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    伊茅翼

    @itigayayoku

    蟬ヶ沢卓(スクイーズ)orクロコダイルandマゼランorアリスインナイトメア

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    伊茅翼

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    ペパーミントの魔術師 OUT 0.5 瑠璃硝子の箱唄

    瑠璃硝子の箱唄 最初は別人かと思った。
    「十助……?」

    ******

     蝶は蟬ヶ沢の事務所に行く途中、道端にルリハコベの花が咲いているのを見かけた。庭園にひっそりと植えられた花の一つで、雑草に埋もれている中で綺麗な青い花を咲かせている。
     その青を見て、ある人物を思い出す。彼はありとあらゆる方面で変人だった。正確も見目も、得意としていたことも、何より、彼の血液の色は蒼かった。
     彼は今頃何をしているだろうかと思ったが、既に彼はこの世にいない。あの出会いから別れまでを繋げた根源は全てを絶たれた。
     絶たれたはずだ。
     ルリハコベの花の向こうにいる人物を見た瞬間、蝶は呼吸をするのを忘れた。
     一緒にいた頃で知る範囲だが、彼は常に他者へ意識が向いており、アイスを作る時だけ完全にアイスのみに集中する様は異様で、それでいて人と接する時は裏表の限りなく少ない接し方で、アイスのようにひんやりとした寂しさ、渇望するような甘ったるさもあり、相手の好みを視る意識はべたべたとしか感触の、そんな変人だった。
    「十助……?」
     思わずその名を呼んだ。すぐに彼は意識をこちらに向け、緊張の表情を浮かべた。
     その意識は、酸味と紙で指を切ったよう熱く鋭い痛みをしている。恐らく逃げるだろうと判断し、蝶は十助の意識を押さえるが同時に視えなくなった。厳密には視えた意識が別の人に変わった。別人の意識だが、その意識は見覚えのあるもの、蝶の意識だった。
     蝶は深呼吸をする。この意識は自分として視えているが、この意識は自分であり自分ではない。十助に存在していた能力の効果だろうか。
     今の状態の蝶には十助の意識も存在も見えないが、一応捉えることが出来ている様子から、いることには違いない。
    「ええと、社長」
     視える意識は依然として"蝶"のままだ。
     慎重に言葉を選び、再度呼びかける。
    「と、十助……」
     ほんの少しだけ意識が違う人に視えた気がした。
     蝶は心の中で頭を抱える。こうして彼が逃げるということは、少なくとも一度何かに追われたことがある可能性がある。そのことについて、思い当たるものはある。以前、スクイーズが酷く落ち込んだ様子で蝶に連絡してきたのだ。
     スクイーズの任務の一つとして軌川十助の処理もあったのだろう。彼が処理に失敗したとは聞いていない。仮に失敗していたのなら何らかの処罰が下される可能性はあった。
     こうして無事な様子の十助を見て、とっさに思ったのは元気だろうかという、平凡な考えだった。今言っても何も響かない気がする。
     膠着状態で何も進まない。どう話し掛ければいいものか。 統和機構に追われたことはあるとは思うが、軽率にそれを話して信用してもらえるとは思えない。
     考えに考え、一つだけ、ある意味彼なら分かりそうなことを思い出す。
    「……ア、アイスデート……しない?」
     ぷっと笑い声が聞こえると同時に彼の意識が視えた。
     ほっとした、干した布団のような温かさの意識を蝶に向けて、彼は腹を抱えて笑っていた。
    「浮気は駄目だよ。卓に怒られる」
    「付き合ってないし。それにあのおじさん、このくらいでは嫉妬もしてくれないよ」
     肩をすくめて溜め息を付い た姿に、十助は更に声をあげて笑った。

    ******
     
     アイスクリームチェーン店に入る。近くには蟬ヶ沢プロデュースのクレープ屋もあるのだが、そこは以前十助がアイスクリームショップのコラボとして関わっていたことがあるので避けた。
     入ってからアイスクリームチェーン店なんて決めてよかったのかと心配に思い始める。かつて彼がいた古巣を嫌でも連想させる。誘ったのは蝶なので、別の店に連れていけばそれはそれで不審に思われる。
     杞憂に等しい悩みの中で蝶は十助の顔を見る。
     彼は丹精な顔立ちをしていたが、肌の色はやや緑掛かった色白とは違う奇妙な肌色をしていた。今もそれは変わりないのだが、蝶は彼の本来の肌の色を知っている。本来はより緑が深く、ペパーミント色をしている。彼は気付いていないが、時折髪の毛の隙間から元の緑肌の耳が見える時がある。
     能力で視ても、周囲の人達は誰一人感心を向けていない。彼の出で立ちから不可視の処理を施そうとしたのだが、その必要はないらしい。彼の能力の効果なのだろうか。
    「選ぼうか?」
     気がつくと十助と至近距離で視線が合う。
     びくっと一歩下がり、固まる。
     十助はきょとんとしながらも、アイスを指差す。
    「え、ああ、そうだね。それじゃあ、頼もうかな」
    「ねえ、ここって本当にアイスクリームのお店?」
    「うん?」
     十助の指差す方向を見る。
     ケージの向こう側には、二人の職人がアイスを作っていた。一人はアイスを日本の棒を駆使して練って、もう一人は鉄板にアイスやドライフルーツ等を混ぜている。
     蝶から説明を受けつつ、十助は興味深そうにアイスが作られている様を見ている。
     以前ならば新しいおもちゃのような輝きのあった目をするはずだが、今の彼は落ち着いていて昔のアルバムを見ているような懐かしむ様子があった。
     蝶は後ろに並ぶ客に注文を譲り、少し自分達へ向けられた意識を反らす。
     ちょうど二人から十センチほどの距離を置いて他の客はレジへ歩いていった。

    *****

     向かい合わせに座ったのだが、本当にデートをしているように見える。
    「…………」
     お互い無言になってしまって、まるで最初に会話をしたときと同じような、気になっているのに切り出せない状況だ。
     あの頃はまだ彼が純粋にアイス作りに夢中になっていたからこそアイスについて聞けたが、今はそれに触れていいのかも分からない。
     あの後何をしていたのか、何故貴方は生きているのか、彼女とはどうなったのか。蝶は思い浮かんだものを首を振って消す。話すのならもっと別のことを話した方がいい、でも何を話せばいいのだろう。
    「蝶は卓が好きなの?」
     蝶は噎せ、机に膝を強打した。

    ******

     軌川十助は極まれに街をふらつくことがある。
     街に来ても誰も彼も十助を見ることは無い。自身の能力で誰にも認識されずにいられるのだ。
     もう誰とも深く関わる気にはなれない。自分が関わるとどうなるのかは分かってしまった。
     ぼんやりと世界を眺めていくだけの余生だ。
     俗世に一切の未練がない訳でもない。この力の後始末はやった後で、特定の人と関わるべきことは終えた。
     そういえば、能力を一切使ったことがない人物が一人いたことを思い出す。
     あのペパーミントアイスを除けば、十助の能力らしい能力は受けていない人物だ。
     十助が分かる限りでは十助の能力の影響らしい影響はほとんど受けていない。いや、振り返れば“彼”がそうさせなかったのだろう。
     もう深く関わるべきではないのだろうが、少しだけあのことが心残りらしいものがある。
     あれに関しては冗談の類として言ったに過ぎないかもしれない。
     仮に実現してしまったらと思うこともあるが、自分とは二度と会わないほうがいいだろう。自分がなんなのかを自覚した今、会うのが怖い。
     それでも、こうして街を散策するのは少しばかりの未練、人恋しさもあるせいかもしれない。

     庭園に入り、花々を見る。周囲は鉄の囲いで隠された中にタバコの吸い殻や灰がつまった円筒が置かれているところから、ここは喫煙所として提供されている場所らしい。
     様々な植物が植えられている中でその蒼に釘付けになった。雨に打たれながらも蒼い花を咲かせている。
     ほかの花と比べると主役としてではなく、どこか他の花の傍にいるような様は、どことなく彼女を思い起こす。
     しゃがみこんで花を観察する。この花を見たときのアイスならばと、ついアイスクリームに味について考え、考えを振り払う。
     振り払った、花壇の先を見る。
     十助は一瞬呼吸をするのを忘れた。
     花の向こうに蝶がいた。
     
     とっさに思ったのは逃げなければならないだった。
     十助が暮らしていた家に罠を設置していたスクイーズ。彼は表では蟬ヶ沢卓としてデザイナーをしている。その横には蝶がいる。
     最後に会ったスクイーズの顔が浮かぶ。
     君とは会ってはいけない。心臓が掴まれるような痛みに、涙が出そうになる。
     心の中で謝りながら、見えないように去ろうとした。そのはずだった。
     十助の能力を持ってすれば万人も避ける事は出来ない。
     見えないはずの彼女は視線だけ忙しなく動かす。必死な様に十助は逃げることよりも彼女の方へ意識が向いていた。
     十助を肩書きから名前まで、親しみのある呼び方に変えつつ呼びかける。
     十助は逃げずにそのまま様子を伺う。逃げても追いかけてきそうな気もしたが、自分の身体能力を考えれば追跡を逃れられるはずだ。
    「……ア、アイスデート……しない?」
     虚に突かれて、逃げることも能力で痛みをどうこうすることも忘れかけた。
     気が付けば腹を抱えて笑っていた。逃げなければと考えていたのがばかばかしくなる。
     彼女もまた「アイスデート」のことを覚えていたのが、バカ真面目に覚えていたのがなんともおかしくて十助はおかしくてしかたなかった。
    「浮気は駄目だよ。卓に怒られる」
    「付き合ってないし。それにあのおじさん、このくらいでは嫉妬もしてくれないよ」
     諦めたという体で彼女は肩をすくめる。
     あの店にいた頃のような懐かしさと変わらない二人の関係に十助はさらに声をあげて笑った。
     笑いすぎたことに怒ったのか、彼女から帽子を勢いよく引き下げられてしまった。 

     以前蝶と話したときにアイスを選ぶと約束したのだが、正体がバレた今で到底叶うはずのないものと思っていた。思わせていたのだが、なぜか今実現している。
    「アイスを見繕ってもらうの今になって実現出来るなんてね」
    「本当なら……いいや、そうだね、随分待たせちゃった」
     気楽に誰かにアイスを選ぶのは久しぶりで少し浮かれてしまう。見たことのないアイス作りにも興味が惹かれる。しかし、この気持ちには一歩引く。
     知らない店だが、使われている機材は十助も使ったことがある。
     十助たちの他にも注文する客がおり、ガラスケースの向こう側を見ながらアイスを選んでいる。
     十助たちの順番はまだなので、彼も前の客にならってアイスを選ぶ。
     蝶のアイスを選ぶと約束した手前、どうすればいいか困った。
     以前の十助ならばその人その人から感じる痛みからアイスが判ったのだが、今回はそうはいかない。そのまま彼女の痛みを突くようなアイスを選んではいけないのだ。
     彼女の普段食べているアイスから考えてみるのもいいかもしれない。本末転倒だが、表向きの好みならばそれほど影響はない。
     仮に彼女の痛みから判るアイスであっても、十助が作ったものではないなら効果はないだろうが、十助の味を模したものが未だに散らばっていると考えると危うい。
    「選ぼうか?」
     蝶がびくりと震えて十助を見る。
     十助はきょとんとしながらも、アイスを指差す。
    「え、ああ、そうだね。それじゃあ、頼もうかな」
     ぎゃりんと奇妙な音が店内に響いた。
     音のする方向を見ると、見たことのないアイスの作り方が展開されていた。
     注文を受ける店員の横にいた店員二人の内一人は、つるりと光る鉄のテーブルに液体を広げた。
     テーブルは冷えているのだろう、液体はたちまち結晶化し氷になる。氷かけたところで、ヘラで掬い上げてかき混ぜる。また広げて別の材料を混ぜていく。
     十助は思わず蝶の服を引っ張った。
    「ねえ、ここって本当にアイスクリームのお店?」
    「うん?」
     もう一人はアイスを二本の棒を駆使して練っている。
     彼女は携帯電話で調べながらアイスの解説をしてくれた。
     アイスクリームのスペシャリストのはずが、逆に教えられる立場になったことに十助は苦笑いするが、アイスクリームへの興味には嘘をつけなかった。
     以前、蟬ヶ沢が説明してくれたことだが、十助が作ってきたアイスは分類するならば、イタリタンジェラートに近いもので厳密にはアイスクリームではないらしい。ラクトアイスという乳成分が少ないなのだ。
     作ってみたい衝動と誰かに食べてほしい願望が湧いてくるが、冷めた自分が制止する。
     この好奇心だけは許して欲しい。

     へっくし。
     十助の意識は一気に現実に戻された。隣を見ると蝶は申し訳なさそうな顔をしていた。心なしか顔が熱そうに見える。
    「大丈夫?寒かった?」
    「平気。それにまだ見てていいよ」
    「いや、充分さ。それに本来の目的はアイスデートだからね。“彼女”をほっとく訳にはいかないさ」
     蝶はおかそうにクスクス笑う。
    「ほんと、本格的なデート」
    「今日限りだけどね。そうそう、アイスはグレープなんてのはどう?」
     ショーケースから見えるアイスを指差す。
    「これは十助が思った私の好み?」
    「いいや、違うよ。強いて言えば、今の僕らにはぴったりのアイスさ」
    「僕ら、ねぇ」
     浮かれたようにへらへら笑いながら、彼女はショーケースを眺める。
     痛みで好みを当てることが出来るが、今回は少しばかりずらさざるを得ない。
     これから受けるであろう痛みを直接取り除くことは出来ない。
     君と僕は少し似ている気がする。
     似ているからこそ、触れてはならない。
     君はまだ失っちゃいないんだ。

    ******

     アイスを受け取った二人は座席に座る。
     デートという意味も入れて、向かい合う形で座る。
     特に話すことなく席に座り食べ始める。お互い黙々と食べているが、十助が蝶を気にしているように、彼女も自分を気にしている。
     デートしようなんて言われたが、デートとはなんだろうか。言葉としては知っていてもこれでいいものなのか。
     ぼんやりと、関連した話でも盛り上がるだろかと考え、十助は口を開いた。
    「蝶は卓が好きなの?」
     蝶は噎せ、勢いで机に膝をぶつけた。
    「…………」
    「…………」
     十助は答えるまで沈黙を貫く。しかし、彼女の痛そうな様子におろおろとするが、どうすればいいか困った。
    「……………………」
    「……人、……人としてなら」
     彼女は膝を擦りながらうつ向いて答えた。
    「人として?特別に思っていることでいいのかい?」
    「なんか勘違いしている気がするけど、違う、たぶん違うのよ。これだって言えるのがそうじゃなくって」
    「本当に同じ痛みをしているなぁ」
     うんうん唸る蝶は腕を組みて考え込むが、十助の発言に顔を上げる。
    「同じ痛み?」
    「いいや、なんでもないよ」
    「そう。……ねえ、好きな人についてなら、彼女は」
     蝶は言葉に詰まり、続きを言わない。彼女と言った瞬間に気まずそうな表情に変わったのを見ると言ってはいけないことを言ったと思ったららしい。
     当の本人、十助は目を丸くする。蝶が言った“彼女”とは恐らく……。
     彼はすぐには答えない。
     他にアイスを作らせるなら誰がいいかと景山に問われたときに彼女のことを挙げた。今思えばそれが間違いを犯してしまった気がしてならない。
     メディア媒体を通じて見たときは面白い痛みをしていると思った。他とは違う、誰にも持っていないような、ある意味特殊な人間だ。
     実際に会ってしまってからも、それは変わらなかった。
     十助の正体を知ったのは最近のことではなかったのだろう。聡明な彼女のことだ。人ではないと知っても一緒にアイスを作り続けてくれていたのだ。
     人ではない。
     十助の目は再び丸くなり、蝶を見る。
    「君も驚かないんだね」
     先程の奇妙な現象もだが、人間ではない肌と力に彼女は全く気にしていない。
     かつての相棒とも呼べる彼女のように十助を調べたにしても、あまりそのようなことはしなさそうである。
     蝶は少しじと目になり、何かにあきれたようなため息をつく。
    「十助」
     ちょいちょいと蝶は自分の耳を指す。
    「頻繁にではないけども、たまにそっちのが見えてた」
    「なるほど」
     これには十助も苦笑いしてしまう。メイクで顔はそれなりに人の肌に見えるように塗っていたが、耳なんて塗ることは考えたことがなかった。髪の毛で隠れるだろうと高をくくっていたが、詰めは甘かったようだ。
    「それに……、色々知っていて……ううん、十助は自分のことをどこまで知っている?」
    「僕?ええと」
     話そうと考えるが周知をきょろきょろしてしまう。いくら能力で誰にも気付かれずに済むとはいえ、ここまで他者と一緒にいるのも久しぶりで、“痛”まないわけではないのだ。
     蝶は鋏のようなジェスチャーをする。
    「心配する必要はないよ。さっきからずっと十助と私の会話は聞かれていないし、誰にも関心は向けられていない。“そうさせている”。話しても大丈夫だよ」
     彼女の言い方にようやく気付く。
    「それって……」
     彼女は頷く。
    「たぶん、十助と同じものだと思うよ」
    「蝶にも何か、僕みたいに痛みが解るの?」
    「人の意識、動き、動いている流れが視えて、制御することが出来る。感知だけで言えば意識のサーモグラフィーみたいなものかな、あの人は風見鶏なんて言っていたけどさ」
    「今の僕はどこを見ている?」
    「私には好奇心、恐れで、周囲には苦痛、恐怖、懐古、通りがかったアイスクリームショップにも考えが向いてしまうみたいね」
     最後のアイスクリームショップに関しては何を感じていたのか答えなかったのは彼女なりの配慮だろうか。
    「君は傷みがましたね。さっき会った時よりも強い。僕の名前を呼んだ時も痛みは深かったけども、別のことでそれ以上に深くなるときがある」
    「十助もね。……気のせいだと思うけど、もしかしてあのイベントの後で彼女に会った?」
    「……苦労したよ」
     十助は深く溜め息を付いて、背もたれに頭を乗せて天を仰ぐ。
    「本当に、ね。後にも先にも彼女だけだと思うよ」
    「そう……、ありがとう」
    「僕の特異は人の痛みだからね。魔法使いにはお見通しなのさ」
    「お見通しのわりには好みには疎くない?」
    「なんの?」
    「…………。十助はセミさん好き?」
    「うん」
    「……つっきー……寺月会長は?」
    「うん、好きだね」
    「影山さんは?」
    「うん」
    「ス……、マルコさんは?」
    「ああ……、そうだね、僕は嫌いじゃないよ」
    「……楠木さんは?」
    「もちろん。これって何かの心理テスト?」
    「そうじゃないけど、そうじゃないのだけども」
    「うーん、よく分からないのだけど、僕は好きだよ。君は、彼らが好きかい?」
     彼女は頷く。
    「それで良いじゃないか。僕は彼らが好きだった。何をしていたのか僕には分からないけど、僕が彼らのことが好きなことは分かるさ」
    「…………」
    「君こそ、ちゃんと分かっているのかい?」
    「なにを?」
    「君のその逸らしている痛み、たぶん僕なら取り除くことが出来るだろう。でも、それをしたら僕は叱られる。こればかりは僕が癒してはいけない代物だと思う」
     時計が時刻を告げるベルを鳴らし、それを皮切りに二人はアイスクリームショップを出る。
     二人は並んで行く当てなくふらつく。
    「このこと、卓には言うのかい?」
    「言わない。あの人のことだし、知らない方がいい気がする」
    「なんだか本当に浮気をしているみたいだねえ」
     悪いことをしているはずなのに、なぜだか楽しんでいる自分がいる。彼女も楽しんでいるようで、
    「イケメンとデートなら悪い気はしないわ」
    と、ふざけてウインクをする。
    「案外嫉妬深いかもしれないんだから、そういうのは良くないなあ」
    「“いやーー!”とか叫びながら扉を蹴破っちゃうね」
     十助はくすくす笑う。こうして蝶と話していたときもらしくなく慌てて駆けつけてきたのだ。
    「卓とはまだ仕事しているの?」
    「こっちでもあっちでもね」
    「そうか……。元気にしているのならよかったよ」
    「まあ、私も十助が元気そうでよかった」
     それからはとりとめのない話ばかりだった。最近のアイスはどんなのが流行っているのか、タピオカのアイスが出てきている、系列店は今も続いているところもあれば潰れてしまったところもあったと、彼女は教えてくれた。
     色々話して一段落ついて、二人は再び無言になる。
     どちらも話そうとはしない。
     語るべきことも、話すべきことも話した。
     残るは別れの言葉のみだろう。
     彼女ならばもうひとつ聞きたいことがあるはずだ。
     十助は自ら切り出そうとはしない。
     このまま話さなくてもいいと思っている。
     無理に視る必要も知る必要もない。
     人気のない公園にたどり着く。再会した場所についたのだ。
     裾をくいと引っ張られる。
    「ねえ、十助」
    「うん」
    「十助は、あの人の……痛みは視えた?」
     その声は羨むように、苦しそうに吐き出された。
     ぐしゃりと彼女の頭を撫でる。
    「君と同じ痛みを持っていたよ」
     蝶が口を開く前に十助は跳躍して、飛び去った。
     別れの言葉を言いそびれてしまったが、彼女の言葉に答えようとするときっと余計なことまで言いかねない。
     きっと彼女とはまた会うことになるだろう。
     心配で仕方ない。
     自分に出来ることは痛みを取り除くことだけ。
     また会うときは役割を果たすときだろう。
     その時は彼女は泣くだろうか。
     気にしなくても大丈夫と言われればそうなのだが、なんだか放っておけない。
    (妹がいたらあんな感じだったのかな)

    ******

     蝶は蟬ヶ沢がいる事務所に来た。遅れたことを詫び、仕事に入る。
     いつも通り階下の店番をする。
     閉店の時間になり、お店を閉め、鍵を蟬ヶ沢に渡す。仕事の進捗を聞いて、今日の帰りはどうするかを尋ねる。今日は一緒に帰ると答えた。
     さりげなく隠したが、PCの画面に表示された予定はまだ残っているものがあった。
    「持ち帰って仕事しようなんてしないでよ」
    「しないわよ」
    「終わるまで仕事に付き合う」
    「帰りなさい、不良娘」
    「いや」
    「送ってあげない」
    「泊まらせて」
    「無理にでも帰すわよ」
    「家でゆっくりしたいでしょ」
    「…………それじゃあ、ちょっとお願いしようかしら」
    「まかせて」
     にっと笑い、蟬ヶ沢が送ってきたファイルを開いて作業を始める。
    「今日はなんだか嬉しそうね。何かいいことがあったのかしら?」
    「あったよ。セミさんには教えないけど」
    「珍しくいけずだわ」
    「飛びっきり嬉しいことだからね。教える訳にはいかないのよ。ほんと……本当に」
     ぽろぽろと涙がこぼれた。蝶の意思に関係なく、大粒の涙が流れる。止めようと袖で拭ってもすぐに涙は落ちて腕を濡らす。
     心配した蟬ヶ沢が蝶の背中を擦る。
     教えることが出来たらどれほどいいことか。実際は彼を殺してなどいないことを教えることが出来たら、少しどこかで安堵するかもしれない。
     対象が存命していることを知っていると任務に失敗したことを知り、さらには軌川十助がMPLSであることも知られてしまう。
     生きていることを伝えたい。もう一緒に仕事をすることは出来ないが、それでも生きていてくれたのは本当に嬉しかったのだ。
     おろおろする蟬ヶ沢に大丈夫とジェスチャーで伝えるが、それでも涙は止まらない。
     良かった。
     彼は生きていた、スクイーズに殺されていなかった。貴方は殺してなんていなかった。
     伝えたくても出来ない歯痒さ、痛みにどうすればいいか解らず、蟬ヶ沢の胸の中で泣いた。

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