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    しきしま

    @ookimeokayu

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    しきしま

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    パ◯活はじめました の バレンタイン の話です。

    ##小説

    駅でチョコレートを売っている店に長蛇の列が出来ていて、そこで初めて俺は今日がバレンタインデーであることに気づいた。時間に追われながら仕事をしていたから、そんな些細なイベントに目を向ける余裕もなかった。
     俺には関係ないな、とその群れを一瞥して、埼京線のホームへ足を運ぶ。今日は昼から佐藤さんに会うことになっていた。
     日曜日の埼京線は、通勤ラッシュほどではないにしろそれなりに混んでいた。吊り革に掴まりながら、空いている手でスマートフォンを見る。楽しみにしているね、という佐藤さんのメッセージだけが、切り取られたように俺の頭に滲んだ。
     新宿駅で降りて、東口に出る。待ち合わせをしている人の群れが街の喧騒を象っていた。カップルがやけに多かった。きっとバレンタインデーだから、みんな浮かれているのだろうと思う。恋人が見つかって笑顔を浮かべる男女を横目に見ながら、俺は佐藤さんを待った。
     佐藤さんは、待ち合わせの時間ちょうどに来た。ネイビーのフーデットコートを羽織って、黒いセカンドバッグを小脇に抱え、それとは別に、ベージュの紙袋を持っていた。

    「待たせてごめんね、朝陽」
    「いや、俺が早く来ただけなんで」
    「そっか。朝陽は優しい子だなあ」

     本当にそう思っているのか、と、問い詰めたくなるくらい俺に甘い言葉だった。もしかしたら、今までパパ活というものをやってきて、生意気な若い男に散々ワガママを言われていたのかもしれない。そうだとしたら嫉妬もするし、いるかもわからないその男よりも佐藤さんに優しくできているということを誇りにも思う。でも、それら全ては想像の範囲でしかない。

    「どこか行きたいところはある?」

     佐藤さんはなんだか楽しそうにそう尋ねた。
     俺が今挙げられる行きたい場所はラブホテルしかなかったから、返す言葉が見当たらなかった。少し申し訳なくなりながら首を振ると、佐藤さんは恥ずかしそうに口を開いた。

    「喫茶店でもいいかな」
    「いいですよ。行きましょう」

     そういうわけで、俺と佐藤さんは喫茶店へと向かった。

    ***

     佐藤さんの向かった喫茶店は、いわゆる『隠れ家』のような店だった。新宿に行くときは必ずここに寄るのだと佐藤さんは教えてくれた。
     俺はアールグレイティーとサンドイッチを、佐藤さんはブレンドコーヒーと小さなパフェを頼んだ。コーヒーにミルクと角砂糖を入れる佐藤さんを見つめていると、どういうわけかこの人をすごく愛おしいと思った。

    「今日はバレンタインデーだね」

     佐藤さんはなんてことのないようにそう呟くと、机上にあのベージュの紙袋を置いた。紙袋には、読めないアルファベットが綴られていた。高級そうだな、と、月並みなことを思った。

    「これ、なんですか?」
    「チョコレートだよ。朝陽にプレゼント」
    「えっ、あ、……は、はい」
    「ごめん、チョコレート苦手だった?」
    「いや、そんなことはないですけど……」

     少し驚いた。バレンタインデーというイベントに佐藤さんが乗ることも、それで俺に高級そうなチョコレートを贈ることも、予想だにしないことだった。

     甘いお菓子は好きだし、プレゼントを嬉しいとも思う。

     でも俺はなんだか、舌がむず痒くなるような、変な情緒を覚えた。

    「なんか」

     口を開けば何か言葉が見つかるかと思ったが、俺は何も言えなかった。佐藤さんは申し訳なさそうな顔を浮かべながらコーヒーを啜る。
     困らせたいわけじゃない。でも俺は、上手いようには言えない。

    「嬉しいんですけど、その」
    「うん」
    「えーと、その、……あの、…………照れちゃいます」

     ようやく浮かんだ言葉は、口にしてみれば馬鹿馬鹿しいものだった。言い終わってから恥ずかしくなって、俺は紙袋で顔を隠した。

    「可愛いなあ」

     佐藤さんは困ったような顔を浮かべたまま、そう呟いた。不意に出てしまった言葉という感じだった。余計に照れ臭くなって、俺はもうそれ以上、何も言えなかった。

    ***

     店を出てから俺は、ホテルに行きたい、と佐藤さんにねだった。行きたいところなんて特にない。それよりも、早くふたりきりになって、思い切り甘えたかった。
     バレンタインデーだからか、日曜日だからか知らないが、ホテルはどこも混んでいた。それでも一部屋空いているところを見つけたので、俺と佐藤さんはそこに入った。

     部屋には無料のインスタントコーヒーがあったので、俺は湯を沸かして二杯分のコーヒーを淹れた。佐藤さんの分にだけ、クリープと砂糖を入れて渡した。

    「ありがとね、朝陽」

     並んでソファに座り、まだ熱いコーヒーを啜る。佐藤さんのそばにいると、落ち着くのに胸が躍る。どうしてか分からないけれど、その感覚は心地よかった。

    「さっきのチョコレート、食べてもいい?」
    「いいよ」

     紙袋に入っている箱を出し、封を開ける。箱には、模様が描かれたチョコレートが四つ並んでいて、チョコレートの説明が書かれた紙が付いていた。カタカナばかりでよく分からなかったけれど、俺はその中から、カモミールと書かれているチョコレートを齧った。甘すぎない、上品な味だった。

    「美味しい?」
    「うん、ありがとう、さ、……パパ」

     佐藤さんは、照れ臭そうに笑った。
     一粒のチョコレートを味わって食べてから、俺は佐藤さんのぼんやりとした唇にキスをした。口の中に残るチョコレートの淑やかな甘味が、俺の舌を擽る。勢いのままに佐藤さんの唇を割って舌を入れると、柔らかい心地が性感を刺激した。

    「甘い味がする」

     キスの合間に、佐藤さんはそう呟いた。その言葉が妙にエロチックに聞こえて興奮した。
     チョコレートの箱を仕舞ってから、もう一度深いキスをする。甘いものを食べていたのは俺の方なのに、どうしてか俺も佐藤さんの舌を甘く感じた。

    「したくなってきちゃった……」

     佐藤さんの耳元で、そう囁く。思ったよりも甘ったるい声が出た。チョコレートのせいかもしれない。

    「朝陽は可愛いなあ」

     さっきよりもどうしようもない感じで、佐藤さんは言った。俺の言葉一つで興奮する佐藤さんを可愛いと思った。でも、そんなことは言わない。その代わりに、俺は佐藤さんの体を抱き締めた。
     佐藤さんの心臓がどくどくと音を立てているのを、布越しの膚に感じる。チョコレートよりも甘ったるいな、と俺は思った。
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