあ。そもそも、“あの時”とは状況が全然違うだろうが」
ポップは再びため息をつくと、右手と左手をふたりの勇者それぞれの頭にのせ、ぐりぐりとわしづかむように撫で回した。
「今のバランは敵どころかおれたちと……一応、協力関係にある。マァムもパーティを離れてないし、ヒュンケルもおっさんも姫さんもまだ戦える状態だった。アバン先生やラーハルトや、ものすげえ不本意だけど、ハドラーだっている」
バランとハドラーは仲間扱いしていいのか、今んとこかなり怪しいけどな。
指折り数えつつそうぼやいてから、ポップは「何よりも」と一呼吸置き、照れくさそうにはにかんだ。
ダイが、おれたちのダイのままここにいて、戦ってくれていた。
《絆の勇者》が、おれたちを助けるために必死になってくれていた。
噛み締めるようにそう言って。ポップは目を丸くした勇者ふたりに向かって愛嬌たっぷりにウインクした。
「そんな状況で、おれ一人勝手に降りられるわけねえだろ?」
「……それ、は。でも、そんな」
「おれたち、ただ、いつも必死で」
「その必死が大事なんだ。その必死を無駄にしないために魔法使いはいるんだよ。だから心配すんな。少なくとも、あの程度の場面でメガンテ使うようなバカな真似はしねえよ」
「……ポップ」
「ポップ……」
「おまえらが諦めない限り、おれも最後まで足掻いてやる。約束だ」
力強く頷いたポップに、ふたりの勇者の瞳がようやく明るさを取り戻す。それを見て自分も表情を和らげ、ポップは「さあさあ、このはなしは終わりだ!」と調子のよい声を出した。
「ほら、宴はまだ始まったばっかりだぜ! 明日はテラン行きの準備で忙しくなるんだ、大食らいの勇者サマは早く戻って食えるだけ食っとけ! 酔っぱらいの大人たちにメシを全部食われちまったんじゃ勿体ねえぞ!」
「……うん!」
「分かった!」
ダイと《絆の勇者》は元気よく頷いて走り出した。そうだ、怯えて立ち止まってなんかいられない。異空神ゼバロの脅威も、大魔王バーンとの戦いも終わっていない。これからも旅は、冒険は続いていくのだ。
……本当は、まだ怖い。疼くような恐ろしさは心の奥底に燻ったままで、きっとこれからも拭い去ることはできないだろう。けれど、自分たちが諦めないことで、ポップもまた、諦めないでくれるなら。最後まで生き残るすべを模索してくれるなら、『勇者』が怖じけづいている場合じゃない。
そうとも。ダイは、《絆の勇者》はもう知っているのだ。自分たちが戦う理由。大事なものを守るため。大切な人を助けるために自分たちは『勇者』として立っていられるのだ。
(もっと強くなろう)
もっともっと、修行して力を高めていこう。大事なものを守り抜けるように、大切な人を助けきれるように。
ポップを“二度と”失わずに済むように。
ポップがずっと、笑って、生きていられるように。
小さな勇者たちは誓いを胸に、宴を囲む仲間たちのもとへと駆け寄るのだった。
*****
元気いっぱいに駆けていく勇者ふたりの背中を見送りながら、ポップは「そうそう」と聞こえないように呟いた。
「あんな場面でメガンテ使うようなバカな真似はしねえよ」
キングヒドラの頭は5つもあるんだぜ。
どいつの頭を起点にして呪文を発動すればいいか分からないんじゃ、どのみち成功させようがねえじゃねえか。
「あんなばかでかいドラゴンの体力をおれの生命ひとつで削りきれる保証もない。そんな不確定な状況で使えるかよ。あの呪文を使うときは、確実に相手を仕留められるときだけだ」
ポップは、勇者たちの大切な魔法使いは、彼らの決意を知らずに薄く笑う。
「あいつらの役に立つために……あいつらの必死を無駄にしないために……倒せなきゃ意味がねえんだ」
失敗はできない。“二度と”許されない。
今度、その時がきたら。
“次”は外さねえ。
それが、“笑顔”と呼ぶにはあまりに冷たく、鋭く、狂気すら感じさせる表情であることを。誰も、彼自身すらも、気付きはしなかった。