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    しきしま

    @ookimeokayu

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    しきしま

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    横顔
    (※独身×バツイチの元同級生)

    ##小説

    同窓会で久しぶりに会った柏木の薬指には、あるはずの指輪がなかった。
     すらっとした柏木のその綺麗な左手を見て、俺は喜びとも哀しみとも形容し難い、妙な感情を覚えた。あえて例えるとするならば、胸の奥で、悪魔が鍋を茹でているような感じだった。

     俺が柏木と会ったのは、高校の入学式だった。誰とも話さずに俯いている柏木を見て、俺は、大人しいやつだな、と思った。本当にそれだけだった。
     入学式が終わると、俺たち一年生は激しい部活の勧誘に逢った。俺はその人波をかき分けて、入学する前からずっと入部すると決めていた軽音部の部室に入った。そこでは、上級生たちがライブをやっていた。
     ライブは盛り上がっていたが、俺はうまくその空気についていけないでいた。ライブに行ったことがないわけではなかったが、演者も客も誰一人知らない中で、緊張していたのだと思う。そんな中で、ふと横を向いた時、隣にいたのが柏木だった。
     柏木は、乗ることも、乗ったふりをすることもなく、ただ黙って演奏を聞いていた。その真面目な横顔が、柏木と世界との境目が、どうしてか美しく見えた。

    「つまらない?」

     俺は、今日初めて会ったばかりのその男に、そう耳打ちをした。

    「つまらなくないよ。とってもいい演奏だと思う」
    「じゃあ、最後までここにいたい?」

     柏木は眉を顰めながら、分かりやすく首を捻った。我ながら、変な質問だったと思う。

    「ここ抜けてさ、ふたりでどっか行こうよ」
    「どっかって、どこ?」
    「どっかだよ、どっか」

     俺が言うと、柏木は胡乱な目をしながらも首を縦に振った。それで俺は、柏木の腕を取って、こっそりと部室を抜けた。
     どこに行くか、本当に何も決めていなかったので、俺と柏木は街をふらつきながら、お互いの話をした。その時柏木が何を話したか、俺は全くと言っていいほど覚えていない。初対面だから、踏み込んだ話はしないようにしようとだけ思っていた。だからきっと、くだらない話だったのだろう。
     結局、俺は軽音部には入らなかった。柏木は、文芸部というところに入部した。本を読んだり、小説を書いたりする部活なのだと、柏木は恥ずかしそうに教えてくれた。俺は読書なんて殆どしたことがなかったから、それをどう解釈したらいいのかよく分からなかった。ただ、なんとなく、文芸部は柏木らしいな、と思った。
     五月に入り、体育祭が終わった頃には、俺は音楽が好きなクラスメイトたちとつるむようになって、柏木とはあまり話さなくなった。柏木は、文芸部のメンバーと親しくなったようだった。

     それでも、あの時軽音部の部室を抜け出して、ふたりで話をしたことを、俺は忘れることはなかった。俺と柏木には、何か縁があるような気がしていたのだ。

     夏休みが終わった頃、俺たちは美術の授業で、クラスメイトの似顔絵を描くことになった。相手は自由に選んでもいいと言われたのだけれど、誰の顔を描いたって同じだろうと思ったから、俺は相手を探す努力をしなかった。その時、そんな俺の背中に声を掛けたのが柏木だった。

    「奥山くん、相手、僕でもいいかな」
    「いいよ、勿論」

     俺は、初めのうちは柏木の正面の顔を描いていたが、なんだか違うような気がして、横顔に変えた。
     あのとき軽音部の部室で見た、あの綺麗な世界との境目を、描いてみたいと思ったのだ。
     だが、俺が描いた柏木の横顔は、良い出来とは言い難かった。柏木の顔は、シャープな瞳は、短い睫毛は、鼻のカーブは、少し突き出た唇は、すらっとした顎は、もっと美しいはずだった。

    「奥山くんは絵が上手いんだね」

     柏木は感心したようにそう言った。お世辞でもなさそうなその言葉に、俺は少し恥ずかしさを覚えた。
     
    「僕、あんまり自信がないなあ」

     そう言って見せてくれた画用紙の中の俺は、猛獣のように迫力があった。自分はこんなに健康的ではないな、と思ったけれど、確かに俺に似てはいた。

    「柏木の方が絵、上手いじゃん」

     柏木の絵は美術の教師に気に入られて、文化祭で飾られることになった。俺の顔が大衆の目に晒されるという点で、俺は少し柏木を恨んだ。でも、どうしてか、それ以上に嬉しくもあった。それが本当に、嬉しい、という感情で言い表しても良いものだったか、今では分からない。でもその時は本当に、その感情を、嬉しい、と解釈していた。

     高校を卒業してから七年ほどたった頃、柏木は、大学時代から交際していた女性と結婚した。
     高校の卒業式で時が止まったままの記憶の中の柏木が女性と交際をする、ということが、俺にはなんだか不思議に思えた。俺はその頃がむしゃらに働いていて、恋愛なんてする気がなかったから、結婚という物事を想像さえしていなかったのだ。

     そうして恋愛や結婚を考えないまま三十路になって、半ばまでいくかというときに、同窓会のお誘いが来た。俺は正直、左手の薬指に指輪をはめた柏木を見るのが怖かった。部室を抜けてふたりで街を歩いていたときには同じ歩幅で歩いていたはずの柏木が、俺を置いてどこかへ行ってしまった(結婚という物事を、俺はそういうように捉えているきらいがあった)のを、直視するのが怖かったのだ。

     けれど、久しぶりに会った柏木の左手には、指輪がなかった。
     勿論、普段は指輪を付けていないだけなのかもしれない。ただ、勝手な想像は膨らんでいった。

     一次会では、俺と柏木は一言も話さなかった。別の親しかった友人と酒を酌み交わし、別の思い出を語り合った。柏木もそうしていた。
     
     二軒目の居酒屋へ行ったとき、俺は偶然を装って柏木の隣に座った。三十代になった柏木の横顔は、それでも、やっぱり美しかった。

    「久しぶり。俺、奥山。覚えてる?」

     話し方が少しぎこちなくなった。だが、それは時間が生んだ距離感であるというように演出できていたと思う。

    「奥山くん、久しぶりだね。勿論覚えてるよ」

     俺は、左手の薬指をちらちらと見ながら、何と言おうか迷っていた。
     奥さんはどう、と尋ねるのはもしかしたら柏木の傷を抉ることになるかもしれない。ましてや、離婚したのか、と率直に訊くのはあまりにも無神経だ。

    「……奥山くんにさ、話そうと思ってたんだけど」

     俺が逡巡していると、喧騒の中の静寂を切り裂くように柏木は口を開いた。

    「僕、離婚したんだよね」
    「……あ、……」何を言えば良いのか分からなかった。「……そう、なんだ」
    「気遣わなくていいよ、別にさ」

     そう言うと、柏木はジョッキの中に少しだけ残っていたビールを飲み干した。柏木も歳をとったな、と思った。悪い意味ではない。

    「ど、どうして、離婚したの?」
    「何か大それたことがあったわけじゃないよ。価値観の違いってやつ」
    「そう、なんだ」

     二度目のそうなんだ、を言い終わると、柏木は俺を睨むように見つめた。
     
     柏木は別段、美少年というわけではなかった。今も、美青年とは言い難い。それでも、その瞳は、短い睫毛は、あの鼻のカーブは、突き出た唇は、すらっとした顎は、今も変わらず、美しく見えた。

    「奥山くん、つまらない?」
    「えっ、何が?」
    「同窓会、つまらない?」

     つまらないとは思わなかった。ただ、執着はなかった。

    「つまらなくはないよ」
    「じゃあ、三次会まで行きたい?」

     俺は首を振った。振らざるを得ないような感じがした。柏木の口角が少し上がる。それをどういうわけか、嬉しいと思った。嬉しい、としか、俺には解釈のできない感情だった。

    「ここ抜けて、どっか行こうよ。ふたりでさ」

     予想していた言葉だった。
     俺は隣にいた、名前の思い出せないクラスメイトにふたり分の参加費を押し付けて席を立った。先に抜けます、お疲れ様です、と、殆ど自動再生のように呟いて、柏木と一緒に店を出る。その行為をどう取られるか、俺はうまく考えられなかった。でも、別に、何と思われようがどうでも良かった。

    「僕の家、この近くなんだよね」

     少し歩いた頃、柏木は俺にだけ聞こえるような小さな声でそう呟いた。それがどういう意味なのか、分かるようで分からなかった。それでも俺は柏木について行った。
     家に着くと、俺と柏木は示し合わせたように服を脱ぎ、交互にシャワーを浴びた。そして、狭いシングルベッドに無理やり入り込み、裸で抱き合った。
     それが正しい行いなのか、俺には分からなかった。ただ、柏木にキスをすると、高校時代に置き去りにしていた感情が、俺の心臓を揺さぶり、舌をくすぐった。
     柏木が俺とベッドに入ったその理由が、離婚の淋しさでも、一人暮らしの寂しさでも、それは別に構わなかった。漸く、俺の青春が報われたような感じがした。その心を、誰にも形容して欲しくなかった。勿論、柏木にもだ。
     がむしゃらな、獣のようなセックスが終わると、柏木はベッドに入ったまま煙草を吸った。あの綺麗な横顔が、だらしなく煙を吐き出すさまは退廃的で色っぽかった。俺も柏木に一本貰って、それを吸った。狭い空間の中で、白い煙が絡まり合うのを見る。それがどうにも愛おしくて、俺は何だか泣きそうになった。

    「奥山くん、僕はね」

     灰皿に禿びた煙草を押し付けながら、しどけない声で柏木は呟いた。

    「奥山くんのこと、ずっと好きだったんだよ」

     俺は何も言えなかった。
     高校時代の俺がこの言葉を聞いたら、どんなふうに思うだろうと思った。そして、今、裸でベッドの上にいるということを。

    「僕のこと、卑怯だと思う?」
    「どうして?」
    「こんな感情を隠して奥山くんといたことも、結婚したことも」

     そう言うと柏木は、自虐的な笑みを浮かべた。その顔も、何とも言えず美しいと思った。
     道徳的な正しさなど、俺は考えられなかった。青春時代に置き去りにした歪な悪魔が、ただひたすらに俺の心臓を汚していた。

    「柏木が卑怯だって言うなら、俺もすごく卑怯だと思うけど」

     言いながら、柏木の唇に自分の唇を重ねる。煙草の強い味がした。柏木は俺の腕を咎めるように掴んで、軽く首を振った。

    「今でも俺が好き?」

     柏木に腕を捕らえられたまま、俺は卑怯なことを言った。柏木の泣きそうな顔と、世界との境界線がはっきりと見えた。

    「好きだよ」

     そう呟くと、柏木は俺の腕を離した。
     少し震えたその低い声に、胸を押し潰されたような気がした。

    「俺も、ずっと好きだったよ」

     俺は柏木の裸を抱きしめて、首筋に軽いキスをした。ずっと、この両腕の中に柏木の体を閉じ込めたかったのだと思った。もしそうでなかったとしても、もう、俺の青春は上書き保存されてしまっていた。あの頃には戻れない。
     これから何がどうなろうが、別にもう、何でも良かった。ただ、俺と柏木は、この寂しい街の薄暗い小さな部屋の、失われた青春の帳の中で抱き締めあっていた。
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